日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆早速にして為される、天皇、皇后両陛下の御公務

 我が倭日本民族の長に在らせられる<天皇、皇后両陛下>、基より、日本国をして実体上御治めになられる神々様、明けましておめでとう御座います。今年こそ、両陛下が抱かれ続けて来られた件の、所謂、道々の民もまた推し量って然るべき御公務遂行に関わる皇位継承に関わる譲渡御意向が、増々にして已まずの唯我独尊を以って代行統治を恣にする、安倍何某かの名を有する宰相の、聞く耳持たずの貧乏神を背負いし人物にも届き、両陛下の御健康と御安全の確保が正に為されるべく、一時でも早く、議会に持ち込まれ条文化に至りまする様、御祈念申し上げる次第で御座います。

 2017年1月1日を以って、天皇陛下が、昨年度に於いて<安倍内閣>に対して成立を促された、所謂、天皇家皇位継承に関わる問題は、御意向通り、新たなる創成の扉を開かれては実施施行の運びと相成りますれば、必ずや、皇位継承順位次位に措かれる、現皇太子殿下と妃殿下により、滞りなく地位御継承受諾の運びと相成り、此の正月朔日には国民の前に足を御運びになられ、御引退になられた両陛下も相揃われ、一億赤子の前に御立ちになられ、晴れやかなる笑顔を以って御手を振られ、我等道々の民の須らくに、迎えた新年の安泰と安寧、並びに静謐さと健勝を与えて呉れていた事では在るのだろう。基より、己の、分を弁えたる国家宰相であれば尚更の事、其の様に突き進んでいた朔日とはなっていた筈では在ろう。

 だが、そうはならなかった今年の新年祝賀たる一般参賀での、御継承問題を置き去りにした侭の天皇家の御立ち位置、基より、何も慌てる事は無いとして捨て置く観も在る安倍晋三政権だが、また、より慎重に遣っている迄の事と言われ兼ねぬのだが、元々が、皇位継承に関わる事で在るとか、女系天皇女性天皇の現出をして良しとする等の、排他的にする天皇家の仕来たりや慣行等に関しては、言うならば、我等道々の民が決めて良しとする様な軽々なる事項には非ずのもの、古より其れは、独り天皇家に係属せし排他的権能の一つとでも言うべきもので有り、赤子たる一般人が先を競うべく、介在して宜しかろう問題で在ろう筈も無く、然らば、国家憲法を含め、米国が草案加筆に介在した現行法等でも在るが故に、現行憲法の改正もまた必要で有るとか、皇室典範を以って為す条項の追加で、十分に間に合い、御意向に対応する事は可能である等の物言い、或いはまた、特例法を整備すれば其れで十分である等の、所謂、選ばれし道々の民に拠る、主客転倒を以って為す議論の推し進めこそが、不謹慎と言わざるを得ずのものにも在れば、天皇家に古来より伝わる、仕来たりや風習や慣行、並びに、祭祀等の、諸々にする遂行は、天皇家の排他的文化に措かれて然るべきもので、道々の民の口出しや干渉には馴染まずにも在れば、当然の事として、天皇家に在って、仕来たりを為される、其の祭祀者として最上位に位置される皇位等の継承問題に、三権執行の長であろうが、元皇族であろうが、積極的に口を出して良かろうとするのは、在ってもならぬ物言い、況してや、若き法学者やジャーナリスト上がりの女性評論家等が口角泡を飛ばし、天皇家に帰属する風習慣行等に関して、軽々に言及してならずは言う迄も無きこと、意見を求められた時にのみ応えれば済むもので、其れで十分ではあるのだ。

 胡散臭い憲法学者や、自称一流ジャーナリストを任じて已まない思想偏向せし女史の為す主張から始まり、有識者と称される人物群を参集しての意見聴取、並びに、挙手起立要員を多数に抱える与野党政治家群もで在ろうが、恐らくは自分をして主人公と勘違いしてのものからではあろう、天皇家をして同列に置いては看做してみたりの、言うならば、不逞の族も少なくは無い中で、思想信条や言論の自由を以ってしてさえ、天皇陛下及び皇后陛下、並びに天皇家は、神聖にして不可侵なる別枠の御存在には措かれるもの、明らかに国体を具現化する中での「国長」の役割を、日本民族の祭祀長として、而も、古より延々として良質裡に拝礼公務を担われ続け、数多にする天変地異や、不条理にする戦乱や戦争を以って為す災禍に遭っても、斯くも豊饒なる国家国土を創らしめ、あまつさえ、現下に至る係争無しの国家社会と、国民の知育と健勝に関わる常なる祈念もともに為され、基より、五穀豊穣と国際社会に対する健全に至る思いもまた、日常的なる祭祀、拝礼行為を以って、常態的に為されているのが「天皇家」であり、「天皇家」帰属の排他的文化の推し進めでもあれば、有識者とは言えども口出しは無用とする所、独り天皇家に託されるべきが筋と云うもので、積極的には、道々の民は天皇家による意見を求められて初めて、良質にする具申に及べば済む事、「天皇家」の歩まれる、其れこそが、祭祀拝礼行為等の納め方や在り方に至る、道々の民の思念の凝らしは、まさに無用とすべきではある。

 即ち、天皇家の総意に拠り決せられ、提示された御判断内容を承り、以って法案化の最優先条項へと戴き、遅滞なく法制化を急ぎ、法文として著する事を大原則とすべきが筋で有り、内閣(乃至立法府と司法府を併せた三権の長)は、成文化を諮るべくの斯かる法制化を見届ければ済むだけの事、道々の代表たる議会に集まりし一同が、其れこそ二年も三年も掛けて議論百出を為し、ああでも無いこうでもないと言っては法制化を先延ばしにしたり、欠伸をしながら、法制化の作業を眺め回したりする等の、不謹慎にして良しとする権限など何一つとして有る由も無いのである。況してや、桃色の眼鏡フレームを掛けて自己満足する、東大の名誉教授かどうかは分からぬが、斯かる不埒なる有識者をして、「検討会の座長」に選出した傀儡子宰相たる安倍晋三、如何に、藤原本宗家末裔を自負して已まずの副総理<麻生太郎>大臣がバックに付く事で安心して居様とも、元々が「天皇家」に排他的に帰属する諸権能に関して、其の是非を問うてみせる何ぞは、決して赦される事の無い行為であり判断そのものですら在る。

 神話時代の天皇家を含めれば、此の新年を以って、2677年目を迎える事と相成る、神武天皇から始まる「天皇家」となり、基より、国名としての日本国が、漢民族中国の古代史文献等に垣間見られる、所謂、現日本国に関わる、八世紀初めを以って記される記載事実、本より、「日本国」の認知を是とすればだが、大凡、八世紀以前の(国家)名称は「倭国(北九州王朝)」と称し、日本国(名)は、八世紀初めを以って明確に、其れも国際社会(現中国や韓国)に於いて認知を受けていたと云う事実には措かれるのである。所謂、第40代天武天皇(在位期間:673〜686年)の御代に於いて、北九州王朝も其の晩年に於いては用いていたで在ろうと推測される、所謂、「日本国(名)」を借用して、九州は本より四国をも含む、列島西半分を称した統一名称「日本国」と著されていた事と相成るのである。(古代史家、古田武彦博士の学説を基にする。)

 斯くして、神話の時代にまで遡らずとも、また、日本国名を新たに冠してからですら、1300年を優に超す、悠久に流れる時空間の存在をして明確に遺しては著す其の一本の日本史が、天皇家に拠って念じられては育まれ、本より、政治的凹凸こそ時代変遷の中には見られるにせよ、叡智と静謐さを以って国体をして織り成され、現状日本国に至る繁栄もまた編まれ、確かなる存在の日本国として此処にまで積み重ねられてもいれば、「天皇家」に取って代わり得る、即ち、日本民族としての指導者であり、且つ、理性的条理を以って為す、唱道者たる国家の長として君臨された、其れこそが「天皇家」に代わる道々の民など誰一人無しとして当然とするもの、基より、天智朝の御代に於いて臨まれた朝鮮半島における「白村江の戦い(663年)」で、即ち、百済倭国連合軍は、唐/新羅連合軍によって大惨敗を喰らう運びと相成るのだが、朝鮮半島で滅びし百済王国の末裔は天智朝の傍へと首尾良く入り込み、爾来、天武天皇の御代より引き続く、「天皇家」に多くの血を送り込む事とあいなるのである。勿論、英知をも送り込んだと自負して已まない件の、藤原姓を下賜された中臣鎌足改め藤原鎌足、所謂、百済王国最期の王子たる豊璋であり、才人藤原不比等へと繋がるのだが、斯かる藤原本宗家一族の末裔に有る事を豪語して已まない、言うならば、百済王国の血を引く現副総理格の<麻生太郎>を以ってしても、足許に及ばずは言う迄も無き事、況してや、シオニストユダヤ系大財閥資本家群をして己の<主>として看做し、且つ、尊崇して已まないと自負さえする、世が世であれば、此れまた、東北王朝の雄たる蝦夷一族の末裔で在る、として声高に名乗り、一族の再興を期して現日本列島の北東部へと戻り、勝鬨を挙げては国を興す事すら可能とする安倍晋三でさえ、「天皇家」、所謂、日本国に、背を向けて良しとする権力姿勢は、努々、執ってもならぬ事では在る。

 序に言えば、国家権力を恣にし、今や、己をして最高位の人物と錯覚している観の在る傀儡子宰相安倍晋三は、政権発足時に際し、自らの政治的課題で在るとして掲げしものに、第一には、北朝鮮国との間に横たわる件の、「日本人拉致問題解決に至る和平条約の締結」が在るとの課題と其の解決を図る事を挙げ、第二には、日ロ間に現存する、「北方四島の無条件一括返還合意に拠る和平条約の締結」問題の解決を、二項目として挙げた筈なのだが、自称、今もなお奮戦努力中には在ると言うが、前者に関する、不能を以って為す異論の差し挟みはまたの機会に譲り措くとして、後者の政治的課題に関して言えば、一歩の前進をすら見ていぬどころか、我等道々の民をして、益々にして「反露、嫌露、排露」を基にする、感情悪化へと追い遣るだけの、余りにも一方的に過ぎる現状にすらあれば、政治的に見ても、安倍政権の実状は極めて上っ面だけのものでみすぼらしくさえ映るもの、せめて、北方四島をして、無条件一括返還をロシア連邦に対して呑ませ、且つ、合意させるには、ロシア連邦は如何なる条件を日本国側に突き付けて来るのか位は、行政的主導者であれば、当然に知恵を絞り、反すう思考しては実践、解除条件をこそ引き出すべきが筋道と云うもの、よしんば、力付くで奪還してみせよであるとか、米軍に因る日本の占領政策を排除出来なければ返さないであるとかの、所謂、米軍の軍事基地全廃は、北方四島の無条件一括返還としての絶対条件にはなるであるとか、はたまた、現ナマを積んで買い取れば譲り渡す等の、「返還条件」をこそ引き出すべきが行政主導者としての役割、返還合意にまで至る条件となるかどうかは別としても、此れすら出来ずの侭に措く、安倍晋三に因る都合五年間にも及ぶ執政期間での、対ロ問題を含む己に課した外交政策課題は、実に無駄であり無益にまで至る徒労と時間の消耗であり、国費の無駄使いでも在った、と云う事にはなるのだろう。

 間接的ながら、道々の民の代表たる宰相安倍晋三には、決して解決し得ぬ、所謂、上記外交課題二案とはなるもので、基より、政治経済的排日姿勢を試みる可能性の高い件の、米国大統領D.トランプの登場で、俄かに騒がれ始めているのが、現に実効支配し駐留する日本列島での、米軍活動経費全額の日本側負担問題、所謂、其の須らくをして、日本国は米国に対して、”みかじめ料”として、軍事訓練等の費用を含む在日米軍駐留駐屯の直間にする経費全額を、並びに、臨時的に寄港し駐機したりの直間にする費用もまた、日本側が負担し支払わなければならないとする、米国の新政権を担うD.トランプに因る、強硬にする対日姿勢の示しは、逆説的に言えば、七十有余年を経て初めて日本側が手にし得る独立解放に向けた好機と言うもので、日本にとって、アメリカ合衆国からの柵を断ち切れる絶好のチャンス到来の可能性を秘めるもの、其れこそが自主自決を基にする独立自尊の獲得の機会到来で在り、倭日本国となる女神の飛来にはなろうと言うもの、”みかじめ料”は断固として支払えずとする日本国の最後通告に激怒する、ヒトラー崇拝者でも在る独系米国人、D.トランプ決断に拠る米軍須らく(文官と武官)の、日本国からの撤退宣言と総引き上げを是とする命令は、彼が、胸を張って自慢して見せるが如く、アメリカ合衆国財政赤字の節減に多大に寄与するとともに、日本国にとっても、将来に向けた、夢ある新たなる道の切り開きの一つともなれば、日米双方にとっても好ましくは在ろうと言うもの、基より、狭隘なるモノの味方しか為し得ない者にとって見れば、日本列島からの米軍の撤退は、漢民族中国やロシア連邦をして、悦ばせるだけでしか無いと断ずるもの少なからずには在ろうが、其れ程に憂いる事は無し、日米合意で、米軍須らくの撤退が完了すれば、程無く、日ロ間の和平条約締結問題にも交渉の道筋が付き、且つ、前後こそするが、北方四島無条件一括返還の実現にも目処が付き、第三次世界大戦の開戦にも、一旦”蓋”を以って閉じられもすれば、一石二鳥どころか、四鳥、五鳥等を惹き起こす、神々の招来をこそ得られ様と言うもの、貧乏神と疫病神を背負ってW.Hに陣取るD.トランプの現出は、或る意味では、不条理下の米国をして懲らしめる「薬」にもなる可能性すら示唆もしているのである。

 ルール改正無き侭の、所謂、現状の侭に突き進む、民主自由資本主義社会体制に在っては、早晩にして総崩れを伴う同体制と相成る必然性をこそ秘めてはいるのだが、其のぶち壊しの為にこそ、知らずして選ばれし観も在るD.トランプのW.H入り、基より、七十数億人にまで拡大し生存する人類の、大多数の浄化を以って解が得られるものでは無く、民主自由資本主義をして、普遍的に且つ円滑裡に遂行し得る、新たなるルール改正を発見、「人類生存の理念」として、鳩首協議して編むべきが先決問題ではある。

 横道にこそ逸れたが、此の二月にはベトナム国へと向かわれ、国家元首としての責務で旅立たれる事と相成る、「天皇、皇后両陛下」、よしんば、宰相安倍晋三が特枠で率いて為す、七百名有余の代議士を同道させてのベトナム訪問では在ったにせよ、役目たる原発の売り込み適わずの体にも在れば、「天皇、皇后両陛下」に御願いするに如くは無しとしているので在ろうが、商用など一切御無用とされて然るべきもの、更に言えば、御意思と御高齢を考慮すれば、傀儡子宰相安倍晋三提案を待つのでは無く、やはり議会そのものが唱和し早急に動くべきが肝要ではある。日本の国家安全保障政策とは、換言すれば、天皇家の安全保障政策でも在る事を、道々の民こそが知り措かなくてはならないのである。