日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆野党陣営(立憲、共産、自由、社民)よ、あなた方に冬眠は無いのです。

 戦後政治史に於ける、憲政史上最大級の悪党傀儡子政治屋(※)三名をして政党の代表として輩出、国会へと送り込み、而も、国家行政府の長へと祭り上げたばかりか、其の三名が三名ともに血を分けし実の兄弟で在り、また、祖父と甥っ子の関係に措く人的繋がりに在ったとは、少々出来過ぎと言うもので、自然的流れ等では在り得ずのもの、基より、一世紀にも繋がる、<地盤、看板、鞄>を基にする、其れは、政治屋(家)稼業に立身する為の三要素を満たしてのものでも在ろうが、其れ以外に、何かしらの必然にする政治力が添えられていなければ、此処まで永くに続く立身出世等は為し得ずのもの、況してや、彼等三名はともに、国家権力の表象たる行政府の長の椅子に、労せずして上り詰めし人物三名ともなれば、単純にする<政治屋稼業三要素>のみの満足で其処まで辿り着く事は出来ず、無理が在ろうと言うもの、基より、後継無き現役宰相たる人物の段階で、斯かる同族支配には幕が下ろされるのであろうが、同時に其れは、日本民族国家の終焉をこそ意味もしていれば、国家終焉の回避策をこそ追い求めるのもまた日本国家国民の必然的判断で在り義務ですら在ろうと言うもの、斯かる策の巡らしを放棄したり断念したりする事は在ってもならずのもので、日本民族として、静謐理に、而も、手枷足枷(借金返済等の重責)など、一切受け取らず、百年後も千年後も世代を新たにしては生き続け、紺碧に包まれる地球そのものが崩壊の秋を向かえる其の日まで、日本民族として、或いは、地球人として、代を重ねて生きていて欲しいものである。

(※)元首相岸信介(執政期間:1957〜60年)、元首相佐藤栄作(1964〜72年)、現首相安倍晋三(2006〜7年)及び(2012〜18年現在)、ともに、山口県田布施町に地盤、看板、鞄を有して措き、国権の長等へと上り詰めた、所謂、古代東北王朝史を飾った蝦夷一族の、彼等は、日本民族の長たる「天皇家」と、其の日本民族をして忌避し嫌悪する、米国の真の支配者たるシオニストユダヤ系大財閥資本家群をして今は我が<主>と尊崇する、末裔達でも在る。

 平成三十年の現在に至る迄、日本の戦後政治経済が何故に条理に向かって動こうとすると中折れしては機能せずにポシャリ、心身不揃いに措く不条理事象のみを繰り返し続け、経済政策に在っては特に、国民経済を救う為と称し乍ら、1966年以来延々と、赤字国債発行の増刷を繰り返し続け、戦後一貫して、毎年々々、傀儡子政権の<主>たる、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の求めに応じ、邦貨換算数十兆円規模の”みかじめ料”を(様々な名目とルートに因って)彼等に上納、其れでも足りないと在らば、上述せし政治屋どもが、国民の為と称しては騙し、徴税(消費税増税等)の負荷を国民に強いる事にもなるのだが、其の、返済不能の借金に積み重なりし総額は、今や、「千三百数十兆円規模」にも上る途轍もなく莫大なるもの、基より、斯かる返済不能とでも言うべき借金を上積みする、今の傀儡子政治屋安倍晋三に返済の意思、若しくは、可能性の思惑など、一つとして在る由も無いのである。

 今、異邦人国家宰相安倍晋三を担ぐ、挙手起立専門政治屋集団たる自民党をして破砕し斃すべく、国家国民に、其の悪党どもの仮面を剥ぐって見せるべく、議会提出下に措かれる各不条理法案の不当性を指摘しては、上述せし自民党国会議員らの不法性をも暴露したり等、徹底的に破砕し斃さなければならずの野党陣営である筈が、再び足並みを乱し始め、況してや、隠れシオニストならぬ隠れ安倍一族の典型たる、親小池百合子派とでも称すべき、国民民主党(代表玉木雄一郎)の説得に屈し、立憲民主党(代表枝野幸雄)は、自民党の押し進める、日本国民の為になど一つとしてならない、各法案の審議に入るべく、戻る事を説得されたと在るのは、正に、野党陣営の、未だに混乱状態にあるか、左も無ければ、条理在る戦いの後退をすら知らしめるもので、基より、自主自発的動きを止めたと思しき日本共産党にも無念さをこそ残しもするが、傀儡為政者の典型たる経歴を歩む玉城雄一郎風情に、言い包められて終う枝野幸雄も枝野幸男で、大した人物では無さそうで、此れでは、安倍晋三自民党そのものに不信感を抱く60%の国民から、次回の選挙では厚き支持を受ける何ぞは、もはや無理と云うもので、叶わぬ思いと言う事では在るのだろう。極めて残念至極では在る。

 国家社会秩序をして完全崩壊に導かせしめた、所謂、異邦人傀儡子宰相が絡む、未解明下に捨て置かれる、「森友学園加計学園」両疑獄事件や、極悪犯被疑者に対する解放措置や揉み消し指示疑惑等では、傀儡子宰相の背後に控える<B&A群>に因って、代案たる策が弄され、現下の臨時国会係争事案からはまんまと外され、即ち、自民党の雑魚(ザコ)大臣とでも称すべき人物二名に対する、無知や無教養の晒け出しや、政治資金規正法に関わる、止め処無く続く不正不法事案を露見させ、当該問題に釘付けさせては、真のワルたる、傀儡子宰相安倍晋三、或いは、此の世には最早”死神”以外に怖いものは無しとする、諦念の境地を開いた感のある、側用人たる役どころの”世捨て人大臣”麻生太郎等、お白洲(若しくは板縁)への引き出しには失敗した感も在る、野党陣営の追跡撤退、基より、議会を占有せし野党陣営の数が数で在れば、或いは、相手が相手(シオニストユダヤ系大財閥資本家群傘下のB&A群)であれば、思う様には行かずと考えたか、乃至は、追及そのものを断念するとし、ザコ大臣の繰り広げる不細工さに、追及の的を変えては絞り、国会解散へと追い込む手法へと切り変えたのであろうが、此処に来ての、野党陣営の一員たる「国民民主党」との融和政策の推し進め、基より、立憲民主党日本共産党等に因る姿勢の変化と受け取れるのだが、其の様な、理念無き軟弱姿勢での妥協の示しや、大勢に捲かれろ方式の受容では、如何に洞察力が乏しく、熱し易く冷め易い大陸半島的性格を持つ我ら道々の民とは謂えども、承服し難き安易なる妥協と言うもの、どうして支持政党をして野党陣営になど変えられ様か、無理と云うものである。

 沖縄県辺野古岬沖に建設予定の米軍基地に対する、沖縄県民(県知事を先頭にする)挙げての敷設反対と、基より、沖縄県からの米軍基地の撤退には、今や、積極的に同意姿勢をすら示さず、尚且つ、生活権に直接関わる物事に関しては、地方自治体の意思を尊重すべきであると、議会にすら提言せずの野党陣営、此ればかりでは無く、次から次へと原発事業の再稼働へと向かって動き始め、在ろう事か、期限切れの原子炉操業に更なる40年の稼働許可を与えるとの判断に対しても、見過ごしているのか黙認して終っているのかは判らぬが、一向に、野党陣営としての判断はおろか、独自の指針すら未だに示さずにいる、立憲民主党以下の野党陣営、数え上げたらキリが無いが、この様な無様な体たらくで、日本国家社会の舵取りをしたい何ぞは無理と云うもの、である。