日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆統一地方選や国政選挙に際しても、野合からは何も生まれない。

 中央省庁の中心たる厚生労働省官僚(群)の質の悪さは省庁内でも群を抜く天下一品のもの、基より、二十一世紀に入った今に始まったものでは無く、元々の省として明治初期に設立されし内務省(地方行財政、警察、土木、衛生、国家神道などの、国内行政/国民生活/の大半を担った)の時代から取り沙汰されていたもので、日本に在っては未知数に措く欧米行財政手法に倣おうとする、謂わば、日本社会近代化の種蒔き時代から見られもする其れは悪質さに在れば、相応に、人材そのものにも苔が生え年期も入ろうと言うもの、質の悪さを問う以前に、経験則無き事に因る結果としての対処も対応もまた未整備状態に、少なくとも明治、大正、或いは、昭和初期の日本国家自体は措かれていたもので、須らくが模倣と吸収並びに実践の時代に在った中で積み重ねられしもの、国家政策の結果として出て来る社会的事象と其の対応をして取捨選択、良し悪しを見定め、次なる時代へのステップ(政策/予算化)を定める中で作られし官僚の狡さであり上を見る事に長けたおぞましき質と云うもの、左すれば、厚労省官僚群を一括りにして処断、質の悪さとして終うには無理も在ろうと言うものだが、現下の厚労省は、上述せし内務省の管掌せし職掌の中から、特に、国内行政(国民生活)に深く関わる<健康・医療、子ども・子育て、福祉・介護、雇用・労働、年金に関する政策分野を主に所管する>省として再々編成されしもの、勿論、其の中には国家衛星企業として独立せしGPIFも在るが、未だ厚労省の存在の重要性は内政的には在るもので、即ち、”由らしむべし知らしむべからず”なる国民(野党陣営を含む)をして小馬鹿にする様な、過去から引き続く悪しき省内慣行(厚労省に限らず、今や省庁全般に言える)だけは捨てて貰わなければならないのであろう。人事権、予算権が政府(内閣府)の管掌下に措かれていれば無理なる相談かも知れない。

 厚労省官僚群に因る国民(野党陣営を含む)を小馬鹿にして、中々にして真相を明かそうとせず、政府与党自民党共々、核心を突く野党の質問にははぐらかし手法を以って応えて見せるのみで、埒まったく明かずの、正論が一つとして開示されない国会での「統計不正疑惑問題」に絡み、厚労省に関わる上述せし印象と判断を改めて不信感として抱くもの、もういい加減に国民をして見縊る事は止めにし、与党為政者を含む身内のために、為すべき業務をして不正を以って”作為”してはならない、と言いたいのである。

 何れの日にか、政府与党たる自民党安倍政権とともに為す、内閣府に選抜され招き入れられし官僚達の、国民の視線を受けてでは無く、政府(政権)のみを見た悪しき行政手法とでも言うべきか、はたまた遣りたい放題の行政慣行とでも言うべきかは扨て措いても、何れは野党陣営の手に拠って、其れ等、黒く爛れた不条理該当部分は切開手術を施され、糺される日もまた遣って来るのであろうが、自民党二階幹事長が真顔で言う様に、此の侭に異邦人傀儡子宰相たる安倍政権に拠る執政が続き、自民党規約の改定に拠り総裁職四期目も可能となり、若しくは、期限(任期)そのものが廃止の方向へと進む可能性すら残してもいれば、政治の闇を俟つ様なもの、即ち、目の前で悪政(悪態)を施し続ける政権(と与党)をして見続けさせられ乍ら、政治体制が脆弱なのか政治能力そのものが虚弱に措くのかは判然とせぬが、<自民、公明、維新、希望>以外の野党陣営、所謂、<立憲民主や共産、社民や自由、乃至は、政治体制が判然としない国民民主>等々、顔の見えない政党も在るにはあるが、中々にして国民の多くが彼等野党陣営の主張に合意し納得したり、胸も熱くなる様な政治劇を遣って見せて呉れたり、更に言えば、与党陣営には決して見られなくなった、野党各党に本来は根差すであろう社会正義の顕現をして、迷わずに不条理勢力である自民党や第二傀儡政党に向かっては体当たりしてぶつかる等の、いわば、押し潰され様とも果敢に不条理に向かって突進、条理在る行動へと移す勇気ある政党が、影を潜めた観も在る野党陣営の存在もまた、現状の不条理社会を助長し、助力さえしていると言っても過言では無いのだろう。基より、我ら戦後生まれの道々の民に因る、いわば、物分かりの良い爺さんたちの、条理無き<沈黙>をこそ正当化している訳では無い。

 国政政党「希望の党」の立ち上げで、結局は、第二安倍新党か、左も無くば、第二傀儡(保守)政党の代表と看破されて終った、現東京都知事小池百合子女史が(担ぎ上げられては)手掛けた国政政党創りで、「希望の党」が立ち上がったのではあるが、程無くして其の素性がバレ、「希望の党」の共同代表として名を連ねた玉木雄一郎は、素性がバレた事で、且つ、将来性(国権の奪取)が全く無くなって終ったとして「希望の党」を逸早く離脱、今では、元民主党が離合集散しては分裂、また再分裂しては元党員を集めての「国民民主党」を立ち上げ、党首の地位に納まってもいるのだが、哀しいかな素性は隠せずに措くもので、金の力を借りてTVでの政党PR活動を始めるやら、或いはまた、政界をして遣りたい放題に取り仕切る自由民主党安倍晋三政権との間に、政治的取引を持ち掛け、政党PR活動を認めるのであれば、安倍政権の欲する「憲法問題審議委員会?」の審議入りに、国民民主党は応じる用意があると宣ったものであるから、驚くのも道理、此処でも、玉木雄一郎は己の抱く政治理念、即ち、安倍晋三と略似通いし政治理念である、「米国の為に働く事をして最大の任に責めを措く」との、全くにする傀儡性を暴露したとも受け取られ兼ねず、政党合流をして同党に持ち掛けてもいる小澤一郎自由党党首も、瞬時にして色を失い、愕然として終う様な言い分を披瀝して終った様である。

 国民民主党代表玉木雄一郎の政治的素性をして知ってか知らずかは定かでこそ無いが、立憲民主党の代表である枝野幸男は、野党としての政治的協調や同調を求める玉木代表等の秋波送りをして拒絶、受け容れなかった事は、志位和夫代表率いる日本共産党とともにする賢明なる判断で在り措置、基より、其の政治家としての生い立ちに鑑みれば、玉木雄一郎代表自身が日本共産党に合流や同調を求める事など、微塵も在り得ないのだろうが、何れにせよ、枝野幸男代表の判断こそ間違いでは無きもの、政権与党自民党に代わり得る受け皿としての政党の面目躍如たる判断、と言う事にもなるのだろう。勿論、プロポーズこそされなかったが、今後の動き方一つでは、日本共産党にも同じ事は言えるのである。即ち、日本共産党もまた、日本国家国民の為の政党として愚直に活動していく政党で在って、立憲君主制国体に基づく民主自由資本主義社会体制もまた維持するが、傀儡国家社会体制に日本国をして措き続ける事はせず、自主自決に向けて日本国家社会をして導く政党とすべくに動くと明確に言い、国民に知らせ理解して貰う事こそ重要で、与党自民党をして破るためにと称し、政治的理念も条理も異なる野党陣営が、小異を捨てて大同につき、一致結束して自民党打倒に当たれば何とかなるは、日本国民には未だまだ受け容れられずの手法にあるもの、やはり、現段階では条理在る政党をして見極められる国民の力を信じ、各野党は、愚直に、政治的信念や理念をこそ披瀝して戦うべきであると言う事でしかない。

 一斉に開始された統一地方選、或いは、参院選(改選)が視野に入りつつある中で、中々にして賑やかにならず、況してや、地方選に於いては、与党内対立に因る候補者擁立のみが目立ち、野党陣営の推す候補者に今一つ関心の視線が向かず、且つ、野党候補者に対する注視力もまた削がれているのも、偏に、野党陣営からの国民に対するPR不足は勿論の事、乃至は、野党陣営が推す候補者個人からの熱意が全く伝わって来ずの構図は如何ともし難きもの、恐らく、此の侭に行けば、投票率自体が大幅に下がる事で、野党陣営が飛躍する所か共倒れを託ち、独裁為政が際立ち、且つ、前評判も芳しかろう筈も無い安倍政権率いる自民党が、空前絶後の結果で圧勝すると言う場面にすら遭遇する可能性無しとせずには措くのであろう。