日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆巨大化は免れずに措く天変地異/自然災害

 其々の領域に於いて、四季のメリハリもはっきりしていた日本列島に住み続けてはいても、物心付いた時と、半世紀以上も経ちし近況に於ける四季をして粗々に比較、感じ入る侭を言わせて貰えば、”梅雨”期間が比較的に短くなったのではないかと思う替わりに、夏の暑さのみが比較的に増えて伸び、且つ、息苦しさばかりが永く感じ取れる位の、言わば、此処五、六年間に於ける感覚変化が認められ様と言うもの、勿論、質の悪い気候環境に地球そのものが変質したのではないかと、勝手に想像し理解するのである。基より、現下に於いて発生した自然災害、即ち、”台風十五号”がもたらした、特に、630万千葉県民に与えし、電気やガス、水道等のインフラ施設の広域(殆ど全域)に跨る破壊や不稼働等に因る、特に、電力(配電設備の毀損等)に関わる台風被害は、何十万世帯等の想像以上の被害者数を惹起、更には、災害直後に想定した以上の復旧工事時間が掛かる事もまた判明、一週間近くを経過せし今に判明、完全復旧を待つ数十万人市民をして困惑させ、悲しませてもいるのである。

 基より、観測史上最大とも言われる暴風や、雨の発生で、都市部も林間部に在る家々も、其の多くの家の屋根が暴風に因って飛ばされ、大量の雨にも見舞われ、暴風下の鶏舎や牛舎等は軒並みにすっ飛び、或いは倒壊、また、電柱群が近くに林立する林の木々は倒れて電柱そのものをなぎ倒し、林間部に埋められてはコンクリートを以って建てられし送電の大元たる鉄塔までもが、「二基」倒されると言う、所謂、瞬間風速50M以上の暴風を受けると言う予想だに不能な風力を、而も、千葉県の広域に於いて被って終ったのである。

 予想出来ぬ程の、乃至は、対応出来ぬ程の、天変地異に因る自然災害でもあれば、誰(県や市町村、乃至、国やインフラ企業等)にも責任が及ばずに措くは当然のもの、左すれば、如何に迅速に破壊されし生活インフラをして原状復帰に戻し、市民の日常生活をして早く取り戻せるべくかに意を措くのは当然のもの、数日後に無念を吐露しただけの安倍晋三の談話や、東電の責任者を呼びつけては不満や状況改善を促しただけの、所謂、知事等のアリバイ作り等は全く不要のもの、基より、現場(県や市町村、自衛隊、インフラ企業等々)では役割分担をして今や遅しと待ち構え、刻一刻と迫り来る、地域別被害状況入手の確認後に於ける、優先順位付き作業工程表の図示や明示を展開し、且つ、実践するのと同時に、県民等にも知らせ、被災県民は何を為すべきかが解る工夫を既に準備していたからでは在る。

 初期に於いてこそ被害状況の入手そのものが困難を極め、全体被害の状況も把握出来ずに作業開始こそ遅れたが、其れでも数日を措かずに情報入手機器等を駆使してCC(司令塔)へと送られ(たであろうし)、<東電>であれば、力足りなき分は、同業他社へも参加要請、分担を取り決めての救済要請を流し、水道やガス等の被害等に付いてもまた同様の、救済要請を施し、また、当該インフラ企業では手に負えぬ事態に対しては、県を通じて自衛隊に救助要請をすると云った、事前対応すら出来ていた節が窺えもしているのである。

 其れでも尚、海有り、山あり、谷在りの、肥沃にして緑豊かで風光明媚、且つ、内陸部には大都市部を抱え、而も、太平洋に面した房総半島全体を取り込む千葉県、此の広大なる自然部をも四方に抱える千葉県での巨大台風災害でも在れば、都市部での災害とは異なり、戸建ての広がる平地部や、林間部や山間部に於ける被害状況の把握や全体の掌握には手間暇が掛かろうと云うもの、インフラの原状復帰が適うには相応の時間を必要とするもので、県や市町村が真っ先に打つべき手は、国や政府から激甚災害のお墨付きの与えを勝ち取る以前に、県民、特に、林間部や山間部等に住まう(他に動けぬ)県民の生命を守ってあげられる様、最大限の策をして講じる事では在るのだろう。

 基より、天変地異に因る自然災害の事、自助努力での生き延びの為の工夫と実践は個人個人の責務で為すべきものでは在るが、他力(国力、社会力等)たる組織社会に慣れて終った日本社会の事、自力(体力、知力、資力等)をこそ基本として必要としても、個人個人での自主再建には限界が在ろうと言うもの、生命が絶たれる事の無い最小限の支援位は、国や地方自治体が執り行うべきもの、税の使い道もまた、頻発する天変地異たる自然災害等を想定して、国は税制等を見直し、組み替えるべき思案をして施す秋では在るのだろう。

 自然災害の世界的多発が現に見られているばかりでは無く、精神疾患著しい破壊的国家権力者等の登場が原因で、世界最大の石油産油国の製油所がテロ攻撃を仕掛けられたリ、航海途上のタンカーが作為的攻撃に遭う等、世界的秩序破壊が喧しく報じられている中、基より、株価の同時下落も誘っているのだが、此の様な国際的危機対策をも併せて、国は知恵を凝らし、体制をして改めて行く事もまた肝要である。基より、異邦人傀儡子宰相を擁する現政権では”遣る/遣れる”由も無いが。