日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆古に思いを馳せるのは良いが、歴史を恨んではなりませぬ。

 前項に於いて、安倍内閣に新たに加わった”菅原一秀経済産業大臣に因る、挙手起立要員時に於ける不法行為が露見、其れが本で、経産大臣の<名誉職>をして辞めざるを得なくなった件に関し、当欄では人物をして勘違い、理由こそ余りにも似ていたのでとのエクスキューズもあるが、不法行為者に擬せられて終った元農林水産大臣斎藤健”氏に於いては、一時的とは言え、極めて遺憾で傍迷惑な事ではあったろう、此の場を借りて深くお詫び申し上げる次第です。

 通算八年の長きに及ぶ、安倍政権の政治活動を見ていると、安倍政権の実体であるとか本質であるとかが明確に浮き彫りになり、不条理政権の実態としても明確になっては来ているのだが、其れでも尚、民主主義を基にして差配されるべき国権が、等閑にされてすら剥奪されずの侭、八年もの長期に亘り恣意的に執政され続け、且つ、剰え、国民の過半が不必要(乃至は無用)と判断し続けている、所謂、憲法九条の改正に向けては、国民をして改正に導くべく立場を利用、教唆し煽って見せる体は、偏に、国家宰相安倍晋三自身の現に抱えし国家理念、乃至は政治経済理念には、日本民族をして中心に据え措くと云う、言わば、根幹に据え措く国家の主体者としてでは無く、唯々其処に在るのは、米国、就中、第二次世界大戦後の米国(現職大統領D.トランプでは無い)をして実体的に、日本国をして支配し差配さえする件の、シオニストユダヤ系大財閥資本家群に与し傾斜、従属し隷属すらしているからでは在る。

 基より、日本国家権力の須らくをして差配する国家宰相の安倍晋三にとってみれば、最も危惧すべき事は、三権分立に立ち入る事に因る、現状に於ける己の不条理なる信条をして国家国民に見透かされる事で在り、就中、日本国民として選抜されし国家宰相の地位に在る事を見せ付け乍ら、其の実態はと言えば、過去に既述した様に、欧米日中の国家権力者群をして現に支配し、差配さえする、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の傀儡子にしか過ぎなかった事をして、国民に、特に、広く日本民族に看破され、悟られる事では在るのだろう。

 幸いと云うべきか不幸と言うべきかは人其々の見解にも拠るのだが、現国家宰相安倍晋三には血の繋がる子孫等が無き事から、残すべき資産や財宝等は何れは無用となり、或いは、価値在ると錯覚する遺すべき名誉や栄誉等もまた、全く無用と迄は言わないが、権威主義をして忌み嫌う人々にとっては粗方意味無しともすれば、残る人生に於ける気掛かりは唯一つ、即ち、前世に於いて思い描いていた通りに日本列島(国民)が突き進んでいるかどうか、若しくは、前世に於いてつかい遺した<安倍晋三>の資産や財宝等は一体誰の手に受け継がれ、即ち、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の目に適う、次代に於ける誰の手に手渡されるのかが、日本民族絶滅の有無共々に気掛かりとする所、位では在るのだろう。

 繰り返しにはなるが、今も尚強く主体性を留めて已まないアイヌ民族(も蝦夷一族)も、今では日本国民の一人々々として括られて終うのを常とするのだが、上述せし民族史をして別もの(異なる民族)で在る事を知る(若しくは、伝えられて初めて知る)人々にとっては、日本民族の陰に隠れて忘れ去られるのを良しとして終う事などせぬ所か、遺恨の歴史、其の存在と継続として、今迄より明確に異なる歴史観をこそ主張したくもなるのである。基より、当然の事では在るのだろう。唯、日本国民として一本に纏められて終う事で、実態としても現存する自己の民族史をして軽視されたり、無視されたりする事もまた忌み嫌いもするのもまた当然の事では在ろう。

 古の東北地方に燦然とした「東北王朝史」を築いた蝦夷一族(安東家、秋田家、安倍家)にとっては、蝦夷一族とは如何な存在には在ったのだろう。基より、朝鮮半島出自が多数を占める「北九州王朝」や「出雲王朝」、乃至は、「奈良王朝」等との関係は、八百年代初頭に於いて、(桓武天皇坂上田村麻呂軍の手で)壊滅される以前に於いてはどの様な関係に措かれていたのか、勿論、全くの没交渉状態に在ったとは推定不能なところから知りたい所、日本民族をして毛嫌いへと導く異邦人傀儡子宰相安倍晋三にとっても重要なる事、知って措くべきでは在るのだろう。何故ならば、「明治維新」は蝦夷一族に因る千年越しの”叛乱”と見て取れない事も無いからである。