日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆<主国>と<隷属国>との現実的格差。


 馬に喰わせるほど多数のノーベル賞を受賞している国家であり乍ら、また、戦後に限っただけでも、多くの場面に於いて国連をして主導し、また、リーダーシップを取って来たアメリカ合衆国で在った筈なのだが、政治的に見て、余程人材が居ないのか足りないのかの内情こそ判らぬが、多様性の在る国家だからだよと言い乍らも、自国に住まう有色人種群をしてトコトン忌み嫌い、其の存在をして否定、排除しようとしてみたり、同列に措く存在そのものを認めなかったり、また、有色人種出自の大統領が主導して取り決めた国際条約をして、簡単に破棄通告し、平然として否認し続けて見せる様は、まるで餓鬼大将か表すが如き態様そのもの、此れが、七十有余年に亘り、国際社会の政治経済をしてリーダーシップを執り、自他ともに主導者として認めた者の現状有姿の立ち位置、実に憐れむべき存在とでも言うのだろう。

 基より、アメリカ合衆国に於ける四年毎の大統領選挙戦で、単純にして明確なる、所謂、総得票数の獲得に因る多寡を以って”大統領個人”をして直接的に選択、裁定に伏せば、此れ程にして単純明確なる選択手段は無いのだが、その様にならないのがアメリカ合衆国の抱えている問題(可笑しな所)と為す所、斯くして、精神疾患著しくも在る人物、所謂、D.トランプなる大統領が、”選挙後”、に初めて、尋常ではない事が判明せしことにはなるもの、勿論、州毎に人口の割り振り(五十州に割り振る)に因る選挙人を割り振り、其の割り振りの中での多寡を占めたものが、其の総てを手にする事で選挙人須らくを獲得するのだが、直接的選択数の票獲得で在ってすら、若しもだが、D.トランプが得票総数で上回る事すら無しとせずに措けば、同じ轍をして踏まずとは限らずのもの、但し、この場合に於いては止むを得ずとするもので、条理在る選択力が無かっただけとして諦めが付こうと言うもの、即ち、異邦人傀儡子国家宰相安倍晋三をして、日本民族が多数を占める自民党員では在るが、安倍晋三の内心迄は読めず、即ち、八年もの長きに亙り良しとして選択し続けた、所謂、日本民族の選択眼の無さをこそ悔やむが如くに、、、。

 日米両首脳がメディア界に出て騒がぬ(若しくは騒がれぬ)日無しに措く不条理社会状況は連綿として続き、其の悪質性、乃至、不条理性に措く、日米両首脳の政治経済的態様は怒りを通り越し、辟易とさえするのだが、議会が始まった国家宰相たる安倍晋三の場合は、相も変わらずに措くノラリクラリの中身無き回答のオンパレード、特に、内閣府の長たる、所謂、各大臣の任命権者として執り行った後の、不祥事の露見に因る辞任乃至更迭が、該当する大臣に対して為された場合、所謂、<総理大臣>自身の責任の取り方に付いて問われるのだが、現職宰相たる安倍晋三の場合は、任命責任こそワレに在るとし乍らも、内閣総理大臣に因る実体責任(総理大臣職からの身の引き等)の執り方は、異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三は、”任命責任を執る必要は一切無しっ!”との確信から、決断して当然の条理在る判断は為す事も無いのである。即ち、”任命責任は私に(内閣総理大臣に)在る”とし乍らも、部下の責任だけは一切取らないとはどう言う意味となるのか、増々にして、此の国の、いやっ、自民党を治める党員の頭脳構造が実に気になる所ではある。若しかすれば、余りにも日本国家社会が長期(74年間と云う)に亘り、米国をして<主>とするかの如き傀儡子為政の馴致下に措かれたが故に、政治経済行政に深く携わる日本国民(権威主義者連)が勘違い、欧米日中の実体をして、政治経済的に差配しては取り仕切る、<シオニストユダヤ系大財閥資本家群>に、国家の<主>たる冠を被せては安堵する、錯覚さえしているのでは在るのだろう。

 其処に行くと、三権分立を抱える米国社会は、未だ日本社会よりは益しな様で、遣りたい放題の現職大統領D.トランプに対して、ニューヨーク州最高裁は判断を下し、2016年の大統領選挙戦で為された選挙運動での費用が、トランプ米大統領が理事長を勤めていた慈善団体「トランプ財団」の資金として、不正流用したとして判定、米国時間の7日、トランプ氏に邦貨換算約2億2千万円の支払いを命じた、と在る。アメリカも見捨てたものでは無い、と感じ入る次第でも在る。日本の司法府に目を転じて見れば、不条理そのものに対して目を向けるのではなく、不条理を庇う事で司法府には、行政府より反対給付としての利益が幾ら還元されるかに着目も集まれば、力無き被疑者は、よしんば無実でも逮捕は免れず、力ある被疑者は訴追すら免れて、米国への高飛びでも英国への高飛びでも可能とはなるのである。

 此の違いは、現に明確になり始めてもいる。