日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆自民党安倍政治に国会は無用なのであろう。

 実に慣れとは恐ろしきもの、遣る方もやられる方もだが、現状に見られる不条理に侵食される日本の政治文化もまた一つの慣れの積み重ねにも在れば、此処迄に至る不条理なる政治形態をつくりしインフルエンサーは相当の兵(ども)と言う事にはなる。日本国家社会をして唱導する政治家で云うならば、嘘は吐く、白は切る、前言は翻す、犯罪者は庇う、借金造りは平然として為す等々の不条理所作をして禁じられ、遵奉義務が課せられているにも拘わらず、国権を有する長としての、在ろう事か、恰も役得であるかの如くに錯覚し、平然として熟す、所謂、唯我独尊的政治文化をして築き上げた異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三は、大した兵であるかの如くに映りもするが、彼は直接的インフルエンサーでは無く、飽く迄も其の他大勢のアクターの彼は一人、実体上のインフルエンサーは、彼が崇拝し尊崇し続ける<主>たる、欧米日中をして政治経済的に其の支配下に治め、且つ、差配下に措く<シオニストユダヤ系大財閥資本家群>であり、斯かる<主>から日本国家社会に対して特命配属されし<B&A群>てあり、三権の府に跨り在籍する日本国高級官僚群を指して言うのではあるのだろう。

 泣く子も黙る筈の<警察、検察>をして支配下に措き、司法府や立法府と同等の地位に在るべき行政府の国権保持者が、手足の如くに使役する事も在れば、自らと其の陣営たる身内には、司法府が仕る自由刑たる捕縛拘束が、絶対に及ばぬであろう事を知り尽くした上で遣る不法不正行為の数々、民主自由主義社会下に於ける法治主義国家に在って此れ以上の不条理行為は無い訳で、日本国家社会で、今正に、其れが出来て終っていると言う事が独裁国家と称される所以となるもの、公的場に於いて、嘘は吐く、白は切る、前言は翻すに付け加え、質問には答えずにはぐらかし、争点を逸らして平然としている様等を見ると、此れが今の日本社会で赦されて終っているのは何故なのかとの疑問が湧くのも、蓋し、当然の事なのであろう。

 議会制民主々義下に於ける多数決を以ってする基本的賛否の取り決めが、此の日本社会でも大いに機能しているからに他ならないからであり、国民もまた其れで良しとしているからでは在る、、、とでも結論付けられるので在ろうが、但し、其れでは、国家行政府の長の為す不条理行為、其の須らくが、国民の容認し得る範囲内に在るとでも思っているのかは、不条理にする長に対して直に聞いた事が無いので何とも言えないが、恐らくは、議会制民主々義が内包する政治的理念などに関して、件の反社会組織の政党、其の長たる自民党安倍晋三は、考えた事も無ければ理解すらした事も無く、唯々、<B&A群>より手渡されしシナリオの侭に脚本を読み進め、呟いていれば其れで良しとし、基より、演技の自己評価を為すどころか反省等の概念もまた備えてはいないのであろう。其の傀儡子宰相に、国民がまともさを期待しても、或いは、条理在る回答や理性的返答を期待しても無駄で在り無理、左すれば、周囲に散らばる傀儡子宰相が零すエサを拾っては、時として喰い過ぎては腹を壊す、反社会組織政党の党員を追い駆けて行くしか術は無いのだろう。差し詰め、腹を壊す<議員や高級官僚群>は誰かを問えば、新聞の三面記事をして賑わし続ける反社会組織政党の政治家達であり、斯かる記事を見ては、自身が直接乃至は間接的に仕える行政府の長や国権保持者等に類推が及ぶか否かを瞬時に判断、忖度の対応に動く内閣府に派遣されし高級官僚群ではあるのだろう。彼等は必ずや尻尾を出す存在とはなる。基より、警察や検察の上層部にも至極まともなる人材が居れば、との条件こそ付くが。

 年が明け、国会が始まって未だ一週間足らずだが、異邦人傀儡子宰相安倍晋三の本会議場での答弁と内容に、一つとして、真実味も真剣さも全く窺えず、感じられずにすら措けば、よくぞ八年もの間、振り回され続ける国民は苦痛として感じる事無く、其れどころか、有り難き国権保持者の政治活動で在るとして拝み奉って来たものであるわいと、つくづく寒心するだけである。此れが現状日本国家社会の実体で在り限界と言う所でも在ろうか、理性ある条理など、反社会組織たる政党自民党に、或いは、其の総裁でもある異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三自身に期待し、且つ、待ち望む事自体が不条理に過ぎる、と言う事でも在るのだろう。序に言えば、現日本国家社会に於いて、公平公正に措かれて然るべき「三権の府」の均衡性は、今や崩れ去っていて無く、一強(行政府)二弱(立法府、司法府)の実態に据え置かれて終ってもいる様である。おぞましい社会となったものである。基より、司法府(検察)に因る、IR法絡みで急襲せし自民党議員に対する訴追の準備や、前法務大臣自民党議員二名)等に対する訴追の準備等が、俄に、而も現前に見られてもいるが、二弱に措かれし検察に因る作為性そのものが疑われる所、大物を捕まえずに小者(群)をして捕まえ、国民の目の前にガサ入れをして見せる何ぞは、司法府自身に疑われて久しいアリバイ作りの工作としてしか見えずのもの、時期と言い、訴追に至るであろう内容と云い、其れこそが眉唾ものではあるのだろう。

 精神疾患著しい米国大統領D.トランプの織り成す支離滅裂なる退行的政治と、中国共産党習近平政権が唱導し牽引する覇権主義的政治、或いは、新民主自由主義を唱導するロシア連邦プーチン大統領に拠る自己保身政治、其れ等に対する、日本国の傀儡子宰相たる安倍晋三が織り成す国権濫用政治の何処に、明確にする相違点が見て取れるかと言うと、其れは言う迄もなく、米中露の三者は其々が国家元首で在り、良くも悪しくも独自国議会政治のルールに基づき、自己責任の範囲内に於いて行政施策を取り仕切り、時として、米国の様に弾劾裁判に対する訴追すら受ける事も在り、国家元首の地位を追われる事すら在るが、また、中国の様に、行政施策の発布に関しては党中央委員会の合議制の中で決断される仕組にも在ると云う、言わば、自主自決、独立自尊の国体に貫かれてはいるが、此の日本国家の安倍政権の場合はどうかと言えば、言う事はいうが、ルールは守らず、嘘は吐き、白は切る、剰え前言を翻し、結果に対して責任は取らずと言う、凡そ、議会制民主主義や法治主義とは縁遠い、而も、立憲君主制国家とはまるで言い難い、独裁国家の体を呈しているもの、基より、上述せし国家政体に関わる主義主張の其々に当て嵌めてみれば、自民党安倍政権は、司法府と立法府を完璧に従えた”独裁政権”でしか無いのである。