日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆菅直人の頭上を”鬼”が飛び続ける

 原発事故がもたらす放射能、或いは、放射性物質飛散汚染に因る国家社会的悪影響が如何に甚大で広域に及ぶものとなり、且つ、悲惨で酷く、計り知れない災禍をもたらすものであるかは、巨大地震津波を引き鉄とする初めての事故事象とは云え、地域社会全体の生活を破壊に導くのみならず、日本列島の東国一帯をもカオス状況に引き込む空恐ろしいばかりのもの、日本列島を環状に取り巻くべく設置された、所謂、総計五十四基もの原子力発電所が、よしんば、一斉に事故の災禍に遭い、或いは、爆発誘引をも引き起こせば、沖縄県を除く列島内に住まう日本民族は、たちどころにして北方四島をも含めた住民の須らくが燃え尽き、炭化物質へと帰し、若しくは、余命幾ばくも残らぬ、手の施し様の無い民族人体としての最期を、日本民族自身が看取る事と相成るのであろう。電源と水源が全く断たれ、或いは、一定時間、ともに休停止しただけでも、炉心部は核燃料の溶融反応へと導かれ、紛うことなく融合爆発へと至り、其れに次ぐ、再融合に因る一億度にも上る高温の核分裂すら惹き起こして終うのが、斯かる原子力発電所が抱え込む、現状に於ける未完成な科学技術上の負の側面、まさに、神鬼一体に在る事の其れは証左と云うもので、神のみぞ知る原発事故の成り行きでもあるのだろう。

 大地震も、大津波も、はたまた、原発事故に因る災禍もそうだが、人は其れを天変地異に因る、其れこそ、自らは一切与り知らぬ不幸の出来事でしかないとの認知は出来ても、恐らく、ご先祖様の悪業に因る祟りの現われかもしれないとの意識は殆どの人々は抱く事も無いであろう。当然と云って終えば其れまでだが、世の流れ社会の流れに運、不運は付き物、但し、国家社会を条理を以って率いる為に其の地位に就くべき、所謂、指導者、若しくは、権力者自身に、不運が連続して付き纏い、且つ、因果応報の怨霊も付き纏って離れなければ、当該権力者の被指導下に措かれる道々の民は為す術無しとするもの、権力者本人に纏わる不運が遠のき、怨霊が晴れる迄の間、じっと我慢して耐え忍ばなければならないのだが、誰にも忍ぶ限界だけは在ろうと云うもの、日常の糧を得る手段すら斯かる権力者の不運、或いは、怨霊の舞い降りに因って遮断され奪われて終えば、生きる手立ては全く無し、畜舎の柱を、或いは、林の大木を救いの場に求め、はたまた、入山しての場所の選択等、生存の道を絶たれ世を儚む道々の民が増加は、斯かる彷徨う場面の増加へと押し遣るのであろう。

 あのシオニストユダヤ系大財閥資本家群が、其の優れた能力を駆使して研究開発し、ユダヤ帝国アメリカが悪魔の武器へと開発成果を流用、ユダヤアメリカ人大統領のトルーマンが、黄色人種日本民族を殺戮対象のモルモットとして取り扱う事を命じ、45年8月6日と9日の両日に広島県長崎県の上空で、ウラン製、プルトニウム製と云う、所謂、異なる原爆実験を非情にも試してみたのである。

 彼等シオニストユダヤ系大財閥資本家群の目に映る黄色人種日本民族像に、人間としての存在価値など芥子粒足りとも置かずは、彼等の性の為せる業で当然の認識と云うもので、ユダヤ教の説く其れは民族排他性の一つ、況してや、目障りなる有色人種の一つにしか過ぎぬ存在の日本民族ですらあれば、実践的核実験とは言え原爆投下に因って予測される数多の死傷者の惹起、所謂、瞬時にして爆発地点の半径数キロを、一億数千度と云う、太陽ですら生み出せぬ高温で舐め尽くし、数万、数十万と云う日本民族を殺傷し炭化させたにせよ、憐れむ事すら無かったのである。勿論、六十六年を経ようとしている今日も尚、斯かるシオニストユダヤ系民族思念が変わる事は何一つとしてないのである。

 邪魔者は排除し、且つ、排除されて当然の報いであるとし、特に黄色人種を含めた有色人種群に於いては、<人間として>の尊厳は一切認めて居らず、況してや、地上に存在してもならない生物でしかなく、存在するのであれば、其れは<動物の一種として>存在すべきもので、ユダヤの民と同等に位置する人間など、決して地球上には在り得ない存在なのであるとする。だから、家畜日本民族が生きている頭上で核爆弾を炸裂させ、二十万人もの命を瞬時に炭化消失させようとも、或いはまた、働き蜂日本民族の集めた”ミツ”を大量に、アメリカの名を以って召し上げ様とも、意に介さずは当然、其れが三世紀にも跨るシオニストユダヤ系大財閥資本家群の条理であり、選良民として位置付ける教義ともなっているのである。

 シオニストユダヤ系大財閥資本家群の不条理性なる存在も去る事ながら、家畜動物見做しとされる我が日本民族にも、アメリカ合衆国を裏から動かす上記ユダヤ系不条理民族と主従関係を乞うては手を結び、選良民意識として同等に在ると錯覚し続ける一族は存在するのである。其れがまさしく、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔であり、政治的前衛として第三帝国官僚政府を束ね、若しくは、行政権を須らく彼等に委ねては一年で失墜、だが、今も尚、自民党をして陰に陽に動かし策を授け続ける、所謂、麻生太郎に代表される藤原一族司法宮が在るのである。

 邪魔者は殺し排除すると云う不条理の選択は、何もシオニストユダヤ系民族の専売特許には非ずのもので、十四世紀以上も遡る日本列島に、潰えた国家百済王家の王子豊璋(中臣鎌足藤原鎌足)が、亡命後にヤマト朝廷へと持ち込んだ手法そのものでもある事を、新たに覚えておいても損はない。

 国家行政最高権者への菅直人の登場をして道々の民の多くは、疫病神の登場であるとか、貧乏神の登場で在るとかは、努々、僅かたりとも看做す事すらなかったが、須らくの結果は菅直人の執政時間に付いて回るもの、否定出来る由すら無ければ、神の求める条理に背き逆鱗に触れる事での鬼の登場もまた否定し得ずのもの、不条理分子と手を組み、或いは、従う事で神の怒りを買い、若しくは、祟りに遭ったとすれば、其れは何れ祟られる菅直人をして強く支持し、小澤一郎氏をして排除して当然とする人々に対する、因果応報を以って鬼が応えたと云えなくもないのである。