日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆公務員はヒルか

 荒廃せし敗戦下の社会で、少しづつ其の差を縮めてやろうと模索し努力した三昔前の日本の公僕、振り返ってみれば其れからまた三昔を向かえた今、遂にはその差を縮めたばかりか先走者担税群を抜き去り、逆に大きく差を付けて遂には彼等を振り切り、へたばって斃れ掛けている彼等先行者群を置き去りにし、独り陽光に向かってひた走る集団が、どうだと言わんばかりにほくそ笑んで手招きしている。其の足許は軽やか、視線を其れ迄の過ぎ去りし日に向ければなるほどに納得、最初の三昔は、今斃れし担税者群の首に縄を掛けて引っ張って貰い、自身はと言えば殆ど歩かず終いの省エネ態様、抜き去りし時点では、今斃れしものに採血針を射っては管をドンドンと伸ばし、滋養を不断に採取しては斃れしものに発破をかけて其の動きを俟ち、且つ、強制的に促すと云う、言うならば、両者の溝を大きく広げる事由の存する現況下には在る。

 寓話でも無ければ童話でもなく、逸話でもなければ、況してや神話にも非ず、擬人化の可能な現代版組織社会の葛藤を言い表す、ゴールなど本々に無いウサギとカメの競争、乃至は、蓄え方など知らないアリとキリギリスの物語の、何れは共倒れし関係にこそ在るそれこそが日本民話とも呼べる実話なのであろう。

 半世紀以上にも上る間、一部では、彼等は青ちょろい痩せぎすの集まりで、意固地で融通の利かない集団だと陰口すらされては叩かれ、また、何もせぬ時間厳守の貧乏人とも揶揄すらされ、囁かれた一時代も在った公務員諸兄の先達ではあったが、陰口やヒソヒソ話とは裏腹に、換言すれば、其の持ち前の頭脳の明晰さと忍耐強さ、加えて、組織的知恵を駆使した無言の行動力を以って、三昔前には遂に先行者群(民間)に追い付き、歩調を合せるかと思いきや、瞬く間に其の民間を追い抜き、遥か彼方に追い越して行ったのが、公務員諸兄の先達から始まる日本選良民達の、国家社会操作形態なのである。

 今では民間に比し、現役世代の俸禄で五割増しを受け取り、生涯収入に至っては大よそ三倍満、四倍満の役満頂戴と来れば、わかっちゃいるけど止められないのが斯かるスーダラ稼業、地道に、其れも若い時代にコツコツと勉学もせず、遊び呆けていたお前たち道々の民の其れこそが自業自得とでも云うべきもの、よしんば、土下座し地面に頭を付けて俸禄見直しや生涯収入の見直し、或いは、水面下に潜る部分の歳出カット等々を頼まれても、オイソレと受け容れて呑めるものでもない。悔しかったら、お前たちの歩んだ、その失敗塗れの無価値にも等しい人生に見切りを付け、生まれ変わって出直し、運よく、また此の列島に生命を受ければ、その時こそは、地道に、且つ、コツコツと受験勉強に励み、上級、中級等の国家試験に合格する様、土下座者は総じて励むべきが道である。其れが適わぬ今は、ワレラオカミに傅く今様の奴隷として満足し、即ち、ワレラオカミ帰属の担税者、即ち、自由無きオオミタカラの一員として、つべこべ言わずに働き笑顔で納税をして貰わねばならない、と。

 生活保護者が、遂には、二百万人を突破した憐れで、尚且つ、他力本願の日本社会、とマスメディアは書きたてるが、中身は異なるが、国体に縋ると云う意味では同質なる組織、即ち、生活保護者総数を既に上回り、且つ、手厚い国家収入を得ている元公務員達は、彼等生活保護者を凌ぐ勢いで増加しているのもまた事実である事を以ってすれば、斯かる実態に目を瞑り、二百万人のオオミタカラのみを無価値の者として言外に臭わせる藤原系為政者群とマスメディア、唯我独尊此処に極まれり、ではあるのだろう。

 オオミタカラ等の生血を吸って生き続け得る特殊なるヒルも、時と場合に因っては、働き過ぎて凝り固まったオオミタカラの筋肉を解すの役割を為し、ドロドロに薄汚れたその生血を吸い取り、明日の活力に繋げて呉れる益虫の役割すら担うのだが、一歩誤って過度に用いれば、筋肉をほぐして呉れるどころか生血の須らくを吸い取り、翌日に働くオオミタカラを死へと追い遣るようなもの、処方無しに推し進めるヒル活動の看過は、其れこそが不作為に因る作為に該当するもの、斯かる処方を適切に為すべき医師が不在、若しくは、看過に因るヒル活動の放置は、医師の責任放棄に該当するもの、即ち、行政府を主導する内閣府の総じての責任であって、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔麻生太郎に引き続く其の傀儡子代表、野田佳彦率いる民主党内閣の不作為に因る、政治的責任でしかないのである。

 為政者が集う内閣府が為せないのであれば、自覚を以ってする公務員自身に当該改革は頼らざるを得ないと、或る時には云ってみたが、基より、自己管理等不能なるヒル自身に其の活動を半減せよと懇願するようなもので、無理を承知の上で云っただけ、立法権を握る為政者自身が調整し、成し遂げなければならない事は今更言う迄もなかろう。