日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆賢人政治家ウラジミール プーチン (5)

2.民族資産、即ち、天然資源等の無秩序流出の阻止並びに規制の法制化

 斯くして、ウラジミール プーチンは、ミレニアム期二千年を迎えるロシア国連邦第二代大統領として、国民一心の期待を込められて登場する事になるのだが、些かたりとも違わず、且つ、政治目標の根底に据えたものは基より不変、噛み砕いて言えば、条理を以って為すロシア国再興による欧米諸国との肩の並べには在り、少なくとも、政治経済的には、欧州域への接近であり、安全保障政策的には朽ち果てた制度そのものの見直しと再建、基より、独仏との並走すら目指したもので在った事は云う迄もない。

 大統領としてのウラジミール プーチンが、クレムリンに入場して即自的に敢行したのはもちろん数多に上るが、取り分け、イェリツイン政権初期に於ける、所謂、暗中模索の中で実行した自由資本主義経済移行に向けた制度やシステムの導入と敷設、或いは、資本主義社会制度に似せた表層的施策の採り入れに因る、其れこそが、明らかに歪んだ経済社会現象として現れ出でた新たなる支配階層に対する、其の矯正を以ってする是正と不法不正の摘出に在った事は云う迄もない。

 即ち、イェリツイン政権初期に於いて実行した、国民須らくに対する公平公正を以って旨とする、所謂、ソ連邦時代の国家総資産の割り振り分配と、拠りて資本主義社会を国民須らくに実体関与させ且つ押し広め、国民一人一人が、就労先の新たなる一株主となり、若しくは、健全なる経営に参画する就労者となる事を以って、国家社会全体を民主自由資本主義社会制度下の、勢い有る豊かな実りあるものに成し遂げ得るとの大義名分の下、バウチャー制度(後に於いて株式担保制度も)の導入に因る完全民営化を企図、イェリツイン政権の手で無定見に実行に移されはしたのだが、理念の実現は何処へやら、体制改革の大義名分とは大幅に懸け離れた、云うならば、狭隘なる寡占型資本社会、乃至、超法規的独占型資本社会へとロシア国家社会そのものが大きく後退、満を持してクレムリンに乗り込んだウラジミール プーチンが真っ先に、斯かるブラックボックスに手を突っ込んだ事は云う迄もない。

 ロシア議会の条理在る統制に一段落と一区切りを付け、然るべき多くの重要なる部署に人員を配備し、政治理念具現化の臨戦態勢を整えたウラジミール プーチン、基より、重要なる部署とは政権閣僚のポストのみに非ざる事は云う迄も無き事、行政執行職が数多に含まれていた事は云う迄もない。

 国際社会に、数次に亘ってTVやニュースにも配信された、所謂、官民会議を主催したプーチン大統領の映像が在る。其れは、日本人の多くも目にする所となる件のもので、もちろん、民間人を集めた大統領主催の「円卓会議」の事を指すのだが、此れは、プーチン大統領率いるロシア国家が、イェリツイン政権時とは明らかに異なる、即ち、異民族ブレインの手を借りない、換言すれば、スラヴ民族自前の手に拠る、条理在る民主自由資本主義国へと一歩を踏み出す宣告とはなるもの、基より、現下のロシア国家再興を記す大きな足跡さえ意味するものとなるのである。

 斯かる円卓会議に招集された人物は、当時に於いて飛ぶ鳥を落とす勢い真っ只中の新興財閥群やマスメディア群、基より、イェリツイン政権時に重要なる施策敷設の為の提言等のブレインの役割を果たした政商もまた、多く含まれていた事は云う迄もない。勿論、「円卓会議」に招かれる主旨を薄々感じ取っては欠席、或いは、プーチン大統領を見縊ることで招集を拒否するもの、応じなかったものも居るにはいたが、国内経済をリードするトップ達、即ち、粗方の新興財閥群(金融、商業、工業、法曹、メディア等々)は招集に応じ、プーチン大統領の準備するドクトリンの仔細をグサリと突き付けられる事と相成るのである。

 基より、温和な物言いを以ってする中で、取り立てて無理難題を押し付けたものではなく、其れこそが、出席した新興財閥企業家群には寛大とでも云うべき執行猶予さえ付いたものであり、且つ、一事不再理すら兼ね合わせて与えた、其れは「国家からの要請」とする低姿勢を以ってする謙虚な言葉遣い、云うならば、大統領自らが一歩引き下がって為す要請とさえしたのである。斯かる物言いを以ってする要請(宣告)に出席者の過半が凍り付かぬ由もなく、身震いが同時に起こった事は否めない事実ではあったろう。

 海外に(不正に)持ち出した資産は時限を付するのでロシア国内(国営銀行)に一旦戻す事、国内に隠匿する外貨を含む資産は一時国営銀行を経由させる事、経営(経理)内容を明確に開示する事、税金は適切に納めねばならない事、、、等々を、プーチン大統領は出席者に低姿勢で要請したのである。

 共産主義社会体制下のソ連邦に於いて、国家社会を実体的に取り仕切っていたのは選良民達であった事は云う迄もなく、勿論、ノーメンクラトゥーラ赤い貴族)と呼ばれる彼等は特権階級達の事を指すのだが、斯かる新興財閥群の中にも当然に潜んでいた事は知られた事実である。基より、ノーメンクラトゥーラなる名称を冠された特権階級は、ロシア革命以前から存在していた事は云う迄もない。

 また、共産主義社会体制下のソ連邦に在って、即ち、第二次世界大戦後に於ける西側陣営との関係に於いて、チャーチルに拠り「鉄のカーテン」と命名される冷戦状態の真っ只中に在ってさえ、ビザ不要の頻繁なる交流が、ソビエト連邦の実体的指導者層との間で成し得ていた一群が西側陣営に存在していた事を、勿論、プーチン大統領自身は知り得ていた事は云う迄もない。即ち、其の一群とは云う迄もなく、カーネギーであり、ロックフェラーであり、ロスチャイルド一族等々の所謂選良民、其の通り、シオニストユダヤ系大財閥資本家群であった事は今更云う迄もなかろう。

 彼等の手を借りて為さしめたロシア革命共産主義社会体制の敷設、更に、彼等の手を借りて、即ち、IMFからの借款とバウチャー方式の採用、並びに、欧米シンクタンクの外知恵を借りて、民主自由資本主義社会を推し進め様としたイェリツイン政権、其の悉くが、スラヴ民族ロシア国家には貢献も還元もされなかった事を、第二代目大統領プーチンは知悉しており、大統領就任と同時に潜行して戦いの布陣を布き、斯かる首魁たちを集め、宣戦布告したのが此処に記した「円卓会議」の意味なのである。