日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆不条理の強制にもまつろわぬ小澤一郎氏他五十六名の志士

 主役藤原系官僚政府、脇役藤原系自民党乃至民主党野田政権(2010年秋入信)と云う今もなお続く、不条理権力体制、所謂、戦後日本の権力史を握る彼等に因る、八百長為政を駆使して創設した年金制度を一とする社会保障制度、モノに依っては百四十年近くにもなる軍人恩給と云う国庫支援の原形から始まり、最近に於いては高校無償化や介護費の見直し等に至る、何時しか、其の須らくが国家が関与して必然と看做された社会(主義的)保障政策並びにその取扱いを巡り、更には、増税を付してまで破綻に陥った国家原形を死守すべきか、左もなくば、斯かる社会保障政策遂行に関わる執行機関や其の補完機関とでも云うべき国家衛星機関を通じて為す弛みにゆるんだ国家予算の執行、所謂、社会保障政策の履行には原理原則が在ると言われながら<入りと出>が完璧に齟齬を来して終っている既存政策をして均衡在る改革に向かわしめ、一旦白紙に戻して、理念と政策を大胆に組み直すべきかで、現行政権者である準藤原系に入信した、菅直人に続く民主党野田政権が、初心忘れるべからずとする元党首の再台頭で内部対立に陥り、改革者側である元党首を一とする五十七名をして造反(有理)へと追い遣らせたのが、此の二十六日に衆院を可決通過した「社会保障と税の一体改革法案」に関わる反対票の投じ、道々の民である国民の窮状をよそに、また、現行不条理下に措かれた制度の条理在る大改革を見ぬ侭に為す大増税への突き進みを、其の身を挺し、蟄居幽閉は基より、党籍剥奪すら覚悟して反対票を投じたのが、我らが選びし小澤一郎氏を一とする上記五十七名の志士達、基より、其の数を少ないと視るか多いとみるかは夫々の判断となるが、不条理行政に惑わされてすら疑問とも思わぬ80%の被洗脳者比率からすれば妥当なる数字並びに結果と云うもの、我ら道々の民同様に、国会に送り出されし代議士達もまた被洗脳者比率からはみ出たものではないとの、其れこそが証左にはなるのである。

 民主党をして、自民党に代わる国家行政執行権者へと送り出した道々の民の健全なる意思は、三年を経てもなお政治に反映されず、何一つとして満足どころか納得すらさせられず、其れどころか、良質性を求めて生き続ける道々の民の思いそのものが散々に踏み躙られ、あまつさえ、自民党時代にもひけを取らない過酷さを以って、更なる悪政へと引き摺られてもいるのだが、其れも此れも、社会正義の顕現一つ示せぬアナーキスト菅直人と、あの日本を駄目にした藤原系官僚政府に完璧に取り込まれ、換骨奪胎すらした、自己満足組の野田佳彦の為せる業、即ち、民主党の屋台骨とでも云うべき芯柱を抜き去り、看板をヘブライ語の「家畜民主党」に変えて終ったが故のもの、在って良かろう筈もないのである。

 況してや、当該民主党の内部ごたごたに乗じて下した不条理組織、所謂、検察庁に因る不始末の処理表明が為されたのだが、其れこそが唯我独尊を基にする傷のなめ合いとでも云うべき道々の民を馬鹿にした内部処理の公表であって、即ち、小澤一郎氏と其の陣営を、自らが持つ排他的司法権を以って、自由権の剥奪と貶めの画策を講じ、また、唯我独尊を貫いては強引にも遣って退け、所謂、三権分立が巴の如くに護持尊重されるべき其の中の、立法府と行政府の制御統率を目的とした明確な冤罪のでっち上げ事件が、司法府、即ち、不条理行為の前衛を担う検察庁に因る作為そのものの謀で在った事が、第一審とは云いながらも公判では詳らかにされ、検察庁にとっては不運とでも云うべき、其れは在ってもならない作為の露見であり露呈、基より、小澤一郎氏御自身は辛うじて無罪に付されたものの、また、作為を以ってする貶めの冤罪に深々と手を染めた下手人である検察官の名も職制もともに公表されながらも、なんとなんと、第二審へと再び持ち込まれる不条理の公判を平然として受け継ぐ司法権と、社会正義に関わる一切の異議すら差し挟まぬ野田佳彦政権、此の様なおぞましくも在る前近代的権力態様を未だに遺して現わす日本の国家権力機構、基より、在って良かろう筈も無いのだが、不条理機構を差配する、あの日本を駄目にした藤原本宗家一族に傅く事を、菅直人時代に決めた傀儡子野田佳彦であれば然も在りなん、今は、故人となられて終ったが、団藤重光翁であれば如何様な指弾を、冤罪を作為せし総本山の最高検総長を、或いは、社会正義を、不作為を以って押し潰す野田佳彦等々に対して、心中下しておられた事かは言う迄もなかろう。

 検察庁東京地検特捜部に因る、其れこそが総掛かりに因るとでも云うべき不法行為の露見に対し、即ち、自由人を貶める冤罪を作為せし検事複数名に対する、最高検総長の下した処罰内容はと云えば、国家公務員法に適正に基づくものであると自画自賛すらしたものでしかなく、給与20%カット六か月分と厳重注意のみ、其れ以外のお咎め一切無しとはいったい何ぞのものや、代々的被害を受けた小澤一郎氏にしても、石川知裕氏他二名にしても、斯かる検察庁の総掛かりに因る冤罪事件のでっち上げ事件の謀では、三年以上にも亘って延々と苦しみ続け、在るまい事か犯罪者としての筵に座らせられたばかりか、其れも、今もなお犯罪者として貶められ続けて後遺症を残し、在ろう事か、80%にも上る国民をして、犯罪者間違いなしとの烙印すら捺す其の洗脳下に伏させ、あまつさえ、良質なる彼等四名の家庭生活すら台無しにして終うと云った、直接的間接的に以ってする暴挙を企てては排他的司法権を濫用して実践、検察庁の作為に因る其れは冤罪づくりでも在った事がバレればバレたで、国家公務員法に基づく就業規定で粛々と済ましてみせる何ぞは、一道々の民として、とうてい感情的にも受け容れ不能の処置内容と云うもの、況してや、人を貶めた犯罪者そのものが国家司法権の冠を被った検察庁そのものの検事であれば尚更の事、<打首獄門、市中引き回し後の河原での晒首>相当の自己批判は在って当然のもの、少なくとも、自由権と特権剥奪に因る蟄居幽閉、無期遠島程度の厳しい処分は為されて然るべきのもの、勿論、作為を以って、司法権立法権を侵した事が明確となっている事実が露見している以上、当該事案に関する公判、乃至、公判への持ち込みは、即刻にして、行政権を以って停止、並びに、撤回を命じ、原状に復するべきが、民主自由資本主義を本にした法治国家の執るべき正道なのである。

 今に為すべき社会正義の顕現と云う、条理を以ってする指揮権発動を布くべき立場に位置する唯一の行政権者、即ち、民主党党首であり現に国務総理大臣を司る野田佳彦は何を遣っているのかと云えば、不条理組織検察庁に対する三無主義の貫徹と、大増税に向かって突き進め!の大号令だけとは、全くにして呆れたもので畏れ入谷の鬼子母神、いったい全体、国家社会正義は何処へ素っ飛んで行って終ったのやら、開いた口が塞がらないとはまさに此の様なことを指して云うのだろう。此処まで国家三権を司る、或いは、実体的国家権力を握る権力者群が、其々に在って、不条理と云う病魔に侵されているのを間近に見させられると、冤罪に浸されて苦しみ、今なお浸され続けている小澤一郎氏や、石川知裕氏他二名だけに止まらず、”反小澤一郎”の謳い文句にまんまと嵌っては踊らされ、消費税のみならず、大増税に向かって突っ走る野田/谷垣/公明党の、黒々とした三羽ガラスにエールを送り続けては増税致し方ないの決断に傾いた道々の民もまた、実に憐れでならないのである。

 鉄人政治家小澤一郎氏をして、司法権総掛かりに因る<冤罪>の謀を以って党首の座から追い落としたのが三年以上前の出来事、小澤一郎氏不在若しくは公判下に在る間に、其れこそが数多の挙手起立要員の蠢く民主党そのものを脅して手籠めにもすれば、あのアメリカ合衆国同様に、即ち、共和党(前大統領ブッシュ)も民主党(現大統領オバマ)もともに、二頭の傀儡子として思い通りの政治に動いて呉れ、今や大統領の首にかけられた其の手綱を自由に牽き回し、思うが侭に手綱を動かしては前進後退を操作する件の主、所謂、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の日本版に上り詰める事を策した、あの日本を駄目にした藤原本宗家一族、基より、組織の末端に於いて鉄砲玉とした検事複数名には手厚い補償を組む事で口を割られずに済み、よしんば、小澤一郎氏が党を割って出ても、最早権力の玉座に戻る事は万に一つとして無く、大勢に影響を及ぼさずと読んだ藤原本宗家一族の末裔達、麻生太郎氏を其の政治的前衛とする彼等は既に、グラス片手に葉巻を燻らせては冤罪の成果に興じ、高笑いを以って、単純にする権力誇示の戦果を称え合ってはいるのだろう。

 検察庁総掛かりで謀った、小澤氏陣営に対する”冤罪”と冤罪の後遺症で、原状にすら復し得ずに、三年にも亘って苦闘し続ける其の一方で、我ら道々の民の条理在る政治的唱導者小澤一郎氏の無言の貫きを良い事に、職権を以って冤罪に手を染めた犯罪者の検事達はと云えば、僅かばかりの減給と注意のみとは実に恐れ入る処罰、況してや、下手人である検事は依願退職と云う形を執って、即刻、検察庁から離れ、退職金も公的権利もせしめたばかりか、何れは”藤原系弁護士の開業”すら保障もされていれば何の事は無い、冤罪に貶められ、今もなお公判を以って自由権を拘束され続ける小澤一郎氏他三名は、其れこそが遣られ損に措かれるもの、在って良かろう訳もない。

 また、官僚政府系マスメディアは性懲りも無く、消費税増税法案に反対した小澤一郎氏の反消費税増税政治活動を以って、またまた脱党に因る新党の設立かと騒ぎ、且つ、緊急世論調査を行なったとして結果を発表、小澤氏に拠る新党の立ち上げ是非を項目として論じ、78%が反対、15%が賛成との数字を発表、締めのコメントとして、此れほど低いのに其れでも新党を立ち上げる積りかと腐すのだが、上等のもの、賛成が78%、反対が15%では新聞も売れなければ、外資系保険への切り替えも、悉くに停滞しようと云うもの、賛成15%,反対78%で結構だし十分、何となれば、此の三年間に亘って、其れも、検察庁とともに、貶めの作為をなし続けて来た、NHKや読売、産経を一とする大手マスメディアに因る”小澤一郎叩き”は、現社会に見られるがごとく、絶大なる洗脳の効果を表わし、其れこそ、一時の国民に因る反小澤とする感情は80%にも上り、支持率はと云えば、5%程度に留まっていたもの、其れに比べれば、反小澤感情は2%程度が原状に復すべく改善、小澤氏の支持へと傾斜した道々の民が、5%から15%へと拡大したとの動きを見れば、道々の民もまた其れだけ条理に覚醒したと捉えるのも可能、理性在る条理に基づく、天皇家と、道々の民の為の政治を執り行おうとする小澤一郎氏陣営にとっては、更なる条理在る政治の推し進めに対して、熱く、且つ、奮戦が求められている其れこそが数字、遣り甲斐もまた在ろうと云うものである。