日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆漢民族中国に、”良薬”をのませたベトナム国

 特に、国内政治に在っては、半世紀に跨る社会的歪みが脆くも露呈、連続せし大災禍をも惹き起こし、大韓民国成立原点に立ち戻った総じての見直しが、今にして求められている朴クネ大統領率いる韓国社会と、此れまた、毛沢東政権以降の半世紀プラスαに股がる政治的歪みがいっきに噴出、共産党一党独裁政治に因る内外交政策の圧し進めに、唯我独尊を振り翳して為す不条理活動が増々にして強固なる様相を呈する漢民族中国。

 国家社会的脆弱さが露見し、悲痛さを以ってする国民全体の嘆息に抗し切れず、遂には、社会改革不可避の唱えを強いられ、早期履行の確約まで為さざるを得なかった韓国社会は扨て措き、内で在ろうと外であろうと、己の望むが侭に行動を押し進め、他人のモノであろうと無かろうと欲しいと思えば手に入れるべく動き、あまつさえ、第三者より注意喚起が為されれば数を圧し、或いは、軍事力を頼んでの威嚇を為し、遂には、”力は正義なり”なる格言を以って実力行使に因る行動へと移り、普遍性を伴う其れは司法の顕わしであるとの勝手きわまる妄言すら吐き、よしんば、刃向いするもの在れば排除、成り行き次第に因っては重火器をを取り出しては砲弾を浴びせ、殺戮や破壊行為をして平然とし、且つ、繰り返して行う国家が在るとすれば、其れは、極東及び東南アジアに於いては”漢民族中国”が在るのみ、十九世紀や二十世紀に於ける、言わば、「戦争の世紀」と称されるおぞましい時代には、数多に認められし不条理ではあるが、基より、現代世界に目を転じて見れば、米英仏やイスラエル国が不条理国家としては浮かび上がるだけ、即ち、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の支配下に在る、漢民族中国を含む国家群が、斯かる軍事力を恣に行使し、且つ、諌言など一切受け付ける事の無い不条理なる国家群とは相成るのであろう。

 斯かる漢民族中国に因る、恣にする先行き全く考えずの、唯我独尊の常なる政治姿勢の撒き散らしに閉口、うんざりする国家群は少なくはないが、呆れ果てるだけであれば未だしも、静謐なる日常を不条理を以って掻き乱される当事国にとっては堪え切れぬ迷惑と言うもの、況してや、戦争すら伴う悲惨さを与えられれば、好戦的性格猛き漢民族中国と比較すれば、静謐さを好みながら軍事力乏しき被害当事国にとっては如何ともし難きもの、外交関係や国際法の順守に関わる理性的条理を以って為す行動や活動、並びに、和平維持の認識や概念に関して、同じ価値観が共有形成され、且つ、積極的維持に向けた同意すら得られるであろうと見た日本国との間に、所謂、示威的活動を恣にする漢民族中国の、不条理行動に対する排除に向けた実践活動が求められれば、積極的軍事行動を為す手足無く、口先のみで動かざるを得ぬ日本、リハビリの開始でまともに動く手足となるかは事の成り行き次第、基より、対日強硬姿勢を執り続ける漢民族中国や、日本国と日本民族をして悪辣非道の国民と断罪、永遠に赦す事も無いと確言する韓国民族等が明確化し始めている以上、リハビリもせぬ侭に成り行き任せの禄を食むのは赦されず、ご先祖様に申し訳が立たない。

 蘘國神社参拝と尖閣諸島の国有化を見て、日本国家国民を”敵”と謳う図式が完成、自国軍隊を駆り出しては”尖閣諸島”の奪取に向け、日本国に対する威嚇活動を連日連夜に於いて繰り返し、戦闘準備行動の構えすら見せた漢民族中国、何時の間にやらベトナム社会主義共和国との間にも洋上に於ける小競り合いの顕在化を示し、ベトナム国監視船そのものを毀損したのと同時に、乗組員に負傷者をも出した事は、漢民族中国の凶暴性を示す上でも否定し得ぬ事実とはなるもの、ベトナム国側が仕掛けた其れこそが挑発であるとする漢民族中国広報官の発言は、またしてもかの域には在るもので、他人の所為にして平然とする其の傲慢さは漢民族中国ならではのもの、日本国家国民をして敵とし続ける事で、折角、韓国や東南アジア諸国に友好関係を築き始めた漢民族中国、其の侭に進めば、恐らくは、ロシア連邦を凌ぐ大国の地位にまで上り詰めていた筈のものが、何を見誤ったか、他国ベトナム国の領海内に掘削機の据え付けを準備、俺の領土領海で何をし様が勝手だろうと言い放ち、件の、ベトナム国の監視船に対する体当たり攻撃を、頑強なる警護船を駆って為し始め、ベトナム国監視船乗組員の六名に負傷者を出したのである。

 死者こそ未だ出てはいないが、ベトナム国側をして当然に被侵略国とし、且つ、被害国とする此の中国側の軽挙妄動が、如何にして生まれるのか、また、諌められればたちどころに、軍事力を圧して為す中国側の暴挙が、何故に、其れも、白昼堂々にして起きるのかと言えば、国際社会に於いて、互恵平等の下に共存共栄を図り、理性在る条理を推して異国社会と向き合い、話し合いを基礎に人間(国家社会)として進むべきベクトルを開示し合い、必要と在れば話し合いを重ねて修正し合うと云う、まさに、民主自由主義が求める文化が、未成熟状態に措かれた侭に在るどころか、”力は正義である、中国は誰よりも力を持つ、故に、中国は正義である”なる、言わば、数を以ってする三段論法を本に次なる行動へと移らせ、注意勧告をして来る異国をしては立ち向かい、排除すべき異国と捉え、考える時間すら惜しいとばかりに攻撃に及ぶのは、漢民族中国の習性であり、聞く耳持たぬ好戦国の倣い事ではあるのだろう。

 基より、習近平国家主席を一とし、現役引退せし温家宝前首相にまで至る、所謂、八千万人共産党員が今もなお興じては織り成す、拝金主義に基づく複合汚染贈賄型経済社会は、PM2.5の如くに止まる処を知らず、十三億の民をして喧噪の真っ只中へと引き摺り込み、今、其の余波は、地方の都市部へと飛散し拡大、共産党の権力を振り翳しては強圧を以って農民から土地を奪い取り、”自死”の場所や”眠れる”場所を求める離散家族状態へと追い遣りながら、力付くで騙し取った土地に企てた巨大人工市街は、主無きゴーストタウンと化す有様で、数知れずの類例(膨大なる農地が人一人として住まぬ人工市街へと様相を変える)が至る所に見られる漢民族中国社会、十三億の民をして理性在る条理に目覚めさせる訳にも行かずとなれば、此処は一気呵成に、異国の領海では在っても海底に櫓を組立て、在るか無いか分からぬ石油資源でも掘り出すとの、漢民族国民に対する意気込みだけでも見させなければ、怒りの矛先は何れ其の侭に、習近平国家主席を頂点とする、八千万人共産党員へと向かうのは必至と見るもので、日本をして、或いは、ベトナム国をして、戦争相手国と看做し得る直前にまで中国国民をして誘導するのは、習近平政権が為し得る唯一の、国民に対する内政から目を遠ざける一時凌ぎの策、所謂、自国民をして騙す目晦まし戦法と解釈し、ベトナム国が領有権を主張する南沙諸島への、海底へと打ち込む櫓の建設へと強行したのである。

 或る意味ではベトナム国と同様に、漢民族中国に因る領海侵犯や資源侵略と言う具体的侵害に遭いながら、ベトナム国とは異なり、一切の防御的手出しすら控え、漢民族中国が為すが侭のガス(盗掘)掘削を、唯々指を咥えて観ているだけに終わった国家も在る様だが、”山椒は小粒でもピリリと辛い”ベトナム国はやっぱり一味も二味も異なる国家、相手が核ミサイルを数多に所持した大国であろうとも、はたまた、殺し合い大歓迎の好戦的人物群をして、大量且つ迅速に、戦争に投入し得る大国家が浴びせ掛ける、悲惨を極める不条理行為で在ろうとも、一切怖れず、且つ、怯まず、不条理に対しては果敢に立ち向かっていくその姿勢は、戦後に於いて、唯一の不条理国家とまで言わしめた、件のアメリカ合衆国をして、尻尾を下向きに巻かせ、領域/領海外へと遁走させたベトナム国ベトナム民族ならではのもの、日本民族や他の民族には真似の出来ぬ条理の顕現、其れこそがベトナム民族が総じて持つ、<社会正義の顕現>そのものでは在るのだろう。

 斯かる東南アジア地域に於いても、ベトナム社会主義共和国の果たす役割は軽かろう筈は無く、日本や韓国、或いは、マレーシアやインドネシア、タイやフィリピン、台湾国等々をして、理性在る条理に率いる、言わば、指導的地位に立つ国家となる素質は、十二分にして有すると認められるのである。所謂、内外に横暴を極め続ける漢民族中国も、良薬を一服、ベトナム国に因って口に含ませられた、と言う事を意味するのかも知れない。