日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆日本もシナリオ通りに歩み行く存在

 人類の原種で在ると言われる黒色人種を一とし、茶色、赤色、黄色等の、所謂、有色人種群の、現に地球上で夫々に於いて織り成す社会生活が、果たして、巷間流布されては時々に於いて耳にする、然も、当然の不条理態様で在るかの如くに指摘されている、白色人種との間に存在する、優劣と云う概念を何事に於いても用いられ、比較されては示される事となる存在の価値、並びに、其の差、即ち、明確なる組織活動や思考能力の差は、否定し得ずの歴然たる事実として認められ、行動態様のみならず創造内容に於いても、明らかなる優劣の差は歴然として出ていると迄言われ、勿論、倣う事で外形上に現われる差こそ詰められもするが、事の本質に於いては近接し難く、<白色人種 VS 有色人種>なる差の構図は、現われ出でて当然とするもので、若しくは、白色人種に対する各有色人種群の、優劣の差を以ってする、夫々の対立構図には在るとの見方が大勢を占めるもの、何れにせよ、白色人種の行動や思考をして優先と看做す斯かる断定こそが、お仕着せにする見方であり考え方、基より偏見と云うものでしかなく、我等有色人種国に多く見られる自虐史観の根幹を成すもの、左すれば、白色人種をして人類の中心的存在とする見方が正しいのか、それとも、正しくは無く、最大にして五人種群に分けられる中での、其れこそが、宗教的、或いは、文化社会的、乃至は、組織社会的それぞれの独自性が紡ぎ出す、異形の表われを見ているのであって、優劣そのものを示しているものでは無いとみて差支えないのだろう。

 同じ肌色で在ったとしても、生まれも異なれば氏や育ちも時もことなり、(無信教徒を含み)信心する宗教や宗派すら異なれば、社会行動態様や思考態様そのものがガラリ一変異なったとしても、何等不思議は無きもの、基より、文化や文明の歩みの相違に因ってすら、人種間の社会行動態様もまた当然の事として変化を見れば、肌色の異なりに因って、即ち、大きく分けた先の五人種群が、夫々の肌色で、優劣を以って行動社会態様が決まる等と言う事は決して無い事をこそ、わたし達は知るべしなのであろう。

 欧米を中心として押し進められてきた移民(異民)受け入れ政策、特に、米国に於ける移民(受け入れ)政策は、十九世紀から二十世紀に掛けて加増し発展、ヨーロッパ大陸や英国、或いは、アイルランド国を一、アフリカ大陸やアジア大陸等からも陸続として押し寄せ続けて来たのが此の米国。二十一世紀の今日に在っては、既に、三億一千万人と云う世界三位の人口を有し、経済力に於いては、漢民族中国に因って半分にまで詰められてはいるが、世界一の経済力を誇り続けているのが此のアメリカ合衆国の現況、左すれば、巷間に囁かれる上記噂が正しいのであれば、有色人種群が占める人口比率が、今では30%以上の一億人にも喃々としている米国の実態に鑑みれば、GDPに於ける一位の座の確保も危うきものとはなってもいたのだろう、だが、そうとはならずに一位をひた走り続けているのが此のアメリカ合衆国、肌色の差は、殊、経済力に於いては反映せずにも在る事を教えているもの、勿論、経済にとどまらず、文化や文明に於いても同じ様な事が言えるのであろう。

 基より、二十ヶ国以上を集めるEU連合体をして一つの国と看做せば、総人口こそEUが五億人で、米国の三億人を上回り、GDPはと言えば、EUが17.5兆億ドルに対して米国が16.8兆億ドルと、米国優位の経済力にはなるのだが、国家形成に於ける人口内容の対比では、EU域内に住まう有色人種群は、米国に比較すれば、約半減の15%程度、若しくは、其れ以下に在るのが人口比率の偽らざる実態となるもので、よしんば、白色人種が何にも益して優秀で在るとするならば、人口数では既に米国をも上回る白色人種を抱えるEU圏が、経済力でも米国を上回っているとしても不思議では無い事にもなるのだが、そうはならずに在る事の現実は、優劣そのものが、肌色に因って決まる事を意味するのではなく、政治経済を率いる人々の創造力や指導力、発信力や実践力、基より、行動力等々に因って決まりもする事を教えているのである。

 今や経済力に於いては押しも押されもせぬ程に強化拡大し、国家資本主義独裁社会とでも言うべき、奇妙なる領域の政治体制を歩んでいる漢民族中国の実態に触れれば、更に納得して理解出来る様に、僅か三十有余年で一挙に経済力は開花、日本国を抜き、米国に次ぐ世界第二位のGDP数値にまで到達、経済力向上に因る自国民への文化社会的影響の付与は勿論の事、異国民や異国文化に対する感化影響力すら少なからずに与え、存在の大きさをして再認識させる程にまで至っている事実を知れば、白色人種優先(主義)説もまた意味を成さない事をこそ、実体としても知らしめているのである。

 だが、事は左程に簡単なる理解とさせていないのもまた事実なのである。

 政治経済力が均衡しているかにも映る米とEU(白色人種群)、或いは、GDPが二位にまで上り詰めて来た漢民族中国(有色人種)、更には、過去に在っての十年間程度は、一位米国との間に大きな開きこそ有れども、其の経済力に於いては米国に次ぐGDPを誇ってきた日本国(有色人種)と云う、優劣無き、少なくとも、創造力をも含ませた上での、経済力の進展と云う点でも、遜色なき戦いを繰り広げている様にも見える斯かる地域圏でもあるが、政治力や経済力、並びに資本力等を同時に纏め、俯瞰してみれば、現われ出でて来るのが何の事は無い、「シオニストユダヤ系大財閥資本家群」に因る、当該三力(政治、経済、資本)に於ける統率力、指導力、創造力、破壊力の須らくの構成に絡む、原動力を生み出す源の存在として現われ出でてくるもの、少なくとも、過去数世紀以上にも亘って為される国際社会の動きは、斯かる「シオニストユダヤ系大財閥資本家群」を中心として惹き起こされているもので、白色人種や有色人種群との間に於いて為され続けた、軋轢や競争の間にまに現われ出でる事象や現象等ではなく、「シオニストユダヤ系大財閥資本家群」が率いるべく、或いは、創造し実践するべくに際して動く時に現われ出る、其れこそが、条理不条理取り混ぜて表出される事象や現象なのであろう。

 今まさに、此の日本国も、安倍晋三政権を通し、シオニストユダヤ系大財閥資本家群が想像する中でのシナリオを以って、動かされ始めてもいると云う事にもなるのだろう。