日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆戦争は無くとも何れ世界人口は減少化に進む。

 <望もうと望むまいと、何れの日にかは、形在るモノは壊れ落ち壊されもする。基より、神より生を授かりし子たる人間達もまた同じ命運を辿る。左すれば、命有る者は精一杯に生き続けなければならない。>

 今、日本列島には、一億二千六百万人の人々が住まうのと同時に、同じ地球上には、日本国民を含めれば、未開の地に於ける概数をも含め、大凡、七十五億人弱と概算されている人々が、寒暖差異なる地球上に住み、生活し続けていると言われている。斯かる七十五億人と言われている世界人口に在って、シリア国やイエメン国、或いは、イラク国や南北スーダン国、更には、アフガニスタン国等、乃至は、内紛や抗争等、紛争が永く続く国々では、ひきも切らずに命を落とす人々も数多く、其れでも尚、十八年前の世界人口<六十億人>に比すれば、今では世界の総人口は七十五億人を有していると言われ、今世紀中庸迄には百億人の大台へと進むのではないかと予測されてもいる。

 世界人口予測に従えば、数十年の後には人類の数は百億人の大台へと上り詰め、地球誕生後初にする百億人規模の人口到達と云う、ピーク状態をこそ迎えるのでは在ろうと推測されてもいるが、2050年に於ける我が日本国民の人口予測はと云えば、一億人台をして、辛うじて維持出来てもいるかどうかの瀬戸際へと追い遣られてはいるもの、勿論、異民族(群)の日本列島への移動等が見られなければとの条件こそ付くが、日本国民としては、今が国民数の最盛期と言われるであろう事は確かなるもの、基より、数が多ければ良いと云う意味でこそ無いが、数の多さは神様の多さにも繋がるもので、豊かなる証左とはなるもの、願わくば、子や孫、或いは、子々孫々に於いてまで並みの豊かさで良いので享受せられる社会で在る事を祈るだけである。

 だが、世界人口の増加とは真逆に向かった日本国はと云えば、勿論、主たる先進国もまた同様の傾向をこそ示し始め、人口減をともに見せ始めてもいるのだが、日本国に限って言えば、2013年頃をピークとして人口減少に転じ、其の後一度として増加への転じをみること無く、遍くに於いて減少傾向をたどり始めると云う、先達が指し示し予測をして、奇しくも、辿る事と相成るのである。基より、人口減少に至る因が様々に在り、推測されるのは良しとしても、国際社会では既に、日本国やロシア連邦、或いは、旧東欧圏諸国を含むEU諸国群に於いて其れは顕著で、人口の減少化傾向が見られ始めていると云う事で在り、大凡、二十数ヵ国に於いては、既に、斯かる人口減少を来たし始めてもいるのである。

 数万年を優に超え、遅々としてすら数を増やして来た人間集団(社会)、基より、十九世紀後期、或いは、二十世紀前期に於いてこそ不条理社会が蔓延、人類は其の数を減らしもしたが、斯かる例外を除けば、二十一世紀初頭辺り迄は、実数として増加の道をこそ辿って来ている様にも見えたのだが、其の詳細を見れば、二十数ヵ国と云う少なくは無い領域で減少化傾向に転じている様は、極論を吐けばだが、自然環境の変化が指し示す地球温暖化現象の進行が止まらずに続き、其れに因る社会環境の変化等が相俟ち、自然淘汰とでも言うべき不可避的出来事として、上記国家群に現れ始めていると言えなくも無いのだろう。即ち、北半球の地球上に住まう国家社会群をして始まった人口減の現象では在るが、今、人口増加傾向を示す国家群に於いても必ずや、同じ現象は起き得るもの、人口減へと向かう時代はそう遠くは無いのだろう。

 此処数年に於ける日本国の人口は、夫々の年度に於いて、同一年度での(死亡者総数ー新生児出生総数)と云う単純データーを以って推し測って見れば、マイナス十万人、マイナス二十万人、マイナス三十万人と云う数字で、新生児出生者総数をして死亡者総数が上回ると云う、過去に学びしデーターから認められる実践的数字が、薄気味の悪いほどに的中、己が心胆をして寒からしめてもいるのである。斯かる傾向は、最早、後戻りする事は決して無く、其れこそが事と次第に因っては人口減少傾向は高まりこそすれども、反転化の上昇を見る事は無いと云う事で在る。

 斯かる、人口減少化傾向が目に見えて顕著になり始めた社会状況下に在って、異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三は、外交に於いては時代錯誤とでも言うべき、虎の威を借りて為す砲艦外交を以って現わし続け、一方の内政に在っては、已然として無為無策にする放漫にする散財を基にした赤字国家予算を仕組み続け、其れも、大枚をして散逸させるべく、所謂、安全保障の遂行には程遠い、張り子の虎の軍需物資をして列島内に敷き詰めるべく、<主>が支配し差配する米国より大量に、而も継続的に購入、或いは、数知れずに有する己の知己や、太鼓持ち的摺り寄りをして厭わずにやって来る、手もみ足摺り型取り巻き連中の為に、多額の予算を計上して流用、返済し切れずに残る国家財政赤字をして増やし、更に積み増す子々孫々への赤字返済分として溜め、平然として申し渡していく様は狂的と云えるもの、基より、常軌を逸したもので在る事に変わりは無く、斯かる狂人の乱舞をして延々と見させ続けられ乍ら、喜んで異邦人傀儡子宰相に、泥塗れの尻尾を振って唯々付いて行く、所謂、日本民族からなる自民党員もまた異常人格者達とでも言うべき連中、況してや、現況に至る七年もの間、一度として、其れも真顔で、国家歳出入をして顧みられた事は無く、其れ所か、傀儡子宰相が尊崇すると自負して已まない<主>より、背中を押されるが侭に、一も二も無く了承、破綻に向けた国家赤字予算をして自民党に強いる様は、まさに悲惨の極み、手足無き状態に付け加え、言わず語らず見ずに措く、まさに、日本国憲法日本民族版そのものでは在るのだろう、勿論、日本国憲法に在っては、正当防衛や緊急避難を顕す防衛行為は認められるが、<目、耳、口>そのものを?ぎ取られし観の在る、奴隷状態に措かれし現下、望む方が、期待する方が無理と言う事の様である。

 異邦人傀儡子宰相に苦言を呈しても、無能なる挙手起立要員のみ多き、政府与党自民党の現状を見させられれば、条理在る反転は望み薄のもので栓無き事だが、与党代議士たる自民党議員の全員が全員とも、アブノーマルでは無かろうと思うので言ってみるが、即ち、上記に見られる様に、日本や欧州諸国圏に於いてこそ人口減少化傾向にこそ突入もしたが、世界人口総数もまた、何れ近い将来に於いて人類史上初の頂上へと上り詰め、同時に、下降(減少)局面へ向かう事必至でも在れば、精神疾患著しい米国大統領のD.トランプが現に謀ってもいる様な、所謂、白人至上主義を以って生存条理とする、<有色人種群殲滅一掃戦略>など掲げずとも、即ち、大規模戦争や抗争、或いは、作為的”民族浄化”に、日本民族を含む有色人種群を曝さずとも、何れ、此処数十年を以って世界人口はピークを向かえて上昇を止め、其れこそが幾何級数的に人口減を見せ、白色人種群は基より、有色人種群もまた同様に急速に数を減らし、当該減少事態に抗い生存せし人々の中には、人類である事に苦痛を覚える生存者群もまた数多く存する事では在るのだろう。で在るが故に、異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三は、精神疾患著しい米国大統領のD.トランプと同様、尊崇対象となる彼の<主>たる、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の世界支配化戦略、並びに、有色人種群をして主たるターゲットとする、所謂、不条理なる<有色人種生存率6%>を以って為す民族浄化構想に従い同調し、扇動する必要など更々に無いのである。

 基より、日本国民であれば遠の昔に忌避していて然るべき傀儡子宰相たる安倍晋三、彼が尊崇して已まないシオニストユダヤ系大財閥資本家群が奏でる、所謂、世界支配化戦略の最終章とでも言うべき向かう矛先としてのターゲット、其れは何度も言う様だが、まさに、ロシア連邦の平定に在り、スラヴ民族の浄化を基にするユーラシア大陸の支配にも在るのだが、左すれば、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の忌み嫌う、日本民族もまた有色人種群の一つでは在るが、ロシア連邦に対する足軽の戦闘要員にはなる日本民族、其の日本国民をしてスラヴ民族より先に浄化させる訳には行かずのもの、況してや、北朝鮮国民族たる高句麗民族も日本民族と同様に、ロシア連邦の平定には必要不可欠なる民族で在り、此れまた対ロ足軽戦闘要員として徴用も叶えば、異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三に因る、昨今に於いて顕著に見られる、所謂、対高句麗民族挑発発言は、<主>たるシオニストユダヤ系大財閥資本家群にとっては、少々遣り過ぎの観否めずのものには措くのだろう。とは言え、傀儡子宰相の一面が主力部分として彼の政治活動には存在していても、彼の思想信条に根付いて離れずに在るのは、<主>たる存在に対する絶対服従誓いが存する他に、彼の先祖が古代に於いて運営せし東北王朝が、日本民族から成る天皇家に拠って殲滅平定が謀られ、多数の死傷者を出されては掃討下に付され、あまつさえ、生存せし一族には、現東北地方以外への流罪遠島を申し渡され、流浪の民状態に措かれると云う、悲惨なる憂き目に遭わせられるのだが、斯かる蝦夷一族掃討を無碍にも決行した日本民族に対する遺恨、即ち、千二百年を越えて為す怨念の晴らしが、傀儡子宰相たる安倍晋三には根強く存するもの、基より、<主>の命令をこそ優先的に聞き入れ、履行もするが、上記怨念の晴らしもまた同様に重要なる意思決定要素には措くもの、我が怨念の晴らしをして<主>の命に優先させたとしても、事の本質上、有り得るもので、また在って不思議では無いのだろう。

 異邦人傀儡子宰相は、言葉とは裏腹に内心は嬉しいのだろう、本日九日、韓国の平昌で開催される冬季オリンピックの開会式に向かう事となる。出自から推し測れば、彼は寒さには滅法強い人物、左すれば、平昌に於ける低温にも対処出来る人物なのだろう。勿論、第三次世界大戦勃発の暁には、同様の寒冷地帯へと亡命する可能性すら捨て切れずに在る彼の事、心配はご無用であるとでも言うのだろう。