日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆八丈島など目に入らぬ菅直人政権

 オバマ政権の誕生を以って史上最大、並びに、規模を有する経済犯罪数を更新しているアメリカ合衆国、特に、リーマンブラザーズ倒産劇を境にした国家公務員等に因る質の悪い贈収賄事件の多さは、過去にも例を見ない酷い数字に上るとの事、米国社会よどうなって仕舞ったのかと問いたいところだが、シオニストユダヤ系大財閥資本家群が率いてからと云うもの、戦争にせよ、侵略にせよ、インサイダー取り引きにせよ、公的機関を以って為すお手盛りからガッチャメまで、一世紀以上にも亘る間、斯かる不条理行為の遣り放題が無罪放免の侭に続いていれば必然のもの、経済犯罪もまた此の米国では成長期に入ったと云う事である。州、並びに連邦に勤める公務員が、よしんば、日本に見られる深く厚く広がる行政組織並びにお手盛りの法施行制度を真面目に学び、大人しく立ち回っていれば、紛う事なく、不条理集団にまつろうアメリカの公務員達で在ろうとも、斯かる”贈収賄”等の破廉恥罪では一人として捕まる事もなかったろう。我が日本の行政組織に於いては、法律に基づき、其れこそが最初から、”賄賂分”看做しの手渡し金として正々堂々と国家予算によって計上、割り振られており、中央地方合わせた我が国の公務員は罪悪感を何一つ覚える事なく、其れこそが胸を張って報酬として受け取り、特に、元高級官僚のキャリアー組に在った者は押し並べて、棺桶に入る迄、或いは、勲章を得るまで好きなだけ、報酬と繰り返しの退職金、並びに、高額なる年金とを併せて、受け取れる仕組みを合法的に編成しており、道々の民が指を咥えて涎を垂らすのを尻目に、”贈収賄”罪にビクビクすること無く欲を充たし続けられるのである。不条理なる社会よ。どちらが。

 小泉純一郎竹中平蔵が、実質的に取り仕切った五年間の自民党政権時代に、財政政策の民間人ブレインとして多くの立案に深く関わり、橋本政権時にぶち上げた日本の金融開放政策の具体化や、郵政三事業の民営化を通して為す金融賭博への投げ込みシステム化にも関与、更には、社会的良質性を追い求め続ける我ら道々の民を、「人材派遣業法」の悪法への改定を以って為す、人間を人間としてでは無く、時間を切り売りして働くように仕向ける、昔風に言うのであれば牛馬や驢馬等の如き、所謂、物も言わず反抗も為さずの労働家畜人間として、法制定を以って仕立てた小泉純一郎竹中平蔵、そう其の懐刀でもある、詐欺ペテン師の一人”木村剛”がとうとう検察庁のご厄介になる事と相成った。逮捕に至る直接容疑は、日本振興銀行を取り仕切っていた時代に、国税局に因る定例的金融監査に対する検査妨害が組織ぐるみで在ったと云う事、即ち、メールを以ってする業務の不正内容を隠す為に全削除を命じ、検査行為を妨害したと云うもの、基より、計画的意図を以って作為的に指示されたと云うもので、勿論、金融開放政策後直ぐに、日本振興銀行を立ち上げて取り沙汰された不正融資とはまた別モノ、此の程度で済めば未だしも、グループを組織化した中での不正融資や様々なインサイダー取引等、即ち、政治力を利した詐欺ペテン師仲間に繋がる金融犯罪も同時に見渡せれば当然に、検察庁のご厄介になっている木村剛が、覚え目出度きブレインとして仕えた親分達に対する飛び火が全くないとは言えずのもの、特に、人材派遣業を生業とするトップ企業に重役として名を連ね、億単位の高額報酬を手にしているとも報道された竹中平蔵に関しては、木村剛のゲロ次第に拠っては参考人として事情聴取の場面すら考えられるもの、だが、現代日本国家司法府の現状はと言えば、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔が強力なる影響力を行使する権力の府に在る事から、シオニストユダヤ系大財閥資本家群と繋がる、小泉や竹中等の人物群に飛び火する事は考え難く、恐らくは、無いのだろう。左すれば、亀井静香に代わり、金融大臣職を現に与っている国民新党自見庄三郎の手腕が、今後に於いては試されるのである。

 不用意なる消費税改定準備の発言はあったが、重大政策には未だ何一つ手を付けていない菅直人首相に対して、総じてのマスメディアは支持不支持を確とした率を以って発表、までは良かったのだが、菅直人首相を権力の座から入れ替えるのを是とするか否とするかに迄言及したのは勇み足、マスメディアの世論調査が独善的に過ぎ、且つ、作意性を以って為されている事を其れは証左したものでしかないからである。何故ならば、第一義的事由は次に述べるが、第二義的理由を先に言えば、支持率が僅か一月余りで三割を割り込み、不支持率が五割近くにまで上ったとしながら、行政命令に因る種牛の断絶は決したものの、未だ、国家再興に向けた政策創りは何一つとして始めておらず、店開きすらしていないとまで断るマスメディアの論調作りは、世論を形成する道々の民そのものが、どうにでも揺れ動く暗愚なる存在であるかの如くを明確に示唆しているもの、総じての道々の民が、メディアが提供する、斯かる作為的とでも云うべき世論調査内容に対して、数字通りに真に答えたとすれば、道々の民が憐れと云う以前に、マスメディアの為す世論調査は卑劣にも過ぎると言わざるを得なくなるのである。扨て、第一義的事由とは云う迄もなく、八割にも上る国民が菅直人首相の首の挿げ替えだけは望んでいないと云う、「八割」と云う、在り得ぬ数字を用いての虚偽と矛盾に満ちた事を平然と報道して来たことに関してではある。即ち、昔から云う様に、嘘八百、八百万、八方美人、八百屋、八百八町、、に云うところの「八」は、沢山の、多くのと言う意味だが、如何な我ら道々の民でも、この様な矛盾を大々的に表わす事など在り得ないからである。菅直人を、五割もの人々が支持しないとしながら、八割の人々は首相職を続けて欲しいと云っているとの矛盾、菅直人を支持する中での八割であればいざ知らず、条件無しでの其れは問い掛け、世論調査の数字を信じなさいと云う方が狂っているのである。普通に考えれば、世論調査としては全く成立しない質問項目や数字を、平然と並べ立てて報道する日本のマスメディア、我ら道々の民も舐められたものだが、元はと言えば、我ら道々の民がマスメディアを権威在る存在として見続けているが故のもの、好ましかろう筈もなければ、一人ひとりが条理に覚醒するしか他に道はないのである。

 我らその他大勢の道々の民が意を決して選択、遂に、国政を主導する事になった民主党政権、其の鳩山政権誕生時に設えた「国家戦略局」、何れは省に迄の格上げをも企図されていた「局」の筈だったが、政権を担う事になった菅直人は早々に店じまいを決断、機能不全の無用の局として実質廃止する事を決した様だ。基より、廃止と云う生々しい言葉こそ使わず、格下げ、乃至、縮小との印象を持たせ、斯かる変更の情報は側近を通じて流している様だが、現実主義為政に面舵をいっぱいに切った菅直人ならではの面目躍如、小市民の彼にとってみれば、其れこそが無駄排除の意味をすら含んでもいるのだろう。現実主義為政に大きく舵を切った事で、方向性を定める理念も条理も、はたまた、其れに先立つ理性も哲学もまた不要とし、現実主義為政を貫徹するには、夢や理想など邪魔な時間浪費でしかなく、小市民にとっては無用の長物でしかないのである。国家が進むべき道を定め、其の為の手段や戦術、或いは、手法等を講ずるのが国家戦略局の筈だったが、理念も条理も無用、理想や夢は更々に不要と捉えれば、国家戦略局などは必然的に不要とされるのだろう。鳩山政権との大きな差、民主党政権を支持し続けている我ら道々の民をして、此れから先も尚、当該民主党政権を支持し続ける価値と必然がともに在るか否かを決しなければならない再選択の場面に押し遣られたと云っても過言ではなかろう。

 日本民族国家として、<自主自決と独立自尊>を求めるのも理念、また、其れに続く、直接/間接的に為す戦争行為を拒否、或いは、異国軍に因る被支配と被占領の実態を拒否、更に、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔から、国権に対する総じての影響力の排除もまた理念となり条理ともなれば、斯かる菅直人の現に為そうとしている須らくの国家理念や条理の放棄、即ち、藤原一族の末裔が差配する自民党の如くに、第三帝国官僚政府の下に馳せ参じて官僚主導政治に踵を返す何ぞは到底受け容れざるもの、況してや、我ら道々の民の長に在られる今上天皇天皇家を、藤原一族末裔の差配する皇居に此の侭留め置き、御不自由と御心労を掛け続ける何ぞは、我ら道々の民の意とは全く相反する非情さ、少しとして其れを気に留めぬどころか、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔に尻尾すら振り始めた小市民の菅直人、八月末に予定している、辺野古崎米軍施設の具体的移転計画を俟たずとも、今上天皇天皇家並びに道々の民の為にも、彼には潔く退いて貰わねばならぬのだろう。

 前幹事長の小沢一郎氏が、重大事に際して赴く場所は件の「八丈島」だが、斯かる八丈島訪問をしてマスメディアは、単なる釣り好きの息抜きの為であるとか、取材陣を、或いは、人目を避ける為の雲隠れであるとか、好き勝手な情報を流すが、釣りや休息のみに訪れるだけではなく、もっと深みを有しているもの、即ち、事代主命の切り開いた八丈島は神聖なる地であるのと同時に、隠岐、伊豆、安房常陸佐渡、土佐等々と並び、所謂、政治的流刑地とされた場所、即ち、小沢一郎氏は、不条理にも散っていった古の人々の無念さを思い、鎮魂を期すのと同時に、日本民族、即ち、天皇家と道々の民の安寧と繁栄を乞い、今は亡き古の人々、いや、天皇家の祖に祈願する為にこそ赴くのである。