日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆騎兵隊を纏め切れないのは

 保育園や幼稚園を見て回り、若い親達や園を預かる人々の意見を直接に聞いて回った菅直人首相、基より、行政の二重構造を是正する為には悪かろう由もない現場歩きだが、我ら道々の民に対する其れ以外の行政改革に対する諸説明、即ち、第二段の事業仕分けが結果として、どう行政上に反映され、位置付けされ、且つ、変えられ様としているのか、若しくは、基に戻されて変えられなかったのか等々に関わる情報の開示は、第一段同様にまだ為されても居らず、一体全体、開かれた政治を掲げた民主党政権は、情報開示をどう取り仕切って来たのかをこそ聞かせて貰いたいものである。

 鳩山由紀夫から菅直人に政権が託されてからと云うもの、現実主義為政に大きく舵を切り、僅か一ヶ月余りで権力欲を露わにするとは余りにも哀れとお見受けするのだが、ソガ系の血が為さしめた現実主義への転換と云うよりも寧ろ、自覚下に在る長州出自のさもしい官僚主導政治への切り替えが、小市民の菅直人をして、ダラダラの権力者生活を為さしめさせてもいるのだろう。基より、「菅」なるものが、蘇我系にあるかどうかの自覚は、不条理に満ちた古の歴史を学んでいなければ、努々台頭など成し得ぬもの、あの日本を駄目にした藤原一族が取り仕切る第三帝国官僚政府に丸め込まれた菅直人に、民族条理の覚醒を求めるのは無理、無知より怖いものはないと云う事である。

 侃諤二千三年十二月十九日<896条>を見てみよう。 <問題を山積みさせ、且つ、重要課題は先送り、ブッシュ政権の傀儡性格をすら日本国の政治行政に露骨に反映させる様になった今年の小泉政権、「満足した、良くやった、感動した!」で一年を締め括ろうとするのではあろうが、とんでもないそれは過ちである。自らの執る政治路線が、日本の政治歴史上には全く見られる事のない、特異な「傀儡性格」に基づくものである事を認識すべきが先で、国民の一族郎党をブッシュ政権の執る不条理性策の下に平伏させる等はもっての他である事をこそ反省すべきである。自らの気付かずに為す行政手法である以上、条理なる言葉は馬の耳に念仏でもあろうが、左すれば、彼の周りを取り巻く400名以上の自民党為政者群の中から、小泉行政は国賊行為そのものをやっている旨の指摘が為されて良さそうなものだ。だが、一向に喚起される事もない現状の政治状況を見れば、彼等もまた同じ穴の狢にはあるのだろう。

 与党は基より、野党に至る迄も、小泉政権の持つ当該本性にすら触れず、或いは気付く事なしに経過させたこの一年の政治的責任は極めて重く、特に野党第一党でもある民主党の、崇高な国家理念を持つ小沢氏を除く幹部代議士諸君は胆に銘ずるべきが先決で、自民党政策に迎合してなどいる場合ではなく、政治生命を賭してでも日本国家国民を牽引する立場に在る事を真に自覚し、小泉政権八百長為政を糺していくべき時である。予算が、立法が、小泉政権がと云う以前に、或いは、マニフェストを編纂して有頂天になる以前に、日本民族を如何なる方向へ率いるのかの、国家理念や思想哲学を根本から改めて形成し直し、国民の新たな屋台骨として示す事こそが肝要である。

 アメリカとの協調関係なく政権の座に就けるのかと、小泉氏に恫喝されればしどろもどろになり、MD構想なるものが日本には不要かと問われれば、また必要であると云い、北朝鮮に拠る拉致問題の解決に当たっては、米国の圧力がなければ一切解決に至る事はないかの如くに煮え切らない様相を呈する民主党幹部と議員諸君、右も左も雑多に同居する自民党と同じとは云え、其処まで似なくとも良く、小泉政権に引き摺られるが如き八百長為政の模倣が、どうして二大政党の一極を占める事など出来ようか。よしんば政権の奪取が出来たにせよ、小泉流政治と何等変わるものとはならず、自主自決は先送りとなるだけで、日本民族の求める王道への歩みは更に遠のくだけである。

 民主党が、何時までも理性在る条理の道筋を国民に示せないと云う事は、取りも直さずそれは自民党と大同小異の、八百長為政を踏襲する政党と云う意味ですらあり、現小泉政権施策が日本国家国民の求める条理に立脚していないとして不平不満を示す、或いは日本民族の将来を憂いる人々の、見識在る声すら汲み上げずの不能を意味するもので、自民党政権に取って代わるどころか、民主党現有議席すら何れ減らすだけではある。日本民族はそれ程愚鈍な民族ではない。民主党議席の漸減、それは尤もな流れと云うもので、傀儡性を露わにしてやまない小泉政治の二番煎じでもあれば、現状打開を希うまともな国民は、棄権に回るか、さもなければ社民党若しくは共産党に投票するしか、自らの条理を表す選択肢を失うと云う事にも繋がるのである。

 自民党案には何にでも反対するとの政治姿勢は、基よりまともな為政者のする事ではないが、現状の小泉流政治はと云えば、ブッシュ政権に拠る不条理政策を基盤とした日本国家国民不在のもので、尚且つ、明らかなシオニストユダヤ系大財閥資本家群率いる米国の、擬似傀儡政治とでも云うべき執政態様にしか過ぎず、然らば、当該小泉政治の為す傀儡の実態を今暴かずして、何時暴けると云うのか。

 国家理念に於いて、「核も芯も」未だまだ未完成状態に在る民主党諸君、先生小沢氏も、気の遠くなる様な或いは凍りつく様な、貧弱な党の現状として憂いてもいるのだろう。致し方あるまい。戦後世代が既に国民の75%以上を占め、見せ掛けの経済上昇のみに現を抜かして来たそのツケが今に回されて来てもいれば、日本民族の何かしらの回復薬が「経済」の活性化にしかないと、戦後に生まれ育った政治家が錯覚幻想するのも必然、それが一つの処方箋にしか過ぎない事を理解するには、国家理念若しくは思想や哲学と云う抽象的ではあるが、実は日本の方向性を示すそれは羅針盤と航海図でもある事を認識すべきが、国民はもとより、彼等為政者にとってもまた必要不可欠な国家再興への道でもある。

 教育問題が重要と云えば、異口同音に、科学、IT、バイオ、DNAの解析と特許取得等を叫び、国もまた予算を付けて良しとするが、それもまた骨格ではなく飽く迄も重要なる枝葉にしか過ぎずのもの、更に、道徳や宗教が重要であるとか、或いは日教組が諸悪の根源である等との云い分に至ってはそれは単なるヒステリーの言い分でしかなく、日本民族が受け継いで然るべき良質なる文化風土に迫り、新たな日本民族が顕わし得る礎になどなるものではない。

 自身もそう思うのだが、日本政治経済の現状を率いるリーダーと目される人々の大方は、戦争の悲惨さと戦後のひもじさを、頭では理解していても一切味わう事なく現在に至り、米国を中心とする貿易経済の中でぬくぬくと育てられた人々で、所謂、国家不要を潜在的に持つアナーキスト的社会人集団、バブル期の崩壊と云う八百長経済の悪化に直面し、八百長為政者は右往左往、取り付く島を「米国」に求め、米国のやる事為す事の須らくを受け容れたとしても何等不思議ではないのである。小泉氏の為す執政の様に、傀儡政権の行政態様を示したとしても、本人にその自覚がなければこれまた傀儡政権の概念には当て嵌まらないと、小泉氏自身並びに八百長為政者群が合点するのも頷けるのである。

 始末が悪いとは実にこの様な態様を云うのであって、「傀儡政治」を「自主自決」と云う言葉に置き換えるのにも等しいもので、良識在る国民は数を基にする為政者の前には為す術すらなく、当該権力の前に庶民は黙るしかないのである。であるが故に民主党の出番がある筈なのだが、これもまた今一つ自覚と識見に欠けた中途半端な政党でもあれば、浮き草状態での風の向く侭、権力者の気の向く侭に、国家が押し流されるのを国民は耐えて待つしかないと云う事ではある。

 日本の如何なるメディアも或いは為政者も論評する事は避け、単なる一情報として流しただけだが、それは、英国エリザベス女王イラク戦争に付いて触れた事を指して云うのだが、つまり、女王はブレイアー政策を全面的に支持し且つ英軍兵士の労を、TVを通じてねぎらったものだ。しかし、それは議論の分かれる所、英国の国家象徴ともなるべき立場に在るエリザベス女王が、如何に危険に晒されている自国民へのねぎらいとは云え、発する言葉は選ばれて当然のもの、石油侵略を後押しするが如きあからさまな占領政策の鼓舞と、強化推進を意図する具体的文言は慎むのが当然、具体的政治政策に直接関与するエリザベス女王発言が権威の失墜を意味する事にはなっても、大英帝国の条理と叡智を国際社会に知らしめるものとなる筈もない。

 大英帝国民はそれ程愚鈍には非ず、世論に水注す形での当該エリザベス女王発言は、立憲君主国家体制に亀裂すら生ぜしめるもの、賢く、且つ、理知的君主であれば、国家体制の変更を意味しないその様な執政への直接的関与を表す発言は慎むのが当然のもので、見守るだけで十分である。どうしても云いたければ、自国民でもある英国占領軍に対してのねぎらいの言葉だけで十分、侵略行為を正当化したり或いは占領政策を強化鼓舞したりの直接発言は為すべきではないと云う事だ。何故ならば、イラク国に対する英米両国に拠る軍事攻撃は、大義名分なき侵略行為を原点にしてのものであり、尚且つそれは、無力な子供に対する襲いかかりの如き野獣行為なるもの、国際法に云う戦争の概念には全く該当する事のない、それは卑劣極まりない盗賊行為そのものだからである。

 2003度はブッシュ政権の不条理に追随同調した小泉政権だが、新たな年となる2004年度は不条理を共有する小泉政権となり、米国への傀儡性を更に一歩押し進める政権ともなるのだろう。イラクを一とする中東産油諸国での混乱は必至だが、それはまた共同正犯でもある小泉政権を簡単に潰す可能性も極めて高く、政界も混沌に陥る事すら予期させるものであり、即ち、それは政権交代すら意味するのではあるが、受け皿としての民主党には未だ軟骨はあっても背骨が整ってもおらずの状態では推して知るべし、勿論、民主党が理性在る条理を形成し、自民党との戦闘態勢に臨めばとの条件は付くのだが、現状の民主党体制ではそれも無理、自民党で何とか急場を凌いで欲しいとの声に掻き消され、彼等は野党の域を出る事もまたあるまい。共同正犯でもある小泉政権が跋扈し続ける2004年になる可能性は、多少残されてもいると云う事である。

 内政に於いては本質的な行財政の改革には手を付けず、ただ羊頭狗肉の看板に架け替えただけの小泉政権、借金の遣り放題と継ぎ接ぎだらけの行政施策、外交にあっては、遣りっ放しと日本国憲法を無視したブッシュ政策へのにじり寄りに拠る自衛隊の国外派兵の実行、彼の執る当該政治政策には法治国家としての日本の面影は最早なく、米国を幕府と仰ぐ事での順応とそれは受け容れでもあれば、ブッシュ政権が倒れる迄当該不条理は小泉政権でも踏襲され、良識在る日本民族は蚊帳の外に置かれ続けると云う事である。

 自衛隊イラク国に派兵した小泉氏、彼曰く、「死を恐れぬ(自衛隊員諸君の)勇気に感銘を受ける」との言葉を吐くに至っては何をか謂わんや、狂人に拠るそれは為政と言動以外の何ものでもなかろう。軍隊の国外派兵を、日本の歴史上、これ程迄に日本国民に歓迎されずに強行された軍隊そのものの姿は見られる事もなかった。過去に於ける対露戦、対中戦、対米戦、その何れにも、日本国家として決断する戦争の大義名分は存在し、確かな国家正義も在った筈だ。だが、今回為すイラク国への軍隊の派兵には何等の大義名分も正義の欠片も一切見当たらず、尚且つ70%にも上る国民が不同意を示す中で強行されたそれは軍隊の派兵、小泉政権が如何に復興支援活動であるとか人道援助の美名を以ってしても、それは単なる屁理屈の羅列でしかない以上、日本民族の意思を表すものとなり得ないのは云う迄もなかろう。虎の子の自衛隊員諸君には何等の落ち度もないのだが、若し彼等の中に、民族意識並びに国家理念を持つ者が存在すれば、少なからずの自衛隊員諸君は、派兵そのものの疑義を巡って議論し拒否すべきが筋、如何に国家命令とは云え、明らかな米国の傀儡政権に拠るそれは命令でもあれば否定して然るべきである。

 内政外交を問わず、小泉政権の執政にはブッシュ米国政策の影が常に付き纏い、彼の影響下に置かれた日本政府であると看做せるのである。年末も押し迫った中で発表された米国の「狂牛病発症」、これに対する反応だけは早く、農水省に拠る逸早い輸入停止措置が取られたが、これとて時間が経てば済し崩しに解除されるであろうそれは停止措置、また、日本の要求する形を取り得ない米国農業、ワシントン州以外の「牛肉」は安全であるとの宣言は何れ為される仕儀と相成る。

 この一年を振り返ってみると、精神的にも極めて疲れの残る一年でもあったと云う事だ。日本民族でありながら日本民族を顕わせず、日本国家でありながら日本国家を顕わし切れないその苛立ちは、偏に小泉政権に拠るその傀儡政治手法と欺瞞の羅列、並びに国家憲法を無視するその狂的執政がもたらすものではあったろう。更に云えば、小泉氏同様、日本民族もそれだけ自己を見失って仕舞ったと云う事でもあるのだろう。道徳を説いても倫理を説いても弾き飛ばされる日本社会、良質な風土文化は密封され、経済の計数数値で須らくを律し切れると錯覚する社会の末路はこの様なものなのかも知れない。極めて残念だが、権力者が率いる現状の日本社会はこの程度の無様なもの、ブッシュの傀儡に迄成り下がった小泉政権が跳梁跋扈し、国権を弄ぶ下地は、既に日本社会に出来上がっていたと云う事ではある。願わくば、不条理を条理と錯覚する夢から覚め、条理が悉く再生される2004年になる事を望むものである。>と在る。

 菅直人に、初心に帰る事を求めるのはやはりに無理な問題か。初心に帰ると云う事は、言う迄もなく、政治主導の国家行政を、自民党政権時代とは異なり、民主党政権は唱道し厳に実践して行くと云う事であり、其れは同時に、情報開示と云う透明ガラスの開放感溢れる中で、多くの民主党政治家が務め(努め)ている所を国民に見せ、若しくは、開示する事で、行財政改革に関わる執刀の工程や進捗状況と、執刀結果、並びに、養生の結果を、国民の前にオープンにし、理解を求めると云う事でも在った筈である。基より、斯かる行政上の執刀は法案の提出と成案を俟って個別的実践に付されるものだが、鳩山政権時に於ける成案の少なさを以って、菅直人政権のダラダラさが赦されるものでは全くないのである。成案が少ない中でも遣るべき事は多々在り、基より、内政外交須らくに跨るものだが、国会閉会中に在るとは言え党員一丸となって行政組織の内部に入り込み、手分けしての実態把握と詳細の掌握、並びに、全体構図の解明と図式化、即ち、執刀行為の要不要の準備は、全てと迄は行かずとも実態調査を以ってすれば準備可能な筈、基より、法案整備の準備ともどもに成し得る筈のもの、菅直人総理が、或いは、政府閣僚を構成する大臣の一人ひとりが、鳩山政権時に推していた合議制を未だに共有して進めており、民主党政権発足時の基本的政権運営条理として生かせているかどうかにも拠るのだが、此れが、現菅直人政権には全く見えず、在ろう事か、沈没すらして終ったのではないかとも危惧させているのが現状なのである。

 公共放送のNHKを利用してでも、現行政府は、行財政改革の進捗状況を国民に向かって定例的に説明し解説すべきである。其の為の法案もまた必要とすれば、成案に至る暫定期間は全国紙を利した政府公告として載せ続けるべきである。