日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆いたましい影山日出夫氏の旅立ち

 NHKの解説副委員長職に在った影山日出夫氏が、此の十一日に死を選択し十二日に亡くなられたとある。享年五十六歳。深く哀悼の意を表し、ご冥福をお祈り申し上げます。

 それにしても不可解なる其れは死の選択ではあるまいか。憶測で物事を云うのは少々心苦しく差し障りも在ろうかと痛み入るのだが、敢えて言わせて貰えば、NHKと云う自らの勤める職場を自害の場所に選んで為した其の決断は、いったい何を意味しているのだろう。極めて意味深い職場での自害の選択と決行、穿った見方をすれば、其れは、NHK、即ち、日本放送協会に対する、意に適わぬ不可避的事象が切迫した事での反意の翻しに因る、其れは選択と決行ではなかったのかとの推察すら可能となるからではある。基より、他の事由も考えられぬではないが、自らの勤める場を選んで実行した其の意味は重く、個人的事由を基としては殆ど考えられない事である。

 影山日出夫氏の解説は理路整然としており、中々にして中立も保たれているとの定評が道々の民の間では浸透しており、「日曜政治討論」の番組司会に於いても、或いは、「持論公論」の解説に於いても、事案として採り上げられた当該政治問題の掘り出し方や解説力は実に明快で、当然に説得力すら持ち、多くの視聴者に対する時事を基にする啓蒙活動は、地味ながらも成果を見ていたのも事実、左すれば、死を選択する等の理由は、斯かる職責上での事由に因るものであるとは考え難きもの、だが、氏の此処数年に於ける解説手法と内容には、時としての歯切れの悪さもまた微妙に見え隠れもしていれば、恐らくは、氏の抱く政治的信念や信条と、所属する上司等の政治的放送の推し進め方や内容に、微妙且つ明確でのっぴきならない食い違いであるとか、政治信条等に対する不可避的軋轢が圧し掛かり、或いは、介在していたのではないかと見るのは、強ち無理なる邪推には在らずのもの、自民党政権時代に官邸詰め記者として政権に付いていた影山氏の職歴からみれば、最も重大なる要因が、其の自害を招いたトリガーとして潜んでいたとも受け取れるのである。

 即ち、自らの信条や信念に反する政治的軋轢を伴う強要が、重く、且つ、強く、生真面目な性格を有する其の職責に圧し掛かり、よしんば、意に反するとして反発すれば、職を辞さねばならぬ等の、所謂、追い遣られの瀬戸際にまで詰め寄られていたのではないかとも想像されるのである。一、二年前から見られた氏(若しくは複数の同僚)の解説手法と内容には微妙なる変化が見て取れるのだが、其れが何に基づいていた相違なのかと云えば、言う迄もなく、小沢一郎党首率いる当時の野党民主党に対する謂われ無き批判の開始や、世論調査を以ってする批判の展開が其れ、公正公平を以ってするNHKにしては、或いは、公平公正を自負する解説委員等にしては、珍しく「過激」な言動と断定的発言をするものだわいと見ていたが、斯かる言動と発言が功を奏してか、勿論、NHKのみの成果でない事は云う迄もないが、民主党の代表でもあった件の小沢一郎氏をして、其の党首の座から引き摺り下ろし、新たな党首を鳩山由紀夫氏に代えると云う、或る種の”成果”を生みもたらしたのである。

 だが、党首小沢一郎を党首の座から引き摺り下ろすことには成功したが、同年、即ち、麻生太郎の手で為された昨夏に於ける衆院解散総選挙では、政権与党の自民党が結党以来の大惨敗に帰し、鳩山由紀夫小沢一郎率いる民主党に、よもやの、政権奪取を為さしめられると云う、所謂、屈辱的敗北感を彼等自民党為政者群は味わわされる結果と相成るのである。基より、民主党に拠る政権の被奪取を国家の危機とみた旧政権は、民主党政権の打倒、鳩山/小沢体制の引き摺り下ろしを合言葉に、旧政権は今迄にはないネガティブキャンペーンをも取り込んだ、所謂、内外に跨る様々な組織とマスメディアを総動員して駆使した「政権奪還劇」へと、其の反転攻勢を強めていくのである。

 旧政権に因る政権奪取に関わる(無差別を基にする)徹底抗戦と、斯かる時期を一にするが如く、変化、乃至、報道変化の兆しと強化すら見て来たのが、件の、影山日出夫氏の所属していたNHKの政治討論番組、即ち、氏が司会を務めていた「日曜政治討論」であり、時事問題を採り上げる、氏も其の解説者の一人として出演し続けた「持論公論」の、両番組の作為的ともとれる内容の変化ではあったろう。基より、NHK単独では到底為し得ない無差別の反転攻勢は、其の後も、「NHK NEWS」等の番組の中にも急進的にも組み込まれていく事と相成るのである。

 本来であれば、新政権の誕生に際しては、期待を込める意味でも提灯記事を一部では認め、持ち上げて見せる場面すら在って由とするメディア慣行も見られたものだが、鳩山首相誕生、即ち、道々の民の選択に拠る、其れも、日本国創設以来初めてとでも云うべき道々の民の選択で立ち上げた新政権の誕生を見てすら、公平公平を以って旨とするNHKですら踏襲する事は終ぞ見られず、旧政権の思い通りに鳩山/小沢体制を崩した後も尚、民主党政権倒壊に向けての報道姿勢は改められることなく続いているのである。

 自らの信念や信条と、強要された部内報道姿勢とののっぴきならない齟齬の現出、斯かる軋みには相当のものが在ったろうとの推察は基より可能、其の大前提として氏に示された、NHK部内権力者側からの解説指針、即ち、鳩山由紀夫小沢一郎両氏に対する”政治と金”に纏わる看板の取り下げは無用とのお達しは、既に、両名に対する司法権に拠る、所謂、「無実の白」として下された、其れも、小沢一郎に対しては、二度にも亘って検察庁から確認された「無実の白」ではあったのだが、当該検察庁の判断を無視して、今度は、検察審査会の判断に重きを置くようなる指示は、他の、上司に対しては従順なる、即ち、旧権力者群に靡いてすら斯かる不条理を訝らない解説委員とは異なり、寄って立つ信念と信条を有するであろう影山日出夫氏にとっては、到底受け容れ難い、其れは意に反する「貶め工作の報道作為」であるとして、明確に、不条理を認識出来たのであろう。

 好々爺然とした其の顔相から推して、或いは、論理の組み立てと其の表現力から推しても、影山解説委員の社会正義を基にする理解と解説には、些かの綻びも、公平公正を覆す仕儀すら見られなかったのだが、此処数年に見られる変化、即ち、小沢一郎を党首の座から追い落とし、はたまた、新政権の座に就いた鳩山/小沢体制を崩した、所謂、藤原一族司法宮とメディアの奏でた異論の葬送曲は、氏をして、上層部の推し進める社会正義の顕現に強い疑念を抱き、其れこそが異論をも差し挟んだのだが受け容れられず、終には居た堪れなくなり、氏自らが、社会正義の取り戻しと奪還に動いた其の結果が、闇の存在、即ち、あの日本を駄目にした藤原一族末裔の存在に遭遇したのであり、居場所をも同時に喪失せしめたと云う事ではあるのだろう。勿論、原因は私的プライベートなものや家庭内のものとは到底考え難きもの、其れは即ち、自害の場をNHKのテリトリーの中に求めた事からも明らかではあろう。

 菅直人政権が、鳩山/小沢両名で打ち立てて掲げた、所謂、民主党理念を取り下げに引き継いでいれば、また、社会正義の顕現に蓋をするかの如き現実主義に傾倒し、あまつさえ、風の吹くまま成り行き任せの為政に陥らなければ、影山日出夫氏もまた不条理の選択をする必要もなかったろう。唯々合掌するのみである。

 侃諤二千一年八月十五日<372>条を覗いてみよう。

 <昭和二十年八月十五日、天皇陛下に拠る魂鎮めの玉音放送を以って、「日本国民」は大東亜戦争(太平洋戦争)の敗戦と終結を知らされた。

  その場に泣き崩れる者、頭の中が真っ白になる者、放送を聞いても俄かには信じようとしない者、抵抗を続けた者、終戦を喜んだ者、また海外においても、未だに戦争を続けていた者は当然に居り、捕虜として過酷な労働に就かされていた者や、相手に取り入り楽をしていた者等々、国内外に生きる健康者、傷病者ともに、不条理なる戦争体験をそれぞれに味わい、子供たちからお年寄りに至る迄、様々な思いや時間の流れの中での場面が当時に於いては強くあったのだろう。

 望むと望まないとに拘わらず、日本国民は不条理な戦争を選択し敗戦国となってしまった。一億総玉砕を覚悟してのものでもあれば、五十六年後の今日、こうして一億二千六百万人強の人口を有する国家が存在する事さえ不思議でもある。戦後、残された国民の一心不乱の生活づくりと、米国に拠る旧国家組織に対する諸々の手入れ或いは法整備、それはまた経済復興への足掛かりを着実にものにし、五十六年後の今日を向えてもいる。 最小単位の個人或いは家族の五十六年の軌跡にはそれぞれに紆余曲折、挫折若しくは進展があったのであろう。より豊かさを求める思いは、一生懸命に働く或いは経営を為す若しくは時流に乗る事で、着実に物質を整え、産業界においては堅実に業容を拡大しても来た。

個人に於いては、戦後やや在って家電製品を手に入れ、暫らくすれば自動車を持つ、また時間をおいて土地家屋並びにマンションをと、人々は手に入れる事も出来た。義務教育で終了を当たり前とした教育環境も、高校へ更には大学へと裾野を拡大させる事で、確実に先進国と云われる国家群への知的追い付きも成し得たのではあろう。産業分野における部分的先行は外貨保有高の増大を確保し、日本独特の商業ルートを立ち上げた商社機能は、政治が為すべき職能の肩代りさえ実体的に演出して来たと云っても過言ではあるまい。いわゆる官僚機構とのタッグマッチを組んでの対外活動は、日本経済ダイナミズムの源泉ともなった様だ。 両者がもたらす情報とアイディアの数々は、官僚機構に拠る取捨選択の目を養うのと同時に、製造技術の飽くなき向上心を産業界にふるい立たせ、まれに見る巨大経済国家、或いは一大技術立国に迄引きずり上げた。 受託生産一本やりから商品開発へと、若しくは模倣から独自技術への改良へと、光速の如き時間とともに経過成長はしたが、立ち止まって振り返れば、前に立つべき「政治」は遥か後方を、太り過ぎた「政治」が箒を片手に、脂汗をかきながらゆっくりゆっくりと付いて来る。 政治不在の両者の前に立ち塞がるのは、他国の体制に隠れた得体の知れぬ連中の群れ、両者を呼び寄せ妖言を弄し指針さえ与える。「政治」は依然として遅れを取り戻せず両者に付いて行くだけの始末。戦後五十六年目を向かえた今日の日本、目指す所は「国際社会との共存共栄」、「地球環境の改善」、「世界平和への貢献」であり、その何れにも「均衡の取れた」と云う言葉を冠しなければならないもので、経済的中心思想ともなっている「追いつき追い越せ」主義は、最早破棄すべき時期に至ってもいるのだろう。また、その対立軸にある福祉社会の充実だけに比重を置いてもならないのは云う迄もないのだが、どうだろう。 米国が教えても呉れた経済ゲームの進め方が、或る面では日本の繁栄をもたらし物質的、或いは生活上における満足感をもたらして呉れた事は事実であり、またそれは評価されなければならない。 だが、個人的私観の問題ではあるにせよ、精神的拠り所ともなるべき国家が屋台骨もなく、気付けば未だに米国のテントハウスの中で暮らす日々、更に云えば、自らが進むべき道を自らの頭で考え自らの手足に伝え、自らが切り開く事さえ叶わない国家態様は、表面的には日本国ではあるが実体的には日本国家ではなく、アメリカ合衆国日本州とでも云える政治態様にはあるのだろう。

 如何に敗戦国家日本であるとは云え、五十六年もの永きに亘って占領され続ける、或いは共産党を除く為政者の誰一人として、その不条理を指摘する事なく、国家行政を欲しい侭に操っても来た両院議員、彼等が同じ日本国民であるとは到底信じ難いものが其処にはある。 日本の政治風土を遡って見れば、戦国時代の終焉の後、安土桃山時代以来鮮明に執り続けられて来た僅かな「支配者階級」と多数の「被支配者階級」の制度的差別。インドのカースト制度と迄は云わないが、それらの意識、つまりは無意識裡にではあっても支配者階級には保守意識が芽生え、体制がどうあろうとも自らの権益を守る事に汲々とし、全体を見渡す能力や理性などは一切備わっていなかったのであろう。 その意味においては、八百長政治は当時から培われても来た日本の権力者風土とでも云うべきものなのであろう。

 国家理念遂行の為の理性や先見性、或いは洞察力や平衡感覚を兼ね備えた為政者でもあれば国民に迎合する必要など毛頭ないが、現状維持とその補修、或いは指示待ち為政者の集団でもあれば彼等の存在する理由など有る由もない。安土桃山時代の 秀吉以来何等変わる事のない日本社会に巣食う特権階級の最も得意とするものが、様々な制度の確立と押さえ込みにあったのでもあれば、現代にそれを当て嵌めてみた場合、豊臣或いは徳川幕府を米国とみれば、容易にパズルが埋め込まれ全景が浮かび上がるのである。

 沖縄問題等はまさしくそれを代表する日本の不条理政治の典型であり、当該問題をこそ真っ先に解決しなければならないのだが、学者を含む為政者はその本質から目を背け、それも安易に米軍基地を他の地域に移動させる事で解決可能と判断する彼等が国家権力を握っている間は、何等の解決策ももたらされる事はない。 日本国家が本来執るべき全ての政治的決定と再考が、米国の意思で決定される事の不条理を、権力を握る為政者自らが恥と自覚しなければ、物事は先に進む事など有り得ないではないか。沖縄県の人々は先祖代代に亘ってそこに住む人々であり、自衛隊でもあればまだ我慢の余地もあろうが(それでも反対はあるが)、米国の多民族軍に占領され続ける不条理が許容される筈もない。代替基地移転計画先でもある海上への設置に関し、米国内から、環境アセスメントに疑義ありと問題提起されるに及んでは、本質とは懸け離れるが、米国人の方により強いバランス感覚があるものと見てとれなくもない。

政治も米国頼み、批判も米国頼み、改正も米国頼みの日本政治の現状に向かって、その不条理性を諭しても、的確な国家政策が日本の八百長為政者に提案される事など期待されない現状では、引退した他国の筋金入り政治リーダー達を招き、政治運営を任せても良いだろう。

 韓国金大中政権が、如何に教科書問題や靖国神社参拝問題で政権挙げて国民を煽動し、日本を敵視する事で自らの存在価値を高める政策を執ろうとも、或いは日露両国の懸案課題でもある北方領土に商権の旗を掲げ、自国漁船団を領海侵犯させる事で日本国民に屈辱感を与え、同様の効果を考えた政策を執ったつもりでも、既に目の肥えた韓国国民は決して踊らされる事もない。 反日感情を持つ人々は沢山いる、これも否定は出来ない。金大中氏が大統領就任直後語った自らの言葉でもある、過去への終止符と未来への希望宣言は、まさしく韓国が過去のしがらみとして持つ、日本に対する怨念を超えた政治理念の表明と受け取られたものだが、一瞬にしてその理念を弾き飛ばすかの如き今回の一連の政治行動には些かがっかりさせられもする。 日本もそうなのだが、韓国もやらなければならない事は沢山ある筈で、教科書問題や靖国神社参拝問題を政治問題として取り上げてみた所で、理念なき国家の進むべき方向性が築かれる訳でもない。 日本には国家理念の構築と云う重要な命題と、米軍の占領解除と云う重要問題、これには日米安保条約の改廃も含まれるのだが、更にはロシアとの懸案解決に伴う平和条約の締結が、八百長為政者群にはなくても国民には現前の最重要緊急課題としてある。これらの問題が解決或いは構築された後、韓国、台湾、或いはロシアを含めたアジア諸国との間に、普遍的な基礎理念を構築し、秩序あるアジア政治経済圏を具体化し推し進める必要もある。

韓国にとっての最大の課題は、日本同様に国家理念の構築であると同時に経済の立て直しにもあるのだろうが、それ以上に北朝鮮との関係構築の戦略見直しにそれを求めなければならない緊急性はあるのではないか。 如何に人種が同一とは云っても、方や民主主義、一方は独裁軍事主義とでは体制は全く異なるもので、水と油同様に融合調和する事は有り得ない。観念的な政治或いは政策は現実の前においては非力であり、無力である事をも韓国政権は認識しなければならない。 また融和や統一に向けては、第一義的には北朝鮮国民が選択すべき事であり、手法は支援と云う言葉の持つ二つの意味でしかない。つまり、現状を選択するか、或いは体制改革を選択するかの何れかでしかないのである。前者には夢も希望も見出せないが後者にはそれはある、但し後者を選択した北朝鮮国民自身の犠牲は覚悟しなければならない。 韓国、或いは日本を含めたアジア同胞諸国が為すべき事は、先ず米国軍隊の日本からの撤退を実現させ、中国政府がそれを受けて理性への回帰を為す、またロシアを北朝鮮から軍事的に分断させる事も重要でそれには日露平和条約の締結が不可欠ともなる。同時に北朝鮮国民には食糧援助は政治的に欠かしてはならず、但し、単なる援助は何等の効果も期待出来ないので、その間の工作は南北の同胞が推し進めなければならない。或る面においては血気盛んな金大中大統領ではあるが、深謀遠慮を用いれば不可能な戦略ではないでしょう。EU諸国が知恵を絞って、米国的功利主義から域内を守るサークルを築き上げた政治態様を見れば、極東ロシアを含め、中国を理性社会に回帰させ、エージアンサークルを作る事に何の躊躇いも必要ではない。 患部を取り除くのは各国の役割で、南北の障害を取り除く重要な役割は韓国と北朝鮮が、特に韓国の権力者は幻想を捨て知恵を絞って為さなければならないのである。

 日本叩き手法に拠る政治に辟易しているのは、何も日本人だけではなく、理性的に物事を理解し始めた韓国人同胞にある事をもまた知らなければならない。権力者たる者過去を糾弾する事のみに比重を置き政争の具としてはならず、現在及び将来における糧としなければならない歴史認識でもあれば、現在及び将来をどの様に形成して行くかの国家理念の構築をこそ為すのが偉大なる権力者が執るべき道でもある。

 日本の戦争責任を回避する積りは毛頭ないが、不条理な戦争を一国の責任として処断する事の愚だけは、理性の存在を信じる者でもあれば犯してはならない。>とある。