日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆米国人兵士の血を吸える菅直人

 戦争は不条理である。故に、我ら日本民族は不条理なる戦争を将来的にも選択してはならないのである。だが、同時に、永遠に閉じ込めて置く事の出来ない不条理なる戦争の仕掛けに対する応戦は、同時に、為さざるを得ないのも条理、好むと好まざるとに拘わらず、且つ、勝敗の結果如何に拘わらず、更に、民族の絶滅如何に関わらず、事の最期に臨んでは斯かる意を決して置くべきが、独立自尊、並びに、自主自決を有する日本民族の良質性を追い求める為の条理でもある。

 「六十九年前の日本、其処には不条理なる戦争の選択を余儀なくされた、所謂、アジア大陸に於ける西洋諸国に因る植民地化競争と云う国際社会環境の中で台頭した新たな民族条理としての防衛施策は戦争の決断には在ったもの、其れは道々の民の間にも紛う事なき条理として憑依し、昇華されては意思の一本化を見、同時に、一億総玉砕をも覚悟した、所謂、不条理を認識し得ぬ侭の戦争決断へと集約、四年後の、其れこそが「生き恥」を晒す敗者日本民族の、其れこそが「火継ぎ者」となって、六十九年後の今に至る世を創り上げて来ているのである。」

 斯かる自虐的裁定に対して、”私は一度として日米戦争の開戦に同意したことはない”、”わたしは戦争などやって欲しくはなかった”等の、火継ぎ者たちによる弁舌が聞かれるが、基より、我ら道々の民の親兄弟や祖父母等々の言い訳であるとか、逃げ口上にあるとかを言っているのではない。まさしく、戦争に引き摺られたのか、それとも、戦争を選択したのかは別にして、紛う事なく戦争に突き進み、有利さを伝える戦局の一報を受けて、喜ぶどころか酔い痴れもし、はたまた、風向きが悪くなれば、竹槍をもって一億総玉砕をともに叫んだ事実は事実、戦争を望まなかったなどとは努々言って欲しくもないし、聞きたくも無い。私と家族や友人だけは、戦争の被害者になどなりたくもなかったとでも云うべきである。基より、彼等火継ぎ者たちはその様に公言すべきである。

 特に、あの忌まわしい時代を率いた政官財、並びに学界に於ける権力者群とマスメディア群、彼等火継ぎ者やその家族は、比較的多くが生きながら得たが、其の一方での戦死者の御柱は総数三百二十万柱にも上るもの、不条理なる戦争で常に被害を被るのは、斯かる火継ぎ者ではなく、名も無く力も無い雑草の如き存在の、即ち、今上天皇の御存在を唯一の精神的拠り所とする我ら道々の民のみであった事を忘れてはならない。道々の民に号令を掛ける者迄は須らくが火継ぎ者看做し、斯かる道々の民が赤紙一枚で一命を差し出したとはよくぞ形容された言葉だが、世が世であれば、道々の民の上に立つ自民党安倍晋三民主党長島昭久もともに火継ぎ者、不条理なる戦争の選択に際しても真っ先に命を落とす事はないことをこそ自覚すべきもの、何故ならば、彼等火継ぎ者は常に、”今上天皇”の名を借りて物事を我田引水的に談じ続けられるからである。

 彼等火継ぎ者は云う。即ち、戦争など遣ってもならない事は重々承知している、と。だが、日本国家は法的にも手足を縛られている体制に在り、其の中で、東には核兵器を所有する危険な国家北朝鮮国が間近に在り、また、南東には、年率十パーセントと云う異常な軍事費伸び率を示す中国が、其の勢いの侭に、砲艦外交と袖の下外交を以ってする資源獲得を強引に推し進め、あまつさえ、排他的日本の領海域にまで進出、軍事力のデモンストレーションのみならず、資源の奪い取りを実体的に、其れもあからさまに推し進めてもいる。更に、我が日本国に米軍の駐留がなければ、一夜にして彼等中国に攻め込まれ、海底に眠るガス田の宝庫尖閣諸島のみならず、日本列島の悉くが彼等の草刈場となって、戦わずして奪われ、日本国家は潰えて終うのは必至なのであると言い、だから、核兵器を所有し、史上最大の軍事力を有する米軍の存在、就く、米国海兵隊の存在は、日本の国家安全保障政策の遂行にとっては欠かせないのであるとも云う。

 成る程、其れは一理在る言い分にも聞こえる米軍駐留正当化の弁ではある。だが、彼等火継ぎ者の論を推し量れば、北朝鮮国と中国が我が日本にとっての、其れは紛う事無き唯一の敵対国として位置付けられ、独り米国のみが、日本にとっては何でも委ねられる唯一の友好国であるとの断定にも聞こえるのだが、事実なのであろうか。戦前と戦後を分ける此の百八十度の思考態様の変化こそが、恐るべき彼等火継ぎ者たちの面目躍如と為すところ、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔が、終戦間際、若しくは、其れ以前に、宗主替えをして平然としていられる論理なのであり、被占領態様を是とし続ける所以でも在るのだろう。

 即ち、歴史事象を振り返ってみれば、戦前に於いて、日本国そのものの領有をターゲットとして侵略を強行、果敢に戦争を挑んで来た国家が、果たして我が近隣諸国には在ったのであろうか。恐らく、小規模な諍いを除き、十三世紀後期に亘る二度の元寇の役(文永、弘安)と、現米国に因る占領や、ソビエト連邦に因る、千島列島の侵略を除いては、古代史に遡っても、日本に対する当該侵略史は一切見られず、其れとは逆に、日本に因る侵略史は、古代史に遡ってすら少なくはなく見受けられる所ではある。斯かる歴史が差し示す史実からすれば、北朝鮮国や中国が、米軍の駐留無き事のみを事由として、俄かに鬼となり、日本国領土を侵略するとは考え難きもの、寧ろ、日本列島から米軍が須らく撤退し、同時に、日本国軍が手足を取り戻して軍事体制を実体的にも蘇生、日本の国防力が、自営のものとして推し進められる事の方にこそ、彼等近隣諸国が懸念する所ともなるのだろう。

 事後に於いては平和主義者の如き弁舌を平然とものし、七十五日を過ぎれば国を護らねばならぬと生気を込めて言い、はたまた、手足を縛られた国の護りは米国が代行し担って呉れていると云い、だから米軍の駐留は正当化されると結論付ける安倍晋三長島昭久、彼等に代表される狭隘なる「米国命」論者は、自民党は基より、政権与党である民主党員の中にも少なからずにおり、同時に、其の過半は、日本列島からの合意なき侭の米軍撤退は、低迷する日本経済を更に直撃して悪化させ、即ち、筆頭に位置した上顧客の座は中国に奪われて第二位に滑り落ちたものの、其れでも尚上得意の米国は、合意なき撤退の強いられに因り日本との経済関係を縮小させるだろうとの危惧を以って、米軍駐留の正当化とし、恒久的被隷属国態様を日本国家として受け容れるのである。沖縄県辺野古崎への滑走路建設を決めた菅直人もまた然り、忌むべき事大主義根性が深く染み付いた侭である。

 「好」か「厭」かの何れかにしか政治活動の重きを置かない憐れな為政者群、現実主義為政へ、即ち、成り行き任せの為政に、百八十度其の舵を切った菅直人政権、僅か三ヶ月とは言え、政権奪取時に認めた民主党マニフェストの反故はおろか、最も基本とすべき民族の自主自決、独立自尊の顕現すらへし折り、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔が繰り広げる、所謂、崇め奉る<主>を、「天皇家」から、英米を率いるシオニストユダヤ系大財閥資本家群に宗主替えした、其のノアの方舟に乗り移ろうとさえする菅直人政権、安倍晋三曰く、アメリカ合衆国の若者を日本の防衛の為に血を流して呉れようとしているのが、継続的日米安保条約である事を忘れるべきではない、との独り善がりにとうとう嵌って終った様だ。

 侃諤二千二年八月二十日<594>条を覗いてみよう。

 ブッシュ政権が登場して以来、明らかな形で、それも威嚇的に続くアメリカ合衆国内外に於ける不祥事の数々、ブッシュ大統領自身の問題と云うよりは寧ろ、アメリカ合衆国そのものの持つ様々な不条理体質が条理を凌駕した事に拠る結果として、その様な不祥事を惹き出してもいるのだろう。 不条理体質とはいったい何であるかの特定を過去にも多々列記しているが、もう一度整理してみると次の様な具体的な内容が引き出される筈だ。
1.軍需産業を経済構造の両輪の一つに位置づけている事実。
2.政治経済に於けるルールの設定と変更を独自に為し得る事実。
3.目的計画達成の為には方法や手段は選ばぬ事実。
4.自国軍事力の行使並びに決断が常に正しく国際社会の正義を顕わすとの誤認事実。
5.白色人種を優性種、有色人種を劣性種と看做す、人種差別の継続的存在の事実。
6.米国内と外に於ける政治経済活動に関わる倫理規定自体に乖離が存在する事実。
7.情報操作を常態的に政治権力が応用している事の事実。

 大まかに云えば以上の如き内容にアメリカ合衆国国家体制の特徴を分類し、不条理として表示する事が出来るのであろう。残念ではあるが、これがアメリカ合衆国の顕わす政治経済進行の現実の姿であり、奇しくも、彼等の示す当該不条理の実体が米国社会を発信源とする情報社会の拡大とともに明らかにされて来たとは、まさに皮肉そのものではある。

 アメリカ合衆国には自浄作用が常に働き、それは成熟した民主主義の為せる業でもあるとの高評価を与える国際社会が過去には在った事も事実ではあるが、それはアメリカ合衆国権力社会に対する正確な判断情報の少なさ及び情報管理の緻密さが、並びに社会科学をも巧みに応用する情報操作のもたらす業が惹き起こす錯覚でもあり、アメリカ合衆国に自浄作用や正義に対する飽くなき追及が在ったから等ではない。国際社会が被情報操作者として巧く嵌まったが故の思い込みにしか過ぎなかった事は、アメリカ合衆国に於ける文書解禁に拠る該当事案の文書類がそれを証明して呉れてもいる。勿論、全ての国家機密文書の類が公開開示されるものではないのだが、秘密公聴会に於ける議事録及び期限到来に拠る該当情報資料等の解禁は、アメリカ合衆国政府が為したであろう間接的な不祥事をも明らかに示す場合も、若しくは類推させて呉れる場合すら在るのである。

 何段階の期限にも分けられて公開開示される国家機密文書や外交議事録の事実だけを以って、さすがに自由主義を標榜する国家アメリカならではの為せる業であると理解する人々が多々居るのも事実だが、その様な理解が正しい姿であると云えない事は云う迄もあるまい。つまり、過去に於けるアメリカ合衆国の為した過ちが、過ちとして処分に付され、且つ過ちに対応する適切な処置が為されてもいれば未だしも、処分はおろか適切な処置さえ講じる事のない国家掛かりの不当行為を、唯単に公開開示した事のみを以って良しとするのであれば、現状のアメリカ合衆国政府の為す不条理行為は合目的と云う事に繋がり、適法或いは違法の判断は三十年後若しくは五十年後を待たねば判らないとの結果は、被害者若しくは被害国にとっては余りにも悲惨に過ぎるのだろう。

 将来に於いて不法行為の結果を明かせば、現状為す不法は許容されるとの論理の引き出しは、現在進行形の不条理を増長させる元凶ともなっており、明らかな不法行為でさえ正々堂々とやってのける、アメリカ合衆国の現態様でもある軍事行動正当化の理念にさえ昇華されても仕舞う危険性を孕んではいるのだ。当該国家を民主主義国家の鏡でもあるなどと錯覚し、夢想し続けていた国際社会ではあるが、アメリカ合衆国の為す現状の不条理が、民主主義の仮面を被って不正義を顕わす、非民主主義国家そのものの態様である事を理解するのにそう多くの時間は要せず、更に付け加えれば、国際社会そのものが不条理の何たるかに目覚め始めたと云う事も出来るのかも知れない。少なくとも、有色人種国家群に於いては気付きつつある現象であって、正義の使者たり得た米英両国に拠るそれ迄の軍事力の行使が、実際は利己的功利主義に基づく米英両国にとってのみ有効な軍事介入目的行動であった事を、知るようになるのは必然がもたらす結果でもある。如何に無知蒙昧な、政治的PRに押し流される事に慣れた有色人種国家群であるとは云え、米英両国に拠って何時までも為される迫害や差別、若しくは云われなき圧力を、已む無き正義の被履行者として甘んじて受け続ける事など出来る由もないのだ。

 ハード及びソフトを含む情報分野を、民生産業の主力経済項目の一つに押し上げ且つ成長させたのがアメリカ合衆国であるのも事実だが、当該情報産業の拡大と精密化が、逆に云えば、米英両国の持つ不条理性をも明らかにして仕舞うとは、何とも皮肉な事ではあるのだろう。映像とともに世界を瞬時に駆け巡る無数の情報が同時に流される今日の国際社会の現状は、見る人が見れば或いは聞く人が聞けば、発生する事象そのものが単独のものであるのか、さもなければ地球の反対側にも繋がっているのか等、点と点から一本の線へと理解する事もまた可能なのである。

 特に、国際社会を股にかける米英両国の為す外交活動に於いてはより明らかで、戦前よりは戦後、戦後よりは現在為されている米英の外交活動により多くの不正義、所謂不条理が見て取れるのは、彼等が開発研究し民生経済分野の中枢部分へと駒を進めた情報産業のもたらす、副産物としての快挙であったとも云えようか。だが、その快挙も、理解する事と不条理の発生を食い止める事とは全く異なる問題であり、更に国際社会にとっては不幸な、情報がもたらす事実は、やはり米英両国に拠る合目的的軍需産業の経済分野への大きな羽ばたきに拠る、参入と居座りが継続されているとの事実ではある様だ。極論すれば、石油支配と軍需支配を同並列の重要な国家戦略の柱にさえ位置させている国家、それが米英両国であるとの事実を結果的には情報産業が証明していると云ってさえ過言ではあるまい。

 米国に於ける9.11事件以降その傾向は実に顕著で、ブッシュ政権誕生を期して推し進められた民生分野に於ける一人勝ち戦略が、当該事件の発生を契機に、軍需産業に対する国家としての後押し戦略を間髪を入れずに必然化若しくは国策へと特化させても仕舞う、見事な迄の早業を見れば、9.11事件の発生と軍需産業引き上げのお墨付きの付与が、成り行き上に拠る偶然の戦略追加と見るには余りにも不自然な態様に過ぎ、出来芝居と解した方が自然ではあるのだ。

 9.11事件を契機に、米英両国の軍隊が直接乗り込んだ地域並びに、軍事力を以って間接的に締め上げを強化した地域の点と点を結べば、其処に顕わされるものが何であるのかは明白で、それが石油資源を一とする様々な資源の支配戦略に置き換わる事が理解される筈だ。パキスタンに進駐、アフガニスタンを攻撃、タジキスタンキルギスタンウズベキスタン、及びトルクメニスタンへの軍事駐留の承諾、ロシア国に対する空域利用の承諾、これらは9.11事件絡みのものと連動しているのだが、その他にも、フィリピン国に対する軍事交流再開の動き、インドネシア国への軍隊派遣へと繋がる動きは、米英両国の石油及び軍需産業の両輪が計画通りに回り始めた事を同時に意味するのである。

 更に、イスラエル国を介して為す中東支配戦略は、軍事力の顕わしとしての事実からすれば、既にエジプト、トルコ、サウジアラビアクウェートアラブ首長国連邦への軍備の配置は済み、あのイラク国にさえ米英両国軍の配備は完了してもいるのである。当該事実だけを列挙しても、石油資源埋蔵国家群に対する軍事力を以っての、米英両国の手になる投網である事が至極明解に理解されるであろう。

 イラク攻撃を米英両国が準備していると、さも必然を伴ってもいるかの如くに国際社会に流布される情報の堆積は、米英両国の常套手段としての政治的PRに基づくものであり、また、当該PRを後方支援しているのがアナン国連事務総長を一とする、米英系白人国家群であるとは思いたくもないが、様々にもたらされる情報を吟味し不条理のパズルに当て嵌めれば、嫌が上にもその疑惑は高まっても来る。イラク、イランを掌中に治める為の謀略としてである。

 イラク、イラン両国に対する米英両国の石油資源独占支配の戦略の再立案は、湾岸戦争以前から米英両国の戦略青図として既に構想として描かれてもおり、それはイラク、イラン戦争に於ける米英両国の、フセインイラク政権を間接的な形で軍事支援を為していた事実として顕われ、或いはパーレビ国王が倒されホメイニ氏の帰国と国家平定で、米英両国の石油利権が全て剥奪されたイラン国からの石油利権再奪取の目論見は、当該両国を如何なる謀略や策略を用いても米英両国の支配の下に置くとの、当該戦略として再構築された形となって顕われるのでもある。表向きにはイランを支援し、裏に回ればイラクを支援するなどは彼等の常套手段でさえあり、双方に拠る紛争や抗争或いは戦争への発展へと繋がれば、経済の両輪としての位置付けさえ可能とした軍需産業が活発化するのは必然で、表からも裏からも為す武器弾薬の大量輸出は、米英両国の軍需産業にとっては望む所ではある。また、米英両国の手に拠って、当該抗争に一旦終止符を打たせる事も重要な戦略過程である事は云う迄もなく、石油エネルギー支配目的達成への道には欠かせない、それは米英両国にとっての一つの過程でもあるのだろう。

 イスラエルパレスチナ戦争を見れば一目瞭然なのだが、国際社会に対してパレスチナをテロル国家と位置づけしたいのが米英両国である事は事実で、政治的PRもその様に現状では進められ、世界各地に情報として流布喧伝されてもいる。イスラエル国シャロン政権が誕生し、彼の始めた戦争の惹き出し、勿論シャロン政権誕生以前からパレスチナイスラエル双方に拠る国土を巡っての争いはあったが、シャロン政権が誕生してからの対パレスチナに対する挑発行動は凄まじいものがあり、現在に見られる流れは、シャロン政権誕生と同時に生まれたものと見て間違いない。

 何を目的とした挑発行動、つまり、それ迄にもイスラエル側も暗黙裡に諒解していたパレスチナの聖地に対する、シャロン氏自らの足の踏み入れに拠る挑発、その目的とするものが何であったかはシャロン氏自身が一番良く知っているのだろうが、米英両国との共同合作に成る、中東全域に対する米英両国軍の覇権の完成を期しての策術である事は間違いのない理解ではあるのだろう。

 米英両国にとってのイスラエル国の存在は、産油国を多く抱える中東アラブ地区に於ける所司代の任務としての役割を持たせ、且つ中東産油国に顕われるであろう米英両国にとっての不穏な動きを未然に摘み取る役割をさえ担わせる事にあるのは云う迄もない。イスラエル国が存在せず、或いは存在していたにせよ、イスラエル国が仮にエジプトやシリアの如くに有色人種国家群の一つでもあれば、中東産油国に現在持つ米英両国の軍事的支配力はこれ程の強化は見られず、異なった形の政治的戦略地域として、国際間の草刈場、若しくは秩序正しきアラブの地として成立さえ見ていたのかも知れない。米英両国にとって、それ程に重要な意味を持つのが中東地区に於ける軍事拠点としてのイスラエル国である事が理解されるであろう。

 民需若しくは軍需産業にとって、欠かせないのが石油エネルギーである事は云う迄もなく、十九世紀には既にアラビア半島に於いて石油埋蔵の確認が為されていた事から推察すれば、また、当該石油埋蔵の調査や試掘が英国や米国の手に拠って為されていた事実を以ってすれば、アラブの地を如何に押さえるかは米英両国にとっての覇権の完成と無関係ではなく、第二次大戦後に、戦勝国それも戦勝国のリーダーとして名を上げた米英両国にとって、自陣営の地としてのイスラエル国家の承認を、国際社会に認めさせ成立させる事は必然でもあったろう。策を弄してでもイスラエル国を建国させる必要が米英両国にはあったのである。勿論、英国及び米国と云う単独の形でそれ迄に推し進められていた石油利権の拡大は、両国の、主に英国の妥協を以って手が組まれ、それは第二次大戦時に於ける英国の米国に対する負い目に拠って米国主導へと変遷を見て行くのだが、それ以降の米英両国の一致協力した中東産油国に於ける軍事的覇権の完成は、イスラエル国家の建設をも可能とした事は云う迄もあるまい。

 イスラエル国家を建設し、中東産油国所司代としての役割を、当該イスラエル国に担わせるには、位置的には十分のものではあったが、彼等にとっての重荷に、パレスチナ民族が此処迄顕著な形で現出して来ようとは、大きな意味での予想外の出来事ではあったのだろう。銃を持って蹴散らせばパレスチナ民族は、現在のヨルダンやシリアに流れ、或いはアラビア半島を含む中東各地へと、自然に流れて行くとの読みが、米英両国並びにイスラエル国にはあったのではないか。だが、国際社会には未登録ではあったにせよ、既に国家として成立していたパレスチナの地に生まれ育ったパレスチナ民族にとっては、石油は出ずとも、生活する上に於いては肥沃な国土さえ有する地でもあれば、国土から追われる事を決して許さずとするのは至極当然の事で、イスラエル国及びイスラエル国を建設した米英両国に反旗を翻す事は自然の成り行きともなる。

 銃を持って追っ払えば済むとの米英両国の目論みは、アラブ諸国の理性を覚醒し、対イスラエル国批判へと繋がり、第四次迄に至る中東戦争を惹き起こす結果となる。第一次中東戦争から第四次中東戦争に至る結果は、武器弾薬或いは軍事戦略に勝るイスラエル国の一方的な勝利に終わるのだが、また、歴史的事実はまさしくその通りなのだが、実態は、米英両国の代理をつとめたイスラエル側の勝利であった事だけは確かだ。武器弾薬を以って、イスラエルの存在を中東産油国に認めさせた事には成功したが、それ迄は横の繋がりさえ希薄で且つ内向きでもあったアラブ民族を覚醒させて仕舞った事も、現在に至る見逃せない現象ではある。

 パレスチナ民族を隷属化に置き且つ意の侭に蹴散らす事は、イスラエル国と云うよりも米英両国のアラブ地域支配化戦略にとって、重要な障害要因の排除でもある事が明らかになったとの理解は、更なるパレスチナ民族の徹底的排除と去勢化の為の施策を講ずる事ともなる。その施策の開始が、シャロン政権誕生を契機にしてのパレスチナ民族に対する「挑発行動」である事は云う迄もない。

 パレスチナ民族の聖地でもある東エルサレムに閣僚とともに足を大きく踏み入れたシャロン首相、云うならば、それは靖国神社境内でユダヤ教儀式が執り行われるが如きものとさして意味は変わらず、決して心穏やかに済ませるものではなく反発さえ買うのは至極当然の反発で、それはパレスチナ民族に対する作為的侮辱と挑発以外のなにものでもなかった事は明らかでもある。用意周到な準備と計画に基づく、当該シャロン氏の挑発に乗らざるを得なかったのが、パレスチナ民族の現在に至る悲劇の第二幕の始まりでもあったのだろう。理性在る条理を求める国際社会から見れば、パレスチナ側にはもう少しの我慢も欲しかったとの歪んだ見方もないではない。だが、当該挑発には乗らずとも、隷属を嫌い、国家主権及び国土の部分存続を主張するパレスチナ民族の存在がある以上、米英両国及びイスラエル国から与えられる様々な排除の仕掛けと挑発が不可避でもあれば、パレスチナ民族が決意した不条理との戦いが決して無謀とは云えない事をも、国際社会は理解しなければなるまい。他人事ではないのだ。

 米英両国にとってのパレスチナ問題は、目の前に立ち塞がる、次々に現われる「蜘蛛の巣」の様なもので、アラブ産油国の平定並びに、米英両国から離反したイラク、イラン両国の再植民地化政策にとっては目障りなものでもあれば、取り除かなければならない問題ではあるのだろう。戦後一貫して続く米英両国の中東戦略、その基本ともなる骨格がイスラエル国の、米英両国にとっての防人若しくは所司代の役割確立にもあるのだが、唯一、米英両国にとっての過ちが、武器弾薬を以ってすれば何でも解決出来るとの、数世紀にも亘って培われた不条理理念にはあるのだろう。>とある。