日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆鳩山由紀夫よ、今一度主体的に動くべし

 条理顕現のランドマークと言っても過言ではない鳩山由紀夫/小澤一郎両氏が実体的に創り上げし民主党の母屋を、シロアリや噛付きガメの如き不埒なる活動で、民主党の芯柱を、或いは、闘うべき民主党の人材を侵食し、在ろう事か、斯かる条理のランドマークまで取り壊そうとしている菅直人政権、特に、鳩山/小澤と云う目の上の瘤を取り払った事で勢い付き、菅直人を自在に操る仙石由人の動きは極めて悪辣至極で、外部から押し寄せるテロル勢力とともに駆除されて然るべきもの、彼等に因る有害なる存在としての行動や言動が益々にして目立ち始めてもいる事は、実に問題多き民主党の現状に在る事を知らしめてもいるのである。

 在ってもならない冤罪事件への引き込みと、政治的テロルの攻撃を、波状的に、且つ、間断なく、斯かるランドマーク目掛けて攻撃し続けている、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔を中核とする不条理勢力を追い払うべく、国家条理に基づく法を圧して、当該不条理勢力と粛々と対峙し続けているのが、民主党創建の両巨頭ともされる一方の雄小澤一郎氏、司法権の獄門投獄執行者の象徴とでも云うべき検察庁が下した、二事案/四度にも及ぶ、所謂、当該小澤一郎氏に対する「白/無実」の裁断をさえ悉くに覆したのが誰在ろう、投獄施設の新装開店成ったあの「検察審査会」に参集されし傀儡子たちだが、如何に検察庁の権限をも上回る強制的起訴権と、裁判敷設権が彼等に付与されているとは言っても、「訴因」を違えての起訴権迄は認められていないのが現行の法律、即ち、刑事訴訟法では明確に、訴因外訴因を以っての起訴は否定されてもいる処である。

 基より、当然の事であると言って終えば其れ迄だが、道々の民にとっては理解不能なるもの、即ち、訴えの原因ともなった「A」と云う訴因を、検察庁に因る調査等の判断では二度にも亘って「白/無実」にあるとの裁断を下されたのだが、「検察審査会」は、逆に、二度にも亘って当該検察庁裁断を否定、不当にも、白の受け入れを拒否すらしたのである。其の二度目の拒否事由に上げたのが、即ち、起訴相当とする事由に掲げた内容の主旨が、「A」と云う、争われていた訴因を以ってしての起訴相当の判断などではなく、係争点ともなるべき訴因には全く挙げられていなかった、「Z」と云う新たな訴因を以って、検察審査会に選ばれし当該若者の十一名は誤認乃至錯覚、「起訴相当」の違法決議を平然として下したのである。斯かる独善的とでも称すべき、或いは、刑訴法解釈を勝手に捻じ曲げて取り扱う、所謂、「検察審査会」並びに裏検察庁の狂気的判断とでも云うべき、魔女狩り的不条理の法利用と過ちの執行を、小澤氏側の弁護団が見逃す筈もなく、実体的にも、斯かる係争事案に関して無実に在る事は明らかではあっても、法条理を踏み外した当該検察審査会が執り行った判断そのものの無効と取り消しを求め、現行の刑訴法では対処し切れないとして、即ち、検察審査会の下した過ちの判断に対する、「不服申し立て」の法律そのものが準備されていない現状では、検察審査会そのものが欠陥であるとして、行政訴訟法を以って処置判断すべきものとして国を相手取っての訴訟を起こしたのである。

 小澤氏側に拠る、其れは当然と言えば当然の為さねばならぬ社会正義の顕現なので在って、国家名を冠した不正義を白昼堂々に遣って退けた「検察審査会」に対する、或いは、三権分立の尊重を掲げて不条理を見過ごしにする菅直人政権に対する、其れは条理在る糾しそのもの、基より、揚げ足を取るべくに為す公判回避の作為等で在る由もない事は云う迄もない。斯かる、誣告や冤罪等に誘う作為を、公に放置しては赦し、在ろう事か、法律を恣意的に解釈する権利をすら、或いは、起訴権、乃至、公判請求権をすら、掌握する当該司法機関に与えて終えば、如何なる無実の人々とは謂えども投獄と処罰の対象から外される事はなく、非権力者は須らくが奴隷の対象、或いは、被迫害者、差別者の対象として取り扱われるだけ、そら恐ろしい社会をすら惹起させ兼ねないからである。

 「白/無実」を懸命に訴え続ける小澤一郎氏陣営に対して、菅直人と仙石由人の両名が国会答弁や定例記者会見の席上で何を言ったかは聞いていて驚き呆れるのみ、呆れると云うよりも寧ろ、悪意有る不条理行為の是認、若しくは、不作為に因る看過として理解し得るだけである。仙石由人などは、恐らく、自らが法律の専門家である事を嵩に掛けたのであろう、行政訴訟を以って検察審査会の行為を不当であると訴えた小澤氏側の逆訴訟に対し、悪足掻きで在るかの如くに断定、自己流のコメントを報道陣に聞かせる様は極めて悪辣、人権守護を任ずる弁護士の風上にも置けない不埒な族、其の一人でしかない。
 
 菅直人や仙石由人と云った此の族は、いったい何者なのであろうか?。

 民主党に所属している党員と云う事だけで、疑惑の目は終ぞ彼等両名には向ける事もなかったが、斯かる民主党のランドマークとでも称すべき鳩山由紀夫と小澤一郎両氏に対する、所謂、旧権力者側に因る、不条理且つ執拗なる訴訟権の乱用活動に関して、自らの帰属する党のランドマークを護ろうとするどころか、壊して当然とする不作為に、菅直人と仙石由人は興じているばかりか、在ろう事か、条理の回復を主張する小澤一郎氏陣営に対して、悪足掻きであるかの如くに決め付けて公言する様はどう考えても不自然なる行為、納得出来る訳など有る由もないのである。云うならば、菅直人や仙石由人、或いは、前原や岡田、長島等の邪まな族は、現行ロシアの政治経済に未だに深く根を下ろしているシオニストユダヤ系に似た異端の族、或いは、米英を中心に欧州の政治経済を、はたまた、軍事を動かし、あまつさえ、中国を実体的に動かしてもいる、シオニストユダヤ系大財閥資本家群に似通いし連中、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔が泣いて喜ぶ連中でしかない、と云う存在にもなる族ではあるのだろう。

 菅直人/仙石由人と云う、所謂、社会正義の顕現一つ出来ぬ政権体制下に在る現状の民主党を、此の侭に支持し続けるのも地獄、また、民主党に匙を投げて自民党に乗り換えるのは、更に地獄の選択肢でしか無い以上、昨夏に於いて民主党政権政党に選んだ道々の民としては、此処は一方の雄、小澤一郎氏に期待せざるを得ないのも当然の成り行き、建てて新しい民主党のランドマークを護り、道々の為の条理在る航海に支障を来たさぬ為にも、此処は一つ、道半ばにして退陣を強いられた一方の雄鳩山由紀夫氏のサポートで、より一層の、菅直人/仙石由人体制の壊滅と排除に向けた行動と尽力を頼みたいところ、其れ以外にはもはや術無しは火を見るより明らか、既に、政治家としての底浅き馬脚を現して終った蓮舫等を筆頭とした、此の十月末に予定されし事業仕分け作業の三段目を俟つ余裕など無し、よしんば、行財政改革の原点とでも云うべき事業仕分け作業を遣っても成果が上がらぬであろう事は、現状に於ける菅直人政権に因る第三帝国官僚政府との主従関係への転換、即ち、取り込まれし隷属関係の哀れなる実態を見れば明らかで不能、旧政権でもある自民党以上に、国民を結果として苦しめるであろう事は論を俟たないからである。

 今更言っても詮無きことだが、鳩山由紀夫は政権放棄など選択せずに、”日本丸”船長の役割を正々堂々と執行し継続すべきが王道を歩む者としての選択肢ではあったろう。勿論、鳩山/小澤体制の下で参院選を向かえるべきでもあったのである。然しながら、鳩山氏は、其れを潔しとせずに総理職を辞し、其の結果が現状に見られる、箸にも棒にも掛からない連中に因る酷い政権運営を許す事にも繋がったのである。即ち、往々にして、脅しや褒めそやしに屈し易い小市民権力者群の登場を許すことにもなったのである。斯かる意味で、鳩山由紀夫の判断は誤っていたと云う事にはなる。

 旧権力者側、即ち、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔が率いる、第三帝国官僚政府や自民党、或いは、彼等の支配下に在るマスメディア等との戦いに入ったことを、大勝した昨夏の衆院選挙結果をして明確に認識すべきであったにも拘わらず、唯一認識し得ていたのは、其れは選挙戦を指揮していた小澤一郎氏一人だけでもあったが、「金と政治」の問題で、実体的には、小澤一郎氏に纏わる当該問題とは比較にならない程に重大なる、所謂、脱税問題として其の後に指摘された鳩山家一族、延滞税を含む贈与税として大枚の税金を納めたことで、検察庁にも、或いは、検察審査会にも、起訴に適う証拠無しとして無実の白とされた鳩山由紀夫氏が、其の時点で僅かながらに認識し得た可能性だけが残ってもいれば、自らが総理を務める其の侭の体制で今夏の参議院選に臨んでも良かったもの、よしんば、菅直人体制で負けたのと同様の大惨敗の結果に帰しても、菅直人/仙石由人体制に見られるが如き現状の、社会正義の顕現を押し潰す不条理為政に舞い戻る後退現象だけは、少なくとも、鳩山/小澤体制の存続で、しっかりと食い止められていた可能性は否定し得ないのである。

 菅直人/仙石由人の、所謂、現政権が、旧権力体制以下の拙劣なる政治行政に舞い戻った観有りの証左は、社会正義の顕現一つ出来ぬ小市民的政治行政とでも云うべき成り行き任せの丸投げ手法に加えて、民主党と云うランドマークの支えをも担った筈の厚労大臣の長妻昭や、総務大臣原口一博を、事も無げに大臣の椅子から引き摺り下ろし、其れも、長妻昭に至っては、菅直人政権に対して、鳩山政権時以上に忠誠を誓うとの宣言を、メディアの映像を借りて表明したにも拘わらず、厚労省官僚見立ての侭に邪魔として切り捨てた、其の拙速で条理無き裏事情からも窺い知れるところである。基より、菅直人/仙石由人一組の、其れは不条理の決断と証明に非ずは云う迄もなく、菅/仙石両名を懐柔して焚き付けた、件の、第三帝国官僚政府の入れ知恵が、苦々しくも介在した結果であろう事もまた、其処からも容易に見て取れるのである。

 菅直人/仙石由人とは、いったい何者なの?であるかの結論は、旧政権の最期を担った、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔、その政治的前衛に位置する麻生太郎の足許に、小市民の首を並べて土下座、屈服し、宗主替えすべく赦しを乞うた、気弱な族であるとの結論にも至るのである。勿論、良質性を求め続ける日本民族には非ずと云う事にもなるが、元々が、日本列島は人類移動の終着地点にもあった以上、彼等もまた、自らの体内に流れる「百済」の血が、微妙にも騒いだ結果の不条理の選択、と云えない事もない。