日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆中国での反日デモ、八年前と今の比較

 漢民族率いる中国では、学生を中心とした、所謂、反日デモを扇動するパソコンメディア世代が活躍、各地でのデモ勃発となって現われているが、勿論、デモの実態(目的や規模)こそ断片的にしか分からず、学生を利用した官製デモとして仕組まれたのか、或いはまた、自然発生的に学生の中から湧き起こったデモなのかは分からぬが、解かっている事はと云えば、我が日本国が固有の領土としている”魚釣島”をして、其れは、古から”釣魚島”と云う名の中国固有の島だから還せとの目的とするもので、還さないのであれば力付くでも奪い取り、無用の日本人は皆殺しにして葬り去れと云う、ヒステリックなる言葉で埋め尽くされたシュプレヒコールと、日本の領事館や日本人学校目掛け、或いは、日本を象徴する商業施設等に対する投石事件が其処彼処で惹き起こされたとの、所謂、マスメディア情報を超えることもないのだが、真に斯かる目的(領土)を掲げたデモンストレーションの扇動に因る糾合であったのかは定かではない。

 またぞろ出て来た反日デモと焼き討ち事件だが、今般の問題は、日本の固有の領土とされる日本語名「魚釣島」、中国が同様に自らの領土で在ると叫ぶ「釣魚島」と云う、極めて似通った島名にも在る島自体の領有権を巡る中国各地でのデモの勃発、此の先どう転ぶかは両国の為政者次第だが、此れは紛う事なく領土問題、核兵器保有漢民族中国を相手とした、所謂、事と次第によっては日本国家安全保障の維持継続に抵触し、支障を来たし兼ねない忌々しき問題では有るのだ。

 但し、斯かる漢民族中国で発生している反日デモの領域分布を一瞥すると、其れは、幸にとでも云うべきか、不幸にもと云うべきかは措くとして、重慶成都、或いは、武漢と云った、所謂、北京市以南に位置する、総じて漢民族と呼ばれし数多の民族が数多く住まう、其処は内陸部の各地で多発しているもので、北京市の北東、約八十キロぐらいに位置する歴史的遺産、”万里長城”の北部外域に存在する、即ち、昔に於いては、「穢(ワイ)」であるとか「夷(イ)」であるとか、「狛(ハク)」であるとか、「鮮卑」であるとかの名称を以って冠せられた、現満州民族朝鮮民族、或いは、モンゴル民族や我ら日本民族等々の祖先に繋がるであろう民族が、未だに住みし地域、即ち、遼寧省吉林省、更には黒龍江省へと北上する旧満州国を包摂する地域では、幸にとでも云うべきか、現時点では勃発していない事が日本民族にとっての一縷の救いともなるのだろう。

 有史以来好戦を貫く漢民族、一旦は万里の長城を築いて外敵の侵攻を防ぐ目的とし、城塞以南に止まるかとも見られたが血の騒ぎだけは如何ともし難く止められず、其の後に於いて再び北上し(勿論、同時進行で南下、或いは、東西侵攻もし続け)覇権をし続ける事になるのが此の漢民族、現代に見られる斯かる世界遺産となった万里長城を造り上げた切っ掛けが、外敵からの侵入を防ぐ為に築城したとは抱腹絶倒のものだが、基より、外敵としたその相手とは、モンゴル民族や韃靼民族であり、或いは、遼東半島の大連を基点として始まり、北東へと波状的に占有割拠していた、所謂、広大なる楽浪郡や帯方群等に住まいし朝鮮民族満州民族、乃至は、此れも大連の沿岸部を起点とし韓半島領域に迄勢力圏を造り上げた倭民族等々を指して外敵としたのであり、彼等をして蹴散らすべき存在、若しくは、将来的には従属させるべき存在としたのである。即ち、今でこそ中国と云う国家名を冠した一つ屋根の下に暮らす、彼等後世の諸民族ではあるが、殊ほど左様に、顔立ちこそ似てはいても、万里長城を境にして南北を隔てる中国は、未だに血を異にすると云う現われが、斯かる、反日デモの発生に於いても窺われるのである。

 八年前の万里の長城外で発生した反日デモ、即ち、遼寧省瀋陽で起きた、脱北者を巡る中国官憲に因る日本領事館侵犯問題を振り返ってみよう。勿論、現下に於いて発生している反日デモとは切っ掛けこそ異なるが、また、未だに決着こそ付いていないが、振り返ってみれば此のデモこそが中国政府が直接介入した、日本に対する官製デモの奔りではあったろう。日本政府の姑息なる対応も同時に見て取れるものである。

 侃諤、二千二年五月十七日、<545>条を覗いてみよう。

 中国遼寧省における日本総領事館敷地内への中国官憲に拠る侵犯問題が、あらぬ方向に動いている事は実に遺憾であり、日本国民として耐え難い屈辱でもある。当該侵犯の原因と結果、或いは状況と云った場面は勿論在るが、中国人官憲(武装警官)の初期行動に伴う日本総領事敷地内への侵犯事実は、映像を見る限りにおいては明らかであり、それに伴う主権侵犯行為を日本側の責任と片付ける江沢民政権は、厚顔無礼な鉄面皮そのものであろう。

 当該上段に構えての中国政府の非道発言を許す原因を作ったのは、一にも二にも小泉政権下にもある外務省の対応と調査報告内容、並びに、小手先で事態を収拾させようとした小泉政権そのものに在ると云わざるを得ない。複数の中国側官憲が領地内に入り、目的不明で入った子供を含む五名を、力づくで連れ戻そうとした事は事実で、その連れ戻し行為が安全を期してのものかどうかではなく、中国側官憲が確かに侵犯したと云う事実をこそ先ずは問題にしなければ、国家交渉等始まる由もない。

 侵犯事実の直後に為された、領事館員と中国側公安とのやり取り問題に全ての焦点を当て、日本に対する中国側の侮辱発言を引き出す等容認出来る問題ではない。国交断絶にも匹敵する大問題ではある。

 日本領事館員並びに責任者が、門内における立った侭の姿で、あろう事か、中国側官憲が揉み合っていた時に飛んだであろう官憲の帽子を拾い上げて手渡す直前迄の映像の様子を見れば、中国側に拠る侵犯された或いは侵犯が継続されてもいるとの認識は全くなかった事を証明している様なものである。また、それは事実でもあろう。国家意識の極めて希薄な、日本政府を一とする行政関係者でもあれば、2、3メートル侵犯された程度でガタガタ騒ぐな、とでも云いたい所ではあろう。それに、不法侵入者は北朝鮮からの亡命希望者ではないか、とでも胸を張って云いたいのであろう。だが、馬鹿を云って貰っては困る。1ミクロンとは云え、国家侵犯と主権侵害の事実が明らかでもあれば、毅然とした態度と政治的対応を以って厳格姿勢で臨むのが日本政府として執るべき当然の仕儀で、如何にアメリカ合衆国自治管理の認識下にある日本政府とは云え、一日本国民として納得出来るものではない。領事館員及び彼等に指示した日本側責任者の行動内容をつぶさに調査したであろう中国政府、侵犯の事実ではなく、侵犯事実以降の日本政府の対応に全焦点を絞った観のある中国政府、それだけを取ってみれば明らかに日本には不利な事実は揃ってもいるのだろう。だが、問題は侵犯の事実が在ったのかなかったのかであり、その後の対応等は二次的な責任を含む問題でしかない事に気付かなければなるまい。

 意識的にか否かは知る由もないが、日本政府が主権侵害を受けた事実そのものを見逃し、敢えて、侵犯後の事実関係問題にのみ中国政府と歩調を合わせ、且つ、問題点をうやむやにした侭、逮捕された脱北者五人の中国側処置に日本国民の目を逸らそうとする小泉政権、あろう事か中国側スポークスマンを通じて、馬鹿だ阿保だと江沢民政権に云われるが如き言葉を吐かれるに及んでは、政治的責任を取る前に国交断絶でもした方が未だ精神的には救いがある。

 中国側HPには、アメリカの犬でもある日本人は皆殺しにせよとか、江沢民は弱きになるなであるとか、日本を乗っ取れ等の云いたい放題は、知恵なき漢人の為せる業とみれば我慢も出来るが、日本国民を代表する政府迄が「オレはバカなのか? それともアホウなのか?」と自問自答されても困るのだ。

 前にも云った通り、これは日本政府が独自で考え処置し対応しなければならない問題だが、案の定と云おうか、米国に意見を求める等の行為があったとは到底信じ難い事である。八百長八百長と、繰り返し繰り返し形容し続けて来た当欄ではあるが、意識の裏には政権を担う現政府にも日本人としての誇りと、僅かではあっても、自決権の存在ぐらいは期待していた事も事実だ。だが、その淡い一国民の期待も、知恵なき、勇気なき、自立心なき、八百長為政者群には、最後迄通じる事はなかった様だ。残念無念と云うよりも、日本人としての自尊心さえ失い兼ねない現状ではある。哀れなるかな「大和魂」、哀れなるかな国家亡き「経済大国」!!!

 気を取り戻して云おう。脱北者五人のその後の安否問題は日本国民の世論に任せ、日本政府の今為すべき事は、横柄な江沢民政権に対する「侵犯事実の認定」をさせ、「謝罪要求」の明示を前提とする事が、日本側が要求しなければならない理性在る話し合いの絶対条件で、中国人官憲侵犯後の日本側不手際問題に付いては、当該原則と切り離して政治解決するが宜しかろう。その時点においては、小泉政権の頼みとする米英不条理政権の指令を待とうが指示に従おうが、国民の条理在る力が及ばない現状では止め様もなく、また、日本国家を国民の手に戻すには時間を待つ以外に打つ手もない。

 八百長政治を60年にも亘って永々と続けているが故に、日本は様々な場面に対処し切れず、あまつさえ国民を根無し草の浮き草稼業へと追い遣って仕舞うのであって、子々孫々を減少させ、国家観なきテリトリー共同体に人々を住まわせるだけの意識下に置いても仕舞うのである。国家権力者を標榜する為政者自らが、悲鳴を上げて悩み苦しみ放置された侭の「日本国家」及び「日本国民」の在るべき姿等考えた事もあるまい。自由資本主義を字義通りにしか解釈出来ず、国家理念や哲学は棚上げにした侭、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の率いる米英両国不条理政権のシナリオ通りに与して踊り、一歯車として日本民族の知恵と労働力、及びその対価として得た報酬の蓄積さえ捧げる行政権力者群、何をか況やではある。騙す方も騙す方、騙される方も騙される方、何れも良しとはしないが、気付く時は少なからずやって来る。

 米国共和党政権の想定する最終的なアジアのパートナーが「日本」であるとする、独り善がりの為政者が日本の政界のみならず官財及び学にも蔓延っているが、それが幻想でもある事を知るのに左程の時間は要しまい。ニクソン外交を見ても解かる様に、アジアの盟主が米英にとっては中国でしかない事を既に理解していなければならない筈だ。台湾向けに中古の艦船や軍事物資、或いは武器、弾薬の大量売却等は、あの「悪の枢軸国」として名指しで挙げた国家にさえ、裏取引きを通じて商売を為すシオニストユダヤ系大財閥資本家群の常套手段でもあれば、反論にさえならず、自由資本主義を掲げる彼らの商売の本質を無視して不条理を理解する事など適うものではない。

 米英、中国、その下に組み込まれる懸念のある日本を、一目散に隷属国家へと追い詰める八百長為政者群、既に気付いてもいる為政者や高級官僚はのうのうと禄を食み、国民を国民とも思わず、米英の指図あるが侭に次から次へと「悪法」を、さも国民の為とのまやかしで立ち上げ立法化する何ぞは、実に耐え難き事で且つ忍び難き事でもある。

 国際社会を例に取る迄もなく、欧州における右翼政党の台頭理由が、一つには経済的社会不安の原因を他民族の移民に拠るものとして結論付ける論評も目立つが、その陰には米英が唱えるグローバリゼーションの浸透に拠る、欧州国内企業のユダヤ系大財閥資本家群の直接、或いは間接的な手に成る吸収、並びにそれに伴う合理化名目での労働機会の、有無を云わせぬ取り上げがある事を忘れてはならない。移民に対する風当たりの強さは、問題の本質から目を逸らせる為の政治的PRでもあり、移民でもある彼らはスケープゴートにされた事実を忘れてはならない。

 以前にも取上げたが、日産自動車の建て直しが、ルノー社派遣のゴーン氏だから出来た立て直しではなく、ゴーン氏が実施した「首切りと合理化」、所謂コストの大巾削減が、その主な理由であった事を思い出すべきであろう。社員、従業員の首切りは元より、仕入先企業に対するコスト無視の押し付け、申し出を呑めなければ取り引き停止をするとの脅しは、相乗作用として下請け企業の人員削減にも連なっていった事を忘れてはならない。何れ欧州においても気付く筈だが、政治経済ゲームの向かうベクトルが、米英両国を拠点にしたシオニストユダヤ系大財閥資本家群の不条理政策に委ねられつつある事を理解して置く事が肝要な、将来の為の歴史認識ではある。

 現状の日本国家が八百長為政者の手に成る国家とは云え、意在る為政者は皆無ではあるまい。少数派でもある彼らの為すべき事は、総合的に問題を捉え解決手法を求めるのではなく、国家理念や哲学を形成、現下に在る一つ一つの問題を列挙しながら、八百長為政者と丁々発止を以って渡り合うべきである。理性在る条理に裏打ちされた理念を基に行動規範を求めていけば、如何なる問題も正論から始まり、結果は多数に流されても、当該正論が死滅する事はない。勿論、正論とは云え、独善に基づく詭弁的正論が残る事はなく、歴史が、何れ正当に判断する事である。不条理塗れの日本史を作るのも、条理在る歴史を形成して後世に引き渡すのも、偏に、時の為政者の行動次第である事は云う迄もあるまい。

 経済が更に疲弊する事を懸念し、国交回復三十周年に差し障りがある事を懸念し、若しくは不条理なる軍事攻撃を懸念する事で、中国江沢民政権の不条理なる行動と発言を、日本国家が許容するなど有り得ない事である。漢民族の様に、日本民族を皆殺しにせよであるとか、奴隷化して仕舞え等の、非人道的暴言を日本民族が吐く事は先ず有りえない。彼等漢民族中国にも有能で且つ物分りの良い人々は沢山いる。だが、江沢民政権の、時としての暴言や暴挙の吐き出しには、日本国家の威信を掛け、国家としての正義の顕現を以って、国交断絶を掲げてでも条理だけは貫き通すべきである。勿論、それ以前に、米国からの自主独立を立ち上げる事の方こそが重要で、先決問題でもある筈だ。日本民族の外交条理、即ち、全方位外交が、条理に基づく国家理念なくして成立する由もない。」とある。

 (閑話休題
 民主党衆院議員の辞職に伴う、菅直人政権下で為された北海道での国政選挙、ご推察の通り、斃れた筈の自民党員の眠る棺桶から再び亡霊が目を覚まし、町村なる者にとり憑いて国会に送り出されると云う事にもなるのだが、民主党員は当該選挙区民を詰ってはならずは当然、況してや、小澤一郎氏に降り懸かる「誣告、冤罪事件」を以って、其れを敗残に至る理由としてもならない事は云う迄もない。だが、選対委員長を務めている「渡辺 周」なる愚か者が、記者団に其の敗因を問われ、「(金と政治に纏わる)小澤一郎氏」にこそ惨敗の責任が在ると言い放ったことぐらい見苦しい弁明は無かりしもの、聞くに堪えない、見るにも耐えぬ、其れは醜悪さではある。