日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆鳩山氏の復帰宣言は当然で、必然でもある。

 道内での衆員補欠選挙町村信孝なる箸にも棒にも掛からない斃れし自民党の一古参議員が、比例区で当選した衆院議員席を自民党次点者に譲るべく放り出し、補欠選挙に臨んで当選したのだが、違法でこそないが、考えずとも分かる様に、此れはまさに国政に対する明確なる冒涜行為、即ち、比例区にせよ選挙区で選ばれたにせよ、既に、間接的ではあったにせよ衆院の国会議員として選任され議席を得ている彼は存在、そうであるにも拘わらず、比例区での当選を幸として議員辞職し、空いた自らの席を自民党の次点者に譲り、自らは(出直しの)補欠選挙に打って出て再度国会に席を設ける何ぞは不遜のもの、選ぶ道民も道民方であれば、選挙を弄び国会を愚弄して舞い戻った町村信孝もまた然り、違法でこそないがおぞましい其れは判断と行為でしかない。既に、国会に議席を得ている者は、議員辞職する場合に於いても、直近に迫る同一選挙、乃至、国政選挙への参加は不可とすべくぐらいのルール設定は、秩序維持の為にも必要である。

 とは言え、菅直人政権率いる民主党は戦前の予想通りに、今夏の参院選に続いて、反権力姿勢が最も強いと云われ、且つ、民主党の牙城とも言われた其の北海道でも惨敗を喫したのである。党首となった菅直人は、今夏の参院選後に閣僚と党務の人事を一新、小澤/鳩山と云うランドマークに馳せ参じた民主党の国会議員二百名を国政の最前線から一掃し、選挙対策委員長の席にさえ、ズブの素人「渡辺 周」(48才.静岡)なる小心者を就けたのだが、如何せん、五回の当選回数を誇る渡辺周とは言え、選挙対策に関しては小市民の域を出ない彼もまた其の一人ですらあれば、選挙民遍くの人心を掴み取り、条理を以って選挙民の心を動かし、選挙戦の動向を優位に導く何ぞの術は一つとして無きもの、精々が、敗戦に伴う弁を他因を以って押し被せ、選挙責任の結果放棄を以って至極当然とする厚顔さしか残さずのもの、此れは、先の幹事長枝野や、現幹事長の岡田も然りで、基より、能力の限界を無視した斯かる厚顔さは、五回にも上る当選の事実と云う錯覚にしか過ぎない自己過信が為さしめし業、指導者としての条理の欠片すら彼にもまた見られなかった事は至極当然の成り行きではあったろう。

 渡辺周なる、自己過信に陥った一小心者が、道内での敗戦の弁を繕うのに用いた弁明に、政治と金の問題で民主党の支持率を下降させた「小澤一郎」に其の因が求められると断定、記者団の前でのうのうと言って退けたのだが、其れこそが実に哀れで潔さが全く見られない言い分とでも云うべきもの、他人の振りを見て己の振りを顧みぬ愚か者の其れは指摘とすら云えるもの、条理を求め続ける人々の人心を全く掴んでいない者の結果分析でしかなく、マスメディアに流され続ける一小市民の、其れこそが責任転嫁であると云っても過言ではない弁明なのである。

 条理無き者、戦略無き者、人心を掌握し得ぬ者、社会正義の何たるかを心得ぬ者が、菅直人を筆頭に徒党を組んで負けた、其れこそが北海道での選挙戦であって、必然的に負けるべくして負けた補欠選挙戦ではあったのである。自民党町村信孝125,636票、民主党候補者94,135票、二人の得票差31,501票、此れは敗者にとっても諦めの付く決定的な差ではあったが、鳩山一郎/小澤一郎率いた民主党の牙城とも言われた北海道に於いてすら此の差が出ていれば押して知るべし、よしんば、即時に衆院選が全国で為されれば、20%どころか、40%以上の差は付くものとの想定は可能、基より、原因は、小澤一郎/鳩山由紀夫両氏に被せられた、所謂、政治と金に纏わる問題に本質が在るのではなく、社会正義顕現の何一つとして為し得ない菅直人と、菅直人/仙石由人が選びし政権閣僚等に因る、成り行き任せの小市民的権威主義政治への傾斜、乃至、溺れる犬に石を持って投げ付けるかの如き醜悪なる政治権力の行使を、此れでもかと謂わんばかりに見せ付けているが故のもの、即ち、使い慣れていない権力を弄ぶしか能の無い彼等小市民から成る権力被れ者達が、不条理為政に舵を切った菅直人政権を構成、弄びにさえ気付いていないからでは在る。

 ”溺れた犬の叩き”の喩えこそ適切ではないが、飽く迄も此れは寓話としての喩え話しの拝借、即ち、日本人に往々にして見受けられる悪しき性の最たるものが何かと云えば、其れは、大勢に流されて自らの条理を完璧に見失い、時として不条理に加担して終うと云う、所謂、背骨無き拙劣さが、行動の中には認められる事ではあるのだろう。此れはまさに、現下の、万里の長城以南の中国で群発している、反日デモへの被扇動者の如き態様と瓜二つの拳の掲げでしかなく、良質性を求めねばならない日本民族にも此れと同様の、メディアに誘導され易い被感化性格が顕著に認められるもの、換言すれば、自主自決から成る条理の道を歩むにはまだまだ程遠く、脇道を未だに歩かされしか術のない、我ら道々の民は後進性に置かれた侭の民族と云う事なのかも知れない。

 先の民主党の党首選挙で、小澤一郎氏に其の票を投じた国会議員二百名にもの申したい事は数多に在るが、中でも特に言いたい事は、旧国家権力者群であった不条理集団、即ち、表舞台での政治集団として国権を取り仕切って来た、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔でもある”麻生太郎”率いる自民党を、まさに、昨夏の国政選挙を以って、権力の座から引き摺り下ろし、紛う事無く蹴落としたと云う事であり、其れは換言すれば、政治集団自民党を操る第三帝国官僚政府に国民がノーを突き付け、退陣を促す為の引導を渡す其の役目を、鳩山/小澤両氏率いる民主党が担い、仕組みこそ違えども千三百有余年にも亘って国家権力を欲しい侭にして来た藤原一族に対して、民主党議員の須らくが「宣戦布告」を為したのと同義である事を再認識すべき事なのである。

 基より、その様な大袈裟な意味にも在るとの認識は、露たりとも認識していないと云うのが、民主党議員過半の偽らざる本心では有ろうが、其れは、菅直人をして党首選に担いだ、ノーテンキなる二百八名と云う小市民議員の、理性在る条理の覚醒を俟てば済むもの、何れ、菅直人の為す諸政策の現状に困惑する時期が遠からずに遣って来れば、彼らも覚醒せざるを得ぬ筈、斯かる現状の不条理状況下に置かれている中で、小澤一郎に条理の一票を投じた斯かる二百名もの議員が、菅直人と同様の、作為された市民感情に流されるのを当然とする政治、即ち、マスメディアの流す情報のままに動かされて良しとする背骨無き為政、云うならば、主導権無き政治は、終には、民主党そのものが国民に託された国家行政の執政をも覆して終うと云う事をこそ確認し、再認識しなければならないのである。

 道々の民が、国家権力を初めて此の手に実体的にも取り戻すか、はたまた、昨夏以前の、所謂、藤原一族の末裔率いる自民党集団に返上するかは、民主党政権の条理在る行動一つに掛かってもいるのだが、今まさに、旧権力者群との間に於いて、真っ只中に繰り広げられている権力戦争下に在って、民主党菅直人政権が為している事が何かと言えば、藤原一族集団、即ち、第三帝国官僚政府との妥協を選択したと看做される事で、云うならば、其れは三年後に於ける民主党菅直人政権に因る、藤原一族への大政奉還をすら意味するもの、如何に、岡田克也が、藤原一族の崇め奉るシオニストユダヤ系大財閥資本家群に脅されて覇気を無くし、また、前原誠司長島昭久等の、所謂、シオニストエージェントを以って外交政治が牛耳られようとも、「天皇家」と道々の民の為の条理在る日本国家再生を求めて、民主党に其の一票を投じた国民の核心だけは、民主党議員二百名は忘れてもならないのである。

 スサノオの如き存在、或いは、二歩下がって、菅原道真の如き存在にもある小澤一郎氏、昨夏に於いて突如政権政党に祭り上げられた民主党が其の侭に政権政党の座に就き、且つ、日本国家国民の為に条理を尽くし、天皇家を中核とする、所謂、藤原一族を除く、遍くの社会正義顕現を為し得る日本民族国家創りを推し進める為には、当該小澤一郎氏を原状復帰させなければ成し得ぬもの、民主党の国会議員二百名は現下の不条理に流される事なく、且つ、黙過し続けることなく、条理の雄叫びを上げ、真っ向からマスメディアに向かって言論対峙すべきが道、誣告、冤罪、でっち上げ事件からの解放こそが国家再生への近道で、且つ、唯一に遺された条理在る選択肢である事を肝に銘ずるべきである。

 此の程度の社会正義の顕現すら為さず、在ろう事か、黙過し続けて趨勢を見守る何ぞは、国政を担う指導者の器には在らざりし態、誰が其の社会正義の先鞭をつけるかは分からぬが、待ちの姿勢に徹する限りは、不条理に舞い戻った菅直人政権に拠る現状打開などは到底無理である。

 もう一つ、鳩山由紀夫氏が「次回選挙からは降りる」との表明を取り消した事は、民意を受け入れた事の表れとして評価されるもの、何故ならば、任期半ばで総理職を辞した結果が、能無しの菅直人/仙石由人を跋扈させる原因をすら作ってもいれば、道々の民が求めた民主党のランドマーク、即ち、小澤一郎氏ともども前線に復帰し、初期目的通りに行財政大改革に打って出るべきが条理であり道、不条理集団との戦争を済し崩しに止めたり、白旗を掲げて降参したり、相手と通じた表向きの戦争を、菅直人/仙石由人等に遣らせてはならないのである。

 小澤一郎/鳩山由紀夫をして民主党のランドマークと認めて一票を投じた我ら道々の民、菅直人/仙石由人をして認めたものではない。