日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆諸行無常

 機嫌を損ねたパソコンの故障により三週間近くのブランクを空けたが、此の僅かな休止期間の中で国際社会の中に現れた情報が何かと云えば、其れは途轍もない激震とでも云うべき北アフリカ諸国に於ける政変劇発生に関わる情報、即ち、チュニジアでの王政転覆を発端とするエジプトでの国家体制の転覆劇と、其れに続く、バーレンやリビアに於ける内乱の誘発や勃発の発生が其れ、インターネットやフェースブック等を介した一般大衆の蜂起に拠る、不満を素にした反政府デモの結集は、二十年、三十年、或いは其れ以上の長期政権を維持し続け、表面的には静謐さと安泰をもたらしていたと思しき当該王国や独裁国家をしていとも簡単に打ち毀し、体制の転覆劇をも誘発、今もなお北アフリカ上部域諸国、若しくは中東アラブ諸国へと其の領域拡大化傾向をすら示しているのである。

 一般大衆に拠る、所謂、現状打破に向けた不満を以ってする声の結集と、政権打倒、若しくは、国体変革へと発展するデモへの参加は、即ち、現状国家体制に対する否定を以ってする憤懣爆発の要因は其々に相違も在るのだが、共通要因を探り当てれば、其処に浮かび上がってくるのは先ず失業そのものの増加が見とれ、富裕層の浮き上がり、即ち、経済的格差拡大の顕在化が其れ、要するに、一般大衆の隅々にまで押し寄せる生活困窮の拡大化が、富裕層が政権を握る現状に対する反政府活動へと発展させる主因として浮かび上がって来るのである。基より、宗教や宗派の異なりによる権力闘争、即ち、政治的ヘゲモニー争いもその一要因として有るのだろうが、今般の北アフリカ諸国に見られる一般大衆の蜂起は、情報入手による個々人の立ち位置の明確なる認識や確認があった事に因るもの、即ち、貧困や苦痛、不平等や不正、或いは、不法等々に対する、<権力者対自身>と云う対立構造として認識、憤懣を顕在化させ表出させる素となっている事は否定出来ない。

 チュニジア国の王政は忽ちにして崩壊し、エジプト国もまた独裁政権が瓦解、今、バーレンやリビア、或いは、オマーン等へと其の体制変革の波が押し寄せているが、うねるべくして起きたそれは一般大衆に拠る変革を求める荒波、権力者が好むと好まざるとに拘わらず、一般大衆との間に社会生活上の溝を拡げ続け、且つ、政治的抑圧体制維持に走る権力者は総じて逃れられずのもの、蓋し、歴史が歩む其れは必然とでも云うべき公理には在るのだろう。政治経済的不条理を媒介して止まない件のアメリカ合衆国が、上記政変劇に直接には携わっていない変革状況にこそ、彼の国々の大衆行動の価値が見い出せるものである。更に云えば、因果応報は何処の国に於いても生きている事の証左ではある。

 −閑話休題

 霧島連山の一峰、新燃岳の噴火爆発を記そうとした途端に壊れて終った我がパソコン、宮崎県民や鹿児島県民にとっては、口蹄疫での災害、或いは、鳥インフルエンザ禍に引き続く、三段目とでも云うべき其れは自然災害、お悔やみの言葉を申し上げようと記していた最中に起きたパソコンの停止状態だったが、今またニュージーランドで発生した地震に因る日本人被災者の発生等々、実に暗鬱なる自然災害が続いているもので、紛うことなく我ら日本民族の上に、其れも、容赦なく振り掛かって来ている事を憂うばかりである。一期のみで宮崎県知事を辞した東国原氏の残した置き土産の仕業か、左もなくば、一小市民の事大主義者になり下がり、在ろうことか、国民の願いをいとも簡単に反故にし、あまつさえ初心を放棄しては愚政に走り、それも露骨に悪政を現わし続ける菅直人政権に対する、其れは「神/鬼」の仕置きかとも言いたくもなるのだが、其れは一面的に過ぎる見方、菅直人の存在を今もなお許し続け良質性をも忘れた我ら道々の民すべてに対する、其れこそが「神/鬼」の怒りとして捉えて然るべきもので、基より、被災や被害に遭われた方々の、或いは、其のご家族の方々のみに降り懸かった災禍の事象として捉えてはならずのもの、我ら道々の民須らくに対する災禍として、其れは畏れ慄くべき鬼の怒りとして捉えるべき事象なのである。NZに於ける地震での被害者が誰一人として出ない事を切に祈るものです。(合掌)

 扨て、内政に目を転ずれば、僅か三週間足らずで起きた出来事に自然に思考が赴く。即ち、其れは、小澤一郎氏に対する無期限の党員資格停止と云う不条理極まる処分が、民主党の母屋を乗っ取りつつある菅直人と仙石由人の、それこそが共同謀議に因って決断された事象があり、また、民主党衆院議員有志十六名に拠る、菅内閣が執り行う現行政権運営批判と新政策集団の立ち上げが在り、原口前総務大臣に拠る此れまた政策集団の立ち上げが成され、更には、現農水政務官松木氏の辞表の突き付けがあった事件に思いを馳せるのである。

 当該事象を称して、産経新聞毎日新聞、或いは、朝日新聞を一とする大手マスメディアは一様に、上記議員に対する酷評を以って報道、小澤一郎氏側に因る其れは菅政権に対する作為的反乱と見て取り、あまつさえ受容せざる政治的行動と腐すだけだが、即ち、当該メディアは、危機状態に陥った日本経済の全体を考えれば政局よりは政策が大事で、此処は与党も野党もともに新年度の予算編成の成就に向かうべきが筋で、政局に走る何ぞは愚の骨頂であると腐すのだが、当該論評こそが危機状態に陥った日本を更なる悪化へと押し遣るもの、麻生太郎政権に勝るとも劣らない酷い執政と予算編成を平然として組み、増税路線を掲げて繰り広げる菅直人不条理政権をして増長させるだけでしか無きもの、日本国家社会再生の条理を以ってする道筋を見誤った、其れは古に辿りし悪徳の勧めの論評でしかない事をこそ知るべきで、忌むべき批判でしかないのである。

 源流民主党政権鳩山由紀夫党首/小澤一郎幹事長)の掲げた、所謂、「行財政の大改革」に基づくマニフェストの実現(旗印)を、菅直人は何時の間にか引き摺り下ろし、在ろう事か、源流民主党政権の基本的礎とした「行財政の大改革」は、菅直人現政権の手で足蹴にされては無残にも破棄され、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔が率いる、所謂、第三帝国官僚政府の足許に跪く行政須らくの丸投げを以って、当時の麻生太郎政権にも見られない酷税の課しへと、一気に推し進む菅直人政権の其の酷さ、或いは、醜さたるや筆舌に尽くし難きもの、此の悪政への敷設転換をこそ我ら道々の民は見逃してはならず、認めてもならないのである。基より、上記マニフェストを掲げて行政府へと乗り込んだ鳩山/小沢両氏率いる源流民主党政権に対して、元々が快からずとの論調を以って情報操作を組み立てていた件の大手マスメディア群、あまつさえ、第三帝国官僚政府が謀略を以って画策した、所謂、鳩山由紀夫氏、並びに、小澤一郎氏への誣告を以ってする貶めに菅直人と仙石由人も加担、まんまと彼等の追い落としに成功するのだが、追い落としに成功したとみるや、今度は菅直人を懐柔し、且つ、菅直人政権を懐柔する傍らで、悪政の敷設を以って臨んだのが、源流民主党そのものの分裂化工作、菅直人に因る止め処無き悪政の施行は、斯くして、源流民主党政権に其の身を託し、政治生命を良質ある行動を以って埋めるとまで誓った彼等良識派十六名の下剋上を生み、松木農水政務次官の次官辞しを誘い、尚且つ、原口前総務大臣の維新の会設立をすら決意させる事になったのである。

 斯かる「反菅直人」を旗幟鮮明にする動きは今漸くにして湧き上がったものではなく、既に、小澤一郎氏と鳩山由紀夫氏に対する、不作為に因る誣告を以ってする貶めへの加担から始まっているもの、即ち、菅直人の不作為を以ってする作為とは、第三帝国官僚政府に因る、所謂、<小澤一郎/鳩山由紀夫>両氏に対する、検察庁特捜部を介して為された「冤罪とでっち上げ事件」の成り行きと模様眺めを決め込む菅直人の、当時の政治姿勢からも其れは明確に見て取れるもの、良質性を追い求める民族の一人であるならば、少なくとも、両氏に対する其れは誣告の貶めである事が明らかになった時点、即ち、遅くとも、検察庁に拠る両氏に対する無実の開示を以って記者会見等を開き、両氏に対する「無実」の事実をこそ道々の民に知らしめて然るべきだからではある。だが、菅直人は口を噤んだ侭、即ち、条理を押し殺した侭、晴れて条理を勝ち得た両氏の当然とする喜びをすら黙殺したのである。不作為の作為とでも称すべき当該菅直人の愚びたる行動を、彼らは決して見逃すことも無かったと云う事である。

 小澤一郎/鳩山由紀夫率いた源流民主党が掲げ、我ら道々の民に示したマニフェスト、所謂、政治活動の指針を示す基本中の基本とでも云うべき総論、即ち、「国家行財政の大改革」の推し進めを党員に諮ることなく封印、各論(子ども手当等の部分実践)を先行させる傍らで実質増税を潜行実現させて来たのが、第三帝国官僚政府の足許にひれ伏した菅直人と其の一派、斯かる菅直人率いる不条理政権に反旗を翻すのは当然の行動、良質性を求める日本民族であるならば為さねばならぬ其れは蜂起でさえある。

 国民新党の下地議員が予算委員会での質問で菅直人を鼓舞し、残る二年有余をしっかりと遣って呉れと激励、其れに応えた菅直人は、一生懸命遣ると応じたが、不条理に勤しむ菅直人に残された時間は僅かでなければならずのもの「神/鬼」も黙っては居らず、社会正義の顕現をへし折って平然とする一小市民の事大主義者菅直人や仙石由人、或いは、岡田克也前原誠司長島昭久等々を赦す筈もないのである。