日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆民主党員に残された選択肢は一つ

 源流民主党が党旗マニフェストとして高々と掲揚、道々の民の目前に翩翻とはためかせておきながら、政権奪取以来、賢策も善策も何一つとして実践し得ず、基より、鳩山政権時に於いては他因的阻害要素に因って、また、純粋無垢なポット出の政権と云う事もあって、已む無き迫られによる退陣の選択ではあったとも思うが、次の政権が兎にも角にも始末悪きもの、唯々国会が捻じれている現実のみを言い訳に、流れに身を任せるしか権能そのものが動かせず、在ろう事か、主二人を離れ屋に追い遣り、政党の母屋を巧妙に乗っ取った菅直人とその一派のドン仙石由人、彼等はどんちゃん騒ぎにのみ明け暮れし、散らかし放題、汚し放題の、狂気三昧無秩序治世に党員を誘導、俗世に在っては、原発事故と云う尋常ならざる災禍を疫病神菅直人の不作為を以って残し、今まさに狂喜乱舞騒ぎに飽きた事で、異臭を放つ汚し放題の母屋から立ち去ろうとする際にもあるのだが、菅直人と云う疫病神が率いた政権と其の取り巻き連中の為した不条理政治の残滓は、極めて重く、且つ、固く残り、もはや社会正義を顕現する政治的使用に耐える状況下には無い、民主党そのものの治世舞台にすらなって終ってもいるのである。

 党そのものの内部、外部ともに大々的リハービィッシュを要する事は言を俟たない。

 また、疫病神菅直人に追随し、為政者としての責務にそぐわない禄すら食んで来た、箸にも棒にも掛からない出来損ないの元/現閣僚たち、今、菅直人が表舞台から立ち去るに際して、在ろう事か、今度は、疫病神に代わり、党首選にまで彼等の何人かは名乗りを上げているのである。其の出来損ないの為政者の中には、野党が議席の多数を占める、所謂、捻じれる参院にまで既に気を配る用意周到ぶりすら見せ、自公両党に実権を委ねるべくの<大連立>すら組みたいとの条件提示まで掲げ、降参政治に胸を張って臨みたいとの白旗すら掲揚する其の浅ましさすら気にも留めずの者もいれば、現職、元職問わず、四方八方から、我もわれもと<大連立>に同調しては党首選に名乗りを上げ、メディアに馳せ参ずる此の馬鹿さ加減自覚無しの族、此処までの無自覚、無責任に基づく幼児性、泡沫ぶりを晒されると呆れてものも言えないが、特に野田佳彦前原誠司に見られる、政治的資質の足りなさと諸能力の少なさ、更には、国家主導者の根源に無ければならない社会正義の顕現力の無さ、即ち、良質性の不存在と不足が示す、期待像との大きな隔たりの見せ付けには、唯々苦笑せざるを得ないだけに終わるのである。バカに付ける妙薬など有る訳も無かろうと人は言うが、事実、党首候補の最右翼とメディアが称する現状の民主党員、即ち、野田佳彦前原誠司の名を見れば、その通りであり、またそう思わざるを得ないのである。

 但し、野田や前原では、資質的にも力量的にも国家主導、国民の誘導など到底無理であるが、だからと云って自公両党に政権を戻すべく衆院を解散し、洗脳下に条理そのものが眠らされた道々の民をして、総選挙を為さしめよと云う暴論も頂けたものではなく、其れこそが、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔が麻生太郎政権を以って敷いた、所謂、小澤一郎党首が率いた源流民主党に対する、司法権を濫用しての追い落とし工作、即ち、今に繋がる民主党崩壊に向けたシナリオをむざむざと呑んで終う事にもなるからである。野田や前原、或いは、岡田克也等に、リーダーとしての資質も能力もまったく無かろうと、源流民主党を潰す事は是が非でも避けなければならず、日本国家社会の良質ある再生再興を唯々不可能にするだけであれば尚更のこと、選択肢は一つしかない様だ。其れは、即ち、あの日本を駄目にした藤原一族の政治的前衛を担っていた麻生太郎が、政権の座に就いていた其の終盤にあって、奥の手を使ってでも貶めなければならないと最も畏怖した、小澤一郎率いる民主党そのものの再台頭なのである。

 然るに麻生太郎政権は、狡猾にも、裏権力を使って立ち回る事にもなるのだが、其の手法が何かと云えば、其れは藤原司法宮を動員してまで貶め工作を為す事であり、遂には、検察庁をも直接に動かし、藤原一族司法宮の伝家の宝刀でもある「冤罪、でっち上げ事件」の企図実践と云う、極めて悪辣なるテロルを仕掛けることを画策、即ち、民主党々首の座からの降板を余儀なくされた小澤一郎を、遂には、作り上げた訳である。左様な現況に鑑みれば、天皇家を隠れ蓑に、実体的には日本国家社会を破滅へと導く藤原一族の末裔が、今も尚畏怖し続け、且つ、表舞台への台頭を危惧する存在となる小澤一郎氏をして、党首/総理の椅子に就き、源流民主党の掲げる、所謂、藤原一族不条理勢力と戦って貰うしか民主党の復活など在り得ず、また、党の復活どころか、日本国家社会の再生再興も覚束ないものとなるのは至極当然なのである。

閑話休題

 国が本来に於いて直接主導すべき、或いは、指揮差配して然るべき事柄は遣りもせずに放置し、他方、地方自治体や個人が主体となって遣るべき事柄に対しては、在ろう事か、国家が口を挟み込んでは彼等の動きを差し止めると云った、まさに、誤解と錯覚を基にする思い付き為政を不断にまき散らし、在ろう事か、自力更生の萌芽すら摘み取って終った其の愚劣さにすらまったく気付かぬ菅直人率いる指示待ちの政権、後から指摘されてすら、其れは確かにあなた方の遣るべき事でしたとも言わず、平然として見送る此の菅直人内閣の馬鹿さ加減、其ればかりか、国内外から寄せられた被災者宛の莫大なる義捐金や見舞金に関わる配布の遅滞を耳にし、恐らくは憂慮して見せた積りなのであろう、菅直人は厚労大臣に命じ、省職員を駆り出して義援金配りのヘルパーとして、日本赤十字社等に派遣するように命じ、当該日本赤十字社等の無数の口座に溜まり続ける、所謂、「賽銭箱」に手を突っ込んで計算すらさせようとしたのである。だが、此処は、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔が、明治期以来、治外法権的に差配を揮う特殊なる巨大組織体、省職員が入り口に向かう前に扉を固く閉ざされた事は云う迄もなく、勿論、その後に於いて、菅直人はごり押しする事もまたなかったのである。寸での処で虎の尾を踏み損ねた菅直人、一小市民の時代主義者にとって、其れは冷や汗をドッと掻く出来事でもあったろう。

 小澤一郎/鳩山由紀夫両氏率いた民主党は、政権奪取に際して、道々の民を裏切る事なく、若しくは、落胆させる事もなく、マニフェスト打ち立ての原点ともなる国家大改革の推進、即ち、行財政の大改革を着実に、且つ、遅々としてでも確実に推し進めて呉れるであろう事を確信、其の過程に於いては、不条理なる組織体となって六十年の検察庁にも、条理在る改革のメスが入れられ、行く行くは、斯かる司法権を排他的に私的乱用し続ける、所謂、あの日本を駄目にした藤原一族末裔の闇の本体、宮内庁奥の院に迄迫り、千四百年にも亘って引き続く、<選良民>と隷属下に措かれた其の他大勢の道々の民との間の、太い鉄格子が取り払われ、天皇家は初めて、我ら道々の民の目前に、御移りになられるものとの期待も籠めていたのだが、未だまだ藤原一族末裔の権力差配力の方が一枚も二枚も上手であったことは、鳩山由紀夫政権に拠る、其の力量を以ってすら賢策も善策も為せず、或いは、仕事そのものをさせて貰う暇すら与えられず、反乱分子(菅直人/仙石由人)に因って、逆に放逐されて終った事実過程を見れば、其れは実に明らかなのである。

 藤原一族末裔の支援と工作を受け、民主党の母屋をまんまと乗っ取った<菅直人と仙石由人>、彼等が実は、元無政府主義者であったとはつい最近知った事なのだが、あの日本を駄目にした藤原一族末裔率いる第三帝国官僚政府にかかれば、一アナーキストも幼児の如きもの、事大主義を採り入れさせるのに難は無く、また、既に、彼等の足許に跪き屈しても居れば、道々の民には斯かる変節等は解かる由すら無きもの、清貧を装いながら、六千万円、或いは、其れ以外のテロ資金の調達と云う、言うならば、大枚を無政府主義団体に積み立て献金していたとの事実も明かされ、且つ、一言の反論すら無き虚像の菅直人、其の実像を見させられれば、菅直人を党首として選んだ党員の無知振りもまた鮮明になろうと云うものである。

 だが、菅直人を党首に選び、その褒美として閣僚に登用され、或いは、政府役職に重用された彼等が、源流民主党政権の掲げた党旗とでも言うべき「政党マニフェスト」を簡単に取り降ろし、在ろう事か、自公両党に摺り寄って大連立を組まなければ、民主党の生き残る術無しとまで断定、党首選には、「党旗」無しのアナーキーを以って参加すると云う、二重三重もの過ちを、野田佳彦、前原政治等は平然と犯そうとしているのである。勿論、犯すのであろう。

 先の党首選では菅直人を強力に推戴し、小澤一郎氏を忌避しては大臣職を刈り取ると云う、其れこそ恥もなく猟官活動を繰り広げた彼等無能の族、斯かる一度だけの過ちであればいざ知らず、其の後も延々と、藤原一族司法宮や御用のマスメディアとともに、民主党自体の首を絞める事にもなる、所謂、小澤一郎氏陣営に被せられた「冤罪、でっち上げ事件」に加担、アナーキスト菅直人とともに、小澤一郎氏の政治的抹殺をすら、野田佳彦前原誠司等は新たに企てたのである。其れが、法廷被告人に在ると云う名目を借りて為す、岡田克也も参画した、所謂、小澤一郎氏に対する党員資格停止処分の合法的押し被せではあったのである。

 馬鹿も此処まで晒せばお笑いの域、民主党支持者ではなくとも民主党の動きに首を傾げるのは当然、最早、小澤一郎氏
以外は、誰が党首になっても民主党の支離滅裂振りは更に進行し続け、国家の行く末に尚一層の不安を生ぜしめ、瓦解に向かわせるだけでしかないと云う、メディア系評論家の食い扶持稼ぎの場になり下がり、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔が差配する、第三帝国官僚政府に貢献するだけと相成るのである。言うならば、野田佳彦前原誠司菅直人に次ぐ愚者の存在、自らの力量一つ弁えぬ憐れなる存在でしかないのである。

 民主党が政権を奪取して早二年を経過しようとしているが、基より、寝ていても時間だけは待ったなしで過ぎ去るもの、鳩山由紀夫源流民主党政権時の九ヶ月間はと云えば、藤原一族司法宮(宮内庁)に因って作為された、所謂、検察庁自民党/NHKを一とするマスメディアの三者一体に成る、小澤一郎氏と民主党潰しの奇策の延長、即ち、誣告されし<政治と金>の問題に明け暮れた、異常なる期間であったと云えよう。行政最高権者として、ビシッとした一手を打つべき鳩山由紀夫氏が、在ろうことか、政治資金規正法に抵触する政治献金問題が露見、其の一手が打てなかった事が唯々悔やまれてならないのである。

 基より、沖縄県の米軍基地県内移転問題に関しては、飽く迄も、鳩山首相が明言した政策通りに、国外、若しくは県外移設と云う、国家条理を貫き通し、米国や米軍との間に強い波風が立ったにせよ、将来的には沖縄県民を一とする日本国民の為にも、また、覇権外交を執り続ける米国社会の条理覚醒に拠る、膨張し続ける軍事予算削減での、軍需経済に頼らない米国経済立て直しの為にも、はたまた、有色人種イスラム系国家群の、静謐に誘う極普通の国家社会の実現、或いは、人間として自由に生活し得る場への舞い戻りの為にも、鳩山由紀夫氏は、未覚醒下に在る国民を叱ってでも、国外、県外移設をこそ推し進めるべきであったのであり、努々斯かる条理在る政策を取り下げてもならず、畢竟、斃れし自民党や、其れを裏で操る不条理集団、即ち、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔とは、冤罪、でっち上げ事件の渦中に措かれた小澤一郎氏の力を直接に借りてでも、戦い続ける事を選択しなければならなかったのである。

 基より、斯かる意志の堅持に拠る表明、即ち、旧権力との対峙表明は、直接的には、今もなお蠢き続ける検察庁の不条理勢力に対する、道々の民の代表たる民主党が、有史以来初めて、藤原一族から政権を奪取した当該行政権を以ってする対決姿勢と其の明示にも繋がれば、未だに見られる検察庁に因る排他的権力の行使、即ち、依らしむべし知らしむべからずを基調とする唯我独尊の刑罰の執行にも、既に歯止めが掛けられてい様と云うもの、検察庁に因る排他的権力の行使から、排他性を取り除く法制の大改革にもメスが入り、特捜部取り扱い事件の全面可視化の法整備どころか、検察庁宮内庁と云う藤原一族司法宮の組織実態の可視化にまで突き進み、新たな日本の夜明けすら迎えていた事だろう。

 小澤一郎氏の政治力に縋る以外に、民主党の生き残りも、また、道々の民の条理覚醒も無き現状では、当然日本社会の再生再興など絵に描いた餅に終わり、況してや、野田佳彦前原誠司等の総理就任何ぞは狂気の沙汰、藤原一族に支配されたNHKを一とするマスメディアこそ悦ぶが、残る二年の任期を我ら道々の民は刑期として監獄内で過ごす様なもの、在り得て良かろうシナリオではない。

 またぞろ、「冤罪、でっち上げ事件」を基にして小澤一郎氏を取り上げ、代表選をおもしろおかしく映像に流すマスメディア、党首選に臨む誰が、「冤罪、でっち上げ事件」である事を確信して、検察庁を、或いは、NHKや朝日を一とするマスメディアを真っ先に非難し、且つ、社会正義の顕現を以って戦う事を誓い、不条理勢力との死を賭した戦争の選択を、初めに決意するのであろうか、恐らく、其の様な肝の据わり、鉄の為政者等、菅直人以下の事大主義民主党員には居る由もなかろう。だから、小澤一郎氏の不条理と対峙する其の不屈力に、或いは主導性に、更には、剛腕を押してでも為す条理の推し進めに頼み、また、期待もするのである。