日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆政党は変わろうとも為政者性格はそのまま

 我が故郷、豊穣の地の福島県に敷設された、所謂、原子力発電所の事故で被る災禍は斯くも計り知れずのものだが、勿論、直接目には見えぬ災禍と惨状に在るとは言え、日本民族がおぞましくもモルモットの如くに実験台の俎上に置かれ、広島と長崎に投下されたあの忌まわしい、ウランを原燃料とする核爆弾とプルトニウムを原燃料とする核爆弾を上記其々の都市部に落とされ、地上数百メートル地点で炸裂、太陽の黒点でも観測されない億度と云う超高温を以って、数十万人もの生命を瞬時にして炭化させ、大量殺戮させられた事実を、今に生きる日本民族の一人として体現し享有してもいれば、当該六十六年前に作為されし原爆投下に因る放射線量を遥かに凌ぐ、元素等々をまき散らし、土壌に溜めている現下の原発事故、左すれば、困難とは知りつつも速やかなる事故の終息を祈り続けるのと同時に、斯かる災禍に遭って悲嘆に暮れ、日常生活が暗闇の侭に措かれた数多くの福島県民、乃至、福島県に隣接し、今もなおヨウ素セシウム、或いは、プルトニウムやコバルト等々が舞い降り続ける半径三百キロ圏内に住まう我ら道々の民に対して、救助救済は勿論の事、原状に復する、若しくは、原状に近い日常生活が取り戻せる、適切なる指針の示しは政府に拠って為されなければならずのもの、国家責任として、早急に推し進めなければならない事を唯々求めるだけでしかない。

 野田新総理が福島原発事故現場に入って状況を視察、或いは、福島県民の代表である佐藤県知事と会談、労いの言葉と同時に、”福島の再生なくして日本の再生無し”と何度言って呉れたであろうか。基より、有り難く受け取り、且つ、信じるべきなのであろうが、耳にする度に思い起こすのは、小泉純一郎に拠るワンフレーズの語りを想起させるだけ、余りに多用すると、言葉の持つ重みどころか、信憑性も欠けて来ようと云うもの、勿論、言葉も大事だが実行こそが重要、福島県民の多くが悲嘆に明け暮れる中で、森林の枝を、納屋の梁を、或いは、深山幽谷に在られる八百万の神々を捜しては生命を委ねて終う我が福島県民同朋を、現に引き戻すべきが先決、言葉の重みは結果が後押しする事を忘れて貰っては困るのである。

 確かに、巷間言われる様に、原発を受け容れた県民も多く居れば、原発の敷設で地域住民の懐も潤った事であろうし、原発関連施設で働き口も多く生まれ、更に、豊かな生活に一歩近付く社会住環境も整いつつあった等々を考慮すれば、結果責任は自らが負うべきものとの誤判断に流されそうだが、原発事故がもたらした災禍は、僅かな期間とでも云うべき錯覚下に在った豊かな生活を手にするどころか、直接的恩恵に与かれない殆どの福島県民をして不幸のどん底に突き落としたもの、況してや、無知を以って金で横っ面を叩かれ、原発を受け入れたなどの暴論は赦されるものではない。

 無知と強欲に因る其れは自業自得の結果であると、然も、物知り顔で吹聴する人々に問いたい。福島県以外に敷設された、所謂、日本列島を其れこそ環状に取り巻く様に敷設された原発に対して、北は北海道から南は九州に至る54基もの原発に対して、当該原発の敷設を受け入れた道や県民にも、”無知と強欲”の公式が当て嵌り、一旦事故が発生すれば其の須らくの結果を道や県民の責任とするのか、と。

 大分以前に記した事だが、港区新橋の汐留に在った、所謂、旧国鉄の操車場が更地となった時に、原発が真に必要であれば、当汐留に原子力発電所を建設すべきで、北海道や他府県の恐れ慄きと不安を都民もまた知り、事故発生の蓋然性をも共有すべきであるとの捨て台詞を記した覚えもあるが、今も尚、斯かる思いに変化はないのである。其れどころか、汐留が駄目であれば霞ヶ関にでも敷設せよと言いたいぐらいである。

 日本列島を原発の墓場とすべく誘致した、所謂、あの日本を駄目にした藤原一族末裔の差配する自民党と、其の彼等に、飴と鞭を以って自由に操ったシオニストユダヤ系大財閥資本家群、自民党の歴代首相は其の虜となった者たちだが、中でも特に酷いのは御大中曽根康弘と、彼に続く者たちではあるのだろう。何か事が在れば、「白河以北一山百文、、」を唱えて、東北の民を小馬鹿にして見せる中曽根康弘だが、青森県の六ケ所村に使用済み核燃料再処理工場と墓場そのものを持ち込んだのもまた彼である。

 菅直人は、絶望のどん底へと県民、並びに、東国の民を突き落としたばかりか、今も尚、奈落の底へと追い遣り続けるのだが、一向に歩を進めない新政府と、旧自民党原発利権屋の無責任さは極まりなきもの、前総理の菅直人を以ってする不作為に因る原発事故の惹起と其の拡大は、野田新総理の言葉を以ってしてすら、同様に継続させてもいるのである。