日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆十年目を向えた9.11同時多発てろる

 米国で起きた件の、イスラム教過激派アルカーイダに因るものと断定され、且つ、歴史的にもその様に定義付けられたであろう<9.11同時多発テロ事件>。月日の経つのは早いもので、十回目の鎮魂祈願の日を向かえた米国社会でもあるのだが、十年目を向かえた今日、米国大統領はブッシュ政権からオバマ政権へと移り変わり、既に三年を経過しようとしている中で、イスラム教過激派の頭目とされ、且つ、9.11事件等々を一とする、所謂、米国関連施設等をターゲットとして為された爆弾に因るテロル行為を、其れこそ数多に惹起させた首謀者と目され、米系諜報員等に追われていたウサマビンラーディン氏は此の五月に、ブッシュ政権を引き継いだオバマ大統領の承諾に因ってパキスタン国内(主権侵害)で射殺(?)され、当該事件に一区切りを付けたとの、オバマ大統領自らが直々に宣言すらしたのだが、斯かる9.11テロル事件そのものが曰く因縁付きのものでしかなく、況してや、射殺されたとされるウサマビンラーディン(?)は既に骸とされて海洋に投棄されたともなれば当然に、「死人に口無し」の状態に措かれた様なもの、如何に米軍当局がビンラーディンの殺害を確認し、公式発表を為したとしても、彼ら以外の人物、即ち、米国市民を含む世界の人々は確認の術など全く無し、極論すれば、殺害を公表したオバマ大統領ですら、当該被殺者がビンラーディン本人である事を確認し、認識出来たものと言えるものではない、と云う事にもなるのである。

 第二次世界大戦後の米国が、作為か不作為かは別として、国際社会に振り撒き続けた不条理行為は数知れずのもの、同時に、自国民のみならず、世界中の民族群を騙し続け、其れと同様に、若しくは、其れ以上の数にも上る、虚言の吐き続けを以って、其れも平然と、世界の警官職に在る事を勝手に自負、且つ、自画自賛し続け、国際社会に軍事力行使の条理(正当性)を無理繰りに押し付けて来た国家、其れがアメリカ合衆国そのものであれば、何事に因らず、俄かなる賛意や同意、並びに、鵜呑みに因る持ち上げは火傷の元、話し半分、事実はゼロとして、少なくとも、敗戦国日本やドイツ人ぐらいは、国際社会に表われる斯かる重大事象の分析等に際しては臨むべきではあるのである。

 だが、大東亜戦争の敗戦以来日本の政治は、民族条理すら覆して百八十度の変化を見、自主自決どころか独立自尊の気概すら放棄して事大主義に傾斜、あまつさえ政治家個々人の強欲を満足させる為に、民族、或いは、国家社会全体が歩むべき道の創造をも放棄乃至棚上げとし、米国の権力者群(合衆国政府、若しくは、シオニストユダヤ系大財閥資本家群)から口頭で、或いは、文書を以って、指図されるが侭に動くと云う、所謂、自主自決を放棄した指示待ち国家、即ち、隷属国家の道を、政官財学の指導者層全体に亘って、唯ひたすらに歩み始めて良しとしていくのである。

 それで良かったのではないか。生半可な国家理念を以ってする自主自決や独立自尊を、国民全体のものとして享有し、且つ、推し進め、よしんば、民族条理に外れる事が在れば、対決姿勢を露わにして当然とすべきであるとの条理貫徹を是としていれば、現状の日本に見られる経済的大成長どころか、「農地改革」の欠片すら実体現し得なかった事は想定内のものであり、田地田畑は一握りの豪農に占有され続け、小作人農奴制もまた旧弊に置き去りにされたままに存続したであろうし、道々の民に対する自由民主主義の植え付けどころか、須らくに於ける機会均等や公平公正なる社会概念も同様に生まれず、経済を核とする社会格差、地域格差、民族格差は、増々にして増長し続けていたのであろうし、また、其れを当然とする、所謂、現に存続する北朝鮮国家の様な望ましからざる国家社会形態の踏襲をすら、此の日本でも余儀なくされていた事ではあろうと。

 負けるべくして負け、誰しもが望まぬ敗戦国となり、アメリカ合衆国と云う国家が実体的には日本を占領、独立国となった今も尚、其の残滓を色濃く押し留めてもいるのが日本国家社会の実情、斯かる敗戦後の日本に在って、米国政府の全権委任とされたマッカーサー戦勝国司令官がもたらした、所謂、当該敗戦国日本が新たに歩むべき道程の示し、即ち、須らくの国家社会制度を一旦白紙にし、自由民主主義制度を採り入れた新たな日本国家社会へと歩ませる其の為のルール作りと指針の示しは、戦後生まれの日本民族や無産階級と蔑まれていた数多くの日本民族にとっては、其れなりに望ましい価値と評価さえ与えられる事が出来るものとの認識下には在るのだろう。だが、敗戦から丸六年を経ずして、日本国家社会をして自由民主主義の模範国家とすべく全権指揮を執り続けて来た司令官のマッカーサーは、朝鮮戦争を契機としてトルーマンの奇策に因り全権委任を解かれ、即ち、更迭されて、アメリカ合衆国へと戻されて終ったのだが、此の更迭劇そのものが引き鉄となり、即ち、自主自決、乃至、独立自尊を回復せぬ侭に、日本国家社会をして、精神的未熟児状態、乃至、条理未覚醒の侭の思考停止状態へと置き去りにして終ったのである。

 9.11事件をイスラム原理主義者のテロル行為と断定し、歴史付けの確定を急いでいる米国社会だが、あの忌まわしい暗殺事件、即ち、JFK暗殺事件と弟ロバート元司法長官の暗殺事件ですら、今では、暗殺行為の主体者(正犯)が、当時の政府関係者主体説から徐々に変化を見て来ているのも事実、即ち、膨大な各種証拠等の積み重ねと地道な分析等々に因って、主体者が、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の仕業である事が浮上して来て居り、同時に、斯かる検証そのものが作為的阻止状況に措かれているのもまた事実なのである。

 当該大統領等の暗殺行為にしてすら此の状況下にもあれば、イスラム原理主義者グループに因るテロル事件として断定し、若しくは、断定しようとし、其れも、熟練したパイロットを以ってしてすら困難、不可能と見られているTWCへの自爆飛行を、9.11事件の実行犯として確定するには難の方が多きもの、況してや、同一民族と思しきユダヤ民族をして、何十万人もの無辜の民を殺めてすら平然とするシオニストユダヤ系大財閥資本家群の事、”目的の為には手段を選ばず”を常態とする彼等であれば、あの日本を駄目にした藤原一族の末裔が先の終戦直前に於いて、核爆弾の投下を日本国内に落とす事を認めていたとされるが如く、シオニストユダヤ系大財閥資本家群もまた、或る目的の為に用意周到にテロルを企て、イスラム原理主義者をカムフラージュに利用する、所謂、9.11事件を企画実行した蓋然性、若しくは、可能性の方が高いのである。

 −参考資料− 
 
 *鬼塚英昭著「黒い絆 ロスチャイルド原発マフィア」。日本国土に敷設された原発導入の経緯や所以を知る上で、或いは、敷設に至る戦後政治史を相対的に直視する上でも欠かせない、史観構築の役割をすら担って呉れる興味深い研究書である。