日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆賢人政治家ウラジミール プーチン (16)

 「3.11東日本大震災」に関わる、所謂、政体を超えて為された国際社会からの篤き支援や救援等に対し、日本人の一人として改めて深く感謝申し上げるのだが、基より後日に於いて、日本政府や被災自治体からは、支援各国や団体等々への慇懃にする、返礼を主とした訪問を以って為す挨拶や礼状の手渡し等は、当然の事ながら履行して呉れているとは思うが、マスメディアを介して我ら道々の民に届いて来なければならない斯かる履行の有無は、未だに無しの飛礫に近きもの、勿論、彼等は相手国首脳や団体等々に対しては直接に、或いは、大使館等の出先機関を通じて滞りなく返礼を済ませたと言い、また、メディアはメディアで、新聞や映像を介して、斯かる政府行動を視聴者には伝えてあると言うのだろうが、特に、メディアを介した返礼の報道は極々僅かなもの、せめて、政府は、或いは、被災自治体は、斯くの如くに御礼を済ませたとの事実報道ぐらいは、複数回為しても罰はあたらぬもの、未だ被災真っ只中に在るとは謂え、被災地国民としての礼節だけは努々欠いてはならない。

 国家社会の下僕として働く立派で正義心旺盛な日本の官僚が、政府指南役として数多に就いていれば、些かの心配にも及ばぬのだろうが、未だに、社会正義の顕現一つ為し得ぬ野田佳彦率いる民主党政権の遣る事を見ていると、どうしても礼節を欠く場面無しとしないのではないかとの心配に思いに至るのも必然、同祖同血の親類の如き台湾国と台湾国民に対する、野田政権に因る非礼の事実を知らされれば、如何な呑気者であろうとも懸念したくもなろうと言うものである。

 百四十ヶ国にも上る国々や、四十にも上る国際機関や団体、或いは、心優しき多くの異国人から寄せられた篤き支援には、イスラエル国も米国も在ったし、イラン国やパレスチナ自治政府の名も確かに見受けられている。その様な中で、韓国や中国もそうだが、ロシア国もまた、日本の被災地に向け逸早く支援体制を組み、医師を含む災害救助隊二百名を編成し送り込んで呉れた事を忘れてはならない。

 当時のプーチン首相は、日本の被災者や日本国そのものに対して深い哀悼の意を表したのと同時に、東北、並びに、鹿島に於けるコンビナート火災に因り、日本社会でエネルギー不足が生じる可能性がある事から即時に判断、自国ロシア産LNGの緊急供与を決定、また、量の拡大を継続的に推し進める可能性すら在る事をも日本政府(在露日本大使)に通知、自国メディアを介して明言して見せたのである。実に有り難い事ではある。

 また、メドベージェフ大統領は、プーチン首相の談話から日を措かずして、日本国家国民に対して次の様に言ったのである。彼曰く、「(罹災した東北の民が望むのであれば)ロシア大陸の極東の地に於いて、居住用の土地を提供しても良い。」との発言が其れ、基より、ロシア国家元首としてのそれは正しく公式発言なのであるが、日本国民にとっては青天の霹靂とでも云うべき発言、耳にした当初は揶揄としても聞こえたが、諸情報を蓄えた後日に於いては、ロシア国家のイメージを反転させる、其れこそがロシア国家社会の底上げを知らしめる、メドベージェフ大統領に因る人道的条理在る発言でもあったと、認識し直しもしたのである。

 寝耳に水の状態に措かれたロシア国民の感想は別として、斯かる談話を受け取った日本国民の方は果たしてどうであったかと云えば、ロシア国家の事、口先だけの美辞麗句に過ぎないのではないかとか、何故に欧州側に場所を提供するのではなく、極東側に移住用の場所を設定したのか等々の、所謂、失礼なる物言いも、現実的理解の反応として受け取られた訳だが、ロシア国家の、其れもスラヴ民族の大統領が、美辞麗句とは謂え、異民族でも在る日本民族に対して斯かる移民の受け入れとでも云うべき国家的措置を、其れも、ロシア国民(議会の)の同意無しに公式に発表するのは、其れこそ異例中の異例と言うもの、メドベージェフに拠る、(日本民族は)受け容れる事もなかろうとの判断の中で為された事は完全には否定出来ないものの、対日戦略に関わるプーチン首相の意向が其処には大きく作用していた事を見逃してはならない。

 十八世紀以降の帝政ロシア、所謂、ロマノフ朝のツアーリ ピョートル(1672〜1725)一世が、1721年のスウェーデンとの大北方戦争に勝利し、自国をロシア帝国と称して以来、1917年に起きたロシア革命に因る共産主義社会体制下の最期の書記長ミハイル ゴルバチョフ(1931〜)に至る迄、途切れる事なく続いたロシアに因る抗争と戦争史、其れは領土侵略の繰り返しであり、また、異民族の財貨財宝を収奪し続けたロシア史と云う事にもなるのだが、斯かる不条理なる侵略を基にする戦争史に終止符を打ったのは、ウラジミール プーチンと云う事にはなるのだろう。

 勿論、ソ連邦としてのゴルバチョフ政権末期時に、アフガニスタン侵略に終止符を打ち、ソ連邦にとっては不名誉ともなる撤退を指揮したではないか、だからゴルバチョフこそがロシアの不条理史に決着を付けた人物であると主張する者もいようが否、アフガニスタン国に対する侵略は、アメリカ合衆国並びに英国へ(利権を)譲っただけでしか無く、また、共産主義社会体制を棄却し、民主自由資本主義へと国体を変えたイェリツインこそが、不条理なる戦争に終止符を打った人物に相応しいと主張する者も無くはないが、彼イェリツインは、議事堂に立て籠もった政敵を戦車部隊に命じて砲撃させた、云うならば、自国民に砲弾を浴びせた確信犯的人物、とてもとても、理性的条理に抜きん出た、侵略ロシア国家史に終止符を打った歴史的人物とは看做すには無理も在るのである。

 抗争と戦争を繰り返し、不条理史を作り続けたロシア国と国民、欧米と同様に在ったとは謂え、有色人種群から土地を奪い、財貨財宝を奪い続けた歴史を持つ其のロシアが、未曾有とでも云うべき東日本大震災に遭った日本民族に対して、よしんば建前ではあったにせよ、メドベージェフ大統領が直々に、「我が領土に住まう受け入れを、日本人の為に準備する」との公式発言は、言われし直後は別として、江戸っ子ならずとも感動しきりのもの、ロシア国も変わったなあを感じさせて呉れる其れは発言ではあったろう。