日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆新聞社も大きくなると目が届かぬ

 やっぱり、条理に基づく物分りの良さが通じる現代社会には在らずが、偽らざる日本社会の現状と云う事か、残念ではあるが其の通りである様で、如何に正義を顕現すべきであるかを口角泡飛ばし、額に青筋立てて捲くしたてたとしても、一旦市民に塗り込められ染め上げられた公権力とマスメディアの共謀に因る貶めの演技力と筆力には抗い難く、公正公平を以って裁定した筈の裁判官の自由心証と合議に基づく「無罪」の裁断を以ってしても、一旦、塗り込められ染め上げられた黒、若しくは灰色見立ての印象は拭き去り難く、被告の二文字の鑑札が外され、晴れて一般市民となった者から削ぎ落し、イメージともども元の真っ白さにする事は決して生易しいことではなく、そう簡単な事でもない。

 かてて加えて、マスメディアを自在に、それも悪質に動かす裏権力者群が、貶め目標とした<善良なる>市民を執拗に追い回し、其れも、悪意と作為ある検察側の遣りたい放題で公判下に付され、検察側の意に沿わぬ至極当然の無罪を宣せられながら、メディアの職域に入って飯を食らう、所謂、裁判官や検察のOB集団に因って声を一にされ、やれ灰色に近い判決であったとか、全くの黒そのものの判決内容であった等の論断を、紙面や映像に振り撒かれ、あまつさえ、検察は控訴すべきである等の発言を聞かされ続けるに及んでは、何をか謂わん哉と云うもので、総じてのメディア報道をして社会活動の羅針盤であると位置付けては社会正義の発信地として錯覚し続ける何千万人もの視聴者にとっては、最も不適切なる其れは、政治社会的にも偏向した”解説”と云うもの、司法権に与した経験と権威を嵩に、我田引水を以って利する小判鮫コメンテーターとしての、其れこそが貶めの為の洗脳でしか無いのである。

 此の侭に、自民党公明党、或いは、共産党等々に因るマスメディアを駆使した、一政治家に対する、悪質なるストーカー行為とでも云うべき黒色発言ばら撒き手法を、公にも赦し続け、更には、政治的主導者としての資質も力量も全くと言って良い程に無く、官僚から教えられ与えられし仕事しか成し得る事もない野田佳彦と其の一群に、此のまま政権を継続させれば、早晩、日本国家社会はとんでもない方向へと引き摺られるのは必至、イラン国からロシア国へと続くであろう米国に因る侵略戦争の開始、所謂、シオニストユダヤ系大財閥資本家群に因る世界支配化戦略の片棒を担ぐ漢民族中国の指揮下に入り、不条理なる国家の一員に成り下がるか、左もなければ、中国の奴隷となって漢民族の尻なめ民族となるかの何れかには至るもの、勿論、日本国家社会自体が、実体としての崩壊には至るのである。

 民主党政権が成立して初めて、野田佳彦が米国入りしてオバマ大統領との会合に臨み、公式首脳会談を開いて、日米安保条約の深化発展を期するとの項目や、TPP参加合流に向けた約束事を締結したとの事だが、満面の笑みを以って記者会見に臨んだ野田佳彦は、米国からすればやはり一小市民の小者扱い、基より、国家を代表すると云う立場に立脚すれば、日本国家を代表する元首は「天皇陛下」で在って、米国に於ける歓迎晩餐会に招かれた首相野田佳彦は、米国国務長官ヒラリー クリントンが主催するのに相応しいもの、オバマ大統領が主催する迄も無いと判断され、アフガニスタンへの飛行訪問を優先させたとしても不思議ではないのである。

 マスメディアが、斯かる事情を事前に知っていたのかどうかは解からぬが、野田佳彦は、元首「天皇陛下」の、名代としての役割すら担う立場で来米を請われたもの、其処から推し量れば、オバマ大統領が列席しない晩餐会に異議一つ差し挟まぬマスメディアの対米隷従姿勢は、怠慢と云うよりも怠惰、五月三日朝日新聞朝刊の天声人語欄に認められた内容が、実に空々しく見えもするのである。

 天声人語の欄を条理を以って埋める委員を一、多くの朝日新聞の人士は、立派の一言に尽きる理念を携えて我ら有象無象の愚衆に対する啓蒙活動に、日夜を分かたずにあたって呉れても居るのだろうが、読売新聞や産経新聞編集委員の、或いは、NHKの時論公論委員等の、貶めを基にする作為性ほどではないにせよ、此の三年間にも及ぶ一連の、即ち、小澤一郎氏と其の陣営に対する、悪意に満ちた論評のばら撒きと、偏向に満ちた紙面作りは酷く、吐き気を催すほどに悪辣さの連続ではあったのである。今も、其の痕跡はしっかりと留められ、基より、判決後の紙面上に於いても生きてさえいるのだが、其の一方では、検察に因る冤罪事件である「村木厚子女史事件」を、偶々とは云え、朝日新聞の一記者が検察側の不正(証拠改竄)を発見、まさに冤罪事件であった事を解決しながら、小澤一郎氏に関わる明確なる冤罪に付いてはお茶を濁して遣り過ごすと云う、此の二面性は何処から生まれて来るのだろう。

 勿論、何千人もの記者や文士が連日連夜数多くの記事を認めもすれば、一律の方向性を持った内容での文章や記事など揃う訳もないのだが、其れでも尚、観念としての社会正義の顕現ぐらいは、統一されていて然るべきもの、自らが決めた灰色を、或いは、黒色を、其の侭に追い駆けるのか、はては、灰色も黒色も、其の不条理の大元を直接に作ったのは検察であったとの明確な証拠の認識から、一被告から良質なる市民の一人として戻った小澤一郎氏の名誉回復の為、冤罪を作り出した検察を徹底的に追及するかぐらいの、所謂、社会正義に対する旗幟は鮮明にすべきであろう。天声人語氏の述べる条理に異論を挟まない為にも、上記実態に触れ続けている自社の紙面を再鑑定したら如何か。