日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆漢民族中国は米国の指示で動く

 民主自由主義社会の基本中の基本とでも云うべき国家社会条理、即ち、<基本的人権の護持>を根底に包摂して顕わされるべき社会正義の顕現が、政権与党を現に与りながら、無能力の馬脚の現わしに因り国民からそっぽを向かれて孤立せし自民党亜流政権野田佳彦以下の民主党員に在っては、過去誰一人として見られる事も、基より顕わされることも無く、為に、原発事故を因とするディアスボラ状態に措かれた十五万の福島県民は、一年半にも亘る間、無慈悲にも、棄民扱いに付された侭に捨て置かれ続けると云う、現代の日本社会に見られること自体がおぞましい、其れこそが、生存権や居住権等々を奪っておきながら、勝手に生きながえよとの無残を以ってする放置に因る差別、乃至、迫害態様を作為的不作為を以って押し付け、政治家全体から、特に、政権を司る上記民主党員から平然として無視されている事実は筆舌に尽くし難い不条理でしかない。

 基より、当該民主党員の中には、我が故郷会津から選出された渡部恒三や、田村町と云う、選挙区こそ違えど玄葉光一郎なる福島県民が代表者として登院しながら、其の二人が二人とも条理に全く動けず、それどころか渡部恒三に至っては、原発被災民を救う為の知恵一つ出せず、玄葉は玄葉で、異国民の領土領海侵犯に遭遇しては、唯々オロオロするばかりで、其れも無知の侭にクリントン国務長官の背中に隠れて泣き付く外交に徹すると云う、他力本願事大主義為政を露わにするばかり、よくぞ此の様な連中に一票を投じたものだわいと、我ながら自らの見る目の無さに呆れもするが、近々に迫り来る衆院解散と総選挙の場面に向けて、新党を立ち上げた、基より、橋下徹率いる舌先三寸の集団でしかない「日本維新の会」に目を向けて寝返るのではなく、小澤一郎率いる政党「国民の生活が第一」に集中して国政を託すべく、三度目の正直ともなる国民覚せいの機会の到来まで、人や党を見る判断力を養いたいと今は思うだけに留めたい。

 民主党は、鳩山家持ち出し100%の出資党として形こそ残りはするものの、更に、実体としては既に死に絶えた政党であるとまで断定して来たが、正に過言では無く、また、総裁選真っ只中に在った、<安倍/町村/石破/石原/林>の五名を立候補させての自民党はと云えば、斃れて四年目に入った、其れこそが政治的棺桶に入りし選民塗れの胡散臭い政党下の仲間達、基より、条理在る蘇生も適わぬ侭に棺桶の中から唯々威勢のいい言動を発しては繰り返し、不条理の真っ只中に在る野田佳彦率いる民主党を嫌って拒否すらした道々の民の国民に対し、事大主義がぷんぷんと臭う其の棺桶の中から、”この蓋を開けて呉れ、米国と仲のいい俺たちが現状を打破して何とかしてみせるよ、だからすぐにでも蓋を開け、白装束を脱がせて渡世の道、娑婆へと戻して呉れよ!、お願いだからさ〜”の合唱一途、基より、あの日本を駄目にした藤原本宗家一族の支配下に在る、NHKや産経を一とするマスメディアを介してのものだが、条理に覚醒している道々の民で在れば赦す筈もなかろうと思いたいのは山々だが、即ち、道々の民を奴隷化した自民党員の族が入る棺桶を開けて、与党を占める国会議員の道に再び戻す筈も無いと思いたいのは山々だが、何せ、米国をして精神的拠り所とする事大主義一色に染められた国民の事、自民党が収まる棺桶の蓋は紛う事なく開けられ、魑魅魍魎の跋扈を再び赦す事になるもの、即ち、自民党に成り代わり民主党が引率せし国民の思考状況はと云えば、已然として其の80%までが条理未覚醒の侭に措かれし人々の集合体、中々にして、自民党の入りし政治的棺桶の、不条理いろ濃い蓋を閉めた侭に捨て置く事は、不条理に晒され続ける民主党の現状を推し量れば難しかろうと云うもの、年末に延ばされし衆院解散時には、其れこそ白昼時にも動き回るドラキュラ然として、麻生太郎が言う”わが渡世”に自民党は這い出て来るのであろう。

 自民党五人組による、印象的には軍艦マーチをBGMとし、街宣車を駆った総裁選演説会、即ち、中国軍の対日威嚇を前にして俄かに喧しくなった軍国主義復古調の唱和と輪唱、安倍晋三を一として、勇ましい族の怒鳴り声がTVと言わず街中に鳴り響くのだが、古の日本帝国軍事政権とは全く似て非なるものである事は言う迄もなく、彼等五人組の演説はと云えば、唯々米国軍の加勢に期待を込めては吠え、拳をあげては気勢を上げるだけの、其れこそが、”虎の威を借りる狐”ならぬ子狸の五人組、とでも云うべき存在にしか見えぬもの、実態的にも米国の従僕下(上海政府)に在り続ける漢民族中国をして、米国が何故に、其れも日本国家社会の為に、親米派上海政府が操る中国軍を攻撃などしようぞ、出来る訳が無いではないか。

 誰が唱導したかは別として、法治国家を自任する我が国にも、道々の民と其の社会を律する不磨の大典「日本国憲法」はあり、其の第九条には明確に次の事が宣せられ、且つ、律せられてもいる。即ち、「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。② 前項の目的を達するため陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。」と、明確に戦争放棄の理念と条理を、道々の民の前に明示し宣言、同意し順守すべきを日本国民に説いているのである。

 威勢のいい、棺桶に入りし自民党五人組が自党総裁選に登場、今ようやく其の最右翼と目された”安倍晋三”に自民党総裁の座が転がり込み、確定した様だが、よしんば、次期衆院選に於ける圧勝に因り、再び国家権力の玉座にでも就けば、勿論、其の可能性は百パーセントにも近い確率には在るのだが、テロル国家米国にとっては勿論の事、国家社会正義定着が侭ならず、理性的条理在る民心脆弱にして少量たる漢民族中国にとっては、日本国そのものが与し易い相手となるのは必然、彼等米中両国が実体として狙う世界支配化戦略の最終目標、即ち、イラン国平定に続く、シベリア領土制圧の為のロシア国スラヴ民族に対する軍事支配と浄化に向けた、所謂、日本国家国民をして、漢民族中国の尻なめ要員とされた挙句、特攻隊としてシベリアの前線基地へと追い遣られ、且つ、蒙古/満州朝鮮民族とともに、日本民族の浄化をも同時に謀れる戦略枠組みへと突き落とされるのも時間の問題、シオニストユダヤ系大財閥資本家群に因って誘導され貶められる不条理の道を、ただ只管に日本民族は歩む事と相成るのである。

 日本民族をして、斯かる不条理なる道への誘導者となる蓋然性が極めて高いのが誰在ろう、自民党で言えば、其れは総裁に選ばれた安部晋三に辿り付くもの、更に、シオニストユダヤ系の在日ラビと親交が深く、また、イスラエルと因縁浅からぬ関係に在る父を持つ石原伸晃を含む、他の落選した総裁候補者三名の全てにも同様に辿り付くだけ、基より、現政権を(形式的にではあっても)掌握する野田佳彦もまた違わぬ者と云え、社会正義の顕現一つとして見られずは勿論、政治的理念も条理も無き侭に、国家権力を握った一小市民が陥りやすい自己陶酔の罠にまんまと嵌り、知らぬ間に、シオニストの戦略に魅せられては没頭、それこそ自覚無き侭に、日本民族をして愚民化へと逆啓蒙を勧め、更なる奴隷態様の民へと追い遣るだけの、野田佳彦とは其の様なヤカラ、其の先陣を切ったのは、日本のフリーメイソンの最高位階に在ると噂される「鳩山由紀夫」其の人でもあれば已む無き道程、小澤一郎氏が民主党を見限ったのも、当然と云えば当然の出来事ではあったのである。

 中国では、邦貨換算七千億円を不正蓄財したとされる中国共産党最高幹部「薄煕来」の一族を官憲に密告、其の足で、在中国の米国領事館に逃げ込み、暗殺を免れようとした「王立軍」氏、彼の意に反して、米国政治亡命?は認められず、米国の手で中国官憲に即刻引き渡され、諸事由を付けられて法廷内に送り込まれたのだが、此れまたあれよあれよの間の裁判劇が開かれて終止符が打たれ、基より、非公開の密室裁判劇に因る其の判断はと云えば、(懲役/禁錮?)一年半の有罪、此処でも中国民の社会正義は斃され、江沢民頭目として聳え立つ上海グループ(上海政府/太子党)が送り込んだ、次期国家主席習近平】側が、裏切り者を投獄し、且つ、中国社会から斯かる情報を遮断すると云う形で国民の目線を逸らし、ギラギラした権力闘争の一部である事を覆い隠すと云う、此れまた政治力を以って、国家制圧下に自身が在ることを誇示して見せたのである。

 中国共産党全国大会の開催まで余すところひと月前後、即ち、其の善し悪しは別として、十月中旬、若しくは、下旬の、党執行部改選迄は未だたっぷりと時間の残る【習近平】を現役幹部の頂点とする上海グループにとって、最も忌み嫌うべき事が何かと云えば、其れこそが、胡錦濤国家主席率いる共産党正統派グループに因る、社会正義を以ってする実体的権力の巻き返し工作の可否、即ち、習近平が其の頂点に立つと言われる太子党がどっぷりと浸る、国家的汚職ゲームと不正蓄財に対する摘発が推し進められるかどうかに掛かるもの、勿論、例外を赦さぬ厳罰の徹底が出来るかどうかにも掛かるのだが、此処まで広がりに拡がった、共産党幹部や国家公務員に因る汚職と不正蓄財の海(膿)は、そう簡単には排水(一掃)出来ずのもの、況してや、人民解放軍の高級幹部群に至るまで、上海グループ(上海政府)に因る鼻薬を効かせた政治的影響力は及び、現に、日本国を威嚇するが如き人民軍上層部の発言と実力行使の構えさえ見せ付けてもいれば一目瞭然、更に付け加えて言えば、上海グループの実体的後ろ盾が、江沢民などではなく、紛う事無く欧米日中を裏から支配する、シオニストユダヤ系大財閥資本家群でも在れば、平静さを基にする条理を以って此の十年を粛々と務め上げた、如何な胡錦濤国家主席であろうとも、其れこそが無謀なる闘いと云うものであり、夢にも似た其れは実権奪還と云うもの、毛沢東が画策して実行した件の、「文化大革命」でも惹起させ、基より、死を賭する覚悟を以って企図策謀、軍隊を駆ってでも臨まなければ、太子党上海政府に撥ね返されのが落ち、一ヶ月後に迫る悠々自適の市民生活を棒に振る可能性が高く、斯かるリスクテーキングが取れるかどうかは、此れからひと月の日中間バトル劇を観ていれば分かる事である。

 中国の凄まじい迄の政治的パフォーマンスを受けて、早速にして動いたのが、山口県岩国に臨時逗留していた米軍「オスプレイ機」の運航再開と、沖縄県普天間配備に向けたデモンストレーションの開始、中々にして手の込んだ遣り方、換言すれば、米国の巧みにまんまと嵌められ、基より、日中軍事衝突すら描いた、其れは手の込んだ政治劇とでも云うべきもの、何れ、日中に因る雌雄の決しは避けられそうにもないが、政治的リーダー無き侭に唯々振り回される国民にとってはいい迷惑でしかない。

 米国(シオニストユダヤ系大財閥資本家群)の指示一つで、漢民族中国は如何様にも動くのである。