日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆安倍晋三自民総裁誕生の同日には

 去る9月26日(水)に、そう、自民党総裁選の在った当日に、東京高等裁判所では、旧国家権力者総出演に因る「冤罪、でっち上げ事件」の検察側上告劇、即ち、第一回公判が開廷、新証拠の採用無き侭に、同法廷は僅か一時間と云う短時間で結審に至ると裁断され、閉廷ともされた事案が在った。基より、斯かる裁判劇を大々的に報道するマスメディア群は殆ど皆無、在ったとすれば、NHKや朝日新聞系列が十秒程度、乃至、夕刊の一面と社会面の一部を割き事実報道に止めただけ、此の国を率いる自称知的指導者層の「基本的人権」に対する、斯くも未成熟なる状況下に在る事をまざまざと見せ付けて呉れたのと同時に、擁護さえすべき人権を軽々しく看過しては無視、われ関せずの、唱えっ放し遣りっ放しの社会体制の増長を愉しんでいる風にすら見えるもので、其れは紛う事無く、社会的指導者層と呼ばれる彼等知的階級が、イジメ社会をも含む、所謂、不条理社会の先陣を切って闊歩している事すら、当該看過は教えているのである。

 高裁にまで持ち込まれた仕組まれし冤罪の裁判劇は、あの日本を駄目にした藤原本宗家一族末裔に因る上告劇そのもの、基より、当初から罪など毛頭無かったにも拘わらず、2008年当時の自民党政権検察庁(後に検察審査会)に因る粗雑なるでっち上げ事件が策謀され、其れを大々的に援護したNHKや産経新聞を一とする、大手マスメディアの後押しに成る人権破壊のプロパガンダが深く広く進められ、不条理にも、冤罪被害者として血祭りにあげられたのが小澤一郎氏と其の陣営、本来、出廷を要しない上告審の法廷で在ったにも拘わらず、法治国家で在り続ける事を一政治家として望み、また、深く確信し続け、尚且つ、遵法を糧とする国家社会正義の顕現を彼小澤一郎氏は司法府にも求めて已まず、純朴にして折れる事のない条理在る意思の貫徹が、氏をして、出廷を以って行動するべく条理を突き動かし、法廷欠席を潔しとしなかった事は疑いを容れぬところである。

 力無き小市民の一人として言わせて貰えば、旧国家権力を掌握しては遣りたい放題を極めた自民党が、次期衆院選では再び国家権力の座の獲得を内定したとまで言われ、宣伝されてもいるのだが、麻生太郎を総裁とした当時の自民党は、四年以上を遡る時に、司法府、並びに、マスメディアと共謀、所謂、仕掛け所(関与)の明らかな、其れこそが検察庁をも動かして為す「冤罪、でっち上げ事件」を共同謀議し画策、小澤一郎と其の陣営に対する貶めの裁判劇を仕組み、其れは今日にまで至るのだが、基より、当該貶めの「冤罪、でっち上げ事件」である事は、連関する*「村木厚子女史事件」に於ける、此れまた冤罪のでっち上げ事件である事の露見から、即ち、法廷に於いて、でっち上げに因る無実である事が、検察官に因る不正行為が在ったその事実を以って自由心証権を持つ裁判官に拠って裁断され、当然に無罪と判決された事からも、同様の判断が導かれるのである。

 *村木厚子女史に対する冤罪、でっち上げ事件は、当時の民主党代表であった小澤一郎氏と其の陣営に対する貶めを画策した当時の自民党権力者群が、密かに司法府の手を借り、小澤一郎氏を信奉する、或いは、腹心と言われ右腕とも看做された、様々な民主党国会議員に対する履歴や素行調査が入念に、且つ、深く潜行して行なわれ、現職国会議員を含む、小澤一郎氏の元秘書三名に対する、件のでっち上げ事件も可能な政治資金規正法上の瑕疵の発見とは別に、石井一議員に因る郵政絡みの事案が引き出され(後に無関係に在る事が判る)、其の核心部分に居た厚生官僚であった村木厚子女史が部下の虚言と、当該部下に虚言を強いた検察官の作為を以って、訳も解からぬ侭に逮捕拘束され、首謀者の一人として冤罪法廷の真っ只中に措かれたのである。その後、当該事件は法廷に晒されたのだが、複数の検察官に因って仕組まれた、所謂、「冤罪、でっち上げ事件」である事が、朝日新聞記者の機転に拠って露見、基より「無罪」に在る事が法廷で宣せられ、冤罪を作為した検察側からの上告も無く、村木厚子女史は原状復帰を果たし、厚生官僚としての職場に戻った事件では在る。

 そうであるにも拘わらず、麻生太郎政権を倒した、所謂、小澤一郎を中核に据えた民主党鳩山政権は、匿名を以って為された(母親からの)莫大なる政治献金の露見と云う、自らの不祥事に忙殺され、当該小沢氏に仕組まれた冤罪事件には口を噤まざるを得ず、一年未満で菅直人にバトンタッチ、権力の座を引き受けた其の菅直人はと云えば、在ろう事か権力の維持に目が眩み、以前より、目の上の瘤、或いは、近寄り難き存在として、肚の隅に募らせていた忌避感を一気に吐き出し、旧権力者群の作為せし不条理劇に便乗、「冤罪」の後押しすら遣って退けて見せたのである。菅直人に因る其の後に見せた、国家社会をガタガタにした政治行状は、今さら記する迄もなかろう。その盆暗菅直人から引き継いだ現野田佳彦政権に因ってもまた、作為的不作為を以って、憲法理念として謳われた人権擁護の根幹破壊が看過され続け、また、我関せずの侭に捨て置かれ続けると言う、此れまた政治的悪態を平然として執り行なう事と相成るのである。

 小澤一郎氏陣営に対する、此れこそが、須らくの自由を不当に束縛し、且つ、拘束する、此れ等は一連の不条理裁判劇であったにも拘わらず、条理にもの言わずの愚鈍に流される民主党員を多数に抱えた事で、四年以上の長期に亘る時間を、小澤一郎氏は孤軍奮闘して旧国家権力者群と戦わなければならず、臥薪嘗胆の毎日に措かれ続けた小澤一郎氏は其れでもなお、耐えにたえ我慢にがまんを重ね、我ら良質性を求めて社会生活を送り続けなければならない道々の民の為に、一所懸命に、あの日本を駄目にした藤原本宗家一族の政治的前衛に在る、麻生太郎を一とする不条理勢力と闘い、今もなお、日本民族をして奴隷へと追い遣る意思を明確にした、野田佳彦率いる民主党、並びに、安倍晋三率いる自民党の両権力者群との間に、条理を求めた正義の戦いを続けて呉れているのである。

 あの日本を駄目にした藤原本宗家一族の差配下に在る、財務省を一とする高級官僚群に平伏した野田佳彦、彼に因る、所謂、大増税施行への足音は間近に迫り、更には米国を介して現わされる、奴隷社会態様への貶めを、何としてでも押し止めようとする唯一の政治家が小澤一郎其の人、我ら道々の民の、条理在る社会生活を護る政治的支柱として、果敢にも彼等不条理勢力と戦い続け、また、大手マスメディアが、斯かる価値ある存在と行動を無視しながらも、党員五十名とともに社会正義顕現の声をあげ続け活動して呉れている事に感謝、極めて頭の下がる思いである事を、我ら道々の民は改めて再認識しなければならないものである。

 基より、小澤一郎氏の政治的「負け」は、本来に在るべき理性的日本民族をして、総じての「敗残」にすら繋がるのは言う迄もなく、理性的条理に覚醒した道々の民が、未だに20%程度の僅少にしか存在しないと云う、現実下の惨憺たる日本社会に措かれているとは云え、また、多勢に無勢の四面楚歌に包囲されている新党「国民の生活が第一」とは云え、道々の民に因る其の存在価値の認識と受け容れは、左程遠くない日に於いて必ずや顕れて来ると信ずるもの、また、逆さまの条理に置かれた、80%にも上る道々の民にも例外無しに迫る、生活危機と精神的肉体的迫害がもたらされるのが必至の中で、斯かる不条理の迫り来る源流が何処からもたらされるものかが我ら小市民の万民に理解されれば、回避策も必ずや執れ様と云うもの、だが、現状の侭では手遅れになる可能性は否めずのもの、其れでもなお、小澤一郎氏を指導者とする五十名余の「国民の生活が第一」所属国会議員は、我ら盆暗に育てられし道々の民が、一日でも早く、一人でも多く、条理に覚醒する事を念じながら、司法府を抱え込む民自不条理勢力との間に戦いを挑み、条理覚醒への到来を今や遅しとして、果敢に戦い続けて呉れるものと確信するのである。

 小澤一郎氏が、よしんば、最初の政権を担う頂点に立っていれば、漢民族中国に因る粗野なる行動も惹き出さず、基より、経済交流の断絶迄には至らず、漢民族中国の条理を以ってする全体的底上げにも影響を与え、其の粗暴性を半減させる異国日本の指導者として尊敬されていた事ではあるのだろう。基より、一方的消費税増税政策は回避され、菅直人に因って為された人災である原発事故も発生せず、勿論、福島県民をディアスボラ状況下に晒す事も無かった筈である。

 「ハヤスサノオ」の神のみぞ知る所ではある。