日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆自民党政権の功罪と、功無き民主党政権

 たとえ条理未覚醒下の侭に措かれた道々の民であろうとも、自らに差し迫る日常生活上の危機、即ち、其の主たる事由ともなる大増税が絡む家計費の上昇等に対する、生活防衛策が一段と難しさを増しても来れば、心的悲鳴が上がるのは当然で、社会事象として現われる家庭内や公的環境内での要らぬ諍いが生じるのも道理、夫婦喧嘩を引き出す主たる要因となったり、乃至は、家庭崩壊に至る最たる事由にさえなって来る虞すら確定へと変化を見るのも道理、即ち、切り売りする土地も、利潤を生みだす資本も無く、唯々給与所得で小銭を貯めた両親を持つ中流家庭に育った数多の子等が、高校や大学は出たけれど、多数を占める政治家群に因る社会制度上の不穏当なる法律改定や、施行等が起因して、両親でさえ選択し得た其の定職にさえ就けず、基より、アルバイトやフリーターとして、食う為だけの日常的日銭は稼ぎ得ても、独立し自立するには十分なる年齢相応の自活の城構えは今や無理と判断、小銭を貯めた其の親元にパラサイトを決め込んで離れられず、為に、成熟域に育った娘や息子の将来を心配して呉れる、すね細りし親とも対立して居場所を失いつつあるのが、現下の二十代、三十代にはゴロゴロと存する現代社会、四十代にすら独自的城造りを諦めた日本人青年群は五万と輩出してもいれば、其れは紛う事無く、盆暗政治家の作り出した悪法の施行と悪政そのものが為さしめし業、現在の日本社会に現われ始めた暗雲の立ち込めの社会事象そのものなのであろう。

 よくよく政治を観察し、同時に、社会状況の推移を併せて見て行けば解かる事だが、商慣習若しくは無に等しい法制を以って円滑に回り続けていた経済社会活動を、良くも悪くも、停止し継続させるのが政治的作為がもたらす結果であれば、維持し拡大を見続けるのもまた政治の力、即ち、政治のトップに立つ権力者の指示と判断次第では、経済社会活動が停止もすれば維持拡大をも見ていく結果を残すと云う事が、政治に内包する本質的な力として理解出来る筈である。

 戦後の経済に対する政治との関わりを紐解けば、簡単な言葉を用いて言うとすれば、敗戦に因って焦土と化した日本領土(社会)に於いて、占領軍の手に因ってではあるが、社会体制そのものがガラッと変えられた其のガラガラポンから出発、其の先人となる人々は生きる糧を得る為の自らに備わりし労力を、占領軍に因って分け与えられた農地を以って、或いは、自前の国家の手を借りずに、経済活動が成し得る組織内に潜り込み、労力知力を提供しては対価の報酬を得たり、はたまた、暫くの間は物々交換(商い)を以って、経済サイクルが金銭や資本を素とする金融(貨幣)経済が真面に定着を見るまで、基より後ろを振り返る余裕すら無いのだが、其の日、明日をと生き延び、政治もまた、国民の間に全くの弱者が出ぬよう、労使双方の行状をのみ見詰め、農地の有効利用、即ち、農産物の生産活動が円滑に進む様に図ったり、輸出奨励策を推進したりの、所謂、法律の改定に次ぐ改定を以って、官民二人三脚で関わり合い続けたのである。

 農薬を際限なく使用しては作物を作り続け、挙句の果てには、中から外から穢れさせては豊饒なる土壌を死滅させたり、また、インボイス表記とは全く相入れない石炭殻を箱詰めにしては輸出し、不正に手を染めて金を稼いだり等は、日常茶飯事と迄は言わぬが、実態として在り続けた昭和三十年代経済成長期の準備段階にあった日本民族社会、其れは民主自由資本主義社会を採り入れた、即ち、政治も経済も其の基本原則はルールの設定と順守から始まる新たな社会制度の、条理在る浸透にまで至る甚だ芳しくはない一事象なのだが、其れでもなお、良質性を以ってする日本民族が大多数を占めて政治経済に勤しみ、結果として、現状に見られる華々しい日本社会が今に現われているのである。基より、外形的には、大きく、且つ、逞しく、変化を見た日本社会である事は言う迄もないが、内政的にみれば、歪みやひずみが其処等中に露呈、今や其の真っ只中に道々の民は措かれているのである。

 戦後七十年近くにもなる日本国家社会で、直接的に目には見えない行政機構(官僚主導型)の統治能力とでも云うべき実体的行政活動を除けば、現下七十年に至る政治に於ける社会経済の拡大上昇を主導牽引し、本来に在るべき政治上の役割を大いに担ったとされる宰相は、顕著なる功績を挙げた人物として記憶に残るのは、僅かに三人が掲げられるだけ、一人は池田隼人であり、一人は佐藤栄作、もう一人はと云えば田中角栄、上記三名が瞬時にして思い浮かぶのみ、当該政権が連続する三名の国家宰相が、日本国家社会の繁栄と拡大に向かう戦後の政治経済を、強力、且つ、確かなものにまで高め、或いは、国際社会に於いてすら、伍して闘えるだけの対応力を国民広くに与え、国家社会条理に唱導もし、且つ、牽引もして来た事は言う迄も無く事実である。

 60〜64年の執権を担った池田隼人は、所得倍増政策を高々と掲げ、国家社会経済の躍進に多大なる功績を遺し、64〜72年に掛けて長期政権を担った佐藤栄作は、小異こそ今に遺しはしたものの、沖縄県の日本国返還を成し遂げ、且つ、非核三原則を国是として謳う国防政策を、現行法制(憲法)の中で条理在る仔細として整え、72〜74年のあいだ日本国宰相の責務を担った田中角栄は、晩年に於いてこそ、不運にも其の突出した政治力が災いし、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の逆鱗に触れ、エージェントを買って出た日本人の手で嵌められ、ロッキード事件と云う冤罪事件に巻き込まれはしたものの、首相就任早々には、共産党中国との間に国交回復を成し遂げ、また、列島改造論を唱えては行政に反映させて実践、社会基盤整備に政治力を投入、日本経済を一段と飛躍させる、其の原動力の役目を果たしたのである。

 勿論、国家権力を掌握した戦後初の宰相吉田茂岸信介、或いは、ユダヤ系国際金融家群の策した”金融ビィッグバン”なる構想に、直々に手を染めた橋本龍太郎氏等々の、所謂、記憶に留まる政治家も居ない訳ではないが、功罪相半ばする彼等三名は、異能なる政治家では在るが、特筆すべき功績認められずの彼等は政治家達、現下の野田佳彦に至るその他大勢の歴代権力者群はどうかと云えば推して知るべし、須らくが記憶にこそ遺したくもない、謂わば、彼等は十把一絡げに捨て置いても構わない、”先人三名”+三名が蓄えし政治的財産を、悉くに食い潰してきた、欲深き石潰しの族でしかないのである。言い過ぎかね。

 ことほど左様に、国家権力を掌握する政治家の行動次第では、国家社会も傾けば、国民もまた愚かにもなり賢くもなろうと云うもの、基より、国民を映す鏡が政治家と言えなくも無い以上、我ら道々の民の日常的行動こそが、良くも悪くも政治家に範を垂れる事にはなろうと云うもの、現下に於ける80%もの民が不条理真っ只中に措かれた状況にすら、不安、疑心、更には、不審すら、些かたりとも抱かなければ、鏡として映る彼等政治家とて同様の態に陥るのは道理、国家権力を、あの日本を駄目にした藤原本宗家一族とその末裔に、即ち、其の彼等が仕えるシオニストユダヤ系大財閥資本家群率いるエージェント群に、直接権力を引き渡したとしても已む無しとするのは必然のもの、80%もの条理未覚醒下の民が不条理に流れ続ける国家社会の現況を看過し、はたまた、国家権力を、警句を弄しただけで匙を投げ、病院に雲隠れしては政権を途中で投げ出し、未だに社会的禊すら済ませていない上記藤原本宗家一族の代貸しをして、次期与党の呼び声高い政党党首に担ぎ上げ、再度、美人局を演じさせて平然とする何ぞは噴飯ものだが当然の成り行き、此の程度の貧しい選択肢しか生み出せない、其れが、条理未覚醒下に措かれた日本国家社会の現状なのである。

 斯かる、条理未覚醒下に措かれし80%もの道々の民へと誘導、作為を練っては愚法(郵政民営化を一とする一連の規制緩和策法案)を作り上げては押し付け、道々の民が、其の良質性を以って営々と創り上げし商慣習や社会慣習をものの見事にぶち壊したばかりか、多くの青年から生活(人生)設計すら奪ったのが誰在ろう、<小泉純一郎竹中平蔵>政権其のもの、基より、米国に抗う形で、北朝鮮国との単独交渉に臨み、直接的拉致被害者五名の返還を実現すると云う功績こそ遺しはしたが、小泉の補佐として北朝鮮国に同行した安倍晋三の、戦略なき横槍で、その後の拉致被害者解放はとん挫した侭の現状を惹起、今また、米国に平伏した野田佳彦は、其の指示を仰ぎ、TPP参加を急ぎ、北朝鮮との緊張関係を維持させるべく、裏交渉を同時に進めていた「拉致問題担当大臣」を敢えて更迭して遣らせず、また、漢民族中国の一方の政府である親米派江沢民率いる上海政府には、反日活動を間接的に要請、結果として、沖縄県へのオスプレイ配備強行を成功させ、更に、原発推進の済し崩しの容認すら、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の指示に従う形で謀ってみせたのである。