日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆C.ケネディー女史に賭けた米国権力者群

 米国劇場用映画「ザ、シューター/極大射程」を、NHKのBS深夜放送で偶然に観させて貰ったが、ついつい最後まで視聴する幸運に浴したのである。何が幸運で在ったかと言えば、途中眠らずに見終えた事、映画と言えば子供たちと家族で観たウォルトディズニーのアニメ「白雪姫」が、劇場で観た最後の映画であったと記憶するが、勿論、TVを通じては、民放、NHK合せて相当数を視聴させて頂いてはいるのだが、劇場では本より自宅のTVで観賞しても最初と最後の場面しか暫くの記憶にも残らないのが通例の態、子供たちの成長に従って劇場から足が遠のいたのも当然ではあるのだろう。

 映画「ザ シューター」の内容は、国家行政権を常用し続けた、公人の顔を持つ悪党どもとの生死を賭けた戦い、其の一場面を取り扱った単純明快なる勧善懲悪劇にも見えたが、其れでも尚、吾ら視聴者に示唆するところ大であり、中でも、見入っている中で出来立て間際の米国政治史と重なって見えるのが、あのブッシュJr.が大統領であった時代の狂気的政治をモチーフとして取り上げた内容に類似している事、と言えなくも無く、況してや、政商の親玉として頭角を現していたハリバートン社の元CEOで、ブッシュJr.の操縦者、即ち、ディック チェイニー副大統領看做しの人物をして、対峙すべき悪玉の主役として登場させていたと思しき点、国権を濫用し流用する、つまり、殺人すら犯しながらも無罪となる様な悪の権化が、当該悪党の代表であると視聴者に看破させ、CIA職員に雇用されたばかりの新人一人とともに僅か二名で、国権を翳した彼等悪党どもを摘発、当該巨悪を追い込んでは始末すると云う、死すら賭けた際どいストーリーでもあれば、米国の現代政治史を覗き見する様なリアリティー在るものとして、興味をそそられるのも道理、基より、米国の現実社会では、個人の力を以って国家行政に直接対峙し、重火器まで利して国家権力者を成敗するなど到底無理なる解決手法ではあっても、成し得るものとしての幻想の抱きは、映画を以ってすれば概して可能、最後まで固唾を呑んで、斯かる鑑賞に堪える”映画”を見守る事と相成ったのも道理有るものではあったろう。

 ハリウッドの内情(人間関係、権力図式、制作や配給ルート、アクターの選定等々)などに詳しかろう筈も無いが、其れでもなお言わせて貰えば、第二次世界大戦後の米国映画界の趨勢に沿って推し測れば、政界、財界、学界、法曹界、教育界同様、当該映画界やメディア界もまたご多聞に漏れず、ユダヤアメリカ人が、総じての主役、乃至、準主役級アクター群の中核を占めていただけに止まらず、映画企業経営者を含む指導者層、或いは、監督やシナリオライター等に至るも、彼等に近き者が多くを輩出して占有、映画界と言う樹から、枝葉にまで亘る権力をして悉くに、掌握し差配を続けて来ている実情を見るのも容易、今もなお其の流れは止む事も無く、当該傾向として続いている事が見えてもいるのである。

 米国の総人口3.1億人の中の6百万人、つまり、5%未満の、其れも2%にも満たない少数派の民族ユダヤの民が、米国社会のあらゆる界の指導者層を形成しては占め続け、基より、其の勢いは削がれる事も無く、逆に、増々にして拡大する他民族米国人との間の、言うならば、存在感に関わる歴然たる格差の違いを見せ付けられれば、彼等民族がその他の民族と比較して、明らかな能力や特性を兼ね備えており、勿論、指導力をすら如何なく発揮し得る、否定し様も無い格差能力の実態が在る、とも見られがちだが、須らくをこそ否定する積りはないが、其れこそが他民族群の思い込みとでも言うべきものでしかなく、要するに、指導力を発揮せし其の後の、権力の取得と、権力を取得せし後の、ルール改変権をも掌握した事が、彼等2%未満の少数派民族をして、米国であれば98%の民を自由自在に動かし、国際社会であれば其の米国を以って過半をも動かし得る、言わば、唯一無二の、指導的国際社会運営の役割を自任させる迄に至らせてもいるのである。

 諸ルール改変権の排他的掌握は映画界に止まらず、金融経済界に於けるインサイダー取り引きを以って然り、犯罪の黙過や黙認に至る司法権の掌握等々にも繋がり、基より、国権そのものの掌握にまで至る、言わば、三権須らくの掌握を為さしめし業が、上記各界に於ける指導層の地位を、少数民族でもある彼等が常態的にトップを占め続け、且つ、差配し続ける事の可能なマジックにも似た誘引力を有するのも必然、他民族の入り込む隙間など本来であれば皆無ともなる其れこそがマジックの奥義と言うもので、種も仕掛けも当然にあるのだが、基より狡猾なる組織だって活動する彼等の事、種明かしをする事で98%の米国民総てを敵に回し、国連加盟国家群の90%以上を敵に回す何ぞは、得策とならずを考えるのもまた排他的権力を掌握した彼等の有能なる所、自らに仕える事で人一倍の欲を満足させる優秀なる異民族の取り込みと、血の分け与えに因る、言わば、閨閥的係属下に引き込む事も忘れては居なかったのである。此れは彼等民族だけに与えられた特異なる権力維持装置や手法ではなく、古今東西に於いて築かれた、権力者一群と称され続ける集団の、権力維持手段であり装置、基より、日本も例外には非ず、英国もまた例外とはしないものである。

 王国でも無く皇国でもない共和制国家のアメリカ合衆国が、2013年現在、実体的にユダヤ帝国化を隠し切れないでいるのは、偏に、シオニストユダヤ系大財閥資本家群主導下で、尚且つ、白系ユダヤ民族の米国人が、政界と言わず財界と言わず、行政、司法、立法とを問わず、学界や三軍にまで彼等指導者層が現われては連なり、総人口に占める支配者率が、僅か2%に満たない民族で在るにも拘わらず、各界を網羅して万遍なく、彼等は均等に配備されている所からも証左されるもの、知能や頭脳そのものだけで、斯かる支配者層の大勢が律せられると判断する事こそが不可解至極、勿論、何人たりと謂えども、斯かる現象に被せられる思い込みを払拭するのは実態的にも困難だが、ルール改変権を抑えたものであれば誰しもが差配し得る、其れこそが大勢を占め得る手順とはなるもの、其れに加えて、警察権や軍事執行権すら抑えてもいれば鬼に金棒、その他大勢の市民にも、民主自由主義に基づく参政権等が在るとは言いながらも、向かうところ敵無しの権力ヒエラルキーの常態として成立して終うのは、畢竟、漏洩と事前準備ありの解答づくりに因る、其れは必然の結果とはなるのだろう。勿論、国家権力を掌握し差配する中心人物が世に現われる事は無く、況してや、米国市民の日常生活に頻繁に出入りする事は無いが、全く出て来ないと云う訳でもない様だ。

 其のアメリカ合衆国から、J.ルース(58)駐日大使に代わる大使として、C.ケネディー(55)女史が、オバマ大統領に推挙されて駐日大使として略決定の領域に在り、若し、決定の運びにでもなれば、日本に於いて為される同意(アグレマン)の承認は問題なく発布され、日本の国民と政府ともども、戦後初めてに表わす、米国公人(代理者)に対する初の、慶んで受け容れる、掛け値なしの承認とはなるのだろう。基より、オバマ大統領や政府、乃至、彼の側近が、斯かる対日政策の重大性に近接している事を認識しているかどうかだが、基より、日中や日韓問題の政治社会的深刻化のみならず、TPP問題や、微妙に動き始めた観も在る、独自的日露外交の進展や、日独関係の政治経済的強化へ向けた、遅々としてではあるが、動きすら見えれば、米国人指導者層に在る唯一の、日本人須らくに受容され、尊敬すら集め得る人物、C.ケネディー女史に白羽の矢を立てて懇願、了承を受けて大使へと落としたとしても何等不思議では無いのである。

 但し、C.ケネディー女史が、父JFKを、また、五年後には叔父のRFKを、ともに暗殺で失った、其の主犯を担ったで在ろう暗闇の組織が企図する、言わば、オバマ大統領を使って為す米国対日政策を、言われるが侭に動き執行し続けるかどうかには、疑問符も付くのである。勿論、彼等は賭けをしたと云う事ではある。