日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆新駐日米国大使を歓迎する

 英領カナダ国、或いは、英国そのものへの大使赴任要請を丁重に断わり続けて来たキャロライン Bouvier ケネディー女史、政治とは直接関わり合いの無い弁護士業や、社会奉仕事業等に専念し、永らく携わってきたキャロライン ケネディー女史、第二次オバマ政権に拠る、再びにして懇願された日本国への大使赴任要請に、熟考を経た末、同女史が漸く快諾を決意した事は、米日のメディアが報ずるところである。

 上院外交委員会に招聘されて各委員から、対日外交姿勢全般を問われたケネディー女史もまた率なく、流暢に答え、答弁として返す其の言葉の中には、日本国への大使赴任は女史にとっては唯一無二のもので、日本以外に私が役立てる国は思いつかない事、ケネディー女史自身も、1978年には叔父と共に広島を訪問して感じるところが多くあった事、或いは、日本国訪問を願いながら叶わなかった父の遺志を継いで、日米という二つの民主国家を結ぶ力強い絆を象徴する役割を果たしたいとし、また、日本は掛け替えのないパートナーであるとも主張され、日米同盟は、地域の平和と安定、繁栄の礎であるとも言われ、教育分野に於ける経験を生かし、米日両国の若者の交流を積極的に喚起し、日米関係の一層の強化に取り組む決意を、澱みなく表明したのである。

 厳しい質問や言葉での浴びせ掛けを以って知られる、上院外交委員会での審査が通例で在る筈の場面で、推薦政党でもある民主党からの批判的質問が無かったのは別としても、普段であれば対峙する共和党からもまた同様に、突っ込んだ質問が出なかったばかりか、逆に、称賛に近い言葉が質問する委員の口からは付いて出、其れは恰も審査の場面では無く、同女史に対する、選ばれて当然の「お墨付き」の与えと、諸能力を有する「賛辞」と其の証明、並びに、其れ以上に印象的であったのは、米国上院議に籍を置く各委員の、其れこそが、目に入れても痛くない可愛いかわいい吾が娘に対する、嫁入りへの送り出しにも似た気遣い心の表われにも見え、其れは、新郎看做しの受け容れ国である日本国に対する事前の釘打ち、と捉えられ無い事もなきもの、英国に準えて言えば、次代の王権の地位を継ぐべき内親王をして、花嫁へと送り出す男親の心情吐露の場の如きもの、其れこそが、共和制アメリカ合衆国には似つかわしくも無い、新たに発生したいたわりの場面とでも言うべきもの、今迄のアメリカ合衆国には決して見られない、一心同体を具現化して見せた上院外交委員会での面接審査ではあったのである。

 何を隠そう、受け入れ側の日本国、其の中の、名も無く貧しく美しくも無い、その他大勢の日本人の一人として言わせて貰えば、現代史に名を留める歴代米国大統領録に、ひと際目立つ燦然とした光を放っては輝かせ、且つ、唯一尊敬すべき対象として其の存在観を遺した米国の政治家故J.F.K氏、其の愛娘であるキャロライン ケネディー女史に拠る、日本国(民)に対する、此れ程までの身に余る、対日親密心を数多に発現する言葉の連続でもあれば尚更の事、お世辞半分常談半分を得意技とする米国社会の、選良民層の発言として聴いていた一日本人の小生にとっても、ショック此の上ないもの、光栄極まり無いと云う点で涙すら出てくるのを隠し切れないでいるのである。

 言うならば、斯かる社会事象をして、電撃的に感情の脳幹を貫いた”ショック事例”は類例こそ異なりはすれども、勿論、在るにはあるが、そうそう頻繁に現われる衝撃的事象などでは無きもの、基より、其れらは「悪寒に走る」最悪なる出来事か、若しくは、良い意味での「琴線に触れる」出来事、の二種類に大別もされるのだが、敢えて挙げれば、前者に在っては、国家司法権とマスメディア総掛かりで貶められた、稀代なる政治家小澤一郎氏に対する冤罪/でっち上げ事件の、今なお続く”謀”事象に対するもので、悪寒に傾き続ける反権力心情未だに晴れずが其れ、また、後者に在っては、奈落の淵を彷徨う迄に至った国家国民の再興再生を賭け、スラヴ民族全体の底上げを、理性在る条理を武器として徹底的に押し図った、ロシア国のウラジミール プーチン大統領の登場に由る国家変革に至る実現が其れ、更には、第二次安倍晋三政権の誕生を期して、駄目と見続けた先入観を悉くに打ち破っては捨てさせ、諸々の安倍晋三評をして新たに、其れも、日本の戦後政治史では類例を見ない、小澤一郎とは異なる意味での、稀有なる政治的指導者の出現と映って終った其の現実的印象百八十度の転換が、滅多に心を動かす事の無い社会事象のショック事例として挙げられ、私的印象に残る社会事象をもたらして呉れたのではあるが、脳裏に刻まれし其れは墓場まで持って行く私的情景にはなるもの、斯かる現下の2013年に於いても、現役日本人として生きるであろう独りの脳裏の中に、件の、駐日大使として略確定を見ているキャロライン B ケネディー女史もまた、好ましくも入り込んでいると云う事にはなる。

 よしんば、駐日米国大使への就任が確定すれば、日本国家国民の長に在らせられる天皇陛下への、拝謁を賜る為の御目通り、所謂、東京駅から皇居宮殿へと儀装馬車で向かわれる、実体的アグレマンの下賜と拝受(信任状奉呈式)と言う、第一歩の外交儀礼から其れは始まる事と相成るのだが、天皇、皇后両陛下に直接謁見賜わるキャロライン ケネディー女史の現実的思い(感情)が、其の場に於いて、幾許なものとなるかは想像すら付かないが、早くにして御両親を亡くされているケネディー女史の事、穏やかなる御様子の両陛下に御目通りし、御言葉を交わされる事で、わが御両親の像も脳裏に浮かび、念願が叶った旨を、御報告されるのではあるのだろう、基より、アメリカ合衆国国民の顔を背に措いてではあるが、と思うのである。

 受け容れ国である日本国の、其れこそ吾ら国民にとっては、日米間に諸々の課題を残す外交的解決へ向けた、ケネディー女史に対する外交的手腕の期待値と言うよりも寧ろ、日本国内の東西南北を巡り廻って、隠れて見えなくなって久しい米国の、良質性から成る文化や社会慣習等の内容を、教えて貰えると云うだけで十二分に大使としての存在価値は顕わし得るもの、日本領土内に於ける米軍基地の整備拡張や、漢民族中国に対する日本国の属国化など、所謂、シオニストユダヤ系大財閥資本家群が企図すると想定される不条理への加担等、努々受けてはならないのである。勿論、重々ご承知の事と存じ上げる。

 余談にはなるが、ケネディー女史と同様に、同じように突出して有名な存在にも在ると思われる女性ではあっても、即ち、曽野綾子女史や桜井良子女史の様に、専門分野に関わる事を何分間か喋ったり、或いは、原稿用紙を埋めたりすれば、ガボガボッと銀行口座に大枚が転がり込む様なご仁とは異なり、ごく一般的な、子育てをしながらも仕事に就こうと考える日本人女性が数多く居るのが日本社会の実態、共働きでの生計の仕上がり具合が(+)(−)ギリギリでも、即ち、家計簿の収支合計が僅かではあろうと、(+)になればこそを求めて就業を希望し続ける彼女等は極めて多く、且つ、当然に向かう社会への参画なのだが、そうであるにも拘わらず、曽野綾子女史の様に、亭主が所帯を構えれば、妻は家に入って主婦業に専念すべしとの主張を貫いているのは、氏にとってのそれが理想ではあっても、現実生活に於ける、僅かとは言え収支部分の収入への貢献は誰しもが思考するもので、家庭経済の安泰に向けた女子能力発揮の部とでも言うべき希望、主婦は子育てと家事に専念し、亭主は家族を養う為の狩りや漁のサラリー獲得に没頭すべしなる言い分は、少し、変色しかかった写真にも似て、日本人に延々として受け継がれてきた有形無形の慣習や伝統が、紛う事無く変革期に入っている事を知らずのもの、彼女等の不条理なる言と動は、敢えて為す反省の言として教えて呉れている様でもある。

 キャロライン ケネディー女史に対して放った駐日大使への白羽の矢は、吾ら日本人たる団塊世代をして驚かさしめ、或いは、女史の父である故J.F.Kの政治的軌跡を少しでも識る五十代以上の日本人をして、どの程度にまで良質に振れる感情を動かし得るのかは定かでは無いが、少なくとも自らの様に、現状の米国型政治経済をして国際社会を常に巻き込む唯我独尊の、強引なる唱導や先導を忌み嫌い、且つ、現状の侭では是とする事も無いとの考えが勝る、少なくは無い日本人をして、C.ケネディー女史の駐日大使への就任が、相当の真逆へと動かし得る可能性すらあれば、オバマ政権の対日策略は初めにして大当たり、勿論、我が国の曽野綾子女史や桜井良子女史の様に、ヒステリックなる表現部分を出さず、常に柔和で、穏やかな中にも笑みすら見せる、余裕さえ感じられる言葉が在ればとの条件は付くが、其れも杞憂には終わるのだろう。

 但し、交渉や接遇に当たる高級外務官僚や、場合に拠っての閣僚や政治家は、遣り難いこと此の上ない三年間、若しくは、其れ以上の期間にもなるのだろう。但し、日本国民にとっては歓迎すべき其れこそが在任期間とはなるもの、戦後にして初めて、或いは、E.ライシャワー氏を是とすれば二度目ともなる、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の直接的には息の掛からない、彼女は、三億一千万人のアメリカ合衆国民を背負い、国家を代表して余りある唯一の識者だからでは在る。