日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆翁たちが見た都知事選の初夢

 目立ちたがり屋、出しゃばり屋、自己満足型、強欲型、恥知らず型、傲岸不遜型、思い詰め型、オレオレ型、正義漢型、等々、組織社会に身を委ねる多くの民は、其の何れかの行動性格タイプには当て嵌まろうと云うもの、何の事かと言えば、政治献金不正疑惑問題で都知事辞職に追い込まれた猪瀬直樹に代わる、知事選出馬に名乗りを上げた、取り敢えずの顔触れに対する夫々の、性格的”特性”と云う事にはなるのだろうが、立候補期限にまで至る残りの日数を考えれば、泡沫候補と揶揄される立候補者を含めれば、最終段階に於ける其の数は十二三名にも上るもの、吾ら道々の民(都民)を条理に導く為に、此れほど多くの識者が関心を寄せ、且つ、知事選に立候補して呉れるとは実に有り難い事とは思いたいが、反面、候補者夫々の顔触れに見合う、政治的足跡や社会的行動等が多少なりとも記憶に残る面々に対しては、上記の様な否定的印象が即座に浮かび上がるのもまた否めない所である。

 自公両党の推薦を受けるとされる有力候補者の一人である舛添要一(65)や、共産社民両党の推薦を受ける宇都宮健児(67)を別とすれば、ズラッと並びつつあるのが、七十歳を優に超す知名度の高い人々の都知事選への参戦と其の何とも時代錯誤にする意欲、権力者にとって年齢は無関係であるとは言え、果て扨て、七十五歳も既に過ぎ、晴耕雨読の何一つ不自由無き日々を何年にも亘って続けていながら、まわりより事実以上に持ち上げられては其の気になり、やおら立ち上がっては腰に手を当て背骨を伸ばし、されば再び吾は現役復帰を目指し、受けて立ちましょうぞと来れば、何時か何処かで見掛けた記憶の隅に残る其れは構図、年代も、立場も、年齢もまた異なり、一方の故人は政治参戦を固辞もした人物だが、お坊ちゃん、或いは、毛並の良さ(?)と云う点では一歩も譲らずの人物、即ち、其の故人の一人とは、吉田茂翁の右腕として重用され、可愛がられもした、裏の権力世界に徹した故白洲次郎其の人であり、一方は、今、晴耕雨読の日々に別れを告げ、再びにして俗世の政界に舞い戻ろうとしている九州の雄、基より、元首相の小泉純一郎や、岩手県の雄であり生活の党々首であり、且つ、自らをしてかつては首相の座へと押し上げて呉れた小澤一郎両氏の、篤き支援を受ける事を前提条件とした、言わば、都知事選への参加表明を今や遅しとして待ち構えてもいる人物、即ち、細川護煕氏其の人なのである。

 舛添要一細川護煕もともに九州の出自、此処に、都知事選への参加もまた取り沙汰される東国原英夫(56)や、鳩山邦夫(65)/由紀夫(67)兄弟まで知事選に出て来れば、其れこそが東京都知事選挙などではなく、九州王国の筆頭執政官の選挙戦の様なもの、まさに見事と云う他に形容のしようも無く、また、首相安倍晋三山口県出自と来れば、此処でも見られるのが、地方中央合せた政治権力そのものの現代版薩長同盟二番煎じが如きもの、基より、舛添要一鳩山由紀夫、邦夫兄弟が福岡県、細川護煕熊本県東国原英夫が宮崎県で、副総理の麻生太郎がまた福岡県出自と来れば、記憶の箱から蘇えるのが、日本の古代史に燦然と輝いて当然とすべき九州王朝の再興再生と云う事なのかも知れず、因みに、鳩山由紀夫氏の政治的活動拠点とされる北海道に於ける、公的人材、且つ、地方権力を担う中枢部分が、明治期に於ける日本国の権力を握りし者が九州人を多数登用しては送り込み、時の政府と示し合わせて(談合して)開拓地を掌握、先住民族であるアイヌ民族や、古えの坂上田村麻呂等に因って東北の地を追われた蝦夷一族が、海峡を渡って開拓民となった、言わば、斯かる民を再びにして排除し占有した、北海道は地とされてもいるのである。

 同じ権力掌握でも、異邦に比べて九州人の、列島支配や異郷支配権力に対する篤き思いは群を抜いて強く在ると見るがどうか。基より、負けず嫌いは何処の異邦人にも等しく見られるもので、何も九州人に限って存する特有の権力志向等では無いが、其れでも尚、斯かる傾向は打消し難き性質、如何に都知事に関わる立候補の資格要件が公選制となり、爾来、戦後成立の条件緩和がもたらした九州人ゼロのオンバレーで、或いは、Dr.中松の様に、金などは、選挙参加の為に使うものなのだよと語り掛けている様にも見える選挙参加オタク等を除けば、戦後初めての、九州人が挑もうとする首都制圧をして並みの目立ちたがり屋と看做すには無理も在ろうと云うもの、九州人が神武東遷以来延々と続ける北進、或いは東進へと進む様の一環では在ろうし、乃至は、一ヶ所に留まること無く新地移動を繰り返して目指す性として捉えられても良きもの、古より続く、DNAに組み込まれし冒険の習い性とでも云うべきもので、時代が動く真っ只中の此処でも、九州人の転身の習い性は斯くして今次の都議選でも認められるのである。

 地方行政をして実態的に与る地方公務員が、乃至は地方議会人が、まともな人材を以って構成されてもいれば、知事が如何なウスノロ、ボンクラで在ろうとも、邦自体はまともに動くと云う事は疑いを容れずのもので、過去半世紀以上にも亘る地方行政を僅かとは云え見て来てもいれば、自ずと斯かる理解に収斂し様と云うもの、勿論、此れは極論でも在るが、中らずとも遠からず、都政もまた例外としないと云う事の様である。

 舌癌を手術しながらの甘利特命大臣はその舌鋒や鋭く、言わずとも良い、都知事選参戦を略明確にした”細川護煕小泉純一郎/小澤一郎”陣営批判を企て、”殿!、ご乱心!”と称する細川評を記者団に言ってみせた様だが、まさに其れこそが無用なる要らぬ批判と云うもの、勿論、首相安倍晋三が後に進み出て曰く、様々な幅広い人材が集まるのは頼もしい限りとし、或いは、其れに似た言葉を発して、細川護煕元首相の出馬にもエールを贈った様だが、全く変わっていない下世話な自民党甘利明に対して、政治的リーダーの中のリーダーたる名称すら略手にした観の在る首相安倍晋三の余力ある現状、何事に付け、一大臣との政治条理の格差は著しい開きを見せていると云う事の様だ。

 選挙投票日となる二月九日まで既に一ヶ月を切ったが、都知事選に臨む顔触れこそ未だ不明ではあるにせよ、候補者舛添要一の現時点に於ける優位性は変わらずのもの、恐らく、東国原英夫鳩山邦夫等が候補者に其の名を連ねて来ても、盤石さを以って他を圧する風情は、都民である道々の民の側から眺めて見れば一目瞭然と言うもので容易に判断し得る所、私的には結婚と離婚を繰り返し、些か下半身の緩い反社会的なご仁と受け取られがちだが、自民党員時代に於ける舛添要一の政治的欠点の少なさ、或いは、厚労大臣を担った当時の手堅い其の仕事振りからすれば、如何に細川護煕氏が、首相職を経験した人物で、佐川急便に因る政治献金問題の浮上と其の追求で潔く身を引き、既に禊は済ませていると主張しても、道々の民の都知事選択の判断材料として有効に動くのは、当然ではあるが、政治的総合力を以ってする判断材料、即ち、年齢もまた構成要件の一つとして加味される事を忘れてはなるまい。

 都知事選に出馬する候補者に若者の参加が少ないのが多少気掛かりなる点だが、また、普通にする社会生活を送っていれば、定年を迎え、濡れ落ち葉の様な邪魔な存在にならぬ為にも、新たな趣味も採り入れ、溌剌と生きようかと模索する初老の人物であれば未だしも、晴耕雨読も成し遂げ、そろそろ我が人生の回顧録でも認めてみようかとの境地にも至る年齢域に差し掛かったご仁が、やおら手を伸ばし、任せっ切りに身を置けば遣り熟せる仕事も、政策理念を以って乗り込めば激務ともなる都政に纏わる仕事を、我が手で遣って見たい何ぞは<年寄の冷や水>そのもの、よしんば、遣る事が出来ても欲張りと言うもの、若手に任せて見守るべきが賢者たる翁の選択ではあるのだろう。

 細川護煕氏も、東京都は原発稼働に因る電力エネルギーを頼らぬと主張し、クリーンエネルギーの利用で賄いたいとしているが、左すれば、エネルギーに関わる東京都政の転換の道筋をどう採って付けるのかの、具体的説明が不可避であれば、此れを遣り過ごして夢想に生きる等、赦されるものでは無い。