日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆ガサツさが為さしめるブッチョウヅラ

 二十一世紀に突入した現在に於いて、世界的文化、或いは、世界文明として等しく全人類に引き継がれる、言わば、滔々として流れる水源そのものを変質させたり、瓦解させたりする事無く、民族的(国家的)に創り上げし独自の文化、乃至、文明に、即ち、此処に云う所のスラヴ民族の文化や文明に、熟考と見直しを持ち込んでは果敢に旧習を攻め、其れも、民主主義に基づく法治制度を貴ぶ中で、改めと創造を推し進め、自国の水源水流を絶やす事無く、且つ、理性在る条理を以って挑戦、民族復活と確立を期し、大胆に兆戦し続けて来たロシア連邦と其の頂点に立つウラジミール プーチン大統領、今、自国ソチ市での冬季オリンピック開催の実現を以って、十四年間に及ぶ国政活動の集大成ともなる可視的事象と為し、其れこそが、前人未到とでも言うべき、所謂、スラヴ民族に対する理性在る条理の掘り起しと覚醒、また、更なる次世代への、民族的文化乃至文明へのステップアップへと続く、言うならば、”新国家の上棟式”とでも称すべき世界文化の祭典であるオリンピック競技の実現と、その開催に漕ぎ付け、其れも、数多の国々から失敗を期待されながらも、遂には、持ち前の自助努力に因って不安を一掃、望みし国家群に対する成功の導入に因る落胆に導いた事は、ロシア連邦国家の一員として新たな組織社会を支え、且つ、自覚するかにも見え始めたスラヴ民族にとっても、再奮起を促す喜ばしい事実の到来となるもの、即ち、プーチン大統領を国家指導者として得た事で、先進国社会を知らぬ農奴や隷属の侭に措かれ、共産党の奴隷下に縛られ続けた暗闇の世界から、陽光の燦々と輝く民主主義への世界へと解き放たれ、引き上げたばかりか、公平公正を基にする法治主義社会への誘導も為され、言わば、行動に対する自己責任を伴う傍らで、条理在る国家社会づくりもまた忌避出来ずとする、民族須らくが<主>となり<従>をもまた兼ねるとの、新民主自由主義ロシア連邦国を、斯かるスラヴ民族を中核とするロシア国民は提供されたのである。

 基より、”ローマは一日にして成らず”の喩えに有る通り、新生ロシア連邦も一日にしては成らずのもの、ソ連邦体制そのものに修正を図ったゴルバチョフ大統領にノーを突き付け、彼が詰めていたソヴィエト連邦としての司令塔を置くクレムリン宮殿から梯子を外し、ソ連邦内の複数国家群と密議を凝らし、夫々が独立国として再興、自主自決に拠って「ソ連邦」を解体、民主自由主義国家群に羽ばたいた故イェリツイン政権をして、新ロシア国の誕生と看做せば、本年を以って23年を経過しようとしている今、ウラジミール プーチン大統領の現出を以ってロシア国社会も落ち着きを取り戻し、法治主義を包摂する民主自由資本主義の採り入れに由り、国際経済社会への参加もまた順調に成し遂げられ、ロシア連邦保有する豊富にして無尽蔵にも近い天然資源が当然に寄与しての、其れはロシア国経済に潤いと活性化を与えて呉れたもので、基より、染み付いて離れなかった農奴的習性も、此の23年の間で大方が除去され、在るべき筈の未だ見ぬスラヴ民族の有能なる人材の現出と、発掘すら求められては来ているが、未だ道半ば、完成途上にある事は言うを俟たずのもの、少なくとも、プーチン大統領が、スラヴ民族全体の底上げを以って待ち望む理想的民族国家となる為には、二世代や三世代を更に重ねる時間的経過が必要とされる、と云う事では在るのだろう。

 何れにしても、国際的スポーツ文化の祭典となったオリンピック競技を、自国ソチ市での開催誘致に漕ぎ付け、実現が成ったロシア連邦、基より、様々な分野からの人材を募っては新たな都市ソチ市を完成させ、国際社会に向けて発信出来る場とも成し得た事は、技術力や経済力のみならず、スラヴ民族の基礎的優秀性に在る事をも知らしめている所、よしんば、ウラジミール プーチンロシア連邦への登場が無ければ、恐らく今頃は、欧米中をして其の掌中に治め、政権の裏側から指示コントロールする、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の息の掛かるユダヤ系ロシア人に、経済界のみならず議会も支配され、今、恩赦を以って釈放されドイツ国へと逃れ、再度の復活と立て直しを図る、元石油王のミハイル ホドルコフスキー等が差配を振るう、其れこそが、ロシア版”アラヴの春”とでも云うべき無秩序状態に措かれ、下手まごすれば、今や遅しとして、漢民族中国の東西に延びる軍靴迫り来る音を待つ毎日として、露中国境地帯に住まうスラヴ民族は、戦々恐々とした日々を送らざるを得ない事態に遭遇していた可能性も在るのである。

 ソチ市でのオリンピック開催は、ロシア連邦にとっても、或いは、過半以上を占めるスラヴ系ロシア民族にとっても、民族の低力在る力そのものを目覚め向上させた新たなる社会組織構成の発見と云う事にもなるのだが、また、ウラジミール プーチン大統領にとっても同様に、誇らしくも在るロシア連邦の着実なる形成過程の一場面、其の見定めと確認と言うことにもなるのだが、斯かるロシア国家総力挙げての祭典の場に招かれた各国の元首達、就中、ぶっちょう面を以って来場、場を履き違えて座り、ロシア国のプーチン大統領でさえ立ち上がっては、各国選手団の登場に拍手を送り続けている”慮りの姿勢”に抗い、拍手をするどころか、某国の選手団の登場アナウンスには、在ろう事か座って終い、ぶっちょう面としかめっ面を以って斯かる選手団入場を遣り過ごすと云う様は、余りにも不躾で不遜に過ぎるもの、文化文明を投げ棄てて未だ半世紀しか経たずの漢民族中国の、其れこそが礼儀無き恥知らずの八千万人共産党員の中から選ばれし元首習近平国家主席の行動とは言え、普遍的なる礼を失する其れは行為と云うもの、況してや、自国選手団の登場には金銭欲の垢に塗れた手を振り、選手団の行進を監視すべくにストップさせ、開会式セレモニーを遅らせて終うと云う失態を演じる様は、唯我独尊の無骨さのみを、改めて、世界各国に再認識させた事ではあるのだろう。

 其れに比べれば、開会式に臨んだ我が国の首相安倍晋三は極めての世界人、主催国であるプーチン大統領ゲーテIOC会長同様、須らくの国家入場者に対して、立って出迎え、拍手を以って褒め称える様は立派の一言に尽きるもの、基より、漢民族中国選手団の登場に対しても、分け隔て無き拍手での出迎えをも遣って退けていれば、其の人格的、或いは指導者的質の強弱も明らか、日中何れの権力者がまともであるかまともでは無いかが明らかとなった、ソチ市で開催されたオリンピック開会式の一コマではあったろう。

 *前項に云う「ソ連邦」は「ロシア連邦」の過ち、訂正します。