日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆朝鮮民族(韓国、北朝鮮)にとって真の国益とは

 朝鮮半島から木船を拵えては櫓を漕ぎ、或いは、海流に其の身を任せ、晴れた日にはうっすらと稜線の見える島(対馬壱岐島)へと向かった五千年以上前の半島人、或いは、生活を新たにする新天地を求めては列島(主として九州や日本海側)に渡り、現在の出雲地方や博多近郊、その他の日本海の地へと渡っては、永住の地を探すための拠点と為し、はたまた、流れ着きし場所に永住しては文明文化の地を開き、生活の安定を待っては半島と列島間を往還、或る者は、祖国朝鮮半島には戻らず(其の逆も在るが)、日本列島に住み付いて定住、今にして日本民族としての血を継いで来た有史の朝鮮民族、と言うよりは寧ろ、朝鮮列島を経由して渡来した我が御先祖様たちと言っても差し支え無き、現代日本列島に住まう日本民族の我々とはなるのだろう。

 何度でも言おう。現在の人口一億二千六百万日本民族が持つミトコンドリアDNA、其の75%、即ち、四人の内の三人は、朝鮮半島出自民族のものと共有すると言われて久しいが、僅か、十年一昔前の調査結果であれば、数字そのものが殆ど変る事も無かろう所から、更に推し量れば、民族性格もまた似通いし部位が、多数目について良い筈のもの、然るに、韓国国民を率いる朴クネ大統領に見られる、陰湿なる性格とも見紛う”執念深さ”のみを当該日朝両民族の性格として抜き出し、比較してみれば、血の濃き両民族に大差は無い筈であるとは思いたいが、基より、血の濃淡とは直接に関わりこそ無いが、遣った事より遣られた事に関する災禍の方が強く、記憶(意識)としては残るもの、但し、記憶にこそ同じ様に遺す日韓両民族では在っても、閉じられた墓を再びにして暴いたり、癪に障ると言っては墓を壊したり、気に入らないと言っては、其の存在すら認めないと云う点では、日韓両民族の否定を以ってする意識は相当に乖離、懸け離れていると言えるもの、墓を暴き、且つ、壊すのを、朝鮮民族が怒りの慣習として来ているのは、漢民族中国より受け継ぎし性格が在ればこそのもの、悪党や犯罪者、或いは、偉人や賢人では在っても、黄泉の世界へと旅立った人々其の須らくは、被死刑囚であれ、”神の子”として等しく葬られては祀られ、手を合せては拝まれる存在にもなると言う、所謂、日本民族独自の死生観なのだが、斯かる精神文化の誕生とでも言うべき変化と其の受け容れに関しては、紛う事無く、半島に残った人々と列島へと渡った人々との間には変化を見、死生観(相違)の新たな選択として受け容れられたもの、即ち、列島に渡りし間に、半島文化が熟成、日朝両国民が異なって頂く夫々の文化へと進化したと言う事にはなるのだろう。

 基より、日韓両民族は、75%もの同祖同血の民同士に有りながら、何故に日韓間で斯くも民族性格が異なるのかと言えば、新たにして且つ遥かなる時間の経過が起因すればこそのものである事は確か、此の意味では、原風景を抱き続けて今なお指し示しているのが韓国国民であり朝鮮民族、一方、半島や大陸から持ち込んだ文化文明を日本列島に渡っては修正付加、乃至は新たに築き上げて来たのが誰在ろう、朝鮮半島からの渡来民族たち、即ち、現代社会に住まう我等日本民族の御先祖様達と言う事にはなるのだろう。

 朴クネ女史をして自国大統領に選んだ韓国国民、また、菅直人野田佳彦をして首相として選んだ在りし日の日本国民、と言う悔いの残りし事実もあるが、日本の場合は直接に選択したものではなく間接的選挙を通じての其れは首相選択、その意味では大いに異なると言いたい所だが、まともなる権力者が存在していなかったのもまた事実、斯かるプアーなる為政者環境の中で、選択責任(原発事故等を惹起した菅直人)と言う意味では、間接的な選択に在ったとは言え、日本国民もまた結果責任からは逃れられずのもの、”日本”と聞いただけで悪寒を覚える朴クネ政権同様に、或いは、当時の菅や野田政権に対しての連帯責任と同様に、韓国国民も日本国民も、不条理事象を惹起させた政治的責任回避は決して出来るものではない、と言う点では一致するのである。

 即ち、菅直人野田佳彦は、国家社会正義の顕現など何一つとして成し得ずに、高額なる禄を食み続け、無駄メシ食いどころか、貴重なる時間を無為に浪費、日本国家社会を貶めるだけおとしめては退陣を余儀なくされ、冷淡と嘲笑を以って揶揄する眼差しの中に権力の座を明け渡しただけなのだが、菅や野田を上回るべくの政治経済的始末の悪さを露呈、外交的には、韓国民族社会をして再び、漢民族中国に其の身を委ねては宗主として受け入れた観もある朴クネ大統領、国家元首の地位に在る事を忘れたのだろう同女史、あまつさえ、共産党漢民族中国の習近平に、韓国はオレが護って遣るから安心せよとまで言われるに及んでは何をか況や、独立国家韓国の自尊心に傷が付こうと云うもの、朴クネ大統領を擁した侭の任期、五分の四近くを未だに残す此の暑っ苦しくも永い三年八ヶ月は、日韓両国民に気の毒なる外交として覆い被さるもので、畢竟、韓国自体が何処へ向かって歩んで行くかは朴クネ大統領次第と云う事にはなるが、日本に向かう事だけは決して有り得ずのもの、それらしき一つの芝居すら演じる事も無いと云う事ではある。されば、韓国社会の向かうべき目的地が何処かと言う事にもなるが、習近平の言動から推し量れば、二の腕を掴まれた朴クネ大統領にも在る事を想定させるもの、と言う事は、漢民族中国へと韓国社会が向かわせられることが想定出来るのである。

 米欧日を支配する件の、シオニストユダヤ系大財閥資本家群にとっては、手間と費用の掛からぬ、其れこそが”飛んで火に入る夏の虫”とでも言うべき安易にする無思慮の選択、言うならば、韓国民族をして平定支配を企む目的地への人的兵站としての駆り出しをさえ意味するもの、韓国民族をして漢民族の配下とし、所謂、隷属の民と為すもので、北東アジアに於ける、ロシア連邦平定の為の最前線に立つ兵士の供給国が、習近平政権に対する朴クネ政権の身の奉げで、また一つ確定したと云う事にはなるのだろう。

 朴クネ大統領の、反日嫌日/排日活動を前面に押し出し続けた、就任以来の此の一年有余に於いて、国内外に亘って顕わした目を見張る政策が何か在ったかと言えば、何の事も無い、自国韓国民をして排日意識に向けて再教化し直す一方で、漢民族中国習近平政権の隷従の民として強い、自国韓国民族をして漢民族の足下に追い遣る、言わば、被支配の奴隷化政策が在っただけ、即ち、日本民族をして蔑む対象としながら、一方では、自国民に対する家畜化教育を以って、いつの間にやら漢民族の奴隷へと自国民を奉げるだけでしか無かったのである。

 残念ではあるが、国家を一とする船舶運航関係者須らくの作為的犯罪であると言って過言では無い件の、”セウォル号”の転覆事故を契機に、次から次へと噴出した不条理を以ってする疎ましき社会事象発生に因る露見、其れは未だに続いているもので止まる気配すら見せないのだが、恐らくは、韓国社会の日常的事象となって久しい著名なる、五千万人韓国人”形成外科”総利用に由る、美容整形術後の満足感の如きもの、仮面を被って出て来ても、其の内面に持つ本質や本性迄は変えられる事も無いと云う事であって、日本をして仇敵に譬え続けたにせよ、韓国社会に巣食い、且つ、拡がる不条理性、其の蔓延は、朴クネ大統領の為し示す他力本願の事大主義を以ってしても、食い止められないと云う事では在る。

 異民族との接触には、四方を海に囲まれているが為に、時間的クッションが与えられ、程度の差こそあれ対応の取れた我が日本国とは異なり、地続きに異民族群(高麗民族を含む)と接し続けて来た朝鮮半島はと言えば、古来、アジアの中でも特に静謐さの少ない地域、基より、今でこそ半世紀にも及ぶ期間、停戦と言う名の下にではあるにせよ、和平が保たれている事は称賛すべき事なのだが、朴クネ政権に因る”排日政策”と”従中華政策”の二個一政策は、決して誉められた代物では無く、特に、卑屈な程に自国民をして漢民族中国へと追い遣る姿勢は、北朝鮮国を含む朝鮮民族をして漢民族中国の奴隷へと差し出す様なもの、近世に至るまで引き継がれていたとされる「朝貢」の儀、此の中には、朝鮮民族から漢民族に対する、毎年数十名にも及ぶ見目麗しき婦女子の朝貢も在った事を歴史は教えてもいる。

 朴クネ大統領こそ、斯かる類似的悪弊は朝鮮民族の長、其の責務としても消し去らなければならずのもの、努々、形を変えただけの悪弊の継続は、朝鮮民族の利益にはならないのである。