日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆北朝鮮国による”天国と地獄”の選択肢 −その2−

 相手がどう思うかは別として、考えずとも言える事は、北朝鮮国家機関が作為した件の、列島に住まいし日本人を主目的とする誘拐拉致実行行為が無ければ、北朝鮮民族を忌み嫌う理由など何一つとして無く、況してや、朝鮮半島に在って、或いは、日本列島に於いて、古より日朝両民族が肩を組む一方で、何れが兄か弟か、姉か妹かは別として、兄弟や姉妹喧嘩の真似事すら為したであろう事も多々在った日を偲び、また、翌日にはケロッとして何事も無かったかの如く、再びにして手を繋いでは輪を作り、物事に打ち興じて来た事も永らく続いたであろう日朝両民族、基より、戦後七十年近くにも上る現状の両民族に、相互の長所短所を間近に見合った在りし日の、日朝両民族以外には決して味わう事も出来ない、其れこそが同祖同血に繋がる民族同士しか味わえない、在りし善き日の経験の持ち主は左程に多くは無く、今では、日朝双方が双方をして必要とすると理解し得ていたで在ろう中での、相互の欠点や長所をすら大事なものとして捉え、且つ、認識し合える翁(おきな)や媼(おみな)をして、当該両国の中に探し出すのもまた困難を極めてもいるのだが、言うならば、其の様にお互いをして無意識裡に理解し認め合う中で、日本社会を造り上げていく一方の同朋であると看做す人々もまた少なくなりつつあるのも事実、だが、一つの問題さえクリアー出来れば、過去にこそ戻る事も無いが、新たなる日朝関係を、現に夫々が新たにして生き続ける中で、相互に立派なる国を切り開き、拵える事も適うと云う可能性すら与えて呉れ様と言うもの、政治的体制こそ違えど、向かう国家社会的根幹を動かすベクトルこそ同じ方向へと向かう筈、再びにして歩み寄れぬ筈は無きもの、其のクリアーすべき問題が何かは言う迄もなく、日本人拉致問題の解決が唯一残されているだけなのである。

 二十世紀半ばより分断されし、所謂、没交渉の日朝関係は、日本国の大東亜戦争敗退と言う形で始まったのだが、其れは同時に、方や、独自的外交がまったく赦されぬ、米国の干渉に因っても左右される日本国家となり、一方の北朝鮮はと言えば、其の米国と対峙する、ソビエト連邦を主体者とする全き干渉に因って、所謂、南北朝鮮への分離分裂の憂き目にさえ遭う事と相成るのだが、即ち、今と異なる当時に於いては、ソビエト連邦の軍事的前衛として動いた件の、漢民族共産党赤軍人民解放軍)の銃の突き付けに因り、南の同朋との間にも国家分断を強いられて終うと言う、二重の苦痛を背負う事となったのもまた現在の北朝鮮国、或る意味に於いては一心同体にすらあった日朝両国が、日本国の戦争敗退と言う事由が本で全くの異民族同士で在るかの如くに措かれた侭となっているのは、其れこそが、先の大戦で南北に分断された韓国との間の、不条理なる境遇に勝るとも劣らずのもの、言語や慣習こそ明確に異なりもする日朝両民族の現状だが、中々にして赤の他人とも思えずの現状にも在れば、韓国の大統領である朴クネ女史が、一をして百と言い、千をして億と言うが如き相容れぬ日韓関係の仕立て直しを否定し、一を一、千を千として証明するのも無駄で在り徒労、去るもの追わず、来るもの拒まずの格言に則り、粛々と見遣るだけで良いのだろう。

 親子に生れたとしても何かしらの理由を以って、親子の縁を切る場面すら在れば、兄弟や姉妹ともなれば、他人の始まりと言われるが如くに少なくは無きもの、基より、少ないか多いかは別としても、両親の死去に因り出来する、遺産相続等に関わる配分を基にするいがみ合いに因り、終いには、縁を切るとの捨てゼリフを遺すか遺さずかは別としても、兄弟が疎遠になるのはよく在る社会事象、斯かる兄弟離反事例は日韓両国に当て嵌めても何の不都合すら無きもの、基より、日韓両国の経済人に因る交流さえ続く以上は疎遠とも言えず、況してや、絶縁とも言えずの二国間関係に未だあれば、日韓の何れが先に”三下り半や絶縁状”を叩き付けるかにも因るが、触れず、騒がずに放置して置くべきが肝要、日韓の現状に鑑みれば、其れこそが粛々として日本社会は進めば良きもの、敢えて、宥めたり、賺したり、機嫌をとったり、意に反する言葉を贈ったり、土下座迄して謝罪を為す等は不要としなければならずのもの、朴クネ大統領自身が為す己の政治的行為をして、如何なる結果を誘引するかは事前に判断して措きたいもの、為すが侭、後は野となれ山と成れでは単なる”ヘイト スピーカー”の一人、おぞましさと言う点に於いては、批判の対象となる彼等と何等変わる事もない、其の事をこそ知るべきである。

 一方、離反の憂き目に遭い、没交渉となっていた北朝鮮が代を経ての三代目に、日本との間に紛う事無く存在した古えの”誼”を知り、尚且つ、誼の復活せぬ事由をも知り、斯かる事由ともなるトゲ、即ち、日本人拉致問題の解決と言う”トゲ”を抜く事で、在りし日には、互恵平等を以って共存共栄を図り、あまつさえ、日本列島に於いては、文化文明の一翼を担う人材としても参画、立派な事績を遺した高句麗民族も少なくは無かった事を教え、また、今もなお、斯かる血は日本民族の一人として残り続けている事をすら教えて呉れてもいるのである。

 基より、日本列島に住まう五人の内三人の血に、即ち、75%の人々の血には朝鮮半島から渡りし人々のミトコンドリアDNAが伝播され、広く受け継がれてもいれば、日朝両民族が兄弟姉妹と看做し得ると言われても否定し得ずのもの、確かに、何を言いたいのかが皆目解からない朴クネ女史の様な人物も、日本人のA子さんやB子さんにも同じ様に見えているであるとか、C子さんやD子さんにも粘着質でネチネチとした、或る種、陰湿なるタイプの女史も見受けられると言った具合ですらあれば、気付かずの侭に日本から去るのも彼女の性格が教える所、理性在る条理を以ってする行動を是として変わらぬ日本に在る以上、去るのも来たるのも韓国であり北朝鮮国、見守り、且つ、受け容れるのは独り日本国であって、日本国が離反すべきか近付くべきかを判断するのでは決して無いのである。基より、条件が付する事は言う迄もない。

 現ロシア連邦が、未だソ連邦に在った時代に、極東域に於いて北朝鮮国の人々を多数、且つ、何度も、空港で目撃した事が私には在り、基より、彼等は木材の伐採等に携わっていたと言われていた人々(労働者)では在るが、其れはまた、故国から来たか戻るかの何れかの人々でもあったろうが、概して、大人しく、且つ、頭髪は清潔に刈られ、我等日本人や韓国人とは何処と無く異なる、地味な人々として映り続けたのも事実ではある。基より、数十年前の残像なのだが、其れでも尚、当時のソ連邦、乃至、新たにロシア連邦へと変わった時代に在っても、大人しい北朝鮮民族で在る事は不変でも在ったろうし、ロシア連邦にとってもまた格好の労働力としているのも事実ではあるが、頼もしいパートナーなる雰囲気は今に至るも、露ぞ、見て取れる事だけは無かったのである。

 此れが、北朝鮮民族に対する、ロシア連邦漢民族中国政府に因る、北朝鮮民族に対する偽らざる見方であり、今もなお引き続く対処の仕方とでも言うべきもの、相も変わらずの彼等二大国に因る北朝鮮国観には在るもの、基より、日本人の一人としてみたものでは在るが、露中両国に因って、重要視される事の無い彼等北朝鮮民族、斯かる得も言われぬ迫害心や差別心を見させられるに付け、違和感すら抱いた事もまた忘れる事が出来無いのである。基より、此れは三十年前より十年前に至る過程での一個人の心象、普遍性をこそ持つ心象であるとは言い切れぬが、磨けば光るであろう民族をして、貧困である事を理由に、或いは、伐採や鉱山等で働く単純労働者で在る事を理由として、其れも、異民族の北朝鮮民族で在る事を事由として、元共産主義社会国家の大元締めたる露中の二ヵ国が、平気で北朝鮮国を軽視し、差別や蔑視を以って平然として居られるなど、現実を見る迄は解からずのもの、基より、日本列島の中に居ただけでは、結局、今に至るも解からず仕舞いのものでは在ったろう。幸か不幸かは知らねども、複数回に亘る同一なる場の目撃が、北朝鮮国をして、磨かれるべき民族集団に脱皮すべきと考える様になるもの、恐らくは、古えのご先祖様の御霊が吾が薄き思考を衝き動かして呉れたのであろう、北朝鮮民族を理性在る条理に覚醒させよと。

 先ずは日朝間に突き刺さったトゲを抜こうではないかと持ち掛けた、北朝鮮国三代目の金正恩国防委員長自らが動き、拉致問題解決の承認に動いた事に意味は在るもの、基より、安倍晋三もまた、岸信介(乃至佐藤栄作)、安倍晋太郎に続く、三代目と来れば、奇遇として見て取れるのも事実だが、其れ以上に重要なる事は、北東アジア域に於いて、ロシア連邦の壊滅平定を期した第三次世界大戦を喰い止め得る、日朝二国間とも成る抑止効果の存在と可能性すら、日朝間の交流は秘めているもの、換言すれば、漢民族中国をして徒に暴れさせない、戦争抑止効果すら期待出来るのである。