日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆スコットランド独立是非の波紋

 歴史も由緒もともに正しく備える民族(集団)を、力関係のみを以って糾合せし中で、自らとは縁も所縁も無い支配者である当該異民族をして国家元首である君主(世襲制)と崇め奉り続け、自らもその他大勢の被支配者の一人として延々と、支配民族とともに此れから先もなお同一国家体制内で被支配民族として暮らすよりも寧ろ、力関係に因る糾合さえ無ければ、いったいどの様な個別独自の国家が形成され、斯かる国民の一人として己は歩んでいたのだろうかとの一国一城の主、若しくは、民としての夢想が、果たして成立する方に賭けた方が遥かに価値在る人生になる、と判断するか、左も無くば、自主独立なるものは観念的なもので、現状を認識できぬ青二才が求める夢想、其れこそが理想主義者の弁でしか無く、先々を考えぬ戯言として捨て去る事が至極まともな判断なのであるとの、二者択一の住民投票が英国を構成する国の一つスコットランドで、此の18日に執り行なわれるとある。

 未だスコットランド自体は、大英帝国から完全に分離独立と決まった訳ではないが、同じ様な事例はウクライナ国クリミア自治共和国でも見られるもの、即ち、此の3月には住民投票が実施決議されて独立が決定、2015年の来春に於けるロシア連邦への組み込み参加が略既成事実となった事例に対比出来るものとして認められるが、こちらの方は、米国やEU、或いは、日本等に因って今もなお反対とされており、クリミア自治共和国の独立も、其の後のロシア連邦への編入もともに認められないとされるのだが、当該スコットランドに関わる独立(住民投票)に関しては良いも悪いもコメントせずで、双方を対比すれば、何故にと言いたくなるぐらいに、欧米や日本の双方に対する別個にして異質なる政治姿勢は実に卑猥に過ぎるもの、ウクライナ国の人々やロシア連邦の人々に対する、欧米や日本の自主自決を認め様とせぬ、其れこそが蔑みでの見方でしかなく、実に非礼には過ぎる判断ではあるのだろう。

 此の3月に独立したクリミア共和国に関して言えば、当該半島に適切且つ継続的に住まいし人々が、過半以上を占めて独立を是とした投票行動を決断、更に、ロシア連邦への加盟もまた可として認めたもので、今まさにウクライナ国の東部領域で起きている独立騒動、即ち、ドネツィク州やルガンスク州等での内乱紛いの政府軍との軍事衝突は、まさに、ウクライナ政府は基より、欧米や日本からも、自主自決の独立等はもっての外とし、独立に向けた住民投票など許されずとする断定が本となっているもので、然も、国際社会の大勢に在るかの如くに流布されてもいる悪質さにも在るのだが、此れこそが極めて不遜なる決め付けと言うもの、スコットランドの民族が国家としての在り様を今一度決しようとしている、或いは、国際社会が総じて、其の成り行きを興味深く見詰めると言う、此の事実をこそ尊重すべきで、クリミアの独立問題や、ウクライナ国東部自治共和国の独立問題に重ねて評価、尊重すべきが筋、異なる民族が対立して存在し続けると言う現状に措かれている以上、既存の国家もまた、自主独立国の誕生として認めるべきが21世紀型国家の在り方ではあるのだろう。

 <スコットランド>の独立是か非かの行方が、国際社会に根強く籠る独立運動に大きな影響を与えるであろう事は想定される事実、基より、同一視こそ適わぬが、既存の国家群に因り拒絶されるイスラーム国問題も其の一つ、また、アフリカ大陸やアジア大陸のみならず、欧州乃至EU域で燻り続ける独立問題ですらあれば、スコットランドの独立を是とする住民投票が一票でも多くを占めれば、国際社会に対する影響力は計り知れずのものとなり、一方、スコットランドの独立は望まぬとして、同意せずとの住民投票が一票でも多く上回れば、国際社会に於いてもだが、既存権力者群に因る権力の維持は保全される事を意味し、基より、欧米白色人種群内に於ける住民投票の選択こそ、今迄通りに認められもするが、有色人種群に対する、所謂、独立の是非を問う住民投票の実施どころか、自由投票の本質的存続そのものに疑念すら湧き続ける事とはなるもの、即ち、国際社会を取り仕切るシオニストユダヤ系大財閥資本家群にとっては、ロシア連邦スラヴ民族を一とする有色人種群なるものは、選良民を除く白色人種群の、下位に位置付け措かれる家畜人間なる存在、左すれば、独立の是非を問う権利など猫に小判の類のもの、与えても意味は無く、持っていても怪我さえ惹き起こし兼ねない危険極まりない其れこそが、ツールともなれば、不必要な自由であり価値無きもので在るとの判断に捨て措かれるのであろう。

 大英帝国には、現アイルランド国の様に、第二次世界大戦後逸早く(1949年)、イギリス連邦から離脱して「共和国」を宣言し独立、数百年にも及ぶ長きに亘る念願が叶った国も在れば、今も英国領の侭に措かれている北アイルランドの様な邦も在り、其れでも尚、自主独立を目指す動きは根強く残り、併合されし以前の独立国に戻りたいとする住民が数多く存する事は知られた事実で、独立の可否を問う事象に関しては武器弾薬を以って為す壮絶なる抗争もまた記憶に新しく在り、斯かる願望が完璧に封殺されたとの場面には未だ至ってもいないのである。

 どちらを選択するとの住民動向、即ち、独立是か否か何れかの一票として投じたかは19日中には判るが、「是」を選択したとすれば、大英帝国の実体的崩壊が今まさに始まるのであろう事を意味するのは言うを俟たず、其の可能性の高さをこそ教えて呉れる事にもなるのだが、一方、恐怖心をすら植え付けた大英帝国挙げてのプロパガンダともなる「否」の票が一票でも多く「是」を上回れば、取り敢えずは現状維持としての安泰、エリザベス女王をして国家元首と戴く、立憲君主制の政体そのものは崩れず、また、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の意向に流される国家として、大英帝国の実体は狭小化を見て行く事とはなるもの、衰退と質の劣化だけは免れずの大英帝国とはなって行くのだろう。

 大勢としての国際社会は、スコットランドで為された独立是か非かの住民投票をして、然も、通常の国政選挙扱い看做しで着目、喧しく行方を占っているが、繰り返して言うが、ウクライナ国に於けるドネツィク州やルガンスク州の自主自決に関しては、米国が独自の安全保障政策理念を推して唱導し、且つ、実践している様に、騒乱や内乱の萌芽に在ると見て許容せず、あまつさえ、ロシア連邦に因る”教唆、誘導”が伴うと断定、国際社会の世論誘導を謀るプロパガンダとは一線を画するもの、基より、独立を求めると言う本質に於いては同じで在るにも拘わらず、後者に対しては全くの対峙ともなる、”正邪”の邪に措き続けるアメリカ合衆国、いやっ、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の「ユダヤ帝国」、スコットランドでの結果次第だが、苦戦を強いられる「是」派の勝利に終われば、何れの日にかに於ける、国際社会を操る「ユダヤ帝国」の終焉もまた見られる”芽”が、可能性として出て来たと云う事になるのかも知れない。可能性?、殆ど無かろう。

 余談にはなるが、我が日本国の自治体(一都一道二府四十三県)でも、スコットランドやドネツィク州と同様に、斯かる独立願望を抱く住民が、全くの皆無かと言えばそうでは無きもの、夫々の住民の中には、出来得れば独自の新たな政体の下で生きてみたいとか、福岡を首都とする九州王朝を復活させてみたいとか、島根県を独立せしめ、出雲王朝を復活させたいとか、東北秋田の地には蝦夷王国を、北海道の地にはアイヌ共和国を建国したいとか、沖縄県は独立して、再びの琉球王国を立ち上げたいとする人々が、まったく居ないとも限らないのである。

 勿論、スコットランドやドネツィク州等の様に、自主独立を求める理由、即ち、政体を共にする中で都度異見が生じてはぶつかり合い、挙句の果てには、のっぴきならない状況下にまで追い遣られ、尚且つ、異見をぶつけ合う民族もまた明らかに異なる集団として存在する等の明確なる事由でもあれば別だが、我が日本国の場合は、其の良し悪しは別としても、古にまで遡り、且つ、虫眼鏡の力を借りて眺めれば、精々が、朝鮮半島を経由した御先祖様に相違ないとか、現中国大陸北部の出自であろうとか、いやっ、現ロシア連邦の極東領域からの出自も在るとか、南方系から舟で辿り着いた人々で在る等の、僅かな蓋然性に基づく人種等々が俯瞰出来る程度に終わるもの、スコットランドやドネツィク州等の様に、明確に、民族や人種の相違として検証されてはいないのが我が日本国、未だに、日本民族は純粋なる民族であると信じ切る人々も少なくは無く存する、其れは所以ともなっているのである。