日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆激減し始めた日本人留学生、特に対米

 アジア大陸への侵略のみならず、陸、海、空、はては宇宙へと、シオニストユダヤ系大財閥資本家群に倣い、世界を駆け巡る漢民族十四億人を数える中国の民、欧州で学ぶ日本人留学生で在れば、何処へ行っても彼等に付き纏われるらしいのだが、すなわち、漢民族中国人に詰め寄られては、したくも無い話しを持ち掛けられ、安部晋三首相に対する批判の弁や、尖閣諸島に関わる日本の排他的領土に、中国のモノとの異議を唱えられ、”お前はどう思うのか?”と詰問調で迫られる等、漢民族中国の配慮無き青年たちで欧米留学社会は溢れ返っていると聞くが、残念ながら確かな事の様である。此れでは日本人留学生が年々にして減少し続けるのも道理、漢民族中国の青年子女が行かぬ留学先など有る由すら無ければ、其処は我慢の為所、我が国子弟の欧米留学に際しては、対中外交研鑽の場へ臨むべくの事前講習を授かり、赴くに如くは無し、当面は学究一辺倒の留学生活は確保されるであろう。

 日本人を捉まえては政治問答を吹っ掛け、脅しては自らに有利とも思える返答を強要する漢民族中国の民(留学生)、よくぞ此処まで親に似るものだわいと寒心するが、此の国の若者たちにとって、留学に拠って語学を一とする学問を学び、且つ、研究する目標を設定し、或いは、真剣に取り組んでいるかが実に気になる処、全ての漢民族留学生が杜撰に過ぎると迄は断定出来ないので在ろうが、少なくは無い数の漢民族青年には、有り余る金を持つ共産党員の両親や叔父伯母に勧められ、”西欧の大学に留学し、共産党員幹部になる為の箔だけは付けて来なさい!”、その様に言われ、好きでも無い勉強を遣りに来てみただけと言うのも相当数には上る様だ。

 勿論、共産党員エリートの両親が、或いは、此れまたエリートである共産党員の子無き叔父や伯母が、何十年もの間一所懸命になって働いてやっと稼いだ、(邦貨換算)○十○億○千万円もの不正蓄財が海外送金出来ていれば、子や、唯一目の前に残った甥っ子の成長に向かう彼等の目は、勢い、国内での労働対価を以っての稼ぎの種類に向かうのではなく、中国共産党員になる事で幸運もまた巡ると信じ、蓄財(海外)に対する防御もまた適う、或いは、場面に因っては、一族郎党で欧州やカナダ、乃至は、米英や大韓民国への永住すら叶う、との目も在るのではないかと読むのである。

 余計な事を言って終ったが、漢民族中国人とは言えども格差は歴然たるもの、苦労せし両親の家庭には、時として条理に明るく聡明に育つ子もいる様だが、一方、エリート共産党員の家庭では在っても、金に不自由無き家庭では、子供が欲しいと要求するモノは直ぐに買い与えられるのを常とし、其れが昂じて、青年期に差し掛かるまで甘やかされ放題に育てられた共産党員の子等はどう育ったのかと言えば、それはそれは大層なる両親の扱いに反して、云う事をまったく聞かぬわ、反抗ばかりか不良行為はするは、学校からは呼び出しが来るわと、散々な一時期(思春期)を過ごす事と相成る家庭も少なくは無く、為に、目先を変える意味も有り、欧米への早期留学を以って、我が一人っ子の歪んだ性格を早期に直し、性根を鍛え上げ、親に従順で至極まともなる共産党員の卵として、再び中国大陸へと戻ってきて貰いたいと、彼等の両親の多くは切に祈っているのである。基より、共産主義社会国家中国に宗教自体が認められてはいない筈だが、此れはまた別、基より、如何に無神論者とされた故毛沢東や故周恩来では在っても、困った時ぐらいは、一人で天を仰ぎみて溜息を吐き、土地の神頼みさえした事ではあろう。

 何人もの側用人を付け、未完成の吾が息子や娘の欧米留学先にまで同行させ、目を光らせてお守りをさせていれば、何とか可能性のある人間として成長し、五、六年後には必ずや反抗期も過ぎ去り、立派に成長して帰って来て呉れるに相違ない、との幽かな想いで送り出すのを常とするのだが、其の殆どは、元来が勉強や学問に馴染めずの、両親同様に、氏素性の芳しからざるガサツ者が多く、言葉を覚えると同時に数多くの遊びを覚え、不断に手にし得る送金に因り、スポーツカーは買い変えるわ、未成年ながらパーティーと称して飲酒はするわ、側用人も見て見ぬ振りの様々な誘惑に嵌り、、と、はてさて何処かで聞いた様な話しではないかと思えば、其れは、今は本国中国で刑務所入りし、無期懲役下に在る元共産党幹部<薄煕来>の子息の例に見られているのである。

 此れは、何も特殊なる事例などでは無く、相当の数に及ぶ似通った事例である事は確か、その様な物見遊山に時を過ごす彼等若者が、勉強もせずに遊び呆けた挙句の果てに、日本人留学生と見るやからかい半分に近付き、「安倍に文句在るよワタシ、、」であるとか、「釣魚島は中国のモノ、どう思うねアナタ、、」等と言って二十代そこそこの日本人留学生をからかってみせ、面白がるのである。基より、言われてばかりもいない日本人では在るが、総じて、相手にせぬ事を覚えて来ている日本人留学生、ガサツなる留学生等に対しては相手にせずが徹底して来ていると云う事の様だ。

 漢民族中国からの留学生自身が持つ資質や性格も去る事ながら、ガサツさ並びに唯我独尊の身に纏いが、全くにして条理修正される事のない漢民族中国そのものに、留学生個人が持ち来たっては吐き出す嫌悪物が更に固くコーティングされるだけ、漢民族中国人と云う個人そのものは勿論の事、彼等が胸を張っては誇示する国家中国そのものが、受け入れ国である欧米諸国より、一向に、尊敬される存在になど成れる由すら無いのは当然である。基より、憐れでしかない。

 其の様な漢民族中国に対する、留学生の受け入れ国である欧米諸国のみならず、韓国やロシア、或いは日本といった国々から漏れ伝わる言葉からは、何一つとして漢民族留学生に対する不平不満は聞かれず、且つ、見られず、不平不満が浴びせられるどころか、まだまだ受け入れ余力は在るとして、中国政府に増員を請願するものばかり、基より、日本もまた例に漏れずの”留学生待ち”状態にもあれば、漢民族子弟群に因る海外での難癖付けの常態化等は現地で工夫して対処せよ、と諭す様なもの、母国に頼っていては駄目、立ち回りが弱かろうとも、己の道は己が切り開くべし、敢えて喧嘩を買う必要こそ無いが、弱みを見せ付ける必要も更々に無し、左すれば、今は学研の為、研究の為に異国の地に詰めている、左すれば、今はあなたと話す余裕も準備も無いので自論の開示は差し控えたい、失礼する、と伝えて其の場を去れば良かろう。何れにせよ、相手にせぬのが何よりの選択ではある。

 今、日本の若者が総じて留学熱に冷め、特に、米国(特に大学)への留学者数が目に見えて激減している事実は否定し難く、一つの理由を質せば、上記に挙げた、漢民族中国人の、”あの”押し捲る唯我独尊を以ってする行動を得意技として平然とする、所謂、漢民族青年団に等しく見られる自己中心的熱気に対する嫌悪感と、何処へ行っても我が範囲なりとする、辺り構わず大声で撒き散らす言葉の押し付けが、如何なる留学先でも等しく認められる事での忌避、退散を余儀なくさせるもの、勿論、此れだけが唯一の理由では無いが、生来に於いて、静かに話す口調を以って会話の礎とし、配慮の為に押し黙る事すら会得している日本人の若者にとっても、甲高く、且つ、頭の天辺から錐揉みでもする様に突き刺さる彼の国の言葉は辛く、耐えられずのもの、聞き捨てならずの鋭音、左すれば、斯かるアメリカ合衆国の受け入れ大学は総じて学研の環境相整っているとは言い難きもの、研究意欲も削がれるとして何時しか口伝えで拡がり、アメリカ合衆国から日本人留学生が激減し始めた、一要因ともなっているのだろう。

 よくよく眺めてみると、日本人の若者から留学熱が冷めた訳では無く、外国の留学生受け入れ環境や教育環境そのものに、新鮮さや魅力が感じられず、また、教育的重厚さに欠けている事も、特に、米国への留学生数が激減している一因として考えられられなくも無いのである。勿論、一時代前に見られた、所謂、猫も杓子も米国留学と云う、中身の伴わない、一種の自己満足を追い駆けただけの”自分史”作りが何等の意味も持たず、況してや、価値等見い出せずの侭に、一年や二年間のエンディングを向かえて国に戻れば、其処に待ち構えるのは、年収二百万円の社会生活に満足する可能性の高い己の姿が見えるだけ、即ち、”何かを遣ってやろう!、創造してやろう!”は何処へやら、”今を以って諦めるか!”では、悔やんでも悔やみ切れまい。

 こうして見て来ると、我が国青年の数十倍もの数の人間を以って米国や欧州に送り込んでいる漢民族中国だが、どう足掻こうとも斯かる現実だけは変えられずのもので、左すれば、留学そのものを実現したいのであれば、目的を再確認する中で自問自答、或いは、回りの意見を求め、米国や欧州への留学は執り行うべきもの、基より、障害などは撥ね返すぐらいの気構えで臨みたいもの、勿論、己の学研を富ませる事こそが、相手の不条理を未然に防ぎ諌め得る源とはなるのだろう。

 彼の国から言われない様にしなければ、、、。