日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆神は有色人種群を見捨てたりはしない

 ウラジミール プーチン大統領がホットラインを借り、真偽の程をオバマ大統領に質しても、合衆国連邦政府の指示に因る原油先物取引市場での売り浴びせであるとか、或いは、為替取引市場に於ける通貨ルーブルの投げ売り指図であるとかの、所謂、直接的には、ロシア連邦の貶めを主たる目標としたアメリカ合衆国の国家掛かりでの経済的制裁とでも云うべき不条理なる政策指示などしてはいないし、法的に出来る由も無いと答えるのであろうが、其の代わりにと云っては何だが、意図さえすれば、国際金融経済をして思いの侭に動かし得る、市場操作能力すら備えているのが誰在ろう、件のシオニストユダヤ系大財閥資本家群である事を教えて呉れるかも知れないし、即ち、原油先物取引市場での買い叩きであろうが売り浴びせであろうが、はたまた、為替取引に因るルーブルの売り浴びせであるとか買いであるとかの、対ドル急落、若しくは、急騰等に向けた操作は、手慣れたもので可能、タックスヘイブンの地に大量且つ無尽蔵にストックするマネーローンダリング用の通貨を投入して用いれば済むだけの話しである事を教えて呉れるかも知れないのである。

 其れも此れも、主要国の通貨そのものが、シオニストユダヤ系大財閥資本家群が取り仕切る経済ゲームの表象物ですら在れば、容易に為し得もする業と云うもの、基より、精算時にこそ注意は要するが、国際金融界の須らくは、斯かる米英をして主たる根城(シティーウォール街)とするシオニストユダヤ系大財閥資本家群が取り仕切る場ですら在れば、作為を伴う買いも売りもお手の物で自由自在、即ち、オバマ大統領の言に反して、価値の貶めも高めも自由自在とはなろうもの、自由主義経済諸国の基軸通貨となって当たり前とされて来たアメリカ合衆国のドルや英国のポンド、更には、日本の円でさえ、叩き売りも買い占めも可能、遣ろうと思えば何時でも遣れるのが彼等シオニストユダヤ系大財閥資本家群の傘下に在る国際金融家群の作為的にする技量とでも云うべきもので、諸法律、或いは、ルール等は、彼等が決める排他的権利ではあっても、彼等に及ぶ不利益等は一切無く、彼等以外のものが、即ち、奴隷達(国)が、等しく守る為にのみ被り、且つ、存在する、其れは法律でありルールでしか無いのである。

 前回の当欄に於いて取り上げた、所謂、「仏パリでの新聞社襲撃テロル事件」と、其の後に於いて発生した、逃亡犯による民間事務所人質立て籠もり事件、並びに、新聞社襲撃事件に呼応したと思われる、イスラム教組織アルカーイダ所属を名乗る男女二名に因る、ユダヤ人用食料品店に押し入り、人質を取って此れまた立て籠もった事件は、新聞社襲撃事件から四日後の未明に於いてともに解決、即ち、八万人に上る数の武装警官や軍隊を配備した中で、二ヶ所の現場に於ける突入が同時に決断され、テロリストの犯罪者は銃撃戦を交わす間も無く撃ち抜かれて斃れ、三名が即死、一名は逃亡したと報道されている。また、同じ報道では、人質四名が銃弾を受けて死亡、他には、何れの犯罪現場かは判らぬが、突入した警察官か軍人の一人が銃弾を受けて重症を負ったとも言われている。

 仏の報道では、人質四名の死亡と其の因をして即座に、テロリストの仕業であるとの報道を流していた様だが、テロリストの撃ち放った弾丸で有ると特定するには、凶弾に斃れた人質の体内に、よしんば、残っているのであればだが、”弾丸”そのものを摘出して調べるのが筋であり、公に示す其れこそが真相の開示と云うもの、犯罪者の肩を持つ意図等は更々に無いが、仏系報道社の、上記に見られる断定的報道は真に受けてはならずのもの、勿論、犠牲となった無辜の民四名の、追い打ちを掛けた更なる死亡の追加は、テロリストが居なければ決して発生する事の無かった事件に間違いは無いが、アルカーイダ系テロリストを名乗る彼等の口からは、”市民をして犠牲にはしない!”とも述べていたと云う、ニュース記者の発言すら引っ掛かって残りもすれば、犯人達の立て籠もる建物に爆発物を投げ入れ、其れを契機として雪崩を打つ様にして屋内に踏み入った軍隊や警官等が明確に、犯罪者のテロリスト(覆面は既に外されていた?)と、人質の壁として立たされていた人々との識別が、まさに為されていたとするには無理が在るもの、無辜の民四名の犠牲となった其の因は、基より銃弾の被弾に因るところ大ではあろうが、テロリストの用いた銃弾に因るとの断定は正しくはないのである。

 我が日本で、少数の犯罪者に因る同様の事件が在れば、治安維持にあたる警察の特殊訓練班(部隊)はどう動くかだが、恐らくは、人質を犠牲にして迄の現場への踏込は、已む無き事態と場面を除き、慎重には慎重を期する上で決するのであろうし、念には念を入れて時間を掛け、テロリスト群との話し合いを含む最善の条理を尽くした上で、人質の安全確保を前提条件とした犯人捕獲に向けて動き、最悪の場合の判断を以ってのみ踏み込むと云う、条理在る選択肢を採るであろう事が予想されるもの、今回の仏のパリで起きた捕り物劇、即ち、アメリカ合衆国ロシア連邦等で当たり前の様にして採られているような、言わば、”人質に対する犠牲者の現出已む無し”なる判断に因る一網打尽の決断は、今現在の日本社会では決して採られる事の無いもの、其の善し悪しは別として、受け容れられる事の無い判断とされる筈である。

 兎にも角にも事件そのものは、イスラム教のテロリストとして断定、犯罪者となった有色人種三名の、裁判を経る事の無い、所謂、公権力に因る蜂の巣状態に弾丸を浴びた処刑状態で決着を見、また、あの世へと追い遣られもしたのだが、一方では、イスラム教並びにイスラム教徒そのものに対する、要らぬ、或いは、無益なる偏見や迫害等に誘い、即ち、色眼鏡を用いてイスラム(教)諸国を見、イスラム教を信奉する彼等をして、其の須らくを犯罪者と見る予断をすら与え、白色人種群のみならず、非イスラム系有色人種群にも、忌避心等を与え兼ねずのもの、若し、イスラム教徒を名乗るテロリスト群に因って、同様の事件が此の侭に続けば(続くのであろうが)、其れは畢竟、排他的宗教としてのユダヤ教に改宗しては信奉、一千年もの永き期間に亘ってスラヴ系ロシア民族を甚振り続け、あまつさえ、スラヴ系ロシア民族が汗して蓄えた財貨を、妖言を駆使しては巻き上げ、且つ、此処数世紀間に跨っては数百兆円もの財貨を奪い取り、自らの属する上部団体が運営する国際金融界へと移動、其の間には、我等無知なる道々の民をして無駄飯食いと断ずる、要するに、黒、茶、黄、赤等、地球上に住まう人類の80%を占める有色人種群に対する件の、”民族浄化”を強引に推し進めては人口政策を遣って退けると云う、言わば、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の追い求めるワンワールド政府の条理に、全くにして迎合し倣う様なもの、増々にして失い、且つ、斃される、イスラム教を信奉するアラヴ民族や、並びに、イスラム教を篤く信奉する有色人種十数億人に対する、言わば、米英仏等のキリスト教国家群に因る、民族浄化の口実を兼ねずの、言わば、二十一世紀に於いて現わされる十字軍遠征の再現など執らせてもならないし、また、赦してもならないのである。

 米欧や先進国に於ける社会監視体制の強化は、表向きには犯罪の封じ込めには在るのだが、其の実体はと言えば、有色人種群の一つであるイスラム教を信奉すると思しきアラブ人に対する民族浄化(壊滅)目的も紛う事無く、不条理なる政策として潜んでいる筈、基より、中らずとも遠からずであるが、イスラム教国家群は、斯かるテロル事象等が瞬時にして国際社会を駆け巡る昨今のメディア情勢に在っては、増々にして自陣に降り懸かるであろう偏見や、抑圧や迫害の入り混じる視線や感情を、条理を推して振り払わなければならずのもの、基より、在って然るべき彼等イスラム教国家群の日常態様に戻す為にも、更には、シオニストユダヤ系大財閥資本家群に因る被抑圧や被迫害の対象にならぬ為にも、此処はイスラム教国家群全体で叡智を絞って糾合し、宗派の垣根を越えた話し合いに拠る手の組みと知恵の出し合いこそが肝要となるもの、”民族浄化”や民族そのものの殲滅抹消をして常に狙い続ける、不条理なる相手に対する防御防衛策を講じる、現代社会は其の場面でもあるのだろう。

 テロルを借りた術策を巡らすべく、機関銃や重火器を何処からか調達しては用い、更には、若者や幼子をも巻き添えにする、自爆テロルの役割をさえ担わせて良しとし、其れこそが数多の無辜の民を殺めたとして、誰の、或いは、何の役に立つのであろうか、テロル攻撃を仕掛けられる事で唯一被害を受けるのは、テロルの実行犯と同じく、まさに、名も無く貧しく美しくも無い、その他大勢の、道々の民が死傷にまで至る痛みを伴うだけ、況してや、天国か極楽かさえ判らぬ、未だ行きたくも無いあの世へと、最悪の場面に遭わせられた挙句の果てには行かされる破目に陥る何ぞは、思いも寄らぬ不条理なる仕置きと云うもの、生前に於いて、仕置きに付される我等有色人種同朋群は、良からぬ行いを遣らかしたとでも云う積りであろうか、そうではあるまい。

 肌色こそ違えど、また、宗教や宗派を異なりこそすれども、不条理なる民族浄化を推し進める者同士の実態が、畢竟、同じ有色人種同士に因る犯罪行為から惹起させられる仕組みに在るとは畏れ入るもので、神が離反を示されるのは当然と言うもの、神の名を安易に呼んで呉れるなと言われるだけでしか無いのだろう。

 確かに、一千年以上の永きにも及ぶ、一民族に因る唯我独尊の不条理三昧、乃至、有色人種群をして無駄飯喰らいと断定、有色人種群に対する浄化殲滅を期して良しとする、独り芝居の跳梁跋扈は、如何とも見過ごし難いものが在るが、神は見放さずには措かずのもの、テロル攻撃など無用のもので、粛々と条理在る道を歩まなければならずのもの、有色人種ではあろうとも、神は決して見捨てたりはしないのである。