日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆大相撲の審判部殿、今一度<相撲道と哲学>の再考を求めたい。

 大相撲春場所真っ只中に審判部に呼ばれ、言わば、斯かる呼び付け行為自体が異常にも過ぎるのだが、即ち、横綱白鵬をして呼び付けた審判部の某は、白鵬の取った相撲を駄目押し相撲と認定、危険行為であるとして言い渡し、厳重注意を受けたとされる横綱白鵬関だが、其の厳重注意を以ってする申し渡しにこそ厳しく待ったを掛けねばならない時が来た様だ。基より、危険行為として注意された「二番」の大相撲を、実況中継で視聴させて頂いていたが、負けた力士が、最後の最後まで諦めずに白鵬に喰らい付き、土俵際を死守しようと頑張り続けていた結果が、あのような形には成ったもの、危険行為として指摘された二番ともに、斯くして懸命に取り組む相撲の場面で起きたもので、注意を言い渡される謂れなど有る由もなく、基より、審判員の真上に落ちた事で審判員が足を骨折、全治三ヶ月を要すると云う不運なる結果を招き、或いは、翌日に於いて、土俵下に叩き付けられた取組み相手は鼻血を出すと言う、不慮の怪我に見舞われる事と相成ったのだが、八百長行為を赦さずとする真剣勝負の中で起きたもの、精一杯取ってみせた結果としての相撲で在れば、”もう少し手を抜け!”なる、厳重注意と銘打った審判部からの叱りと受け留められ兼ねない呼び付けに因る指摘は、場所中に在る大相撲そのものを、基より、相撲道そのものをして、日本相撲協会そのものが軽視してもいる事とはなるのだろう。

 基より、大横綱白鵬(31)と言えども生身の人間、未だ大関以下の関取衆とは「力」の差こそ、かなり有ろうと云うもの、だが其の差は、追い掛けて来る力士の中にも、徐々にではあるが詰まって来ている事が見えて来ているのも事実、過去何場所かを見て行く中で、其れは明らかとなっているもので、勿論、肉体的精神的鍛練を欠かさない大横綱白鵬では在っても、最盛期を向かえたかなと思わせる取り組み内容が、僅かでは在るが夫々の場所の中の序盤戦、若しくは、終盤戦に於いて見られてもいるのである。

 年齢こそ未だまだ若い横綱白鵬とは言え、過去十年間を綱を張り続けては取り、中には、単独横綱として立派に取って見せては力士全体のみならず、角界をも代表牽引すらしている様に見え、不祥事に遭ってすら、当事者では無いのに自らの事として、国民の前に深謝すらした横綱白鵬、国家行政府の代表たる、60才を超した安倍晋三ですら為し得ぬ指導的人物として顕わすべき、表象的行動態様ですら在れば、よくぞ此処まで一糸乱れずに耐えては顕わし、其れも、2001年春場所に於いて初土俵を踏み、爾来、91場所目を踏み数えてもいる現在、(怪我等で)休場したのが僅か33休とは極めて異例なる事実、節制と努力、弛まぬ向上心と相撲道の研鑽事実が無ければ成し得ぬ業、換言すれば、史上最強の横綱と言われている双葉山や、同昭和の大横綱と言われもする大鵬等に、勝るとも劣らない領域に近付いているのがまさに、此の現役横綱白鵬ではあるのだろう。

 其の、土俵上で相撲技を演ずる、”神を背にする力士同士”の闘いで、真剣勝負の顕れともなる神同士の技掛けを、清めを受けし俵の内側で、神の代わりに勝敗を繰り広げる関取や力士達、仕舞いには、勝つ者と負ける者とに必然に分かれもするが、土俵上に倒されて負けになる力士も、また、俵の外へと出されて負けを認識する力士もともに、負けが確定する其の瞬時に至るまで技を尽くしもすれば、百に一つ、千に一つとは言え、実際上起きてもいれば、逆転劇が全く無いなどの断定こそ慎むべきで、土俵際の攻防こそが注意をこそ要するもの、即ち、勝ちを自覚して力を抜けば、相手力士によっては隙ありと見る可能性無きにしも非ず、勝利を略手にした力士の体制を覆し、「うっちゃり」や「首ひねり」等を以って、逆に決められ、負ける場合すら有るのである。

 また、相撲に於いて、一敗地に塗れるだけで在れば未だしも、土俵際で勝ちを確信した力士が、此処で駄目を押せば相手力士が土俵下に落下し、場合に因っては、脳震盪さえ起こし兼ねない危険を伴うと、即座に判断し、急遽に力を抜き、相手力士に因る俵の外への足出し動作を待ったが、在ろう事か、力を抜いた其の隙を突かれて逆に投げられ、勝利を確信した力士が土俵下に叩き付けられて大怪我を受ける可能性すら残してもいれば、(横綱白鵬が取り組んだ二番ともに斯かる惧れは見て取れた)誰が其の大怪我に対する真の判定と、補償をさえして呉れると云うのであろうか、審判員を送り出す審判部は基より、勝利をさらって行った相手力士が面倒を見る由すら無ければ、斯かる問題となる相撲二番の流れは、勝者敗者ともに手抜きをせぬ事に因る、真剣勝負として結果として起きたもの、審判部に呼び付けての厳重注意や、親方を介しての注意は遣り過ぎ、相撲道をして真に解さぬ”者”の為す不当行為なのである。

 がっぷり四つに組み、投げを打ち合う流れの中で、優勢なる体勢に在る力士が、土俵際に追い詰めながら、勝ちを自覚して駄目を押してはならぬとなれば、うっちゃりや首投げ等に因る負けをも覚悟せよとか、大怪我をも覚悟して力を抜けとでも言われんばかりのもの、在って良かろう筈も無かろう。また、件の二番の取り組みが、誰が見ても、勝敗の流れは横綱白鵬に流れていて動かぬものとして見て取れていたかと問われれば、此れまた、いやっそうではない!と答えざるを得ずのもの、流れからすれば、相手は中堅に位する関取では在っても気の抜けない相手、横綱白鵬が、土俵際にまで追い詰め、略勝利を確信したにせよ、力を一気に抜いて終えば逆転敗戦まで有り得る力を持つ相手は力士、左すれば、白鵬自身が大怪我もせず、且つ、勝利を確実に手中に収める為には、駄目押しと見られるかどうかは別として、為さねばならぬ最後の詰めは必要となるもの、遣って当然の突き放しの技ではあろうし、注意を受けなければならない方は、本場所も最中に在る中で、横綱白鵬を呼び付けては要らぬ忠告をした、審判部や親方の方ではあるのだろう。

 八百長行為が疑われ易い個人技である国技の「大相撲」に在って、一所懸命に、土俵上で神技を繰り広げている力士達の中でも特に、忍び寄る力の削がれを最小に抑えるべく、稽古や筋力トレーニングに日々励み、或いは、節制し、養生の努力さえ欠かさないのが横綱白鵬であり、休場の少ない番付上位の関取達と云う事にはなるのだろう。何度も云う様だが、横綱白鵬と言えども生身の人間、日々研鑽、学習の鍛練の中でさえ、齢を重ねて行けば当然に、何れの日にかは、現役力士としての最盛期の過ぎもまた認識せざるを得なくなるもの、勿論、十年とは言わずも、向こう五年や九年間をして現役バリバリの横綱として闘い抜き、神技を極め、須らくの大相撲記録を塗り替える大横綱として、其の名を永遠に遺して欲しいと思う其の一方で、大相撲を運営する理事や各部門に携わる人物群には、もっともっと「相撲道」を基本から勉強し、見る目を肥やし、指導する技術、公平公正さを以って判断する裁定能力をこそ高め身に付けて欲しいもの、「大相撲」をして努々、理事や審判員の個人的感情や恣意等で動かしてはならず、言動もまたよくよく吟味した上で用いなければならないのである。

 今場所に於いて、土俵上での熱の入った取り組みが本で不運にも起きて終った横綱白鳳戦での出来事、即ち、最後まで喰らい付いた力士の、審判員席への倒れ込みに因る骨折をも誘発したのであれば、審判員席そのものを、現在の位置から三尺(約90cm)と迄は言わぬが、二尺(約60cm)ほど、全体的に後方へとずらせば済む事で、或いは、力士達の安全をも配慮した土俵づくりを考えるのであれば、土俵そのものを、今より三尺程度外側に、全体を押し広げる事を検討してみてはどうであろうか。少なくとも、土俵上での神技を繰り広げる力士達は、心置きなく、神に成り代わる相撲を取る事が出来るのであろう。

 力士達は勿論の事、相撲協会の理事以下、親方衆や、或いは、関係者須らくが、相撲道を極めるべく一所懸命に働く事で、此処迄の、日本民族を代表する質実剛健にして真似の出来ぬ国技、所謂、相撲道の文化をさえ構築して来られたと云うもので、一方では、土が付くまで勝負を諦めてはならない、或いは、土俵を完全に割る迄は、決して諦めてもならないと教えられながら、一方では、駄目詰めや駄目押しは危険行為で、注意義務違反でもあり、場合に因っては、戒めの対象にすらなる等の、所謂、敗者側にも配慮すべきである等の諭す事が、また正しいとすれば、混乱をして紛う事無く誤解を生んで終う事は明白、関係者全員が、答えの出ない斯かる勝負哲学をして、延々と熟考しなければならない事にもなるのであろう。基より、大怪我も避けなければならないし、八百長行為もまた避ける必要が在る中での<神技/相撲>、現理事長以下関係者各位が、当該事案に付き明確なる判断を為し得るかどうかが、大相撲文化の発展と継続には欠かせない鍵とはなるのだろう。

 横綱白鵬関の取る相撲は、八百長行為が決して窺われない、或いは、疑念の入る余地すら無い真剣さが、見ている者にもひしひしと伝わって来ると云う点で、大相撲が本来にして司るべき真剣勝負の醍醐味が見て取れ様と云うもの、審判部の拙速なる判断のみで、勝敗の決着する動作の一過程を”切り取り”、勝ちを確信した後に、力を抜きなさいであるとか、土俵際まで相手を追い詰めたら、相手の後ろを確認した後に、”詰め”を施せば済む等の指示は、大相撲をして単なる見世物にする誤まった教えとなるもので、力士達もまた勘違いし、要らぬ行為に走るもの、受け容れ難い指示であり指南ではあるのだろう。

 斯かる、不適切なる指導が、審判部と親方から為されたにも拘わらず、二日目以降、神技を以って為す真剣勝負を続け、12日目でようやく一歩抜け出した横綱白鵬、いつもながらに感動させられっ放しにして呉れる横綱白鵬の相撲取組内容、間違いなく白鵬は、現役力士最高峰に位置する指導的人物ではある。勿論、呼び付けては注意を喚起し、指導した審判員、乃至、親方は、再度、熟考思慮し直し、何れが正しいのかの検証を施し、理事会そのものが相撲道と哲学の再考をこそ、場所後に、早速にして協議すべきではあるのだろう。

 横綱虐めなど見たくも無く、努々在ってもならず、本より容赦など出来るものでもない。