日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆現代版、女傑ジャンヌ ダルク

 ”こすっからい性格”とでも言うべきか、”ずる賢い性格”とでも言おうか、はたまた、”育ちの悪い性格”とでも言うべきか、左も無くば、”羞恥心一つ無き盗っ人猛々しい連中”とでも罵り、蔑んで言うべきかは其々の事案に措くとしても、現状日本社会の、権力者側に立つ指導者層の須らくに見られる、所謂、二重三重に虚飾の仮面を付けては剥がし、また、剥がしては付け替え、国民を騙し続けては平然とし、悪事がバレる前には仮面を被った侭、威丈高になって詰問者を見下し、誰様に向かって其の様な減らず口を叩くのか!と一喝すべくに脅し、殴り掛かる寸前の威圧姿勢まで見せ付け乍ら、動かぬ証拠を突き付けられると、途端にへなへなとしな垂れて脅しの姿勢は何処へやら、口をもぐもぐさせ、そんな筈では無かったとか、申し訳ない! 何かの間違いであろう等と嘯いてみせる、所謂、平均的にだらしの無い昨今の五、六十代の成り上がりもの権力者たち、とうとう日本社会も此処まで落魄れて終ったのかとの、暗鬱なる思いにさせられる近頃の日本列島、基より、今に始まった事では無いが、余りにも目立つおぞましさ、此処までの不法不正行為を日中堂々に於いて嗜まれ、其れも、特定の不良分子たる権力者群だけに留まる悪行では無く、筆頭は国会議員から始まり、末端は、都道県議会議員、市町村議会議員等々にまで至る、所謂、「日本共産党」や「社民党」、或いは、「生活の党と山本太郎とそのなかまたち」と言った、一般市民からは、融通の利かない政党であるとか、実に垢抜けしない政党であるとか、はたまた、何となく怖い政党である等の思い込み(先入観念)が素で、何時まで経っても少数政党の域を抜け出せずにいる<純朴なる政党>を除く、良くも悪くも政権側に立つ与野党議員の略全てと言っても良いのだろう彼等選良民たる愚民達、勿論、傀儡子宰相の安倍晋三までもが其処に言う不良分子には含まれるのだが、不正行為に平然と手を染め、且つ、不法行為に身も心も馴染むと言う、常態としての非日常行為をまざまざと見せ付けられると、日本社会も遂に此処まで落魄れて終ったのかとの暗鬱なる思いにさせられるのは当然としても、「政治資金規正法」と言う法に則り、且つ、準拠して認められた、所謂、政治資金台帳の開示閲覧が、一般市民にも、公開を通して閲覧を義務付けられている今日に於いてすら、議員たる特権を持つ彼等は性懲りも無く、臆すること無く平然と不法不正行為を継続、在ろう事か、アイスキャンディー”ガリガリくん”を政務活動費で落として見せたりの意地汚さが、権力を持つ上記主要政党には常態として蔓延、領収証の改竄等とともに、不法不正行為への手の染めが、日常的に罷り通っていると云うこと自体に、空恐ろしさを感じて終うのである。

 領収証の改竄から始まり、何枚もの(領収書)コピーを多用、収入印紙のコピーすら使い回すと云う、何百種目と言う悪質極まりない行為、即ち、不法不正塗れの行為を、事実を以って指摘されても恥とせず、逆に居直る様は如何ともし難き愚態、其れこそが、育ちの悪い人間の犯す犯罪行為とでも言うのだろう。日本国家社会の倒産乃至破綻と言う、行き付く所までいかないと、三権分立の手前上、司法権も、勝手に動けずに居るのだろうと見たいものだが、其の様な、形式一辺倒を遵守する司法権では在っても、裏権力にはからっきし弱いと云う一面すら持ち合わせ、既に、何度と無く、実践作業をして国民にも見せ付けてもいれば、本音と建て前を巧妙に使い分ける「三権」の一府に在る事もまた、司法権にとっては偽らざる事実、左すれば、上記に言う、権力の実態に与る政権与党や野党では無く、融通の利かず、或いは、垢抜けしない、更に言えば、”何とは無く怖い”と云う、芳しくも無いイメージに塗り潰されたマイナーなる野党陣営の、突然変異に因る脱皮台頭を望むしか、日本国家社会の立て直しを求める術は、皆無とするのであろう。

 地方自治体に於ける議員の、様々に為す悪事を見せ付けられ、教えられる傍から、吾が心の故郷でもある会津若松市の市議、佐藤勉(55)に因る不正受給が発覚、詐欺罪で逮捕されると言う、何とも、会津の面汚しなる事案が耳に飛び込んで来たのである。まあ、会津人とは言えども利巧もいれば馬鹿も居り、賢者もいれば、愚者もまた否定し得ずにはいるのだろうと、思ってはみたものの、気持ちは晴れずのもの、五十五にもなる会津の大人が、而も、市民オンブズマンにさえ参加して、不法や不正に手を染めし権力者群を追及したり、或いは、犯罪に手を染めぬ様に監視強化を図ったりする、其れこそが聖務や聖職とでも言うべき任に当たり乍ら、陰に回ればこっそりと、日本語を話さない内縁(妻?)の女に代わり、「生活保護費」を代理申請、総計六百数十万円有余を(不正に)受け取ったと云う廉で、会津若松警察署に任意出頭、その場で逮捕されたのである。

 基より、政務活動費の詐欺を以って為す不正搾取、或いは、横領紛いの不正請求に因る受給と、実体的に条件満たさずの中で犯した犯罪とでも言うべき、所謂、資格要件を欠く者が、作為を弄して受け取る生活保護費の不正受給、此の、全く異なる様に見える二種類の受給詐欺に関してではあるが、方や、権力者と言う選良民の為す、資格限定の犯罪であるのに対して、後者は、権力者で在ろうと一般市民で在ろうとも、無関係に引き起こし得る犯罪と言う、其れだけの違いにはあるもの、左すれば、同じ犯罪であれば、一般人よりは遥かに権力を持つ、より専門性の高い任に当たる議員等の犯す、上記の如き政治資金規正法絡みの不法不正行為や、政務活動費名目での不正不法請求等には、一般人が受ける罰則より以上の厳しさを以って、罰が科せられて当然とすべきなのだが、何のことは無い、其の真逆に在るとも言える、一般人より権力者群の方が、罪を、より軽減して当然とする罰則の設え方には在る醜きもの、罪の軽重まで、権力者により軽くするなど在ってはならぬ事、だが、現実は、罪の軽重にまで、権力者であるか非権力者であるかが絡むもの、即ち、法を設える段階から、権力者群はお手盛りをして、一般人との間の格差をして楽しんでいたと云う事にもなるのだろう。

 北は北海道から南は沖縄県に至るまで、上述せし国家や地方の特別職たる議員から始まり、国家公務員や地方公務員等に至る権力者群が、先達から申し送りされる様に、不正不法行為をして当然のものと作為し続け、其の多くに於いて、国民に拠る不法不正行為の見逃しが在り、且つ、悪質さもまた拡大し増幅していけば、僅か半世紀(48年間)余り前には恐るおそるに開始された、所謂、使用目的と償還期限を定めし建設国債等の発行が、此処数十年に於いて変質し、使用目的を定めぬ、年次予算不足穴埋めの為の、補填目的にのみ充当すべく爆発的増加を見る事となる国債発行に因る借金の積み重ね、即ち、国債や地方債の発行も含めた発行債務残高が、2016年度で累計一千二百兆円に上るのも必然と言うもの、更に、アベノミクスなる詐欺ペテンの金遣い手法を遣って見せる傀儡子安倍晋三の、所謂、国民の老後の蓄えともなる年金積立金等の、株式を一とする投機的金融商品への売買ゲーム参加に因る、必然的赤字転落結果をも加味すれば、何れ早晩には、一千四百兆円にも喃々とする債務総額が、国民に重く圧し掛かる借金として付加されては残るだけ、一千三百兆円の国民資産が何時の間にか、一千七百兆円に膨れ上がった数字的マジックも、債権債務が逆転を見るのも時間の問題、自民党幹事長職に上り詰めた二階俊博が、如何に、初めて手にした重責を逃したくは無いとの熱き心情判らぬでも無いが、傀儡子宰相である安倍晋三の政権続投に向けた動き、即ち、自民党規約改定に拠る、2020数年程度までの自民党総裁任期の延長は、更なる借金の積み重ねを加速化し助長するだけのもの、悪い事は言わない、任期延長等の愚策など謀る事無く、今直ぐにでも、安倍晋三を引っ込めて<主>の住まう米国へ還し、麻生太郎先生にでもバトンタッチした方が、日本国家社会にとっては、急激に斃れずに済み、後何年かは、自分の頭で考え得る、日本国再建の余地ぐらいは残される事と相成る筈である。

 小池百合子女史をして、遂には、東京都知事へと擁立した、東京都民の鋭く賢明なる選択眼から類推すれば、次回の衆院選に於ける安倍晋三率いる自民党の大敗もまた考えられなくも無い、と云う所だが、如何せん、七年前当時の政界に見られた、期待多き「民主党」の様な、自民党に代わる受け皿は今は無きに等しく、基より、最後の頼みの綱となって然るべき筈の「日本共産党」も、未だまだ純朴青年を任ずる政党の域を出ずのもので、国家権力を掌握したいのかが今一不明、即ち、国民に対する条理在る主導や、牽引等よりは寧ろ、「共産党」”名”を冠して名乗り続ける方が居心地が良いと思えてならず、然るに、組織日本共産党を率いた幹部連の面子そのものが、共産党名の放棄を許さぬ事と相成ってもいるのだろう、と考えたくはなるもの、斯くして、「党名変更」には目も呉れず、且つ、一顧だにせぬ無関心の素通りからは、新たな支持者を拡大しては国家権力をして身近に引き寄せると云う機を逸するのも道理、国家権力を執るのが先か、国家理念の実現を図るべきが先かは、基より重要なる政治的選択肢には相違無いが、国家権力無くして国家理念の敷設や施行もまた無し、現実政治に目を向け、且つ、舵を切り、不条理政治の権化たる自民党公明党に、概して、挑みたがらぬ日本共産党の現状姿勢では、民主自由主義に則ったとしても、現状の自民党の様に、国民の過半をして不条理陣営に誘き寄せ、米国に、国家諸共、且つ、民族付きで、其れも、ただ同然で呉れて遣る不義理をしようとも、傀儡子宰相安倍晋三ほどに、国民から有り難がられる事は無いのだろう。

 我等「日本共産党」を選ばずに「自民党」や「公明党」を選ぶ国民が悪いと言う勿れ、「日本共産党」は、旧ソ連邦や現下の漢民族中国に見られる、所謂、独裁主義的で横暴、且つ、気に食わないと有らば、殺戮すら平然と為す不逞の族が巣食う組織であり団体、よしんば、「日本共産党」に政権が移れば、君主制度の崩壊は勿論の事、民主主義の破綻も来たし、早晩、北朝鮮国の様な悲惨で哀れなる民族奴隷国家へと突き進む、との「謂われ方」をこそ日本共産党は払拭すべきが専決事項、「君主/天皇制」をも認めている日本共産党の現状に於いて、共産党名の冠しに何時までも拘る必要は無し、国民が其の名称に懼れを抱くのであれば、名称の破棄、乃至は、名称変更に如くは無し、好き勝手を極めるのみならず、日本国家国民を投げ棄てる傀儡子為政者を取り除く為にも、日本共産党は看板の架け替え、乃至は、国家権力の掌握は厭わぬとの路線変更をこそ選択、躊躇すべきでは無い。

 自民党に籍を置きながら、自民党の支援を受けずに都知事選に出馬、見事に、其れも大差での都民からの支持を受けて、見事に都知事に当選した小池百合子女史、其れも、当選して認証を受けた其の日から、公約に掲げし条項に取り組み、エネルギッシュに責務をこなす新都知事、自称総理総裁まで経験した大物政治家や、言葉巧みな欲のみ深き古狸の政治屋にまで至る、幾重にも待ち構える敵たる策士達にも何等臆すること無く立ち向かっては突き進む、まさに、現代版ジャンヌ ダルクの如き戦士小池百合子女史、彼女に出来て「日本共産党」に出来ぬ由は無きもの、時間は待って呉れず、刻一刻と過ぎ去るのである。