日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆アホウのロシアにつける薬一滴として無し

 斯くも辟易する程に、ウラジミール プーチンが手を付けし直近のロシア権力史をして、誉め称えては述べ、彼に共鳴する総じてのロシア国民は必ずや、条理の底上げをも確実に己のものとして身に付けるで在ろうと判断、期待すらして来た2000年以来の当欄では在るが、今となってみれば聞く耳まったく持たずの、其れ所か、自国の足許史すら学ぼうとせずのスラヴ系民族を主体とする、頑なな迄に意固地で、理性在る条理にすら一つとして振れぬロシア国家国民でも在ったとは想像だにせずのもので、換言すれば、実にお粗末にも過ぎた憐れなる己のみすぼらしい洞察力で在ったかを知らしめただけ、深い反省をこそ己に課すだけではあるが、即ち、古の在りし日に見られた、貧相なる暮らしぶりをこそ強いられた、我等国家社会集団の一人一人が辿ったのと同様に、ロシア民族にもまた 条理を以って為す国家社会正義の顕現に関わる、総じての浮上可能性を追い求め、基より、自国日本に対しても厳しく対処しながら見続けても来た、と自負する其の雑魚の目で、彼等にも当然に成し得るものであると、国家社会正義の有用性を説き、諭してみたり、逆に、確信して見たりの、所謂、普遍的条理を以って、彼の国の民に向かっては説き、成り行きの推移をこそ眺めては来たが、其れこそが無駄であり無益と云うもので在った事が、最小限にする十六年間(2000年を始点とする)の中で、且つ、最大限にすれば、三十年余り(1985年を始点と見る)の期間を通して漸く、苦々しくも在る、臍噛みの現実に撥ね飛ばされると云う、暗澹たる理解には措かれるだけ、特に、ウラジミール プーチンをして、ロシア連邦大統領たる権力者に擁立せしミレニアム期突入の二千年には、愈々にする、不条理体制からの脱出に因る条理に向けての反転は、彼の国に於いても紛う事無く成し得るであろうと判断、且つ、賢人政治家たるウラジミール プーチン大統領の斯かる政治的手腕の発揮を以ってすれば、国家社会丸ごとの理性的条理に向けた暗闇社会からの脱皮に拠る、条理在る変貌すら紛う事無く可能であるとの、確信すら深めても居たのだが、豈図らん哉、今や、スラヴ系民族を中心とするロシア民族全体が、国家権力者ウラジミール プーチンの揮う指揮棒に、唯々、集まる為の目印として感じ取っては、付いて行くだけのもの、基より、向かうべき方向性を見極めようとする力こそ在るのだろうが、確かめるべくに噛み砕き、我が子にも教えては歩むべきを諭して付け加え、或いは、隣り合う社会にも持ち込み、相互確認を以って為す、其れ等一連にする社会改革力、所謂、条理の底上げは、残念乍ら創成され得ずの侭に捨て措かれしもの、斯かる、不動の侭に措くとでも言うべきか、はたまた、反動の侭にドップリと浸かったままに在るとでも言うべきかは知らぬが、一向に、理性在る条理に向けて動かぬロシア連邦国民の現状には呆れ果てるだけ、勿論、我が浅はかなる推察力もまた厭きれるだけでしか無い。

 賢人が為す安全保障政策の手を緩めて終えば、紛う事無く、蹴散らされる命運下に措かれるロシア連邦国家国民、誰の手で為されるのかの正答など、万度に云って来ているので省くが、紛う事無く言える事は、固定化されたロシア連邦国家国民の、自国が関与する真の歴史を知ろうとせず、其れも、正しき戦争など一つとして無い事を学ばなかったことから、今もなお、唯我独尊を表そうとして已まない、言うならば、不条理にするロシア民族性格をして現状の侭に推移させれば、権力の座に留まり続けるウラジミールプーチン大統領が、任期満了ともなる八年後を俟って政治引退せし暁には、紛う事無く、斯かる唯我独尊に陥ったロシア国家国民に付き纏う不安は、現実味を帯びて来ようと云うもの、基より、プーチンより齢を食っている当欄担当の天邪鬼子こそ、先に棺桶入りを果たし、不条理史に陥るであろうロシア連邦の、其れこそが、七転八倒から始まる自己崩壊や瓦解、乃至は、ロシア民族浄化にまで至る一連の、ロシア連邦暗黒史三十年有余の展開を見る事無く、黄泉の世界へと誘われては居るのだろう。

 現ロシア連邦はと言えば、殊、領土や領地に関しては、日本国との間にのみ係争問題が在るのではなく、隣接国や旧対戦国、乃至は、新旧敵対国との間にもまた、揉め事ともなる国家帰属問題としては遺り、実態的に今もなお、当該領土領地問題が水面下では存在し続けるのである。

 因みに言うとすれば、現ウクライナ国との間には、領土占有の民族的係争問題を以って為す、今なお引き続く軍事力での争い事として遺り、メルケル首相率いるドイツ共和国連邦との間には、カリーニングラード(独名:ケーニヒスベルク)問題が潜在、バルト三国である、エストニア国やラトビア国、リトアニア国等の間にも、更には、フィンランド国等々の国々との間に於いても、明らかに解決など未だ見ていぬ潜在問題として遺されてはいるもの、ロシア連邦に、現に占有支配される領土に関わる護持能力が、全くにして失われたと見れば、即刻にして、スラヴ系ロシア民族に奪われたと主張し続ける人々の逆襲に遭い、彼等被害国の考える、原状復帰の領土取り戻しを目指して、奪還に動かれる事には相成るので在ろう。基より、忘れてもならない最大のものはと言えば、スラヴ民族のロシアに、国家まで壊された挙句の果てに、領土をも奪われ、多くの市民もまた虐殺の憂き目に遭い、東欧圏や中央アジア圏へと追い遣られ、”ユダヤ教”へと、改宗をさえ余儀なくされた、最も大きな被害者たるカザール民族(現アシュケナジー ユダヤ民族)の存在をこそ、忘れてはならないのであろう。

 紛う事無く今に至る世は、有色人種群に対する民族浄化を以って為す、人口減の作為と其の実践が開始されているばかりか、スラヴ系ロシア民族を中心とするロシア連邦の壊滅へと突き進み、有色人種に対してと同様の民族浄化さえ、彼等スラヴ民族に向けて策されてもいれば、素早い勢いで広まってもいる内戦に因る人口減や、打つ手無しの疾病発症に因る人口減等、確かにする民族浄化(策謀)として動き始めている不条理分子に対して、待ったの阻止を掛け、ロシア連邦民族に対しては、条理在る名案の授けすら成し得ようと云うものだが、聞く耳持たずは相も変わらずのもの、馬鹿に付ける薬無しとはよくぞ言ったもの、ウラジミール プーチン大統領も、己が指揮統治する国家国民の、反政府にこそ動かぬが、此処まで見せ付ける反動社会とでも言うべき、スラブ民族を核とするロシア国民の盆暗振りと、淀みによどみ続けては異臭すら延々として放つ、社会灰汁(悪)を嗅ぎ続け乍ら、よくぞ十六年もの間に亘って我慢し続けたものであると、其の精神力の強さにこそ拍手喝采は送っても良いのだが、其の動かぬ須らくの因をして外に措き、自らの因としては決して措かぬ事を以って解を求め続ける何ぞは、野蛮人そのものの体、指導!の喝も無ければ、止め!の喝も、末端の国民に迄は届かなかった此の十六年、国家権力者としての存在は、第三次世界大戦をして先送りを為さしめたと云う点で価値は在るが、完璧に、其の因をして取り除く事に成功はせず、且つ、斯かる因子が如何なるものの構成に成るのか、はたまた、取り除き得る解とは何か迄は、終ぞ、突き詰め得ぬ侭に据え措く其の探求心の無さは、残念ではあるが、古のプチャーチン艦長には見劣りもするのである。

 本来、日ロ関係をして現状の侭に据え置く事は、在ってもならない不条理で在り、自然の摂理ですら無いのだが、敢えて、異民族たる日本民族の問う理性的条理の示しにすら拒否反応のみを示し、在ろう事か、酔った勢いで、栓の閉まった瓶入りウォッカの頭をテーブルで割り、其のまゝに飲み干し、口から血を流しては、”サァお前たち!、欲しけりゃ盗ってみよっ!”と怒鳴る熊人よろしく、数分後には、瓶の欠片の上に斃れる様なもの、文化の違いは如何ともし難い、明白なる差が歴然として有り、十六年を以ってしてさえ、理性在る条理を有する国家社会の入り口にさえ、決して到達する事も適わなかったロシア連邦と国家国民、時間の到来こそ判らぬが、日本民族同様に、此のまゝ何もせず地球上から消え去る命運下に措かれる彼等ロシア民族、独り悦ぶのはシオニストユダヤ系大財閥資本家群が差配する欧米日中の権力者群が在るのみ、実に忍び難き事では在るのだろう。