日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆ロシア連邦国家国民は、自壊、自滅の道を選択する

徳川幕府末期に於いて、日本に対する開港を迫った米国とロシア帝国の両国、砲艦外交を背景にして開港を迫ったのは、M.ペリー提督率いる黒船艦隊の米国であり、一方のロシア帝国はと言えば、オランダ人通辞を装い、長崎出島の商館医でも在ったドイツ人(現バイエルン生)学者、P.シーボルト(1796〜1866)の勧めに拠り、順法(対話)を以って為す外交手法を駆りて開港交渉を進めたのが、E.プチャーチン(1803〜1883)海軍中将率いる帝政ロシア艦隊、基より、米国の手法たる威嚇姿勢に対抗する形の、協調姿勢を以って開港要求を続けると言う、今では到底考えられない温和なる対日開港姿勢を取って見せたロシア帝国、現状にも通用する米国とロシア連邦両国の、政治姿勢の差としては見て取れるもの、また、彼等に先んずる二世代遡る年代のイギリス帝国はと言えば、清国(現中国)との間に、「アヘン戦争」を仕掛け、惹き起こしては武力制圧、開港させては服従させると言う、所謂、砲艦外交を以って当然と為す植民地化政策を遣って退けており、米国や仏国をして模倣すらさせたのである。基より、アジア領域をして甘く見た米欧、その一つである米国は、浦賀を舞台とする米国の砲艦外交へと繋げ、徳川幕府をして開港させてもいるのである。自国ロシア帝国をして欧州の一員と看做してもいたロシアもまた、植民地拡大化政策へと首を突っ込んで行く事となるのだが、当時の日本国に対しては、現象面から捉えれば、話し合いを以っての開港要求と言う事にもなるが、実態はと言えば、英国が、不条理を以って為す武力での清国制圧に見て取れる様な、言わば、武力のみで押し切れる程に軟弱なる日本民族では無い事を、P.シーボルト等から聞いて学んでもいた、E.プチャーチンは、素養の優れたる日本政府要人(徳川幕府)には、米国の執った恫喝外交たる開港要求では無く、話し合いに拠る日ロ交流を求めたと言う事では在る。

 選良民たるユダヤ民族の一人、C.マルクス(出生地はプロイセン)が異才を放っては認めた「資本論」に感銘し共感、ものの見事に突き動かされた、在米シオニストユダヤ系大財閥資本家群は、共産主義思想に基づく政体(政治経済的社会構造)を同時に編み、政治的実践者たるB.レーニン(1870〜1924)や、L.トロツキー(1879〜1940)を動かし、無教育と貧しさだけが延々と続く、帝政ロシアへと入り込ませ、農奴や下層階級の労働者層をけし掛け、煽っては、主婦たちのパン寄越せ!闘争を皮切りとするデモンストレーションを組ませては檄を飛ばし、帝政ロシア潰しの画策を成功させる事となる件の、帝政ロシアの終焉と皇帝ニコライ二世家族の抹殺、ソビエト社会主義共和国連邦(1922〜1991)へと繋がる、「ロシア革命」(1917)の勝利を見る事と相成るのである。

 帝政ロシア時代には、遣りたい放題に為されるが侭の十九世紀に措かれたロシアの人々、また、波乱万丈の二十世紀を身を以って体現する事と相成るスラヴ系民族を主体とするロシア領域内に住まい続けた人々、或る時代に於いては、自らをしてドイツ(プロイセンの一地方)に係属する民でも在ると錯覚し続けた集団もいたロシア民族、基より、環境を整えて遣れば、紛う事無く学び得る、素養も能力も保持する民族の一つスラヴ系ロシア民族、貧しさ大であるが故に皆教育が阻まれ続けたロシア民族と言う事にもなるが、静謐なる政治環境整わなき事に因り、「腕力」をして絶対的なものと看做す、偏向せし能力をして良しとする政治文化をすら生み出し、遂には社会正義の概念としてすら固定化させる事にもなるのだが、帝政ロシアが崩壊して百年を向かえる現下にも在る中で、パンをよこせのデモンストレーションこそ在りし日のものとして忘れ去られ、今では、飼い猫まで食した極貧の環境こそ忘れ、華美にする消費経済にも飛び込んでは謳歌するロシア連邦共和国と其の人々には在るが、形態的にも引き継がれ、且つ、新たに生まれては塊りし、歪にする民族文化は中々にして変化は見せずのもの、即ち、一度でも己の手にしたものは、条理を以って為した奪取であろうと無かろうと、奪い取られる迄は己のものとの意識は、全くの不変に措くもの、斯かる「力は正義なり」を正当(正統)とするロシア文化は、勿論、古の王侯貴族文化から継承され、自国のものとして消化、採り入れられているもの、修正や更正無き侭に、今もなお揺るぎ無き国家条理の大原則として、且つ、ロシア連邦社会正義の顕現として、スラヴ民族以下のロシア民族に根付き、受け継がれてもいるのである。

 異民族から見れば、此れ程までに頑なな国家条理を表しては恥ともせず、在ろう事か、現状が指し示す事実こそが正しいと言い張るだけのロシア民族に対して、普遍性を以ってする律令に関わる法概念を、滾々(こんこん)として説いたにせよ、また、一旦は異民族の言い分を受け容れて、理解する姿勢でも見せていれば未だしも、聞く耳そのものを持たないロシア民族の現状に在っては、固まった腕組みの中から覗く品物をして、其れは、今し方に落としたばかりのもので、私のものであるから返して呉れないか!と言っても、返される事は先ず無く、言うだけ無駄に終わるのは当然、其れどころか、返して欲しければ腕付くでも取ってみよ!、と言われるが如きもの、残念乍ら、話し合いにも何もならないのが現状のロシア連邦の民、と言う事なのであろう。勿論、恐いもの知らずの唯我独尊常態にも在った、日本帝国時代に於いてもまた然りで在れば、独りロシア民族をして非難をこそ出来るものでは無いが、良質なる文化や社会教育が、未だ到来せずに措かれ続けるロシア民族をして、非難のみを繰り広げてならずは当然のもの、基より、逆療法として執る、別なものも君に上げるよ!では、更なる独善の助長をさせ兼ねずのもの、相手は独善をして良と為す国家ロシア連邦、距離を措いた侭に時間を掛ける事を厭わぬ方が、日本国にとっては賢明なる国家として執るべき姿勢では在るのだろう。

 十六年と云う短くもない期間、稀代の政治家たるウラジミール プーチン大統領が牽引し執政を為すロシア連邦をして、外部から食い入る様に見続けては来たが、勿論、民主自由資本主義に舵を切るべくの大胆なる手法を以って切り替える、其の狭間すら見させて貰いもしたが、対日問題にのみ関して言えば、確かに、ロシア連邦政権が見ている通り、隷従を以って為す日米関係が未だに事実として存在し、否定し得ずにも在るが、であるからと言って、己が現に牽引する、国家ロシア連邦(旧ソビエト社会主義共和国連邦)の為した不法性をして良しとし、僅かなる日本国の条理在る要求にすら応じようとせず、拒否権を発動した侭に捨て置けばどうなるかは言わずもがな、日本民族もそうだが、恐らくは、ロシア連邦国家国民もまた、当面(向う四半世紀)こそ困りはしないし、極東の弱小国家たる日本との交流など無くとも、スラヴ民族以下のロシア連邦を構成する国民には、何等の支障にもならないのだよと嘯き、強調さえするのであろうが、そうは問屋が卸さないのが歴史の教える所、日本民族が信奉して已まない神々からの奉げに依り、新たなる島をも創り出して下さる事から、現状の不条理の侭に捨て置かれても、精神的苦痛こそ続くが、困る事もまた無しとするのが、現下に措かれる日本民族の状況的実態と云うもの、其の意味では、話し合いのみを以って返還交渉乃至和平条約の締結を、円滑裡に推し進めたいとする現下の日本の姿勢はと言えば、其れこそが、百六十年前に在って、砲艦外交を展開する米国とは異なり、永い時間を掛ける事を厭わぬ、プチャーチン艦長を以って対日交渉に当たった当時の帝政ロシアに、日本の現状は重ね措いて然るべきもの、左すれば、日本国をして被害者状態にした侭に据え置き、基より、日本民族の英知も知恵も借りずに良しとし、また、文化も人間力すら、旧態已然とした侭に借りなければ、ロシア国家国民が今後どうなるかは、当欄が、ウラジミール プーチンの大統領就任当時から指摘し、懸念すらし、指摘もしている様に危うき所、基より、今は亡き社会学者たる「大田龍氏」が、其の多くを監修しては発刊、我等に提供せしめたJ.コールマン博士の研究著書に、思念の中心核を措くもの、即ち、ロシア連邦は手助けが無ければ、紛う事無く巨大勢力に押し潰され、シベリア領土の盗り上げとともに、スラヴ民族浄化をも為さしめられては其の大多数を斃されては失い、基より、日本民族もまた同じにする破滅の道を歩む事さえ教えてもいるのだが、其れも此れも、此の十六年間に及ぶ中で、プーチン大統領が良質性を以って策したであろう件の、第三次世界大戦の間接的危機回避策ともなる、「スラブ系民族を中心とするロシア連邦の民、其の社会的条理の底上げ」は、遂にぞ成功を見ず仕舞いに終わると云う事を、理性在る条理の底上げを見ぬ現代ロシア社会の貧しい状況からは、推測可能となる所、山口県長門の市で、ウラジミール プーチン大統領自らが、ロシア連邦国民の対日心情を表しても終ったと云う事ではある。

 安倍晋三こそ、ニヤ付く中で次なる期待へと、歯が浮くような警句を弄したのだが、既に、ロシア連邦国家国民の条理の指針ともなる「社会正義顕現」の依然とした停滞、其の限界を察した観も在るウラジミール プーチンにとっては、新たなるロシア連邦の為の政治的活動力を生み出す気力も、或いは、スラブ系民族主体のソ連邦の国民をして理性的条理に嗜める唱道力も、ともに萎みつつある中での立て直しは、最早、不可能に近き所に迄至って居ようと悟ったにしても可笑しくは無いのである。其の表情や仕種からは疲労困憊ぶりが見て取れるのである。

 基より、核兵器すら一切持たずの、弱小国で在る事を幸いに、従米隷属国家日本国をして小馬鹿にし続けるロシア連邦国家国民(少なくともプーチンでは無い)、未だに、大国と言われる事に喜びを感じ取り、あまつさえ、一旦手にしたものは、他人のものであろうと兄弟のものであろうと無かろうと、所有権を主張、欲しければ奪って見せよとの捨て台詞を良しとし、為に、自壊と自滅の道を選択せざるを得なくなっているロシア連邦国家国民、よしんば、ロシア連邦国民が、プーチン大統領の意を理解しては習い、理性的条理在る国家国民の道を選択しては辿り、正悪の分岐点をしてより厳しく律すれば、少なくとも、旧東欧諸国圏ぐらいは、欧米諸国をして崇め奉る事などせぬもの、基より、一センチでも離れ、”彼ら”からは遠ざかりたいとは考えぬ筈で在る。

 不動に因る不条理を選択したロシア連邦国家国民、日本国は、深く関わらず、且つ、焦らず、気長に、ロシア民族の条理覚醒を待つか、左も無ければ、こちらもまた、不動にする見ぬ振りを選択、異民族群に因る、ロシア連邦国家国民の潰しともなる「第三次世界大戦」擬き突発事態の発生を待つかのいずれかの選択をこそ強いられるものである。基より、愚弄を極める異民族との死の向かえなど願い下げにして欲しい所だが、賢人政治家ウラジミール プーチンを以ってしても理性的条理の底上げが適わなかったロシア連邦国家国民、勿論、可能性を入れれば2024年までは大統領就任が可能となる彼の事、国民の底上げもまた皆無とせずには措くのだが、気力活力の下降線をこそ辿り始めた彼の事、シオニストユダヤ系大財閥資本家群に因る”侵食”へと、ロシア連邦国家国民は捨て措かれるのであろう。

 日本国家国民には、其れを阻止し得る「力」は在るのだが、深くに根差す状況を全く理解していない彼等には何を言っても通じる事は無い。