日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆格好のいじめられ役となる日本、ケツを捲くって帰るべし。

 貧乏神と疫病神を背負ってホワイトハウス入りを果たした、D.トランプ大統領の身内と、今まだ確定せずに揉めにもめし長官職予定者群には、米欧日中の政治経済を実体的支配下に措いては差配する件の、シオニストユダヤ系大財閥資本家群傘下の政治的前衛に在るのではないかと目される人材をして、少なからずに抱え込んで居乍ら、反シオニストユダヤ系と思しき経済手法を敢えて取って見せるD.トランプ大統領本人、斯かる、従来の米国社会とは相矛盾し対立さえする己の政治的言動と、公約を以って為す実践への突き進み、基より、合衆国民の過半数以上からは、”総じて受け容れられず、トランプ ノー!”と叫ばれ、須らくの大統領令布告と其の実行に関わる拒絶反応が、万度に示されてもいるのだが、張本人のD.トランプはと言えば、狂気的に過ぎる程にノーテンキなのであろう、何一つとして意に介さず、己が大統領選に於いて打ち出した全ての公約は、間違いなく実現のタイムテーブルに乗せて成し遂げる事を約束、再確認し、突き進む事を促すかの如くに大統領報道官に直接指令、言わしめた言葉は、目下の邪魔者の存在たる、反トランプを掲げる民主党支持者のデモグループと、大手メディア(シオニストユダヤ系大財閥資本家群傘下メディアをも含む)に対して、”てめえら黙って見ていやがれっ! 此のドアホウドモメが!”と、言いたい放題に為す暴言すら吐いて良しとする場面や光景を、公の場で見せて平然としてもいるのである。

 二期八年どころか一期四年の継続も難しく、半年や一年すら持つかどうかの見当付かずに措かれた、威丈高にして傲り昂る、先の見え始めた観も在るトランプ政権ですら在る事を、其のD.トランプ自身を含む身内と政権内部が、大統領就任早々にいみじくも教えて呉れてはいるのだが、此れ程に性質の悪い人物群をして、シオニストユダヤ系大財閥資本家群は、よくぞ米国権力者群のリーダーへと送り込んで来たとは、中々にして理解し得ずのもの、基より、裏こそ在るのであろうが、余りにも粗雑で酷すぎるアウトロー集団の政権への送り込みと言うもので、真に、彼等をして国権の舞台に送り込んでは為す、其れこそが「劇中劇」で在るとは決して思えぬ、危機迫る、絶妙にも過ぎるタイミングでの、世界征服シナリオの推し進めでは在るのだろう。「第三次世界大戦勃発の前にアメリカを護る必要が在る」と、大統領選最中に於ける対立候補たる、H.クリントン女史叩きの戯言であればいざ知らず、大統領就任後に漏らした当該トランプ発言でも在れば、忌々しき事態の惹起が此の政権には隠されてもいると考えられなくも無いのである。

 イスラム教過激派集団に因る、此処数年に亘るEU内部での頻繁にするテロルの惹起で在るとか、大量の、其れこそが”溺死”の覚悟を伴う移民や難民の大量流入である等の、社会秩序の破壊等を事由として科した、イスラム教国家七ヵ国を特定して為す、大統領令の発動に因る、早速にする合衆国への入国制限と其の実行は、当該七ヵ国のみならず世界各国に侃々諤々の異論を巻き起こし、愚者たるD.トランプをして更なる、奇人、変人、愚人であるとの強い烙印を捺す事にはなったが、斯かる指摘に対しては無視、其れどころか一切悪びれる事無く、D.トランプはSNSで呟き、(入国拒否に遭ったのは、有色人種国家の搭乗者)数十万人の内の百名程度、大した問題では無い!とメディアを一喝、言外には、此れからも続ける意思をも示したのである。基より、斯かる大統領令と、其の実施に対する米国市民の思いはと言えば、メキシコとの間の国境線に設えるとした「壁の建設」同様に、過半が同意し合意を示すとの、米国社会に於ける世論調査結果すら出てもいるのである。

 米国大統領となって終った此の偏屈極まりない、貧乏神と疫病神を背負ってはW.H入りしたD.トランプは、精神的に落魄れし白色人種群同様、「社会常識、社会正義、社会通念」は全く通用せずに措かれている事を示しており、今まさに彼は、社会組織上必要不可欠なる当該条理の機微一つ学ばずに71歳を向かえる事となる、所謂、詐欺ペテン師、法律を勝手に解釈する口先三寸の独善者であり、はたまた、社会正義心全く無しのマフィア気取りの成金分子、性格的に言えば、脳味噌足りずの怒りっぽい、悪餓鬼に似た癇癪持ち性格態様を現わし示しているだけ、恐らく、予定される、残余の公約を基にする大統領令数十本のサインを為して推移を見届ければ、自己満足する此の独善老人の事、次に遣る事無しとして(永遠の)眠りに就き、大人しくはなるのだろう。但し、アメリカ合衆国のみならず、民主自由資本主義社会に生きる国家群もまた、米国社会同様に、少なからずの悪影響は回避し得ずに受け、困窮してはいるのだろう。

 アメリカ合衆国は、南北戦争(1861〜1865)を経て、より優れた国家社会で在り国民に成長した人種の坩堝社会でも在ると、もの心が付いて暫くは疑いを容れる事一つとして無く信じ切り、心の奥底の何処かには、米国と言う国家社会そのものを牽引する人々が、実に有能なる人材が揃う其処はアメリカ合衆国ならではの優秀さで在って富めるのも当然とするとの、揺るぎ無き評価すら与えて当然としていたもの、また、合衆国連邦成立の形態的歴史こそ若くは在るが、「民主自由資本主義社会」を他の国に先んじては編み、実践しては国家のみならず国民そのものをして富ませたばかりか、且つ、安全保障政策をも強化せしめ、余力を以って国際社会をも牽引、社会正義顕現のキーストーン役を担う国家国民をも造り上げたと、アメリカ合衆国をして勝手に規定すらし、また、其れも当然であるかの如くに見続けて来た、部外者の独りとして言わせて貰えば、其の有能性を以って顕し示す、所謂、精神的、肉体的均衡の取れた社会組織態様は、今無残にも崩れ落ち様とし、機能不全たる、不安定なる危機的社会状況にこそ追い込まれて居る様に見えてならずのもの、其れはまさに、多くの米国民が少なからずに満足し得ていた社会から一転、転がり込む様に不満を以って当然とする国家社会へと転落変貌、在ろう事か、余され者とされて来た、所謂、塀の上を歩き続ける半端者の民が、今や、表社会に押されては出、自由気儘に跋扈しては、半端者の姿勢を取り続けると言う、おぞましい社会態様にも在る事を、合衆国社会は現わし示してもいるのだが、斯かる、歪にする状況をして恥とさえせずに是として終うのは、偏に、連邦制を以って為す米国社会の、理念や律令を伴って編まれし「民主自由資本主義国家社会体制」が、今に於ける国際社会に在って共有され、普遍的に成立しているからとは云え、塀の上を歩く半端者の様に、国家権力者が、理念や律令を共有せずに措く、言葉巧みにする一群をして社会そのものが受け入れる事となり、国家権力者に求められるべき理念や律令の遵守とは全く相容れぬ方向へと牽引されても、芳しからずかどうかさえ判らずに在るか、左も無くば、判ってはいても、他人にも何れは被さるであろう己の不幸をして、楽しみたいが故に在るかの何れかで、まともに有らざる事だけは確か、即ち、「民主自由資本主義国家社会体制」を以って臨む原点に立ち帰り、今を眺めれば、斯かる正しき社会方向を形作る国家理念が、紛う事無く、揺るぎ無き人類の普遍的理念として求めるもので在って、へし折れる事なく真っ直ぐに突き進んで来ているのか、其れとも、途中から折れ曲がり、在らぬ方角へと飛び出して終っているのか等、見定める必要が在ろうと言うもの、即ち、性悪に在る事を事前検知されていたD.トランプをして、米国第45代大統領に送り込んだ米国社会は、紛う事無く、米国社会が共和制を以って成す、合衆国連邦発足当初に於いて、求めても居た国家体制の理念たる「民主自由資本主義国家社会体制」が、即ち、建国時(1776年)に於いて想定され、且つ、概念付けされていたで在ろう、政治経済に関わる此処迄の発展と広がりは、含まれずに措かれしもの、左すれば、建国時の理念の侭に、将来たる現在をして見遣れば、良かれとして為した物事が、条理としては馴染まずに措かれ、須らくが蚊帳の外へと出されては、在らぬ方角へと突き進んですら制止は出来ずのもの、即ち、国家理念は基より、政治経済に関わる哲学も手法も、永い年月を経れば、見直しに拠る修更正は、必ずや、必要となろうと言うもの、まさに、今は其の時代に差し掛かってもいると言う事に他ならないのである。

 国家個別的に存在したであろう社会正義の顕現や政治経済の手法等は、今や、現代社会に見合う普遍的理念としての昇華すら求められ、若しくは、条理としての形成合意が、国際的にも求められているもの、基より、72億人の住まう国際社会に在って、律令の一元化に拠る合意収束が適うのか、適わないかは、独り、「民主自由資本主義国家社会体制」に内包する、欠陥の取り出し廃棄に拠る是正と、国際社会の英知を結集して執り行う、条理の付け加えを以って為すルール改変(一本化)を必要とするもの、基より、一国では為し得ずのものにも在れば、斯かる理念の価値や重要性を共有して良しとする国家群が集い、同一ルールの施行を前提とするルール改変に臨み、新ルールの追加を以って為す、所謂、政治経済を執り行う集合体として、国際交流に臨むべきでは在るのだろう。

 D.トランプが、今まさに為そうとしている行為は、まさしく時代の要請に逆行するものであり時代錯誤の再現化、閣僚陣の全容こそ未だに決まらず、政権政策運営の取り纏めに支障を来たし、苦労もしている様だが、政権が機能すれば紛う事無く大揺れはするもの、安倍晋三政権を駆って利用、日本国をして甚振ってはならない。