日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆国権を濫用、白を切っては嘘を吐く、前代未聞の宰相とは。

 <日本の歴史は日本人が創る>

 国家権力者としてより相応しく、基より、権力者たる彼(若しくは彼女)が、此処に云う理性的条理在る日本民族の一人でさえ在れば、たとえ自らの手足として活動する側近に因って惹き起こされた、其れこそが、過失による不条理事案であろうと無かろうと、乃至は、作為的に為す不法行為事案で在ろうと無かろうとも、当該事態の重大性に鑑みれば、即刻にして、権力者は自身の行いし責務と捉え、自らの監視が行き届かなかった所為に因る不祥事、まさに、管理不行き届きの結果に因る悪行であって不徳の致す所との認識を関係者に示して当然とするので在ろうし、事案の成り行きと状況次第では、現に就く、国家指導者(権力者)としての地位を即刻にして辞させて頂く旨をも提言、現状に於いて担う指導的国権の地位を退き、若しくは、側近の犯した犯罪性を帯びる結果悪行に対して、自らが率先して官憲に両手を差し出し、使用者責任に因り、己も同時に罰するべきである旨を申し出るべきが、権力者として立つ日本民族の責任の処し方では在るのだろう。基より、此れは、国権を有する指導者自身が直接的に関与した”悪行”では無く、指導者の手足として働いていた者に因る結果不法行為(悪行)に関わる、指導者としての関わり方を示す対応事例とはなったにせよ、当て嵌まる身の処し方と言うもの、即ち、側近や手足として用いた人物に対する、使用者責任の対処の仕方と言うもので、況してや、国家指導者本人からの直接的指示、乃至は示唆が本で、斯かる側近のものが気を利かせて狡猾に動き、其の結果として犯した悪行であれば当然に、使用者責任どころか、当該犯罪(悪行)に関わる実行行為の教唆者たる<正犯者>とはなるもの、不法行為たる犯罪をして、暗にでも命じた国家権力者そのものが、万死に値する共同正犯の、正なる犯罪者となり、裁かれなければならぬ、筈、である。

 小学校、大学と言う、所謂、大阪府今治市が絡む学園創設疑獄事件に関わる、国有(公共)財産とでも言うべき土地や建物等の、特別に廉価にして入手し得る事案の推し進めで在るとか、所謂、国家権力が絡むのではないかとされる不法不正行為の有無、或いは、開校が為されれば、学校法人等に対する許認可事業に伴う各種国家補助金配分が決するとの、別枠にする多くの疑念を残しながら、其れも、国家権力者(最高位から低位に至る迄)の関わりを示す文科省内部の文書が、保存保管の下に措かれ、公的文書として共有されていながら、更に言えば、斯かる疑獄事件を基にした侃々諤々の質疑応答を国会で為し、不法不正行為に手を染める者が、国家権力者を筆頭にして多数浮き彫りにされながら、動かぬ司法権の腰の重さは目に余るもの、基より、宰相の地位に就く現国家行政権力者を筆頭に、現職官公庁吏員にまで至る、言わば、良し悪しは別とした、政官癒着構図さえ見て取れれば、如何に、元麻生太郎政権末時に於いて謀ったのと同様の、民主党幹部(鳩山由紀夫代表と小沢一郎幹事長)の追い落としに使った手法と同様の策が、人事権と予算権をして行政府に握られた司法権に為し得るかは、大いに疑義を残す所、泣く子も黙る地検特捜部を動かす「最高検察庁」とは云え人の子、飛ぶ鳥を落とす勢いの在る現国家権力者に睨まれ、睨み返せば、紛う事無く司法権に於ける出世の道は断たれ、断たれるどころか”左遷”、乃至は、徒党の跋扈する巣窟へと追い遣られ、選良の民の歩みどころか、渡り歩き、高収入に在り付く”場”すら取り除かれるもの、弁舌が達者で在れば未だしも、達者では無い正義心強き反権力者は放り出される命運を託つだけとはなるのである。基より、捨てる神あらば拾う神あり、正義心強気ものが其の生涯に於いて、不条理者群に負ける事は無い。

 世が世で在れば伯爵と呼ばれていたであろう、元宰相等に因って企てられし謀は、”神”に因るレッドカードの突き付けが在ったのであろう、謀が発覚した事で覆り、即ち、朝日新聞社の一記者の閃きとでも言うべき、証拠品として取り上げられた文書の、記載事実に記された日付に関わる、捏造された不正事実の発見によって、地検特捜部の企てし「虚偽、捏造」である事が白日の下に暴かれ、当該地検特捜部に因って、”犯罪者”として起訴され、而も、冤罪でっち上げ事件の被害者にまで晒され、有罪をして作為された(当時)厚労省官僚たる「村木厚子女史」が、万分の一にも満たない無罪勝ち取りの確率で、裁判官に拠る社会正義に対する平衡感覚が呼び戻され、新証拠を以って是とする、所謂、無罪判決文をして高らかに読ませたのである。基より、地検特捜部の作為せし「犯罪」である事が露見すらした当該「冤罪とでっち上げ事件」、基より、当時の民主党を率いし「鳩山由紀夫小沢一郎」両名の追い落とし事案(事件)にも関わるのだが、更なる深堀り(地検に拠る上告)をすれば墓穴を掘る事が明白となり、「鳩山/小沢」追い落としすら不能と察知した地検特捜部と最高検(及び伯爵グループ)は上告断念を余儀無くされ、数名の地検特捜部の幹部の、表向きに遣って見せる、首を切ってみせたのである。基より、当該事件を目論み、作為せし正犯者が公権力をして捨てる事は無く、今も尚、ぬくぬくと公権力に携わっては公碌を食み、在ろう事か再びにする国権の座への返り咲きすら狙っている節も見えるのである。基より、赦されざる事でも在る。

 今、国家権力者たる宰相と其の関係者一群が、不敬にも「天皇家」をして蔑ろにしただけでは無く、在るまい事か、国家国民をして騙し続け、即ち、宰相から側近、或いは、当該関係者一群に因る、「天皇家」に措かれて排他的に有する事案を勝手に動かし、今また、件の諸疑念に対して、知らぬ存ぜぬのみの押し通しで在れば未だしも、疑念が疑獄へと変化する諸々の物的証拠を突き付けられてい乍ら、知らぬ存ぜぬどころか、己より有能なる官僚を捉まえて、馬鹿な公務員が勝手に書いたメモの様なもの、と否定し腐して見せる、特務大臣に因る断定的にする虚言の羅列は、当該事案に関わる政権側、即ち、政府そのものが、紛う事無き犯罪者たる集団ですら在る事を知らしめているもの、況してや、直接的事情聴取こそ現職政治家、乃至は現職宰相と言う特権的地位に就いている事で阻まれ、声掛けこそ憚られもするのだろうが、司法権そのものが斯かる疑念に何一つとして興味を示さずに措き続け、但し、関連する異なる疑獄事件に関わる訴えに付いては、淡々として受領したが故に家宅捜査を実施しただけ、(疑惑の本質を探る為にでは無く)大阪府から為された訴えの事実のみに絞り、且つ、則って為すもの、所謂、公金詐取なる犯罪証拠を捜すと言う基本行動を開始した迄であるとの、大阪地検の言い分にはあろうが、斯かる疑惑事件(森友学園?)を構成する本質部分である土地部分には一つとして触らずに措くもの、飽く迄も、違法不法行為を基にする詐欺等の罪での捜査に限定して、官憲は踏み切ったのである。基より、公訴を提起した大阪府松井一郎府長)が、強く関わる可能性すら含まれる件の、不動産用地80%値引き売却等の価格問題には、公訴事実に無い事を事由として、一つとして触れられずとの推測もまた、実しやかに流されてはいるのである。

 ➀「立憲君主制国家」に在る事を高らかにして謳い、②「民主自由資本主義国家社会」に臨んでいる事を誇りとし、而も、③「三権分立に基づく法治主義国家」日本にある事もまた謳って已まない日本国に在る筈が、明らかに、此の安倍晋三政権の登場に因り、或いは、通算七年にも亘る中での、高支持率を下にした、恣意的に為す執政権への傾斜へと歪められ、斯かる三種の神器ならぬ、三種の日本国々家社会創設原理に、今まさに、態々に為す亀裂が入れられ、あまつさえ、良質にする国家そのものが崩壊の憂き目にすら遭わされ様としているもの、極めて忌々しき事態の到来であり推移とでも言うべきもので、此の侭にして見過ごせば必ずや、「天皇家」ともども、一億二千万人赤子たる日本民族は、シオニストユダヤ系大財閥資本家群に指導されし傀儡子宰相安倍晋三の薄汚れし手で、僅か「八百万人」のみを列島内に遺す民族となり、残る一億一千万人日本民族は、シベリア大陸で、或いは、列島内に在って、次から次へと降り注ぐ核爆弾に因って炭化、どす黒い汚水に浸かり、若しくは、山奥の過疎地では竹槍を持った侭に人々は死に絶え、一度も戦わぬ飢え死にせしモノノフとして、哀れなるかな斃れ行く者さえ出る始末、斯かる、安倍晋三政権をして大いに支持した在りし日の日本民族で在ってさえ、彼の地シベリアでは葬られる事すら無く、凍土の上に累々として横たわり、鳥や獣の啄みに晒されるだけとも成るのだろう。基より、何れは”骨”だけが残る、或いは、骨さえ無き、毛皮の外套だけが残る、其処は、安倍晋三に因って送り出されしシベリア領土領域にはなる筈である。

 日本国家社会と政治が本来の静謐さにあれば、閑古鳥が鳴いていて然るべき「地検特捜部」の筈だが、キナ臭い事案の持ち上がりで、どうも久し振りに本業再開の場が到来した様にも映り、所謂、手持無沙汰の官憲が嗚咽して悦び勇む様な、言わば、国家権力者そのものの作為せし、且つ、悪辣にする、此処迄酷い<疑獄事件>が多数に、其れも一挙に勃発、状況証拠は勿論の事、物的証拠すら山羊の餌になるほど山の様に揃えられ、且つ、示されてい乍ら、被疑者となるべき権力者は、知らぬ存ぜぬを繰り返し、あまつさえ、知恵者の役割のみならず、権力者群の手足の役割さえ務める官僚(国家公務員)達に責任転嫁を為すべく、疑獄事件の本体を覆い隠そうとしただけでは足りずと、過去の行動まで持ち出しては揶揄、貶めを謀って見せると言う始末の悪さを遣って見せる権力者群であれば尚更に、腕撫す筈の司法権と思いきや、動いたのは、森友学園に関わる詐欺事件に関わる事案のみ、基より、加計学園問題等は眼中に無い様で、「天皇家」と「国民」に忠誠を誓って已まない当該有能なる官僚群をして、愚者扱いしてみたり、守秘義務違反の犯罪者扱いをして腐してみたりの遣りたい放題の権力者一群を間近にしながら動かず、言わば、日本民族の長たる「天皇家」に対する、其れは<不敬>そのものである事は勿論の事、一億二千万赤子たる日本民族をして小馬鹿にし、奴隷扱いをして当然とする、言いたい放題、遣りたい放題の悪態とでも言うべきもので、如何に高い支持率に支えられ、使い切れぬ資力を蓄えし「安倍晋三と其の政権陣容」に在るとは云え、此の侭に安倍晋三政権をして受け容れ続ける事は危険極まり無いもので、国家崩壊がより早く差し迫ろうとしているとさえ言えるもの、基より、国家転覆等を未然に防ぐべきは、斯かる司法府の部局もまた役割の一端を担って然るべき筈だが、或る日に於ける、良からぬ冤罪でっち上げ事件をして白日の下に晒され、お灸を据えられては蟄居謹慎の身の上に晒されて間近な為に、事案が到来すれば活動すべきグリースが切れて理性的判断力が錆び付き、不条理の排除に向けて動けぬ(動かぬ)最高司法権の現状にも在れば、斯かる、貧乏神と疫病神を同時に背負いし安倍政権存続の責任追及と条理在る責任の執行、言わば舵取りの修正等は、到底不可能と言う事である。

 国家国民に責任を負うべきは、動かぬ司法権に加え、彼安倍晋三そのものをして間接的に、「国家行政権者」へと就かせた日本民族たる山口県民にこそ、其の責は帰せしめて然るべきものだが、基より、直接的責任はと言えば、通算七年もの執政期間をして彼安倍晋三の権力者擁立に与し続け、国家権力者の地位を与え続けた件の自民党を一とする、与党と其の党員に須らくの責は帰せられて然るべきもの、左すれば、上述せし三権の一つである「司法権」が、社会正義顕現の判断機能として持つべき、所謂、法の精神と仕組みに則り、且つ、淡々と率先し、社会正義の回復に動いて然るべき筈なのだが、権力者群に因る此れ程に明らかなる不条理事象を見せ付けられながら、一つとして責務に動かぬ(動けぬ)司法権にも在る以上、玉石混交の法をして、数多に粗製乱造して已まない立法府自身を以って立ち上がらせ、司法権に取って代わる、謂わば、傀儡子宰相たる安倍晋三の為す執権の剥奪をこそ直ちに実行、本人をして、投獄の一歩手前へと追い遣るか、左も無くば、韓国、若しくは、<主>の坐する米国等の国外へと、直ちに追放すべきが、今に於いて為し得る唯一の道ではあるのだろう。何れにせよ、日本国が潰れて終ってからでは遅きに失するもの、間に合わずではある。

 国家権力者の意向に則り、「捏造」や「でっち上げ事件」のシナリオをして構成し、演ずる事さえ悪びれること無く淡々として遣って退ける、「司法権」で在る筈が、殊、自民党政権絡み、或いは、アメリカ合衆国絡み、乃至は、蝦夷王朝の末裔と言われる安倍晋三自身や、あの日本を駄目にした藤原一族本宗家末裔を自負、世が世であれば、摂政の座に就いていた可能性すら在ると錯覚、少なくとも、伯爵の地位には就いても居た麻生太郎元宰相等には、諫言の言葉一つ申し述べるどころか、言われた事のみを斟酌し、下命されし事項を、条理不条理に関わり無く粛々として実行に移す様は、時代錯誤の隷属関係、所謂、「藩」制度の復刻版では在るのだろう。