日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆今や「政党名」は、存立の実体を的確に現したものでは無い。

 民進党は、政党名の変更時と同様、総括一つせず瞬時にして閉鎖に付し、雲散霧消へと追い遣られ、日本共産党を除く他、米国の傀儡子たる自民党政権に対抗し得る、目ぼしい野党勢力が数少なくなった今、さあ、此処は政党選択の思案のし所、北朝鮮国の核搭載ミサイルを、日本向けに四、五基、或いは、其れ以上の数を以って、即刻にして発射されて良いかどうかの選択選挙とすべきである何ぞは、ホトホト困ったものだわいと考え悩む道々の民諸兄よ!、基より、自民党公明党をして選択、投票すれば、其の様な方向へ進んでも構わぬとするのだろうが、そうかと言って、現職都知事である小池百合子代表率いる新党「希望の党」に投票し、不透明に措く国策内容に政権を託する、言うならば、道々の民が白地手形を切り渡す事で、北朝鮮国(決定的な場合はロシア国をも動かす)に因る日本国に向けた核弾頭搭載ミサイル攻撃が、此れで、即座にして停止され、一つの核被害も受ける事無く済み、外交交渉其の一本を以って諸問題解決に移行、国際社会をして、少なくとも極東アジアをして、静謐裡の和平状態に措く事が適うかは何とも言えず、五分五分状態には在るもの、基より、参戦(開戦)主流派たる異邦人で在りながら自民党総裁たる安倍晋三や、安倍晋三太鼓持ちたる公明党代表山口那津男とは若干異なり、小池百合子代表率いる「希望の党」は、参戦も開戦も是々非々にして判断するとして否定はせず、ともに可能とするとの意思表明せし党員を以って、政党「希望の党」は構成されると、小池百合子女史が条件付け、且つ、明言すらしてもいれば、其れこそが、ポスト傀儡子政権として準備されし政党である事を教えている所で在る。

 対北朝鮮国(乃至はロシア連邦)との戦争に、積極的参戦姿勢を示す「自公民」両党と、積極的でこそ無いが、参戦も開戦もともに言葉こそ濁しては逃れるが、戦争参加は認める「希望の党」にも在ろう事は明々白々のもので、基より、直接的言葉での言明こそ避けている「希望の党」では有り乍らも、代表(党首)たる小池女史の発する日米安保の維持発展、乃至は、改憲論に向けた踏み絵の敷きと其の押し付けと云う、加入希望党員に対する服従の条件提示を見せ付けられれば、野党陣営の中でも、取り分け、戦争に対する理解、或いは、対応すべき政治姿勢は、前述せし、<自民、公明>両党とは、全くにして異なる事の無い、好戦的政党ですら在ると見て取れるもの、左すれば、自公両党との政治的色分けこそ困難と云うもので、然らば、現に、政党経歴こそ永くは在るが、未だに小政党たる「共産党」や「社民党」が、前述せし三党(自民、公明、希望)に成り代わる、対極に位置し存在する、政権を担う可能性をこそ残す政党にせいちょうするかどうかには疑問を遺すもの、基より、名前こそ未だ上がってもいないが、日本民族国家として最も望ましい国家理念を掲げ得る、所謂、地球規模の交流に際しては、全方位外交を以って党理の中核に据え、国理(国家安全保障)としてさえ据え得る、言わば、小沢一郎をして共同代表に抱える「自由党」もあるのだが、前述せし好戦派の三党とは、消極的国防の現わしと云う点では全く異なる理念を持つ小政党組の「自由党」、即ち、米国との間に組まれた、突出せし軍事的片務契約関係は、日本共産党社民党自由党の三党は、自公や希望とは異なり、核の傘若しくは庇護と云う名の米国(軍事力)支配を全く不要とし、基より、自主自衛の為の権、並びに、其の現わしは、排他的に日本国家自らが保持して発すると云う、確信的基本理念を持つ政党にも在れば、自公や希望、或いは、其の他の政党とは、安全保障条理が明確に異なるもの、唯一、国家理念を以って、「自由党」と並び得る得る政党が在るとすれば、其れこそが、二十一世紀に突入して初めて、「立憲君主制」国家社会体制を党是として認め、且つ、認知した、「日本共産党」が唯一存するだけでは在るのだろう。

 基より、根っからの極右的人物と看做されてもいる傀儡子宰相「安倍晋三」評だが、些か怪しき面は多々有ろうと云うもので、どの様に育てられたのかは判らぬが、唯々偏向せし狭隘なる性格を帯びた、口だけ達者で好戦的人物なだけ、今は亡き父こそ穏健なる人物で、外務大臣迄務め、晩年には、自らの民族出自たる”蝦夷一族”のルーツ深堀りに興味を示し、先祖の地たる(現)秋田県を一として、岩手県青森県等を広く訪問、古代史に燦然と輝く東北王朝(蝦夷一族)縁の地を行脚、今も尚、外形的にも蝦夷一族の同族と看做される人々の生活様式の目への焼き付けは勿論の事、史跡として遺る数多くの文化文物遺産をも調査、坂上田村麻呂に因る東北王朝(蝦夷一族)討伐で、辛うじて生き永らえ、且つ、生存下に措かれし先祖の人々が、現山口県を一とする多くの域外へと移送された等の、今から千二百有余年前の古代史の解明に向けて、余生須らくをして費やした事は、夙に知られた話ではある。

 其れは、故人となった父安倍晋太郎氏に関しての話し、血を分けた息子たる現宰相にして傀儡子たる安倍晋三に至っては、行政府の最高位階に就いて居乍ら、日本民族をして良しとせず、其れ所か、東北王朝(蝦夷一族)に加えられた、其れこそが不条理、且つ、非業の歴史(民族悲哀史)であるとして捉え、斯かる、宰相への上り詰めを以って、日本民族を構成する百済系や高句麗系日本人に対する、積年の”怨念の晴らし”を決断、其の、機会の到来とすら解した観の在る安倍晋三の昨今、基より、兄弟や親族にこそ子孫は遺されてもいるのだろうが、眼中には措かず、況してや自身には一人として無き事実を以ってすれば、様々なる理を以って反日民族意識をすら高めて行けば、必然、父晋太郎氏とは全く異なる道の選択(非学術的)にもまた陥ろうと云うもの、日本民族皆殺しをして祈祷し続けたとしても、摩訶不思議な事では無いのである。

 余談になって終ったが、北朝鮮との戦争をして回避は最早不可能との観すら呈する、自公両党の動きを冷ます為の受け皿づくり、若しくは、安倍政権の執行期間中に遣られた悪政の遣り放題に因る治安の乱れや、特に、経済的格差拡大を是とし、且つ、増長さえ是とする、所謂、持てる者をして権力者側に措くと云う、経済的利益にも全く与れない大多数の国民社会に溜まりにたまった、目にこそ見えぬ憤懣や圧迫感、言わば、社会秩序の乱れや道徳心の欠落等に対する、不平不満のガス抜きを目的とする為に、目を逸らさせるべく、急遽にして企てられた可能性の有る政党が、此処に云う小池百合子女史を擁した「希望の党」で在るとの見立て、或いはまた、こちらの方が立党に至る本命の理由かも知れないが、つまり、「立憲君主制」をして国体とする政治文化をして、遂には認めた「日本共産党」の、急激にする国民間への和を以って為す漸進的ではあるが浸透継続の現実と、国政党としての著しい台頭をこそ忌み嫌い、基より、日本共産党に因る、国権掌握の現実味を帯びた勢いをこそ危惧した、現に安倍晋三政権をして巧妙に動かす米国裏政権に因る、結果、安倍晋三を以ってしては防ぎ様も無い、防御壁の設立を目的とした受け皿なる政党が、此処に云う、俄作りの「希望の党」、其の急拵えには在ったのであろう。基より、米欧中同様に、日本国をして実体的差配下に措き、且つ、支配し続ける、シオニストユダヤ系大財閥資本家群にとって、後者の明らかなる浸透に拠る顕現が、確かな足音としても認められた事に因るもので、其の動きが強く、而も、脅威として感じ取れての決断では在ったろう。

 道々の民が学び続けて来た事に因る、言わば、「日本共産党」に対する忌避の因、其れは、基本的なものとしては何点かは現実のものとして遺されてもいるのだろう。即ち、➀「共産主義政治社会体制は、古来、日本民族国家には馴染まない主義主張と実践である。」とか、②「王政に拠る民主自由資本主義に対峙するのが共産主義、受け容れる謂われ等無いからである。」とか、③「共産主義社会は暴力革命を是とし、思想は基より、産業、経済、教育等をして共同管理運営を可能とする、自由無き組織体であるから」、更には、④「凝り固まった反権力者や学歴の無い労働者の集まりが主で、凶暴なる組織体であるから」等々の理由を付して、延々と二世紀近くにも亘って洗脳され、毛嫌いされても来たのが、共産主義政党でも在る「日本共産党」では在ったのである。

 確かに、共産主義思想は十九世紀に編まれ、二十世紀初期には国家社会体制を形づくる政治経済理念として勃興、名称こそ今も残すが、二十世紀末には、共産主義国家を標榜する殆どの国家群は、済し崩し的に倒壊を見、実体的共産主義国家は、理念的にも略皆無と言って良き国際社会の現状に、至ってもいるのである。

―続くー