日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆日本民族を自負する大臣と、融合を嫌った異邦人宰相、手は結べるのか。

 我が尊敬する古代史家の一人、関裕二氏の言を借りれば、<あの日本を駄目にした>藤原本宗家一族の末裔を自負する、現職財務大臣麻生太郎が、以前に比べて、頭髪は黒けれど薄くて少なく、基より、齢を重ねた所為もあるのだろう、76歳を目の前にした今、TVでの取り上げ場面(国会中継を除き)も少なくなり、必然的に、失言や暴言もまた少なくなったと云う見方も出来るのだが、言葉を慎んだ迄は良いが、米国禁酒法時代のマフィアのドン、アルカポネの様な格好しか見られないとは、至極残念なるもの、基より、大臣職に戻って見れば、質問に対する応答内容もまた迫力と精彩ともに欠き、役人達が記載添削せし答弁書をして、淡々と棒読みするだけに見えても終うのだが、何のなんの、大臣席に戻れば一転、未だまだ脳味噌だけは、ノータリンの若者たちには負けず、円滑裡に動いている事をアッピールして見せるかの如くに薄笑い、相も変わらずに口をへの字に曲げて野党質問者群(席)を見遣り、特に、日本共産党立憲民主党の質問者等に対しては特に、蔑視感を以って見下してもいる様に、今も尚見えるのである。気の所為か、はたまた、思い込みに因る先入観がそうさせるのかは解らぬが、答弁後のニヤツキ振りは兎も角、下を向いて答弁する其の声に、張りも無ければ覇気もまた全く感じ取れずに措くもの、とは言え、自己顕示欲の強さだけは未だに目立ち、且つ、感じ取れもするのである。宰相安倍晋三とは好対象なる人物では在る。

 今再びにして、古代史家である関裕二氏の、一著作内に記されたワンフレーズをして思い出させてくれるのは、現状安倍晋三政権に於ける閣僚内に、其れもトップに位置する内閣総理大臣職の安倍晋三と、国権第三位の地位を占める財務大臣麻生太郎が、大臣席をこそ違えども、何れの方が賢いのかと迄は言わぬが、通算七年と云う永き間に亘り、安倍内閣での同床異夢を乗り越え、麻生太郎麻生太郎で、八十歳迄に至る政治生活をして、トップへの返り咲きを断念、安倍晋三政権の下、小間使い要員で政治的生涯を終えるとの、余り崇高とも言えない奉仕活動の決断をしている様に見えるのは、独り小生だけの思い込みでは無かろう。即ち、見苦しくも見え、日本民族の覇気無き実体を見せ付けているかの様にも映るので在る。

 即ち、如何に異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三と、僅か一年とは言え宰相職まで務めた事も在る現職大臣の麻生太郎が、遠い親戚関係に位置して居ようとも、よくぞ麻生太郎は此処まで我慢、異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三に、七年間にも亘る間付き従い、基より、小判鮫の様に巧みに喰らい付いて離れず、答弁書の読み間違いをせずどころか、失言や暴言はゼロと迄は言わずも少なくに抑え、基より、ポスト安倍と云う次をこそ狙う事も間々在ったのだろうが、まさか、2007年末には、病院への駆け込みで国家宰相職を放棄したあの安倍晋三が、2012年には復活せし彼の足許へ駆け込み、其の侭にズルズルと三番手に喰らい付き、而も、とって代わりを窺った対象となる其の安倍晋三が、権力の座に就きし二期6年間を難なく越え、若しくは、党規約を改定、而も現実的に乗り越えて見せ様としているばかりか、あまつさえ、三期9年間(満了すれば都合10年間)を、此の、日本民族を売った、実に蔑むべき男が、国権最高府の長をして全うする事になろうとは、あの日本を駄目にした藤原本宗家一族の末裔をして自負する財務大臣たる、其の麻生太郎は勿論の事、野党陣営を一とする、与党自民党員もまた同様に、誰一人として想像さえする事も無かったのは実に不思議な事ではある。基より、本人の安倍晋三宰相自身でさえ、此処まで永く、而も強く、国家権力を維持し執政し続けられるとは、蓋し、思いもよらずの事ではあったのだろう。米国のサポートに感謝すると同時に、権威主義に埋没するしか致し様を知らぬ、日本民族の代表たる麻生太郎にもまた感謝しているのであろう。

 振り返って見れば、此れは良くも悪くも大変な事を意味するので在って、斯かる長期政権誕生に至る所以は、宰相職をして全うする本人に、他より図抜けし政治的資質が確かに在ると認められ、而も、有言実行の実践下に移してもいると、須らくの与党議員に認知されているかどうかは別に措くとしても、政敵を封じ込める要素をしっかりと抱え、実態的に封じ込めて呉れもし、若しくは、対抗勢力や、権力者自身に対する否定的勢力の、事前にする潰しや排除が必要となればたちどころに削ぎ落として呉れ、排除しても呉れると云う存在が、現実下に措いて認められもするのである。然らば、安倍晋三をして宰相へと担いだ、当該黒子陣営ともなる、所謂、ブレイン群やエージェント群が推し進めた手法や手段が何かと云えば、国民の間に再台頭が予期される野党陣営の、事前に為す芽の摘みとりや、有る事無い事の流布に因る貶め、更には、斯かる対抗勢力に対する政治活動の弱体化へと追い詰める工作が現に在り、主体的には、マスメディアの金的とでも言うべき急所の押さえ(免許剥奪)等と云う、優劣つけ難い、斯かる二大要因の達成作業に付け加え、当たり前の様にも見える、即ち、司法権に対する国権従属の求め等が為されて、確実に履行されるべき事を押し付けると云う、所謂、都合三大要因ともなるべき成就要素が歴然として無ければならずのもの、如何な極悪非道の悪党であろうとも、斯かる要件要求が満たし得れば、紛う事無く、御輿に乗る人物が愚びたる人物で在ろうとも、国家権力維持と遂行継続の為には担がれるのである。

 森友問題や加計学園問題、或いは、刑法犯見逃し等の問題に関して、未だ廃れずに措く宰相安倍晋三に対する疑惑追及が、依然として、永く強く保たれているからとは言え、異邦人傀儡子宰相たる安倍晋三が、此処に言う所の、<極悪非道の大悪党>である等と言っている積りは全く無く、其れどころか、何十と云う疑惑の須らくが無罪潔癖に在る事すら期待さえするのだが、恐らくは無理なのだろう、とは言え、疑惑が消え去らずに残された侭の状態に措かれているからとは言え、訴追も受けず、司法権下の法廷にすら持ち込まれずの状態にもあれば、中身や深層はどうあれ、真っサラサラなる彼もまた日本国民政治家の一人には見えるもの、故に、疑いが一つとして晴れぬからとは言え、<極悪非道の大悪党>たる、彼安倍晋三は、不埒なる国家権力者とは断定する事も出来ないのである。

 八世紀初頭に至り、「天皇家」に対する<妃>の御輿入れ先ともなる、外戚たる慣習をこそ拵えた事と相成る件の、百済国最後の王子とされる<豊璋/中臣鎌足>をして源流とする、天智天皇より藤原姓をして下賜されし本宗家一族の末裔、中でも特に、鎌足の実子たる藤原不比等に因り、<妃>の御輿入れをして慣例化されても行くのだが、斯かる藤原本宗家一族の由緒正しき出自で在る事を自負して已まない、現職大臣の麻生太郎に対する、遠い親戚たる一方の安倍晋三の出自はと云えば、古代史に遡れば、燦然と輝く件の、東北王朝を牽引せし蝦夷一族(安東氏、秋田氏、安倍氏等)に属する、彼は確信的出自の持主、基より、桓武天皇の御代に於いて、将軍坂上田村麻呂に対して命じられた東北王朝の平定命令に因り、蝦夷一族の王たるアテルイは捕縛連行され、遂に、東北王朝は滅亡される事と相成るのだが、後に、征夷大将軍の冠名を下賜された掃討者たる田村麻呂を代理とする朝廷に対し、戦いをこそ挑んだものの屈服、恭順の意を示して降参し投降、朝廷近くに連れていかれたアテルイとその一団は、田村麻呂に因る「命だけは守り申そうぞ」なる口約束を違えられ、無惨にも、801年河内国に於いて桓武天皇臣下の強い意向で、処刑されて終うのである。基より、同時期に於いて捕縛されし有力所の蝦夷一族(安東家、秋田家、安倍家等)は、現岩手県等から離れる事を命じられ、今に云う所の関東以西の各地へ、乃至は九州地方等の一部へと移動をこそ余儀なくされ命じられもしたのだろう。其れは、一千年の後に再現を見るかの如くの事案となるもの、即ち、幕府打倒の正統性など全く無かった薩長土肥のテロリスト集団に因り、”朝敵”なる汚名を被せられた挙句の果てに、幕末の戊辰戦争(1868〜1869年)で敗戦を味わう事となる、所謂、会津藩を中核とする奥羽越列藩同盟の、其れこそが、戦犯として取り扱われた会津藩等の主導者層に対する、言わば、”在所引き払い命令、並びに、遠島の申し渡し等”に因り、酷寒の地たる現青森県下北半島への追放令や、北海道の未開発地への移動等をも命じられる事と相成るもの、遣られれば遣り返すでも無かろうが、古代東北王朝を率いたアテルイが葬り去られてから千有余年、時代こそ違えども、怨念の晴らしは続き、且つ、繰り返され、今もなお続くと云う事なのであろう。

 余談にこそなりはしたが、上述せし両大臣ともに、双方の出自をして知ってか知らずかは、確かめ様も無いので何とも言えないが、方や財務大臣麻生太郎は、天皇家に<妃>の御輿入れを続けたとされる藤原本宗家一族の末裔を自負する、其れこそが今に至る人物であり、一方の、財務大臣任命責任者たる宰相の安倍晋三は、桓武天皇からの平定の御指示で、蝦夷一族が主導せし東北王朝をして倒壊させられ、あまつさえ、王と王妃は、敵軍の将軍たる田村麻呂に拠る、助命に導くとの言をして信じ、無条件降参したばかりに、アテルイ王等は斬首の処刑下に付され、生存を赦されし多くの蝦夷一族指導者層は、島流しや遠島の厳しい処遇に遭う等の、所謂、代を重ねて語り継がれし怨念の晴らしは千二百年を越えし今もなお、夫々の子孫に受け継がれ、脈々と波打ってもいるのである。其の伝から言えば、安倍晋三の祖先をして、麻生太郎の祖先は、安倍氏一族をして貶めたばかりか東北(蝦夷)王朝と云う邦を破壊、多くを殺しては、列島内流刑に処すると云う暴虐を遣って退けるのである。

 今、古代(八世紀)に於いて、桓武王朝の指揮権発動に因り、東北王朝蝦夷一族に対する軍事的平定が命じられ、結果、無残にも蝦夷一族王朝は破壊され、且つ、東北地方から離散させられし蝦夷一族の民、斯かる東北王朝蝦夷一族(安東家、秋田家、安倍家等)の末裔たる、子孫無き現下の異邦人傀儡子宰相安倍晋三は、家臣たる大臣に現に抱える、言うならば、「天皇家」の縁戚として胸を張り、藤原本宗家一族の末裔たる麻生太郎をして財務大臣職に登用、都合七年間にも喃々とする間、指揮命令下に措き続けると云う、何とも魔訶不思議な光景をして視させて呉れるもの、勿論、歴史的経過がそうさせてもいるのだろうが、とは言え、大臣麻生太郎、宰相安倍晋三ともに己の出自に関しては”明確に”認識下に措いていること疑いを容れずにも在れば、如何に呉越同舟の高笑い下の芝居に遊んでいるとは言え、まさに今、貶められ様としている日本民族の代表者たる、麻生太郎の従順にする振る舞いは、奇々怪々そのもの、基より、古代より追及し得る、まさに、己の出自のみを以ってひけらかすだけの知識も無く、深読みもせず、唯々狭隘にして狭量なる歴史観しか備わっていない、軽薄なるお坊ちゃん大臣の一人で在ればの為し得る業、現職宰相に対して、条理在る忠告を遣って見せるどころか、条理に向けた説得工作など、成し得る由も無いのだろう。

 憐れなる哉、条理未覚醒下に放置されし日本民族、と言う事か。