日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆共産主義的奴隷社会を敷設する安倍政権

 頓に独裁的政治姿勢を強め、大上段に構えては為す物言いや論点外し発言が際立ち始めた異邦人傀儡子宰相安倍晋三、基より、宰相職をして補完し助力援護すべき立場に在る副総理格の麻生太郎までが、完璧に安倍カラーに染まったのだろう、彼もまた今では堂々と論点外しの勝手気儘にする答弁をして平然とし、質問者をして見下す始末、如何に絶対多数の挙手起立要員をして背後に従えているからとは言え、野党陣営が為す質問内容を勝手に違えて答える何ぞは権力私物化も最たるもので、薄気味悪さは倍化、且つ、国家指導者としては恥じ晒し以外の何ものでも無く、国政を託す国家国民にとっては極めて憂いるべき彼等は存在なのである。勿論、NHK等に因る世論調査で彼等に対する支持率が高ければ、其れで良しとさえする日本社会の現況と云う事にはなるのだが、紛いものの世論調査で在ると看做せば、其れこそが、政治行動をして不条理に率いる彼等の存在は、日本社会の明らかなる崩落兆候を見せているだけのもの、此れもまた、現下に於いて開会されている国会での、所謂、質疑応答に対する抑揚を以って為す、答弁内容を聴いていて特に感じ入り、嫌悪し憂いもする、権力者答弁ではあるのだろう。

 特に、森友学園疑惑等の問題に関する、国家権力者たる彼等(首相、財務大臣)の受け答え発言をみれば、質問者との間に著しい乖離、即ち、落差在る、嚙み合わずの回答が全体的に見られ、所謂、権力者側に因る作為的にする乖離が見られ様と言うもので、質問者にとって不快感を持つ様に、答弁を聞いている視聴者にとっても、彼等権力者の答弁には質問内容をしてはぐらかす、逃避行動としてしかみられずのもの、左すれば、答弁者たる彼等権力者の頭の中身をこそ疑うだけ、まさに彼等は、日本語をして理解する真の日本人で在るのかとの疑問すら、つい抱いて終うのである。

 確かに、野党の質問者に対する、正確無比で、且つ、まともな回答を以って対応すれば、此れ程に簡単で明快なる回答は無く、質問者等をして納得させもするのだろうが、正確で明快なる回答を施せば、事と次第に因っては立ち処にしてお縄頂戴の不祥事にさえ発展し兼ねずにも在れば、其処は狡猾にする権力者の遣る事、言葉をはぐらかしてでも関係無き旨の答弁を以って、繰り返さなければならない”時”も、間々有ると云う事なのであろう。本より、馬鹿だ、阿呆だ、詐欺ペテン師同然だ等と言われて蔑まれ様が、其の場凌ぎさえ出来れば、日本社会に在ってはお縄頂戴だけは遠ざかるもの、<三十六計逃げるに如かず>なる格言は、まさに、回答する立場に在る権力者にとっても貴重なる手法であり振る舞い、延命策とはなるのである。敢えて為した不正不法事案に対し、本当の事を言って胸を張る馬鹿は居らず、国権をして与る政治屋には誰一人として、本当の事を言う正直者など居ないと云う事の様で在る。
 
 多くの常識人たる日本人にとって、虚言を吐き続ける事ぐらい難しい事は無く、何時の日にか吐いた嘘は口から洩れもし、真実もまた詳らかにされる日も来るので在ろうが、但し、此処に言う所の”常識人”とは、多くの日本人に備わっている筈の、所謂、知らぬ物事に直面したら、先ずは、慎重を期して疑って掛かる事、また、他者の事案や案件で在ろうとも、些かでも不条理事象が垣間見えれば、正義心の強さから諫め、若しくは、割って入っては不条理なる人物をして窘めたり、或いは、指摘しては正す事さえ厭わぬと云う、お節介心の働く人物をこそ指すもので、精神疾患著しい人物で在るとか、自主性が欠如し、教唆や洗脳に引き込まれ易い人物であるとか、正義心が全く欠如している人物等は、日本人としての常識人の範疇からは除外もされるのである。基より、虚言癖強きもの、何ごとに付け事の善悪を認識出来ぬもの、有する地位を嵩に着て忖度を強いるもの等もまた、常識人に含まれる事は無いのである。

 過去七年間と云う安倍政権の執政内容に限定し、今に引き続く国会(政界)議員の動き様と云うべきか、在り様と云うべきかを見てみれば、特に、与党陣営の立ち居振る舞いや言動等々を、つらつら思い起こしては見て来ると、首を傾げたくなること多々あり、其れも時間を経過するに連れて脹らむ、彼等与党議員に対する疑心暗鬼と不安の台頭として現れ、背筋に冷たいものを感じるもの、更に、全くと言って良い程の彼等与党議員に対する与信消滅があり、増々にする不信増大が在れば、此れはまさに、日本社会をして危うくしていると言え、而も、愚びたる現状の権力者群が押し進める、理性在る条理に適わぬ諸政策をして放置せしめる様は酷く、且つ、呆れる程の不条理政策をして、次から次へと法案化を急ぐ等権力者群の悪巧みをして、何一つとして阻止し得る態勢等とれる由すら無きもの、基より、時代錯誤の独裁的国家運営でも在ればの其れこそが為せる業、とでも言えるのであろう。意見(異見)する人ひとりとして居らず、基より、此れほど数多の不条理事象を権力内部に抱え込み乍ら、国家社会の為、若しくは、国際社会の良質にする秩序創りの為、丁々発止として自党権力者群との間に鍔迫り合いをする人物、まったく皆無ですら在れば、人間家畜奴隷牧場へと追い遣られても気付かぬ日本民族同様に、彼等選良民たる日本民族の与党議員達もまた、例に漏れずの”人間家畜奴隷”の一人に措かれている事に全く気付いて居ない、彼等もまた軽薄にする人物群なのであろう。気の毒に、いやっ、我等日本民族と同様に、選良民と錯覚せし彼等もまた自業自得の為せる業、悲惨さを被る同様の結果をして強いられるのである。

 「女性活躍化社会」、「地方活性の創出」、「一億総活躍社会」、「働き方改革」、「少子化対策」、etcと来て、「人づくり革命」政策推進と来れば、何だい此れは、と絶句するのも道理、まさに、「人間家畜化奴隷牧場」整備の為の、実践的法制度の推し進め以外の何ものでも無い、と疑いたくもなるのである。二十世紀初頭に於いて、ソビエト連邦を介して流行った、新種の政治概念たる「共産主義独裁政治」に見紛うもの、日本共産党の現状にさえ斯かる懐古趣味に浸る、或いは、舞い戻る、狂気性は捨て去っていて、今は無いのである。