日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆朝鮮半島、日本列島、何れが先人で国際人の地。

 若し巷間言われているが如く、私的目論見遂行の為に、”国権濫用”を連発させているとの、所謂、安倍政権に対する風評が、実体的にも其の通りに事実であるとすれば、即ち、森友学園問題(国有財産不正廉売事件)では現役宰相である安倍晋三と宰相夫人が関わった事で事件そのものが成立したとされ、また、国家により設立規制の対象とされていた獣医学部の新設が、現役宰相である安倍晋三の肝煎りに因る権力執行で、規制を部分的に除外されては押し進められ、遂には、型通りの解除と認可が下され、結果、膨大なる税金投入が開始されるに至った、で在るとか、はたまた、現役宰相である安倍晋三が親交を深めていたジャーナリスト山口某に持ち上がった、所謂、”強姦容疑”での逮捕や裁判をして、回避すべくに懇願され、一も二も無く了承、先回り準備してはものの見事に上記犯罪者をして無罪放免に処した事で、結果、被害女性に対しては大きな苦痛と精神的ショックを与えて終った、等々の噂が、よしんば、須らくが事実であるとすれば、社会制度上は勿論の事、法制度上も赦されざる事は明白なるもの、基より、直接的にする関与で在ろうと無かろうと、不法不正行為への関与は否定し得ずのもの、国家宰相たる安倍晋三昭恵夫人両名をしてどうして赦す事など出来ようぞ、基より、無罪放免に処す事などでき様か出来はしないのである。

 森友学園問題に関して、巷の噂通りで在れば、如何に民間人の立場に在る昭恵夫人とは言え宰相夫人であり、且つ、自身は社会活動にも広域的、且つ、精力的に関わり、身辺警護等に関んしては、其れこそ常態的に、内閣府等より、秘書官<三、四名>が派遣されては宛がわれ、細々とした事もまた、昭恵夫人に代わって調査して見せると云う、公務活動の如き事実(内容と実態)を以ってすれば、全くの私人であると看做すには不自然さが残るのである。基より、昭恵夫人が繰り広げる行動の向う側に存在する人々の意識には、当然の事乍ら、少なくとも此処に迄至る七年間は、一私人たる安倍昭恵氏との認識はまったく無く、少なくとも国会議員安倍晋三の妻安倍昭恵氏であるとか、宰相夫人安倍昭恵氏で在る等、向う側に位置する人々の大部分は認識下に置いて、交流乃至交渉を押し進め、社会活動と為していたのであろう。
 
 基より、国家権力者たる宰相安倍晋三(夫人昭恵氏を含む)や、財務大臣麻生太郎等が主に紡ぎ出す<国権濫用>の醜聞は両手に収まらずに措く酷さには在るもので、基より、国権(行政)に携わる執行期間が七年にも及べば、両人ともに一期一年のみを以って政権を追い払われた苦い経験を持つ、それこそが、秀でし有能なる為政者や政治家でも無い以上、持ち得る国権を嵩にきて、挙手起立要員に鼻薬を利かせては員数を揃えて国権濫用を実践、斯くして、六年も七年もの間、無法者どもと一緒に手を組めば、片手どころか両手、或いは、二人や三人以上に至る数まで、国権濫用に因る、所謂、不条理行為たる政治活動を執り行なう事などいとも簡単な活動とはなったろう。此の態では、「国権」をして勘違いしない方が可笑しい事にはなる。

 また、財務大臣麻生太郎の部下である、事務次官の犯した不祥事(セクハラ事件)をして、大臣そのものが深く関心を持ち、基より、其れはプライベート時のセクハラであったのか、公務執行時に於ける不適切なる行為であったのかが明かされない侭、唯々、部下に因る発言を真に受け、即ち、”セクハラに非ず”をして信じる余りに、紛う事無き財務大臣に位する麻生太郎は、在るまい事か被害者側に向かって咆え、”セクハラの証拠を示せ!”なる暴言を吐く有り様、云うならば、己の立ち位置を全く忘れ、と言うよりも寧ろ投げ棄てるかの如く、端っから対決姿勢の不遜に措くもの云いに終始する有り様、況してや、”ハメたのではないかとの言い分もある”と、TV朝日社をして、然も、”美人局”の首謀者で在るかの如くに言い捨てる様は、見苦しき発言を通り越し、餓鬼の口答えにも似た卑猥にする言い分、指導的立場に立つ者が、況してや、国家をして主導し牽引すべき人物が、思い付くが侭に吐き出すような言葉では無く、極普通の人間でさえ使わぬ其れは物言いと言うもので、実におぞましくも在るもの、況してや、麻生太郎はと云えば、一期一年とは言え総理大臣職まで務め、今は、七年もの間安倍晋三政権をして内部から支えて来ていると自負、自他ともに国家権力をして自由自在に執行可能と確信、安倍晋三と同様に実力を持つ、枢要な一人でもあると、仰け反る程に胸を張る、彼はご仁でも在る。其の厄介なる自尊心にどっぷりと浸かり、安倍晋三同様に自信過剰の一人でも在る彼が、執拗過ぎる程にセクハラ事務次官を擁護し続け、被害者たる弱者に対しては、”出る処に出てみろや!、そんなモン捻りつぶして遣るからなっ!”とでも言わんばかりの、暴言紛いの抑揚で捲し立てる何ぞは、国務大臣の吐く言葉としては実に信じ難きものであり、恐喝紛いの言葉と聞き間違うもの、よくぞ此処まで国権の座に止まって来れたものだわいと、つくづく寒心するばかりである。

 三下ヤクザの俳優模倣か、アルカポネ気取りか知らねども、見下す言い方に大層実感が籠り、真に迫る其れなりの演じとして見なせぬ事も無いが、其れこそが半世紀も前に見た、任侠(勧善懲悪劇)の単純セリフと言うもので、”映画”と”実録”を見間違えたのではなかろうかとの錯覚すら、つい、おぼえそうにもなる。此れが、我等ボンクラ頭も混じりし道々の民が直面している問題、即ち、そろそろ棺桶が準備されし己等世代を含めた子や孫の将来をして、此処七年は特に、社会全体に纏わる不安材料として増幅、愚策、姦策、偽策等々、所謂、奴隷化法案とでも称すべき悪法をして、現政権には連発され続け、而も、異邦人傀儡子宰相安倍晋三に因る、規制や強制を数多に加えられし法案まで準備され、日夜汲々とさせられっ放しの日本民族として、今まさに、其の二人の目の前で甚振られ、貶められ様としてもいるのである。

 今、北朝鮮国に対する、韓国や米国、若しくは、中国を加えた三ヵ国による夫々が、若しくは、相互協力を以って為す外交交渉が、歴史的転換点、所謂、平和裏に展開する外交関係に関わる、或る種の成果として、此れを契機に生まれるかどうかが判明し様としている最中に在って、我が日本政府の対北朝鮮国外交態様はどうかと問えば、”北朝鮮”と言う言葉を聞いただけでも直ぐにカッとなっては牙を剥き、口をあければ開けたで吠えたくなるだけと、まさに、対決姿勢一辺倒のみに措く、其れこそが、聞く耳持たずの、処方箋無しに捨て置くだけ、また、其の代わりにと言えば何だが、国内政治は充実しているのかと言えば、毎回取り上げているが如く、左に非ずのもので、国権濫用の豊富な品揃えに付け加え、内閣府をして治外法権下に措き、まさに司法権不在を窺わせる遣りたい放題の図式に在り、斯かる始末の悪さは閉口ものではある。勿論、北朝鮮国に対して生まれ様としている、(或いは、頓挫するかも知れないが)、新たなる外交の潮流が、まさに隣国で芽生え創めた時点で、自民党安倍政権の執り続けている上記外交方策は失敗を露呈した事となり、基より、政治経済に関わる、米国D.トランプ政権からの不法行為の押し付けと其の継続をして、漢民族中国が対応して見せているが如く、敢然として為す跳ね除け一つ出来なかった其の時点で、安倍政権の政治生命は断たれ、完璧に終わったと見るべきが妥当なる判断で在り見方と言うもの、基より、第二次安倍政権が生れ出た事で、我等道々の民は多くの物事(不条理の本質)を学び、当該物事の詳細、並びに、経緯をして仔細に教えられたと云う点では、個人”安倍晋三”に、感謝しなければならないのかも知れない。即ち、安倍晋三と言う<氏>の素性や性格をして、明らかに、面前に晒して呉れたと云う点での其れは感謝であって、我等道々の民をして導いた、”人間家畜奴隷牧場”への誘導追い立ての功績に対してで在ろう筈も無い。

 ”貧乏神”と”厄病神”を後背に抱え、シオニストユダヤ系<主>の命に従い、遣りたい放題に動き回る異邦人傀儡子宰相安倍晋三、条理に覚醒して現実下の不条理に気付く日本国民(日本民族)次第とは言え、自民党に対する支持率が、未だに、40%台を維持している現状では、条理在る改善など望み薄、期待する方が酷ではあるのだろう。集合体とでも言うべき日本民族の先人たる、朝鮮民族高句麗人、百済人、新羅人>が、今漸くにして怨讐を彼方に追い遣り、或る意味で先人に値する此の日本民族の様に、合同に向かおうとし始めた矢先に於いて、ハグレ蝦夷民族の末裔と百済民族末裔の日本人政治屋に、国家諸共、一億日本民族が亡き者にされ様とは、神の悪戯にしては余りにも惨過ぎるのではあるまいか。、