日本の歴史は日本人が創る

ヤマト民族日本人に“我れ蘇り”を希う

☆制御不能に陥った政権政党。 其の二十

 釈迦に説法、願っても無駄とは思うが、日本国家社会の安寧と秩序が深く関わって来るので書き認めて措くが、愈々今週へと迫った自民党の総裁選挙、先日、記者倶楽部で開かれた、候補者二人に拠る初の討論会の席上では、記者(団)からの質問を受けたり、或いは、テーマを絞って、候補者たる安倍晋三石破茂両名の見解やら意見(乃至異見)の表明が為され、相互に質し合うと云う場面も在った様だが、部外者として聞いている者にとっては、発言の中身、内容ともに実りなどまったく無きもの、特に、安倍晋三自民党総裁であり国家宰相でも在る彼の発言に関して云えば、箸にも棒にも掛からぬ薄っぺらく酷きもの、よくぞ六年もの永きに亘り国家宰相職が務まっているものだわいと、つくづく寒心するばかりのもの、彼安倍晋三は、どうも公式の場に於ける即断即決の答えを求められる場は得意とせず、また、好きでも無い様で、国会会期中の答弁同様に不安に駆られるらしく、石破茂側より提案の在った現下の総裁選挙戦に於いて、所謂、西日本領域や北海道南部に於いて発生した天変地異に因る甚大なる被災を理由に、選挙そのものの延期(一、二週間程度)を求めた処、安倍現総裁陣営に於いて、外交日程が立て込んでいる等の理由を付されては拒否一蹴され、而も、上記甚大なる災害をもう一つの理由とする、所謂、候補者二人が、主要都市の数ヵ所に於いて、同時に街宣車上に立って為す演説は、短縮された三日間の選挙日程を考えれば厳しいものがあり取り止め様ではないかとする、言わば、安倍陣営に因る一方的ルール変更の決定は如何なものか、との石破茂に拠る疑問の呈しに、安倍晋三が答えて曰く、私(安倍晋三)には、23日から始まる国連総会への出席(での演説)が待っているのです。(何の仕事もしていないあなたと、外交上、引く手数多に在る私安倍晋三とでは、全く立場が違うんです、既に、勝利は私で決まった選挙、選挙日の繰り延べ所か、立会演説会もまた無駄なのです、と云わんばかりに、石破茂に拠る、安倍陣営は独善的に過ぎるとの言い分をして、埒も無いと突き放してみせたのである。

 やはり、そうでは在ったのである。即ち、安倍晋三にとって最も好ましからざるモノゴトが何かと云えば、国会に於ける質疑応答時に於いて繰り広げられる、所謂、野党陣営からの質問責めの時間帯で在り、中でも特に、予定無き急遽の質問に対する答弁が其れで在るのと同様に、記者団(等)から緊急的に為される、此れまた不意を衝く、回答準備せずの質問に不安は在るもの、即ち、事前に回答として準備、乃至、用意が出来ている質疑や質問で無い限りに於いては、まるっきり駄目で、気色ばむ事すら多々認められるもの、”その様な質問、事前になされていませんよね!”と、安倍晋三は須らく事前準備を必要とし常態とさえしなければならぬもの、勿論、記者団からの急遽にする問い合わせに対しては無視して応えぬ事数多で在ってみれば、記者倶楽部で為された今次の討論会もまた苦手とする”場”の一つでは在ったのだろう。相手候補たる石破茂から、主要都市に於ける立会演説会の急遽にする削減提案と其の決定、即ち、安倍陣営(主流派)に因る一方的取り止めの決定は、上記事由に基づくもので、よしんば、予定通りに遣れば、政治的力無き石破茂(陣営)とは言え、論理構成力に於いては二枚も三枚も安倍晋三の上を行く石破茂、且つ、現実的政治に関しても、(小澤一郎譲りの)正々堂々と正論を吐き、且つ、遣って退けるだけの”腕力/手腕”を有する石破茂にも在る以上、主要都市に於ける代議員票の何ぼかは、規定通りの安倍晋三にでは無く、石破茂へと急遽にして流れないとも限らずのもの、と看破したであろう<B&A群>と安倍晋三陣営、危惧した事で、此れまた急遽、外交日程が詰まっている事を事由として、また、勝負の決着は既に付いているとして、立会演説会もまた取り止める事としたのである。

 傀儡子宰相たる安倍晋三は国会での質疑応答も得意とせず、また記者団との会見も避けたいと願い、先日の東方経済フォーラムで見せた様な、所謂、外国要人を多数に集めた討論の場での、所謂、筋書きの無い質疑応答もまた嫌いで、得手とせずにも措けば、急遽にして問われし提案や質問に、粗々では在って在っても、即ち、大枠では在ろうとも、答えられぬのも道理とする所、然らば、何が得意で好ましい答弁で在るかと云えば、得意とするのは、質問内容が事前に(時間を措いて)判っている殊、即ち、国会での答弁方式や、此れまた、事前に質問内容が分かっている記者団からの質問内容等が好ましいもので、勿論、閣僚等を集めては為す、”筋書”が書き込まれた(己が発言する部分の)読み上げ等が在るだけ、基より、其れに関わる掘り下げて為す質疑応答など、得手としない事は言う迄も無いのである。創る側にでは無く、常に演ずる側に位置もすれば、当然と云えば当然では在る。勿論、国連本部で予定されていると言われる演説内容もまた、<主>の代理人たる<B&A群>が添削せし演説草稿をして、(安心して)読むだけとはなるのだろう。

 要するに、傀儡子宰相たる安倍晋三に、政治や外交施策等に関わる独自的に思考思案し発想してみたり、想像(創造)し起案してみたり、或いは、其の為の論を組み立てたり、また、修正したり、全面的に直したり、更に云えば、完成せし答弁内容をして、即座にチェックしてみたりする、所謂、自主的(能動的)力等は皆無の様で、畢竟、傀儡子宰相安倍晋三にとっては、ワザオギ(俳優)の主役こそ張って見せる事は出来るが、黒子群(B&A群)の存在は、常態的に欠かせない存在とはなるのである。基より、此れは内政や外交関係に於ける施策の決断や決定に関わるプロセスに付いての流れだが、森友学園問題や加計学園、或いは、刑法犯に対する見逃しと無罪放免等に見られる、言わば、プライベートにする悪さの遣り方に関しても同様、直接に手を出す事は無く、内閣府詰めの側近を通じて須らく、組み立て(実行に至る)は任せるもの、即ち、政治外交的問題に関しては、己自身が手渡されるシナリオに従って演じて見せるが、下世話な、ややもすれば、両手が後ろに回る様な”行為”は、己の足許に詰めては命令や指示を待つ<側近等>に、撥ねッ返り無きよう、委ねて見せるのである。

 今、現閣僚でもある、石破茂候補側に立つ斎藤農水大臣に対して、安倍晋三の用心棒とでも言うべき、いい年をした側近某より脅迫を受け、勿論、其れは、森友問題や加計学園問題でも活躍した自民党細田派の議員から脅しが入り、即ち、いやしくも安倍内閣の閣僚に在りながら、他候補(石破茂)を推すとは無礼にして認められず、大臣職を早急に辞してからにせいっ!、との恫喝が為されたと在る。基より、此の様な、時代錯誤とでも言うべきアウトロー手法を繰り出し得るのは、基より利己主義にどっぷりと浸かる自民党員ならではのもの、下手人(脅迫者)の推測こそ容易に付くが、斯くの如く、安倍晋三をして熱烈に支持し、若しくは、支持せざるを得ない人物の多くは、斯かる下手人と育ってきた環境が似たり寄ったりの、余り芳しからざる人物群、即ち、己の為(金銭欲、名誉欲の実現)になるとみれば、何事も厭わずに遣って退ける族、脅迫や罵声の浴びせを常態とする彼等は族、基より、日本国家社会の条理在るはってんを阻害する彼等は人物群でも在る。

 安倍晋三の勝ち戦が既に決まってもいる中で、敢えて、対立候補を支持する数少ない現職閣僚の一人を呼び出しては脅迫、上述せし一言、二言の罵声を浴びせた人物が居たとされてもいるのだが、脅迫行為など為さずとも良さそうなものをと、常識人は単純に思うのだろうが、此処は傀儡子宰相たる安倍晋三が<顔/幅>を利かせる自民党で在り巣窟、基より、最大派閥の細田派に所属する連中て在ればの成し得る脅迫と云うもの、他派閥とは一風にして変わった此れは目立ちたがりやの為す行為、或いは、現職宰相の目に留まる様な行為で、畢竟、目立った行動でも取らなければ、新たにする内閣改造人事での、何かしらの主要ポストに就く事は、殆んど不可能と考える彼等は族であり、華々しさの無い農水大臣の席でも、指名されたら良しとして喜んで受諾する様な、政治理念もへったくれも無い、彼等は利己主義なる族でもある。

 其の様な、好ましからざる人物群も数多に混じった中で執り行われる自民党総裁選挙、自民党総裁として再びの国権を担う可能性の高い<安倍晋三>の背後には、欧米日中の政治経済をして実質的にも支配し、実体的にも取り仕切る、所謂、精神疾患著しい米国大統領のD.トランプ等では無く、安倍晋三が<主>として崇め奉って已まない件の、シオニストユダヤ系大財閥資本家群の存在の他に、<貧乏神と厄病神>が確かに坐し、自由自在に暴れ捲くっては国家国民をして苦しめてもいれば、本来にして気付かなければならない筈の、自民党員であろうとも日本民族議員団は、鳩首集めては熟議を凝らし、傀儡子権力者の首に鈴を付け、排除体制は布いて然るべきもの、其れすら出来ず、在るまい事か、<貧乏神と疫病神>が自由奔放に暴れ捲る道筋を造って見せる自民党員、日本国家社会が安全や繁栄、或いは、安寧を保つ所か、増々にして疲弊や苦悩をこそ被るのは已む無き事、ではあるのだろう。

 安倍晋三に因る、自民党総裁選への勝ち名乗りが、基より、其れは国家権力者への再びにする就任をも意味するのだが、同時に其れは、周辺国(露、中、北朝鮮等)との不協和音を生み出し、抗争発展にすら及び兼ねずのもの、基より、傀儡子宰相安倍晋三の相も変らぬ執行権の揮いは、<貧乏神と厄病神>の跳梁跋扈を赦し、天変地異の新たなる発生は已む無しとする所では在るのだろう。此れもまた、社会正義の顕現をして了解し乍らも討ち捨てた、日本民族の自業自得とする処、諦めなければならないのであろうか。極めて残念至極ではある。